詳細年表 30〜40代 戦前の小林秀雄


「Xへの手紙」「ドストエフスキイの生活」「歴史について」「私小説論」「作家の顔」「思想と実生活」
「パスカルの『パンセ」について」『歴史と文学』「戦争と平和」「当麻」「無常といふ事」「徒然草」「西行」「実朝」



1932年(昭和7)30歳
1月
座談会「一九三二年の文芸界の動向を語る」(『新潮』)
正宗白鳥」(『時事新報』)

2月
「梶井基次郎と嘉村磯多」(『中央公論』)
「佐佐木茂索『困つた人達』」
「一月の作品」(『作品』)
「堀辰雄の『聖家族』」(『江川書房月報(第一號)』)
座談会「新年の創作を中心として」(『新潮』)
「批評について(毎月沢山の...)」(初出未詳)

3月
「文章について(一体文章について...)」(『帝国大学新聞』

4月
ヴァレリイ『テスト氏I』(翻訳、江川書房)
新設された明治大学文芸科の講師に、「文学概論」を担当

5月
「ヴァレリイの事」(初出未詳)
座談会「新しき文学の動向に就いて語る」(『新潮』)

6月
「現代文学の不安」(『改造』)
「小説の問題I」(『新潮』)
「小説の問題II」(『文藝春秋』)
「逆説といふものについて」(『讀賣新聞』)
川端康成『伊豆の踊子』に「跋文」を執筆

7月
「同人雑誌小感」(『東京朝日新聞』)
鎌倉町雪ノ下四一三番地に転居

9月
「Xへの手紙」(『中央公論』)

10月
「手帖I」(『新潮』)
座談会「純文学の危機に就いて語る」(『新潮』)

11月
『続文藝評論』(白水社)
東京帝国大学で講演 (文学部学友会主催)

12月
「年末感想」(『東京日日新聞』)


1933年(昭和8)31歳
1月
「『永遠の良人』」(『文藝春秋』)
湯沢にて深田久弥にスキーを習う

2月
ランボオ「渇の喜劇」(『本』創刊号)
「作家志願者への助言」(『大阪朝日新聞』)

3月
「手帖II」(『文藝春秋』)

4月
「文学批評に就いて」(『文学』創刊号)
「手帖III」(『新潮』)
「アンドレ・ジイド」(岩波講座『世界文学』第五巻 )
座談会「大衆文学はどうなるだらうか」(『新潮』)

5月
「故郷を失つた文学」(『文藝春秋』)
「文芸月評II」(報知新聞)
この頃、鎌倉町扇ヶ谷三九一番地に転居
第一高等学校で講演「文芸雑談」

7月
ヴァレリイ「テスト氏航海日誌抄」(翻訳、季刊『四季』第二冊)
『アルチュル・ランボオ詩集』(第一巻、江川書房)

8月
「批評について(実際の...)」(『改造』)

9月
「『ハムレット』に就いて」(『沙翁復興』創刊号)
「文芸時評(「経済往来」の...)」(『経済往来』)
「谷川徹三『内部と外部』評」(『東京朝日新聞』)
「文芸月評III」(『東京日日新聞』)

10月
「私小説について」「二科展を見る」「文藝春秋の作品」(『文学界』)
ランボオ「谷間に眠る男」(翻訳、『短歌と方法』創刊号)
リヴィエール「アンドレ・ジイド」(翻訳、『エチュード』芝書店)
『文学界』創刊に参加、宇野浩二、広津和郎、豊島與志雄、川端康成、武田麟太郎、林房雄、深田久彌とともに同人となる

11月
「『文藝春秋』と『経済往来』の作品」「故古賀春江氏の水彩画展」「金文輯君へ」(『文学界』)
座談会「文芸復興座談会」(『文藝春秋』)
『おふえりや遺文』(三才社)
横光利一とともに江川書房顧問となる

12月
「『未成年』の独創性について」(『文芸』)
「手帖IV」(『文学界』)
「批評家の悪癖」「批評家無用論」「『春琴抄』その他」(『大阪朝日新聞』)
『一つの脳髄』(四季社)
*この年、文化学院に出講

