オメガトライブ整理

YouTubeにて杉山清貴の美声に聴き入つてると、さういや、オメガトライブつてなんだつんだ? と、ふと思ひ、調べてみたら、藤田浩一がプロデューサーで、藤田は1947年生まれで、水谷公生を擁するアウト・キャストなるGSをやつてゐた人物で、その後にプロデューサーになつたといふ、「ビートルズにやられた新しい世代である団塊世代の人間が、もはや戦後ではなくなつた時期にバンドを始め、ブームが終はるとお役御免で、ニューミュージック、歌謡曲をプロデュースしていくやうになる」といふ典型的なパターンがここにもあつたことに気づき、ちよつとオメガトライブを調べたい気になつたので、大阪出張への移動中、予定してゐたゴトシの事務処理を保留し、新幹線の中、30分目処で、整理していくことにする。


オメガトライブ

プロデューサー藤田浩一1947年3月20日 - 2009年10月11日。日本のギタリス水谷公生をボーカルに擁したGSアウト・キャストのギタリストを経て、芸能事務所トライアングル・プロダクション設立。角松敏生、菊池桃子を手掛ける)の指揮のもと、作曲家林哲司並びに和泉常寛、アレンジャー新川博などの制作陣を中心とした、バンドではなくプロジェクトの総称(計3回)。


藤田が考えるオメガトライブといふプロジェクトを、林哲司主導の元で楽曲制作。レコーディングはプロのスタジオミュージシャンが演奏し、ボーカル以外のメンバーはレコーディングの収録には関はらない。他のメンバーは「オメガトライブ」を演じるバンドである。バンドは名付けられ、オリジナル作品は製作出来ず、作品は準備され、演奏はスタジオ・ミュージシャンの演奏をなぞる。ビジュアルイメージは絶えず「海」「夏」「リゾート」。


時は1980〜1年で、BOØWYと同時期。杉山は氷室の一つ上。1979年、氷室が同じくコンテストで優勝したのを機に上京して音楽事務所ビーイングに入るも、2代目ボーカルとして入れられた既成のバンド、スピニッヂパワーでの活動にに満足がゆかず、同時期に上京してゐた同郷の布袋と、独自にBOØWYを組んだことと対照的だが、杉山の場合、マリオネットとはいへバンドメンバー自体はそのままだつたから、まだ納得がいつたのやもしれぬ。




第1弾 1983〜85年

杉山清貴&オメガトライブ

杉山清貴(ボーカル、1959年7月17日生、AB型)

高島信二(ギター、1960年10月23日生、O型)

西原俊次(キーボード、1960年4月26日生、AB型)

大島孝夫(ベース、1960年12月8日生、A型)

廣石恵一(ドラムス、1960年11月15日生、A型、現クレイジーケンバンド)

吉田健二(ギター、1960年8月10日生、O型、1985年4月に脱退、愛称は「ケンタ」)


主な制作陣

プロデューサー:藤田浩一(元「アウト・キャスト」のギタリストで、トライアングルプロダクションのオーナー)

作詞家:康珍化、秋元康

作曲家:林哲司


1980年5月、前身バンド「きゅうてぃぱんちょす」が第19回ヤマハポピュラーソングコンテストに入賞。同年10月の第20回ポプコンでは落選するものの、藤田浩一の目に止まる。

この時期には現在芸術音楽の作曲家である千住明がキーボードを担当したが、プロへ直結するポプコン優勝を逃したことから、在籍していた慶応義塾大学から東京芸術大学への受験により音楽家になることを希望し、グループを離脱。キーボードには西原俊次が新たに加わり、グループとしてプロデビューを目指す。


1983年4月、プロデューサー藤田浩一の第1弾プロジェクト『杉山清貴&オメガトライブ』としてレコードデビュー。 デビューの条件としてプロによる提供楽曲の演奏を提示、バンドはこれを受ける。

名称の名づけ親はDJのカマサミ・コング。「オメガトライブ」とは、「オメガ」(Ω, ω)=ギリシャアルファベットの最後の文字(「最後」を意味する)と、「トライブ」=民族を合わせて、「最終民族」という意味。


1983年4月21日、SUMMER SUSPICION

1983年10月21日、ASPHALT LADY

1984年1月21日、君のハートはマリンブルー

1984年10月21日、RIVERSIDE HOTEL

1985年3月6日、ふたりの夏物語


1985年5月29日、サイレンスがいっぱい

1985年11月7日、ガラスのPALM TREE


1985年12月24日、プロデューサーとメンバー(与えてもらって、それを売らなきゃいけないという使命感に疲れ果て)」との方向性の違いにより横浜文化体育館のライブを最後に解散。

解散を切り出したのは杉山、解散に賛成は廣石と大島と吉田、反対は高島と西原であったが、最終的に満場一致での解散に。その後、杉山はソロへ、高島と西原は「1986オメガトライブ」の一員となる。



第2弾 1986〜1987年、1988〜1990年

1986オメガトライブ

カルロス・トシキ&オメガトライブ


主な制作陣

プロデューサー:藤田浩一

作詞家:売野雅勇、有川正沙子

作曲家:和泉常寛(元「はしだのりひことエンドレス」)

サウンドプロデュース&アレンジ 新川博 


メンバー

カルロス・トシキ(ボーカル)

高島信二(ギター)

西原俊次(キーボード)

黒川照家(ギター、1988年3月に脱退)

ジョイ・マッコイ(コーラス、1988年7月に加入)


前オメガトライブに在籍していた高島信二(ギター)、西原俊次(キーボード)に加え、新たに日系ブラジル人のカルロス・トシキと、菊池桃子のバックバンドや岩崎宏美のバックバンド(パイナップル・カンパニー)でギターを担当していた黒川照家を迎えて、プロデューサー藤田の第2弾プロジェクト『1986オメガトライブ』(ナインティーンエイティシックス - )としてデビュー。


1986年5月1日、君は1000%


1986年8月7日、Super Chance


1986年10月15日、Cosmic Love

1987年7月15日Miss Lonely Eyes

1987年11月18日Stay girl Stay pure


1988年3月、黒川がバンドを脱退。グループ名を『カルロス・トシキ&オメガトライブ』に変更。

1988年7月、レコーディングにコーラスとして参加していたジョイ・マッコイが正式に加入。

1990年、ワーナー・パイオニアへ移籍。松任谷由実が作詞・作曲した「時はかげろう」を発表後、ファイナルツアー。

1990年12月14日放送の『ミュージックステーション』にて解散発表。

1991年3月16日日清パワーステーションでのライブを最後に解散。



第3弾  1993〜1994年

ブランニュー・オメガトライブ


主な制作陣

プロデューサー:藤田浩一

作曲家:林哲司・和泉常寛

作詞家:売野雅勇

サウンドプロデュース&アレンジ:新川博


メンバー

新井正人(Vocal)


1993年、かつてパルで活動し、ソロとして『機動戦士ガンダムΖΖ』の主題歌「アニメじゃない」を歌ったことのある新井正人をボーカルに迎え、プロデューサー藤田の第3弾プロジェクトとしてスタート。

バンドの形はとらず、新井正人のソロプロジェクトであり、第1弾、第2弾制作陣が脇を固める構成。 



1993年8月2日、愛さなくていいから

1994年1月25日、Marry Me



by ichiro_ishikawa | 2019-08-24 09:40 | 音楽 | Comments(0)  

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