不定期連載「このシャックリがすごい」

第1回「シャックリ・ママさん」by 大滝詠一
収録アルバム『ナイアガラ・ムーン』(1975年)

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 シャックリ・ママさん台所
 水を飲んでも びっくりしても
 どうにもシャックリ止まらない

 シャックリ・ママさんお洗濯
 洗剤値上がり止めたいけれど
 まずはこのシャックリ止めて

 シャックリ・ママさん庭掃除
 帚かかえて歌唄う
 背中で鳴ってるトランジスター・ラジオ

 シャックリ・ママさん編みもの
 手を止すませて呟いた
 どうも浮き世は儘ならぬ

 シャックリ・ママさん大欠伸
 手で口押さえお茶にごし
 肩がこったとひねる首


 ロックンロール・オリジネイターのひとり、バディ・ホリーが生みの親とされるシャックリ唱法というのがあって、やる人がやるとこれがすこぶるカッコいい。この「シャックリ・ママさん」はそのタイトルからしてあからさまな、シャックリ唱法やってます宣言にして、シャックリ唱法の金字塔である。

 大滝詠一『ナイアガラ・ムーン』の楽曲は、サウンドとボーカルが抜群にカッコ良く、歌詞もなんだか英語のようで、普通に聴いている分には高級なアメリカのロックを聴いている感覚にとらわれる。なんといってもノリが素晴らしく音楽に合わせ腰をくねってダンスせざるを得ない。ところが歌詞をよく聴いてみると、実は日本語なのである。そして、意味がとんでもなくくだらない。中ではまだマシな方であるこの「シャックリ・ママ」さんも、こんなカッコいいサウンドとボーカルでこんなこと言ってんの!?とずっこけてしまう。

 大滝詠一はこの『ナイアガラ・ムーン』ではありとあらゆるサウンドと唱法を駆使していて、それはあたかもミュージック大全集の様相を呈している。ロックンロール、ルンバ、カントリー、ドゥーワップ、ポップ、ファンク、ニューオーリンズ……。どれも著しくハイ・クオリティで、歌詞が著しくくだらないという。
 ともすると、この高級感がスノッブになり権威主義的になりがちだけれど、決してそうならず、むしろそうしたものの対極にあり得るのは、全編を貫く主調低音——グルーヴとセクシャリティのためだ。どんな高級なことをやろうとも、常にどんな主義主張とも相容れない位置にい得る。すなわちロックである。そこが大滝が、立教出の天才音楽家・細野晴臣や、文学青年・松本隆、ギター小僧・鈴木茂とまったく違うところだ。大滝詠一の根本にはプレスリーがある。

by ichiro_ishikawa | 2005-02-24 20:26 | 音楽 | Comments(2)  

Commented by フッサ at 2005-02-25 00:12 x
これで吉川の記事がトップに来なくなったのでホッとしました。
そしてこの連載の行方が気になります。
Commented by ichiro_ishikawa at 2005-02-25 19:53
自分が言わなくても誰もがすごいと言っている大滝よりも、自分が言わなければ女子供しかすごいと言わない吉川の方がやりがいはあるといえばある。まあ、滲み出方は違えどどっちもロックというところが共通。
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