1934年(昭和9)32歳
1月
「文学界の混乱」(『文藝春秋』)
「 嘉村君のこと」(『文芸』)
「アンドレ・ジイドのドストエフスキイ論」(『作品』)

2月
『罪と罰』についてI』(第一回)(『行動』)
「アランの事」(『文学界』)
「新年号創作読後感」(『文藝春秋』)
ジイド著・今日出海訳『イザベラ』(六峰書房)推薦文」(『文藝春秋』)

3月
「文芸時評(諷刺小説について)」(『 文藝春秋』)
「未発表の氏の表現」(『梶井基次郎全集(六峰書房)内容見本』)

4月
『続々文藝評論』(芝書店)
ヴァレリイ「友の手紙I」翻訳、『ヴァリエテ』第五号)
「レオ・シェストフの『悲劇の哲学』」(『文藝春秋』)
ジイド「ジャック・リヴィエル」(翻訳、『アンドレ・ジイド全集』第九巻、建設社)
「わが愛読の日本古典」(『若草』)

5月6日
長野県松本市の森喜代美と結婚鎌倉扇ヶ谷四〇三番地に新居を構える

5月
「『罪と罰』についてI」第二回(『文芸』)
嘉村磯多全集を推す」(『嘉村磯多全集』内容見本、白水社)
「僕の手帖から」(『報知新聞』)
「中央公論の三篇」(『東京日日新聞』)
『様々なる意匠』(改造社の文芸復興叢書)
宇野浩二と『嘉村磯多全集』を編集

6月
「佐藤春夫論」(『文学界』)
「 林房雄『青年』」(『文藝春秋』)
「 短歌について」(『日本歌人 』創刊号)
ヴァレリイ「友の手紙II」(翻訳、『ヴァリエテ』第六号)
「文学界」の発行元を文圃堂書店に移行し、復刊、文圃堂書店の野々上慶一と親交を結ぶ

7月
「『罪と罰』についてI」第三回(『行動』)
アンドレ・ジイド『パリュウド』(翻訳、『アンドレ・ジイド全集』第二巻、建設社)

8月
「断想(上田進氏訳...)」(『文藝春秋』)
「中原中也の「骨」」「林芙美子の印象」(『文学界』)
座談会「政治と文学に関する座談会」(『文学界』)

9月
「『白痴』についてI」(1)(『文芸』)
 「レオ・シェストフの『虚無よりの創造』」(『文学界』)
座談会「リアリズムに関する座談会」(『文学界』)
「文藝春秋」奥羽・北海道地方講演会で講演「文学志望者へ」

10月
ヴァレリイ『テスト氏』(翻訳、野田書房)
「『紋章』と『風雨強かるべし』とを読む」(『改造』)
文章鑑賞の精神と方法」(『日本現代文章講座』第二巻、厚生閣)
「カヤの平」(『山』)
「テスト氏の訳に就いて」『野田書房通信』第一号)
「『白痴』についてI」(2)(『文芸』)
『文芸月評IV』(1)「芹沢光治良「鹽壺」」(2)「林芙美子「山中歌合」林房雄「父と子」」(『東京日日新聞』)
林房雄の出版記念会に出席

11月
「十二月の創作」(『国民新聞』)

12月
「『白痴』についてI」(3)(『文芸』)
下旬に『文藝春秋』近畿・中国地方愛読者大会で講演

 
1935年(昭和10)33歳
1月
「ドストエフスキイの生活」(1)「谷崎潤一郎『文章読本』」「中原中也の『山羊の歌』」「後記」(『文学界』)
文芸時評に就いて」(『行動』)
「文芸時評」(1)岸田氏の「富士はおまけ」(2)「おずるさ」問題(3)阿部知二の「荒地」(4)豊田三郎の「弔花」(『東京朝日新聞』)
座談会「思想についての座談会」(『行動』)
『文学界』の編集責任者となる

2月
「再び文芸時評に就いて」(『改造』)
ドストエフスキイの生活」(2)「後記」(『文学界』)
選後感想」(『校友会雑誌』第一高等学校)
プレテクスト」(翻訳、『アンドレ・ジイド全集』第七巻、建設社)

2月24日
菅平の文壇スキー大会に参加

3月
「ドストエフスキイの生活」(3)「後記」(『文学界』)
 
