スムースジャズとフュージョン

大きくは戦争から生活ハプニングまで、さういふことが起こらない平穏な状態といふのは、在り難い事で、相当洗練された仕組みが構築され実践されて居る証左といへる。
非常時においては、その仕組みが崩壊して居ることが認識できるが、平穏時は、その仕組みの存在自体が忘れられがちだ。

本来、生物は種族保存のため飢えれば原爆だつて落とすし隣人だつて食ふ。いま実際さうならないのは、これも同じ種族保存本能から、一致協力して飢え回避のための共存制度を構築してゐるからだ。貧困から戦争や犯罪は起こるが共食ひには至つてない。この制度構築、制度や技術の洗練が高度に進むほど平和は保たれ、平和であるといふ異常は忘れられる。

スムース・ジャズは軟弱だとか、フュージョンはBGMだ、といふ見解はよくみられるが、それらの音楽の平穏さ、心地よさは、平和を実現するのと同じ、超絶技巧の賜物であつた。
技術の極まるところスムースになる。その存在は背景に溶け込む。目の前のスムース、BGM化は、高度な個々の技術とそれらのアンサンブルによる結果だ。その高度さへの感動すら無化する高度。スムースジャズやフュージョンの境地はそこだ。

ここ数時間、作業しながらスムースジャズを流してゐたが、なにが鳴つてたか、覚えてない。それは凄いことだと気づくのはよいことだ。




by ichiro_ishikawa | 2025-10-24 10:24 | 音楽 | Comments(0)

 

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