渋谷陽一は、
ロックは、黒人音楽
日本のロックは、西洋のロック
といふ圧倒的他者との摩擦にその本質を見、コミュニケーション論、文化論といふ人文科学としてロック批評を展開した。
それは戦後の「論の時代」を継ぐものでもあるが、
エンタメの世界でそれを展開することで、
漫画などと同様、ロックを文化として高みに配置し、
作品の質もそれにより高まつていつた。
しかしそれも、90年代後半から00年代にかけて、
さういふのは、論ずるまでもなく、
好き嫌ひといふ享楽の対象として享受してればいい、
とばかりに、需要が無くなつていつた様に思ふ。
一見、渋谷登場以前に後戻りとも映るが、
しかし、その作品の質は、上がりきつたところで生まれ続けては居る、そして論も、渋谷が展開したものが最早「当たり前」として、広く共有されてゐる、といふのが現在地ではないか。
この「当たり前」となるまでの、地ならしや行動、それらはまさしく偉業として讃えられるべきであるし、どう「当たり前」までに持つていつたかといふ内実は、今後論考され続けるだらうし、伝記の出版も待ちたいところだ。
引き継ぐべきは、
普遍のコミュニケーション論「普遍的他者を実現する意志」
音楽批評のジレンマ「海に出たけど泳げない」
であらう。
この二つは今後も考へられ続けてゆく。
rockin'on本誌で、渋谷陽一追悼特集が掲載されたので、久しぶりに購入した。追悼文は外部ライターのみ(1人は元編集長)に、故人の代表的な論考やインタビュー、対談の再録といふ構成だつた。
中の人の声は、編集長の編集後記のみ。
扱ひ方のポリシーに真摯な逡巡が伺える。
レッド・ツェッペリンの大特集およびそれと併載といふ「編集」をもつて追悼、批評して居る様に感じた。
外部メディアでの追悼文で良かったのは、出版業界紙でのスージー鈴木と柴那典の対談と、増井修のnoteだつた。
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