4月
「ドストエフスキイの生活」(4)「後記」(『文学界』)
文学批評家への注文」(『文藝春秋』)
「五月号創作評」(『中外商業新報』)

5月
「私小説論」(1)(『経済往来』)
ドストエフスキイの生活」(5)「後記」(『文学界』)
「『白痴』についてI」(4)(『文芸』)
「ほんとの不満か」(『都新聞』)

6月
「ドストエフスキイの生活」(6)(『文学界』)
「私小説論」(2)(『経済往来』)
「横光利一『覚書』」(発表誌未詳)

7月
「私小説論」(3)(『経済往来』)
「『白痴』についてI」(5)(『文芸』)
「初夏」(『週刊朝日』)
「アンドレ・ジイド」(『アンドレ・ジイド全集』第十二巻、建設社)
霧ヶ峰滞在
『精神と情熱に関する八十一章』(アラン)を翻訳

8月
「私小説論」(4)(『経済往来』)
ドストエフスキイの生活」(7)「後記」(『文学界』)
 
9月
「ドストエフスキイの生活」(8)「後記」(『文学界』)
新人Xへ」(『文藝春秋』)
ジイド『パリュウド』(翻訳、岩波文庫)「『パリュウド』について」を付す
下旬に「文藝春秋社講演会」(浅虫)で講演

10月
「ドストエフスキイの生活」(9)「後記」(『文学界』)
批評と批評家」(『月刊文章』)
 
11月
『私小説論』(上製版、作品社)
ドストエフスキイの生活」(10)「後記」(『文学界』)
「『ルナアルの日記』」(『改造』)
11月25日
文藝春秋社大阪愛読者大会で講演、文士劇「ドモ又の死」に出演(生蕃の役で)

12月
「『地下室の手記』と『永遠の良人』」(1)(『文芸』)
芥川賞(談話)」(『文芸通信』)
「岸田国士『鞭を鳴らす女』其他」(『東京朝日新聞』)
文藝春秋東京愛読者大会で文士劇「ドモ又の死」に出演。

1936年(昭和11)34歳
1月
「ドストエフスキイの生活」(11)「後記」(『文学界』)
座談会「文学界同人座談会」に出席
文学界同人改組
『Xへの手紙』を刊行(野田書房)
「作家の顔」(『讀賣新聞』)(→正宗白鳥とトルストイをめぐって〈思想と実生活論争〉始まる)

2月
「ドストエフスキイの生活」(12)「後記」(『文学界』)
「『地下室の手記』と『永遠の良人』」(2)(『文芸』)
「初舞台」(『話』)
「私信-中山省三郎氏へ」(『ヴレーミヤ』、三笠書房『ドストエフスキイ全集』月報 第五号)
「純粋小説について」(1)(『文芸通信』)
座談会「純文学・大衆小説・新聞小説」(『新潮』)
「文学界同人座談会」(『文学界』)
「ドストエフスキイの生活」で第一回文学界賞受賞、「岸田国士の『風俗時評』其他」(『讀賣新聞』)(→文藝懇話会をめぐって中野重治と論争)

3月
「純粋小説について」(2)(『文芸通信』)
「井の中の蛙」(『文芸懇話会』)
「ドストエフスキイの生活」(13)「後記」「文学界賞の事」(『文学界』)
「今月の作品」(『中外商業新報』)
「文学界同人座談会」(『文学界』)
*この頃、横光利一らと『純粋小説全集』(有光社)編集。

4月
「中野重治君へ」(『東京日日新聞』)
「思想と実生活」(『文藝春秋』)
「文芸批評のヂレンマ」「ドストエフスキイの生活」(14)「後記」(『文学界』)
「『地下室の手記』と『永遠の良人』」(3)(『文芸』)
「文芸時評」(『讀賣新聞』)
「文学界同人座談会」(『文学界』)

5月
「現代小説の諸問題」(『中央公論』)
「「夜明け前」について」「ドストエフスキイの生活」(15)「後記」(『文学界』)

