我田引水エセー これからの音楽シーン


 俺が、「技術」という教科を大の苦手としていたことを知っている人は、80年代に俺と交流があった人だが、そのほとんどは故人なので、「糸のこ」をとうとうマスターできなかった事や、プレパラートをどうしても割ってしまう事、プラモデルを一体も完成させたことがないといった事実は、俺が自ら開陳しない限り闇に葬られたままだ。
 専門の音楽に関しても、シーケンサーやシンセサイザーはおろか、リズムマシンもおぼつかなく、MTRがギリ使えるぐらい、という極端な技術音痴だ。
 とはいえ、その「技術がもたらす効力」という概念には、逆に人一倍関心があるという、これまた面妖な気質が、ことを厄介にしている。というわけで今回は、音楽と技術のシンクロニシティという見地から、今後の音楽シーンの短中期的な展望を鳥瞰した私見を述べん。

 音楽というのは、何をおいてもまず根本的にはミュージシャンの想像/創造力によるのだけれど、その形態が技術と切っても切れない関係にあることは、一面において確かなことだ。
 ブルーズのリズムがうねり出したR&Bが、40年代に勃興したのは、エレクトリック・ベースが誕生したことと密接に関係しているし、エレクトリック・ギターは言わずもがな、アンプの質の向上やエフェクターがロックの多様化に齎した影響は容易に察しがつこう。70年代のエレクトリック・ピアノやシンセサイザーも新しいR&B/ソウル、ジャズを生み、80年代のコンピューターや電子楽器の一般化もテクノやエレクトロニカを可能にし、ターンテーブルを楽器にした黒人はヒップホップを生み出し、それらが90年代にはミクスチャーとして花開きもし、あるいは、DJたちによる解体、再構築がクラブシーンを新たなステージに押し上げた。
 2000年代の今、そうした新たな動きに着目してシーンを見渡すと、真新しいものは何もないことに気がつく。すべての音楽に既聴感が伴いやしないか。技術面で言えば、顕在化しているのは、iTunes、YouTubeに代表されるデジタル・メディアだ。ほとんどの曲のさわりは試聴が可能となり、ユーザーは、クリック一つでダウンロードが可能。ジャケットの(いろいろな意味での)手触りは不要となり、アルバムという形態が無効となった。
 とはいえ、これは些事だ。この技術革新で特筆すべきは、過去のカタログが眼前に一望できるという環境の変化だろう。それまで専門誌を読み漁り、大小さまざまなレコード店に足しげく通って収集していた情報が、何もせずとも目の前にバーッと登場し、100年のポップミュージックの全貌を俯瞰できるだけでなく、カタログを実際に掘り起こすことが非常に容易になった。

 時代と寄り添いながら目まぐるしく進化の一方向に邁進してきたポップミュージックが、いよいよ打ち止めとなっている現在、ここらでじっくりと、過去の作品、アーティストを味わう方向に向っていきはしないか。すでに名盤とされているものの再吟味から、時代の潮流と合わなかった為スポットが当たらなかったもの、名盤の陰に隠れた逸品などなどをじっくり聴き込んでいくことは、物理的な時間も必要とされるし相当な収穫ともなるため、「シーン」になり得る動きと言えよう。
 これまでもフォークリバイバル、ブルーズの再発見、ジャグバンドの掘り起こし、80s再評価など、局地的に、あるいはブームとして見直しムーブメントが世間を席巻したことは度々あったが、これから、全体的、本格的に、「過去噛み締め」が爆発するのではないだろうか。
 レコードコレクターズがロッキング・オンを抜き、MOJOやUNCUTがNMEやRolling Stoneを凌駕していくのではないか。「ロック名盤100枚」の日々の更新プラス、それ以外の掘り起こし。これまで後ろ向きとされていた行為が、ポジティブな動きとして奨励されていく。DJの道具としての遺産の掘り起しとは違う、鑑賞の為の掘り起こしが一層盛んになっていくはずだ。

by ichiro_ishikawa | 2008-04-22 02:15 | 音楽 | Comments(1)  

Commented by BDP at 2008-04-22 17:32 x
エレキやシンセなどの技術とi-Tunes, YouTubeは位相が全く違いますぜ。
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