アイドル歌謡の没落1989-90


アイドル歌謡が80年代前半に頂点を迎へ、昭和の終焉、平成の始まりと共に衰退していつたのはなぜか。

ザ・ベストテン(1978年1月〜)
1989年9月28日終了

NTV紅白歌のベストテン(1969)〜ザ・トップテン(1981)〜歌のトップテン(1986)
1990年3月26日終了

夜のヒットスタジオ1968年11月〜)
1990年10月3日終了

1989(平成元)年から1990(平成2)年にかけて、70-80年代を彩つた大歌謡曲時代の象徴的な大型番組が立て続けに終了した。番組が終了するといふのは普通は視聴率が取れなくなつたときで、つまり歌謡曲の大衆需要がなくなつたことを意味する。

なぜ需要が無くなつたか。以下の4つがその理由だ。
1. お約束の暴露
2. ロックの台頭
3. 昭和天皇の崩御
4. 冷戦の終結
これらは大量生産社会、安定的秩序を崩壊させ、その上澄み・象徴的存在でもあつた、極めて牧歌的な存在であるアイドル歌謡といふものの存在を揺るがした。

その始まりは1985年に認められる。
以下、時系列でアイドル歌謡を駆逐していつた要素を辿る。

1985年7月5日
おニャン子クラブ「セーラ服を脱がさないで」
素人の歌謡界への進出。ベストテンの構成も手掛けてゐた秋元康による歌謡曲パロディで、当初はキワモノで的存在であつたが、その大ヒットにより、歌謡の全体クオリティが激落。

1985年11月21日
小泉今日子「なんてったってアイドル」
アイドルといふものの、文字通りの偶像性を暴露。やはり秋元康の仕掛け。

1986年2月21日
吉川晃司『MODERN TIME』
布袋寅泰初参加。自作曲も増え、アイドル界最後の大物が完全にロックへとシフト。

1986年10月
rockin'on JAPAN 創刊
日本の洋楽シーンに批評を持ち込んだその手腕で邦楽シーンも滅多切りに。ロックの台頭を批評で迎へた。

1986年10月22日
長渕剛『STAY DREAM』リリース 
時代風潮としてのロックを反映せざるを得なかつた前作『HUNGRY』の反省を経て、真のロックアルバムを完成。

1986年10月24日
ミュージック・ステーション 放映開始
お約束が暴露され、ガチバトルへと顧客がシフトするなか終了した新日本プロレス「ワールドプロレスリング」の枠で、潮目が変はつてきた歌謡界を反映すべく、先行歌番組への対抗として、ロック・ダンス路線に転向してゐたMC早見優によるDJ(ディスクジョッキー)スタイルでスタート(のち、ロックの一流どころは出演してくれないことから自滅しかけるもジャニーズ系歌謡番組にシフトして延命)。

1986年11月8日
BOØWY『BEAT EMOTION』リリース
ロックとして初の大衆チャート1位を獲得。歌謡界が黒く塗り替へられた瞬間。

1987年8月5日
長渕剛『LICENSE』 リリース
レコード大賞アルバム大賞受賞。歌謡界の権威ももはやロックに抗へなくなる。

1987年9月5日
BOØWY『PSYCHOPATH』リリース
歌謡界を操り人形としてアイロニックに表現したシングル曲「マリオネット」自体で歌謡界のトップをとるといふ戦略を実現。そしてプロモーションを含め、一切のテレビ出演を固辞。歌謡界・テレビ業界システムを崩壊させた。

1988年10月13日
「とんねるずのみなさんのおかげです」放映開始。ベストテンの裏でスタート。自身も多数ランキングしてその全盛に一役買つてゐたベストテンへの義理として一応自身の新曲リリースは中止。しかし第一回ゲストは松田聖子。その後も中山美穂、小泉今日子、荻野目洋子、チェッカーズといつたベストテンを支えたアイドル達をごそつと起用し、結果ベストテンの息の根を止めた。

1989年1月7日
昭和天皇、崩御
浮かれてはいけない空気が醸成。浮かれの典型であるアイドル、歌謡界も自粛。

1989年3月25日
長渕剛『昭和』リリース
チャラチャラした歌謡界を一蹴。トドメを刺す。業界全体がロック、シリアス路線に。

1989
東ドイツが国境を解放、「ベルリンの壁」崩壊。中国、天安門事件。ブッシュ、ゴルバチョフによるマルタ会談で冷戦の終結を宣言

1990
ドイツ統一、東ドイツ消滅。ラトビア共和国、ソ連からの独立決議、リトアニア、エストニアも独立決議

1991
米ソ戦略兵器制限条約調印。ワルシャワ条約機構解体。バルト三国の独立。12月、ソ連邦解体


まとめ

マスの嗜好がアイドル歌謡からロックへ。このジャンルのシフトは、支持母体が変はつたわけではないといふことに注意したい。
政権交代となつたロックの支持者は、それまでアイドル歌謡を支持してゐた層であつた。同じボリュームゾーンが支持ジャンルを鞍替へ、そのままスライドしたのであつた。
その層とは1971〜74年生まれのいはゆる団塊ジュニアで、それぞれが200万超を擁し、ひとクラス50人、1学年で10クラスあつた世代だ。つまり、その世代に刺さればイコールマスの支持を得たものも同然となる。

1982年=8〜11歳→アイドル歌謡
1986年=12〜15歳→ロックに感応
1989年=15〜18歳→洋楽へ
その時々の年齢と嗜好の推移がマスの嗜好の推移とマッチしてゐることがわかる。

そして、ビーイング台頭により音楽界が潰れた1994年には20〜23歳となつてをり、その後のコムロ軍団に席巻される頃にはオッサンの年代に突入。ビーイングやコムロ軍団を支えていたのは、その下の世代70年代後半〜80年代生まれであらう。その頃からティーンエイジャーの総数は漸減の一途を辿ることになる。歌謡界を支へるのはいつの世もティーンエイジャーである。しかしデカいボリュームゾーンつまりマスは中高年化して居り、中高年といふのは文化から最も遠ざかる人種であるので、ティーンエイジ文化がマニアック化していくのは必然であつた。支えてゐるのはマスではないので、テレビのやうなマスメディアはティーンエイジ文化を反映しなくなつていくのである。





by ichiro_ishikawa | 2021-06-12 10:44 | 音楽 | Comments(0)  

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