6月
「文学者の思想と実生活」(『改造』)
「失敗」(『話』)
「詩の問題」「青野季吉『文芸と社会』評」「石川達三『豺狼』」「小説のリアリティ」「若き文学者の教養(菊池寛の意見)」(『東京朝日新聞』)
ドストエフスキイの生活」(16)「後記」(『文学界』)
座談会「最近の文学から問題を拾つて」(『新潮』)座談会「「夜明け前」合評会」(『文学界』)

7月
「トルストイの『芸術とは何か』」(『中央公論』)
「ドストエフスキイの生活」(17)(『文学界』)
「ドストエフスキイの精神分析」(『帝国大学新聞』)
「谷崎潤一郎『猫と庄造と二人のをんな』」「石坂洋次郎の『麦死なず』」「短編小説の衰退」(『東京朝日新聞』
「武田麟太郎『市井事』」「著者の言葉」(『讀賣新聞』)
座談会「現代小説の諸問題」(『文学界』)
ボードレール『ポオ論』(翻訳、山本文庫)
『文藝評論集』(改造文庫)(改造社)
深田久弥と十和田の蔦温泉に滞在
『文学界』は文藝春秋社発行となる

8月
「現代詩について」(『俳句研究』)
「山」(『改造』)
ドストエフスキイの生活」(18)(『文学界』)
青年論是非」「芥川賞の二作」(『東京朝日新聞』)
で座談会「詩と現代精神に関して」(『文学界』)

9月
「言語の問題」(『文芸』)
「文芸時評」(『報知新聞』)
「アンドレ・ジイドの人及び作品」(『婦人公論』)
「ノイフェルト『ドストエフスキイの精神分析』」「J・M・マリィ『ドストエフスキイ』(この本に就いて...)」「蔦温泉」「第八回文学界賞選後評」「ドストエフスキイの生活」(19)(『文学界』)
「中央公論評」「ヒュウマニズム論」「新人への批評賞」(『東京朝日新聞』)
座談会「菊池・久米を囲む文学論」(『文学界』)
ヴァレリイ『テスト氏』(野田書房)

10月
「演劇について」「林房雄『浪漫主義のために』」「同人通信」「ドストエフスキイの生活」(20)(『文学界』
「リヴィエルの『ランボオ』」「「改造」評」(『東京朝日新聞』
座談会「鎌倉組放談会」(『エスエス』)
『私小説論』刊行(作品社)

11月
「第十回文学界賞選後評」「ドストエフスキイの生活」(21)」(『文学界』)
「『罪と罰』を見る」(『讀賣新聞』)
「川上喜久子『滅亡の門』」「「改造」評」(『東京朝日新聞』)
座談会「現代青年論」と「欧羅巴漫遊問答」(『文学界』)

12月
「吉屋信子『女の友情』」「ドストエフスキイの生活」(22)(『文学界』)
「文学の伝統性と近代性」(『東京朝日新聞』)(→〈伝統〉〈民衆〉をめぐって中野重治、戸坂潤と論争始まる)
座談会「文学は何を為し得たか」(『文学界』)
アラン『精神と情熱とに関する八十一章』(翻訳、創元社)
*創元社顧問になり、創元選書の企画に参画、柳田国男の諸作を広く世に知らしむ
*この年? フロオベル『ボヴァリイ夫人』(発表誌未詳)
*「東京朝日新聞」のコラム〈槍騎兵〉に執筆
*「唯物論研究会」に加入
*明治大学で<日本文化史研究>開講

1937年(昭和12年)35歳
1月
「ドストエフスキイの時代感覚」(『改造』)
「菊池寛論」(『中央公論』)
「J・M・マリィ『ドストエフスキイ』(このマリィの...)」「大学の垣」「事件の報道」(『東京朝日新聞』)
「戸坂潤氏へ」(『報知新聞』)
「本年の文壇の展望」放送(『JOAK第二放送』)
座談会「現代芸術の分野」(『文学界』)

2月
『現代小説の諸問題』(十字堂書房)
「湯ヶ島」「中村光夫を推す」「第十三回文学界賞選後評」「ドストエフスキイの生活」(23)(『文学界』)
「草津行-スキー・カーニヴァル記」(『東京日日新聞』)
「「中央公論」評」「『ソヴェト旅行記』」(『東京朝日新聞』)
座談会「現代文学の日本的動向」(『文学界』)

