今日の「考えるヒント」

考えるとは、合理的に考えることだ。
どうしてそんな馬鹿げた事が言いたいかというと、現代の合理主義的風潮に乗じて、物を考える人々の考え方を観察していると、どうやら、能率的に考える事が、合理的に考える事だと思い違いをしているように思われるからだ。当人は考えている積りだが、実は考える手間を省いている。そんな光景が到る所に見える。
物を考えるとは、物を掴んだら離さぬという事だ。画家が、モデルを掴んだら得心の行くまで離さぬというのと同じ事だ。だから、考えれば考えるほど分からなくなるというのも、物を合理的に究めようとする人には、極めて正常な事である。だが、これは、能率的に考えている人には異常な事だろう。

と小林秀雄が『考えるヒント』(「良心」)で書いている。

これは、例えば弁当にするべきかパスタか、いや、おにぎしとからあげクンというセットもありやもしれぬ、いやそれだとやはり単調に過ぎるからここは幕の内か…もうわけが分からない、という考え方のことではないし、今聴くべきはスウィングかモダンジャズか、いやブルーズか、いっそこの際ディストーションロックか…分からぬ! ということでもなく、ビジネスでの企画考案などの場合を指すのでもない。それらは、考えるというよりは決めるということだ。決めるのは能率的なほうがいい。さっさと決めろ。
合理的に考えるべき「モノ」の代表といえば、やはり「ある」と「ない」、ポップに言えば「生」と「死」だが、とはいえ、ここで小林秀雄が言いたいのは、まず、考えた振りをして悦に入っているインテリゲンチャへの非難、と、そして何より、考える方法というべきものの提示であり、それは、別のところでも書いているように、対象と親身に交わるということで、美しい花を見て、その花がスミレだと分かると、ああスミレねと見るのをやめてしまうのではなく、スミレという名と共にその美しい花を目で殺すことを指す。
たとえば「ロック」について考えるとは、ロックを愛することであり、つまり全身を耳にして聴くということで、或る意味、踊り狂うということだ。「ジャズ」について考えるとは、ジャズを抱きしめることであり、或る意味、ジャムセッションに飛び入りすることだ。ああロックね太鼓ドンドンね、ああジャズねチーチキチーチキね、ああ志賀直哉ね「エンヤコーラ」ね、知ってる知ってる、とマークシート問題に正解する事ではない。

by ichiro_ishikawa | 2007-05-16 02:47 | 文学 | Comments(2)  

Commented by コバ at 2007-05-16 14:04 x
今回おもしろいね
Commented by 1729 akayama at 2018-09-27 04:43 x
 [私の人生観]に、
  ≪…科学というシステムは一つでも、哲学のシステムは、これを発明した人の数だけあり、…知覚の欠陥を概念によって充たさねばならぬ、という考えを、若しきっぱりと思いきるならば、…知覚から概念に飛び上がろうとする同じ意志の力が、逆に知覚の中にどこまでも入り込み、凡て知覚するものは何一つ捨ててしまい、いや進んでこれを出来るだけ拡大してみようという道がありはしないか、若しそういう道から哲学が出来上がるなら,恐らくは哲学のシステムは一つで足りるだろう。≫
        とある。
 ≪恐らくは哲学のシステムは一つで足りるだろう。≫を「なぜ数学は哲学の問題になるのか」に『数理哲学としての作用素(0 1 ∞)』の作用を万人が認め得るなら数学の論理は、ゲーデルの不完全性定理を超克できるのでは、・・・。
 このことを踏まえれば数学共同体の自然数【0 1 2 3 ・・・】は、『縮退(縮約)自然数』と言える。
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