「短歌について」小林秀雄(1934)


短歌について

1934年6月「日本歌人」(創刊号)

石川君から短歌について意見を徴せられましたが、何んとお答へしたらいゝか、實は意見らしい意見がある程、僕は短歌に親しむでゐないのです。
僕は「萬葉集」を好みます。それも色々讀んだ上での事ではなく、まあ讀んだと人に言ふ事の出來る歌集は、「萬葉集」一つしかないから、さう申し上げるので、この一事を以つてしてもまづお話にならない。従つて僕の短歌についての意見は、實際その道に苦労してをられる方々にはごく無責任な子供らしいものと思はれても仕方がないのです。
近頃の歌壇で、傳統的な格調の正しい歌をよしとするものと、自由に形式を破つて歌はうとする人が互に相争つてゐる樣に見受けます。くはしい議論は勿論僕にはよくわからぬのですが、たゞ僕の好むところを言へば、僕は傳統派です。
僕のわづかな知識によつてみても、歌壇の自由律主張者の歌がどれほど歌壇革命としての意味があるか疑問に思へます。第一廣く形式破壊運動としてみても、藝術の他の領域、例へば畫とか音樂だとか小說だとかの世界で現代烈しく行はれてゐる形式上の革命に較べれば、話しにならぬほど貧弱な中途半端なものと思はれます。革命と言つたつてたかゞ知れてゐる。どうせ反抗するなら何故そんな小さな穴の中で小さな叫びをあげてゐるか。それよりも傳統的な形式を生かさうとする方が、遥かに難かしい仕事であり、やり甲斐のある仕事だとまあ失禮かもしれぬが僕は思つてゐます。
短歌は、今日の文學的表現のうち最も傳統的な表現形式です。最も傳統的な表現形式であるといふ以外に短歌の特殊性があらうとも思へませぬ。それが厭なら他の藝術に赴くべきだ。若々しい反抗的情熱を中途半端な革命のうちで費ひ果すな、といふのが僕の意見であります。
藝術上の形式といふものが、人間の情熱の自由な表現の邪魔をすると單純に思ひこんでゐる人々へ、カントの說いた鳩を例としてジイドがどこかで書いてをりました。さういふ人達は、空氣がなかつたらもつと自由に飛べるだらうと考へる鳩の樣なものだ、といふのです。僕は短歌の形式は今日の情熱や思想をまもるには貧弱な文学形式だと思つてゐるが、その形式は鳩の群れで壊れるほど脆弱なものとは思ひませぬ



様々なる意匠を疑ひ伝統を重視する小林らしい考へであるが、このあと日本が戦争へ突入するなか西行、実朝へと赴き、つひには本居宣長を最後の大仕事にしていく、といふ事をどう考へるか。


by ichiro_ishikawa | 2019-07-04 23:19 | 文学 | Comments(0)  

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