3月
「後記」「ドストエフスキイの生活」(24)(『文学界』)
「文芸月評V」(「「普賢」について」「「エルドラド明るし」」「岡本かの子「母子叙情」」「日本的なもの」)(『讀賣新聞』)
「「改造」評」「林房雄「壮年」」「「中央公論」評」(『東京朝日新聞』)
座談会「文学と政治」(『文学界』)
座談会「現代文芸思潮の対立」(『文芸』)
座談会「青野季吉を検討する(合評)」(『讀賣新聞』)
宇野浩二らと『牧野信一全集』(第一書房)の編纂委員となる
笠原健治郎編『小林秀雄読本』(普及版、竹村書房)
3月6日
長女明子(はるこ)生まれる

4月
「『日本的なもの』の問題」(「月刊文章」および『東京朝日新聞』)
「リアリズム」「文科の学生諸君へ」「三木清「時代と道徳」評(『文学界』)
「「思想」評」「「改造」評」(『東京朝日新聞』)
で座談会「文学雑談」(『文学界』)
ランボオ論』限定49部(野田書房)
『文学界』の常任委員となる

5月
「批評家等は何をやり遂げようとしてゐるのか?」「小熊秀雄君へ」「窪川鶴次郎君へ」「グウルモン『哲学的散歩』」「後記」(『文学界』)
「文化と文体」(『自由』)
「ジイド『ソヴェト旅行記』(ジイドの...)」「「新潮」評」「作家と批評家」(『東京朝日新聞』)
座談会「『壮年』を中心として明治精神を論ず」(『文学界』)

6月
「『悪霊』について」(1)(『文藝』)
「ジイド『ソヴェト旅行記』(この旅行記の...)」(『文学界』)
「政治の文学支配」「帝国芸術院批判」(『東京朝日新聞』)
ランボオ『渇の喜劇』(翻訳・限定版、野田書房)
座談会「文化の大衆性について」(『文学界』)

7月
「『悪霊』について」(2)(『文藝』)
「『福翁自伝』」(『文学界』)
「「改造」評」「現代作家と文体」(『東京朝日新聞』)
座談会「文学主義と科学主義」(『文学界』)

8月
「文芸批評の行方」(『中央公論』)
「後記」(『文学界』)
座談会「最近の文学の諸問題」(『改造』)

9月
「『メデューズ号の筏』」「第二回池谷賞授賞経過報告」(『文学界』)
「僕の大学時代」(『帝国大学新聞』)
座談会「現代人の建設」『文学界』)

10月
「酒井逸男君へ」「後記」(『文学界』)
「第十三次「新思潮」創刊に寄せて」(『新思潮』)
「長篇小説に就いて」(『書き下ろし長篇小説叢書』内容見本、河出書房)
「『悪霊』について」(3)(『文藝』)
「戦争と文学者」(『東京朝日新聞』)
10月22日
中原中也の死(三十歳)

11月
「戦争について」(『改造』)
「夏よ去れ」「中原中也『ランボオ詩集』」「後記」(『文学界』
「『悪霊』について」(4)(『文藝』)
「実物の感覚」「『現代人の建設』評」「島木健作の『生活の探究』」(『東京朝日新聞』)

12月
「死んだ中原」「中原の遺稿」「佐藤信衞『近代科学』」(『文学界』)
「中原中也」(『手帖』第十六号、野田書房)
「不安定な文壇人の知識」(『讀賣新聞』)
「宣伝について」発表誌未詳)
*この年瀧井孝作とともに奈良の志賀直哉を訪ねる
 

1938年(昭和13)36歳

1月
「日本語の不自由さ」(『文学界』)
「女流作家」(『新女苑』)
「文芸時評」「文芸雑誌の行方」(『東京朝日新聞』)
座談会「支那を語る」(『文学界』)
座談会「志賀直哉の人と芸術」(『文芸』)

2月
「志賀直哉論」(『改造』)
「文芸時評」「思想統制とデマ」(『東京朝日新聞』)
座談会「若さの探求」(『新女苑』)

3月
「野上豊一郎の「翻訳論』」(『東京堂月報』)
「雑記(今月は「知識階級は...)」(『文学界』)
「文藝春秋」特派員として中国へ渡る
3月27日
杭州で火野葦平に第六回芥川賞を渡す。後、南京・蘇州へ

4月28日
中国から帰国
4月
「日記」(『新女苑』)
河上徹太郎と対談「『若い人』に就いて語る」(『新女苑』)

5月
「杭州」(『文藝春秋』)
「杭州より南京」(『文藝春秋 現地報告』)
「支那より還りて」(『東京朝日新聞』)

6月
明治大学教授に昇格。
「蘇州」(『文藝春秋』)(→内務省により一部削除を命じられる)
「雑記(支那から...)」(『文学界』)
『私小説論』(作品社)
 
7月
「従軍記者の感想 」(『話』)
「雑記(最近読んだ本で...) 」(『文学界』)
「現地より還りて」と題して、三好達治・岸田国士と鼎談(『文学界』)

8月
ランボオ『地獄の季節』(岩波文庫)
「第四回池谷賞推薦理由 」(『文学界』)
「ボードレール『悪の華』 」(『知性』)
「火野葦平『麦と兵隊』 」「島木健作の『続生活の探究』を廻つて」「ある感覚 」(『東京朝日新聞』)

9月
「山本有三『真実一路』を廻つて」(『新女苑』)
「舟橋聖一『岩野泡鳴伝』 」(『東京朝日新聞』)

10月
「歴史について(前半)」(『文学界』)
「精神の優位」(『精神の優位 創元社リーフレット(アラン特集号)』)
「「文学界」後記 」(『文学界』)
「ポオル・ヴァレリイ『詩学序説』」(『東京朝日新聞』)

10月~12月
岡田春吉と朝鮮・満州・華北(慶州-新京-吉林-ハルビン-黒河-孫呉-綏-熱河-北京)を旅行

11月
「三好達治」(『文体』)

12月
『文学』(創元社)
「わが近代詩精神の先駆 」(『薄田泣菫全集』第一巻、創元社)の帯に発表
「現代日本の表現力 」(『東京朝日新聞』)


1939年(昭和14)37歳

1月
「満洲の印象」(『改造』)
「小川正子『小鳥の春』」「『仮装人物』について」(『東京朝日新聞』)
「「文学界」後記」(『文学界』)

2月
「エーヴ・キューリー『キューリー夫人伝』」(『文学界』)
「往信復信(島木健作と)」(『婦人公論』)
「正宗白鳥『文学的自叙伝』」(『東京朝日新聞』)
菊池寛賞銓衡委員となる

3月
「映画批評について」(『日本映画』)
「クリスティ『奉天三十年』」(『文学界』)
現代の美辞麗句」(『東京朝日新聞』)
「現代日本文化の欠陥」と題して佐藤信衞・真船豊と鼎談(『文学界』)

4月
「疑惑 I」(『中央公論』)
「読書について」(『文藝春秋』)
「現代女性」(『新女苑』)
「サント・ブウヴ「断想」」「「文学界」後記」(『文学界』)
「文芸時評」(『東京朝日新聞』)
「現代人の課題」と題して亀井勝一郎・林房雄と鼎談(『文学界』

5月
「歴史について」(『文芸』)
「新放送会館」(『東京朝日新聞』)
ドストエフスキイの生活』(創元社)
「『我が毒』について」(サント・ブウヴ『わが毒』青木書店)

6月
「慶州」(『文藝春秋 現地報告』)
「詩歌について」と題して堀辰雄・三好達治と鼎談(『文芸』)

7月
「事変と文学」(『新女苑』)
「『ドストエフスキイの生活』のこと」(『文学界』)
「自我と方法と懐疑  デカルト讃」(『デカルト選集』内容見本、創元社)
座談会「癩文芸を語る」(『改造』)

8月
「疑惑II」(『文藝春秋』)
「疑問」(『文学界』)
座談会「歴史と文学-小林秀雄氏を囲む座談会」(『批評』創刊号)
講演「鎌倉ペンクラブ夏期大学講演」

9月
「鏡花の死其他」(『文藝春秋』)
「外交と予言」(『東京朝日新聞』)

10月
「人生の謎」(『帝国大学新聞』)
「素材派論(談話)」(『三田新聞』)
「『テスト氏』の方法」(『文学界』)
「神風といふ言葉について」「デカルト選集」「大嶽康子『病院船』」(『東京朝日新聞』)

11月
「学者と官僚」(『文藝春秋』)
「歴史の活眼」(『公論』創刊号)
「読書の工夫」(『婦人公論』)
「日比野士郎『呉淞クリーク』」(『東京朝日新聞』)

12月
「イデオロギイの問題」(『文藝春秋』)
「デカルト讃」(『デカルト選集』第三巻月報、創元社)
「新明正道へ」(『東京日日新聞』)
ヴァレリイ『テスト氏』(創元社)
『ボードレール全集第五巻 ポオ論』(河出書房)
*文藝家協会評議員に
*古代土器への熱中始まる

 
1940年(昭和15)38歳

1月
「アラン『大戦の思ひ出』」(『改造』)
「期待する人」「ジイド『芸術論』」「長編小説評」(『東京朝日新聞』)

2月
「清君の貼紙絵」(『文藝春秋』)
「議会を傍聴して」(『東京朝日新聞』)

3月
「文章について(文章の問題は...)」(『現代文章講座』第一巻、三笠書房
「文芸月評?」(『東京朝日新聞』)

4月
「モオロアの『英国史』について」(『文学界』)
「感想(社会主義の...)」を発表(発表誌未詳)
「文学界」編集スタッフを辞す

5月
「欧州大戦」(『東京朝日新聞』)
『文学2』(創元社)

6月
文藝銃後運動第二班に参加、各地を講演旅行(甲府-松本-長野-新潟-富山-金沢-福井)
「事変の新しさ」を講演(『文学界』八月号に発表)
「処世家の理論」(『文藝春秋』)
「一事件」(『東京朝日新聞』)
 
7月
「道徳について」(『知性』)
「環境」(『芸術論』第二巻、河出書房)
「芸術と道義性」(『文芸思潮』創刊号)

8月
「オリンピア」(『文藝春秋』)
「事変の新しさ」(『文学界』)
「評論家と非常時の効用」(『東京朝日新聞』)
8月2日~
文藝銃後運動朝鮮・満州班に参加(釜山-大邱-京城-新京-奉天-大連-ハルビン)
「文学と自分」を講演(『中央公論』十一月号に発表)

9月
「『維新史』」「ヒットラーの『我が闘争』」(『朝日新聞』)
アラン『精神と情熱とに関する八十一章』(創元社)

9月27日
文壇新体制準備委員会に出席

10月
「マキアヴェリについて」(『改造』)
「時代的考察」と題して中島健蔵と対談(『文芸』)
座談会「文化政策と社会教育の確立」(『文藝春秋』)
10月14日
日本文学者会常任委員に選出される

11月
「自己について」(『文藝春秋』)
「文学と自分」(『中央公論』)
「政治論文」「『戦記』随想」(『朝日新聞』)
座談会「英雄を語る」(『文学界』)

12月
「芸術上の天才について」(『文学界』)
「処女講演」(『オール読物』)
「歴史について」と題して林房雄と対談(『文学界』)


1941年(昭和16)39歳

1月
「感想(或る日、僕は、正倉院...)」(『日本評論』)
「野沢富美子『煉瓦女工』」(『公論』)
「富永太郎の思ひ出」(『富永太郎詩集』(筑摩書房))
「モオロア『フランス敗れたり』」(『朝日新聞』)
「現代について」と題して林房雄と対談(『文学界』)
「文芸評論の課題」と題して中島健蔵・窪川鶴次郎と鼎談(『文芸』)
 
2月
「島木健作」(『文藝春秋』)
「紹介の意義」(『朝日新聞』)

3月
「歴史と文学」(『改造』)
「『歩け、歩け』」(『朝日新聞』)

4月
「匹夫不可奪志」(『文学界』)
「沼田多稼蔵『日露陸戦新史』」(『朝日新聞』)
文化学院で〈文学〉を講義

5月
「第一回文芸推薦評論審査後記」(『文芸』)
「道徳を論ず」と題して林房雄と対談(『文学界』)

6月
「川端康成」(『文藝春秋』)
「伝統」(『新文学論全集』第六巻、河出書房)
「伝統について」「アランの『芸術論集』」(『朝日新聞』)
尾沢良三『女形今昔譚』に序文を発表

7月
「パスカルの『パンセ」について」(『文学界』)

8月
「林房雄の『西郷隆盛』其他」(『朝日新聞』)
「実験的精神」と題して三木清と対談(『文芸』)

9月
『歴史と文学』刊行(創元社)
座談会「現代の思想について」(『文藝春秋』)

10月
「『カラマアゾフの兄弟』」連載開始(『文藝』)
「ドストエフスキイの翻訳」(『ドストエフスキイ全集』内容見本、河出書房)
10月20日~11月3日
河上徹太郎、新居格らと朝鮮を講演旅行(大田-京城-平壌-咸興-清津)

11月
「『カラマアゾフの兄弟』(2)」(『文芸』)
*この年から古美術に親しみ、また津田左右吉を熟読する


1942年(昭和17)40歳

1月
「三つの放送」(『文藝春秋 現地報告』)
「『カラマアゾフの兄弟』(3)」(『文芸』)

2月
「『カラマアゾフの兄弟』(4)」(『文芸』)

3月
「戦争と平和」(『文学界』)
「『カラマアゾフの兄弟』(5)」(『文芸』)

4月
「当麻」
座談会「即戦体制下文学者の心」(『文学界』)

5月
「『ガリア戦記』」(『文学界』)
「『カラマアゾフの兄弟』(6)」(『文芸』)
「海軍精神の探究」と題して平出海軍大佐・河上徹太郎と鼎談(『大洋』)

6月
「無常といふ事」(『文学界』)

7月
「平家物語(先がけの...)」(『文学界』)
「『カラマアゾフの兄弟』(7)」(『文芸』)
「歴史の魂(講演)」(『新指導者』)

8月
「徒然草」(『文学界』)
胃潰瘍のため南胃腸病院に入院、食餌療法で治癒。

9月
「バッハ」(『文学界』)
「『カラマアゾフの兄弟』(8)」(『文芸』)

10月
座談会「近代の超克」(『文学界』)

11月
「西行(1)」(『文学界』)
11月3日
第一回大東亜文学者会議発会式に参加、評議員に

11月11日~17日
文芸報国講演会で中国・四国を旅行
講演「言葉のいのちについて」(岡山)

12月
「西行(2)」(『文学界』)
*「モオツアルト」を構想
*日本文学報国会評論随筆部会常任幹事に選出

1943年(昭和18)41歳
2月
「実朝」連載開始(『文学界』)

4月
『定本国民座右銘』(日本文学報国会)の審査委員になる

5月
「実朝(2)」(『文学界』)

5月15日
第一高等学校記念祭で講演

6月
「実朝(3)」(『文学界』)
ヴァレリイ「アルベエル・チボオデ追悼」「ジャック・リヴィエール追悼」訳出(『ヴァレリイ全集』第10巻、筑摩書房)

6月~7月
林房雄と満州・中国を旅行

7月
『知的協力会議 近代の超克』刊行(創元社)

8月28日
第2回大東亜文学者決戦大会で講演「文学者の提携について」

9月
「ゼークトの『一軍人の思想』について」(『文学界』)

9月7日
京都の西村家訪問

9月
「文学者の提携について」の要旨が『文学報国』に掲載

10月
「文学者の提携について」(『文藝』)

12月
第三回大東亜文学者大会計画のため単身中国へ (翌年6月まで長期に滞在)
旅行中、モオツアルトを書き始める
河上徹太郎と揚州訪問

1944年(昭和19)42歳
4月
『ヴァレリイ全集』第3巻でヴァレリイ「テスト氏」(筑摩書房)
雑誌統合により「文学界」廃刊

6月
中国から帰国(中国での半年にわたる活動の詳細については不明のところがあまりにも多い)
*骨董の世界に沈潜、生活は主に創元社・明治大学時には骨董の売買で支える
*鎌倉の文学者間で回覧雑誌「鎌倉文庫」計画、責任者になる

1945年(昭和20)43歳
1月
「梅原龍三郎」を書く
*「モオツアルト」の執筆や骨董に沈潜する

 

by ichiro_ishikawa | 2019-06-30 14:00 | 文学 | Comments(0)  

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