2006年 05月 13日 ( 1 )

 

2006年、ロンドン〜パリの旅・前書き

 ロンドン、パリの2都市は、心の故郷といってもよい。
 10代のころ、この2都市が心の大部分を占めていたことを、おそらく知る人は少ない。ロンドンは、いうまでもなく、ロックの町として。パリは、月並みだけれど、映画、芸術の都として。
 10代とは、紛れもなく、反抗の季節であり、自分の血、性質(たち)から、社会、ひいては日本という国自体まで、とにかく、何もかもが気に入らない。そんなとき、眼前に立ち現われたのが、イギリスのロックとフランスの映画だった。アメリカは日本の宗主国だから、やはり、否定の対象だった。イギリスとフランスは、「日本など眼中にない、存在すら知らない」、そんなスタンスで居るように思えた。そこが、気に入った。
 ロンドンの曇天、デヴィッド・ボウイのステップ、スミスのジョーク、パリの石畳、ジャン=ピエール・レオーのバゲッツの切り方、ベルモンドの紫煙、ポイ捨て……おお、イギリス! おお、フランス!
 俺は、イギリスとフランスへ行くことを常に夢想していた。ローティーンのころ夢中になっていた日本のロックは、アメリカとイギリスの音楽の物まねだと気づき、精神の拠り所だった日本の近代文学のお手本はフランスにあったと知った。娯楽映画に閉口していたとき、フランス映画の芸術性に酔いしれた。俺は、核(兵器ではない)を持たず、日和見な日本の性質を、嫌悪した。今でもポンドを貫くイギリス、英語やハリウッドに背を向けるフランスという2国に、「孤高」を読み取った。読み違えかもしれない。だとしたら、俺は35歳にならんとしてる未だに読み違え続けていることになる。

 大学に進んだのは、イギリスとフランスへ行くためだった。往復だけで24時間かかる以上、数日の短期旅行というのはもったいない、ありえない。4〜7月、11〜1月にバイトをし8〜10月の夏期と2〜3月の冬期の長期休暇を利用して、2〜3ヶ月のヨーロッパ滞在を数回行った。金はないから、1000円以下の宿に泊まり、1日の生活費はずばり上限1000円。ロンドンとパリは日本より気持ち物価が高めだから、ホテルの朝食をウッというほど食い、さらに余ったパンズを大量に盗みバッグに押し込んで昼食に充てる。夜はスーパーの総菜、といった塩梅で、たいがい帰国後は10kg痩せている。特に名所にも足を運ばず、ただひたすら石畳をブーツで叩きながら町を歩く。夜はクラブで音楽を全身で浴び…、今考えると何も面白くない、そんなことで十分満ち足りていた。

 パリは、心は開かないが基本的にストレンジャーに対してはウェルカムというスタンス、町並みは整然として美しく、至る所に「美」が散在している。優しく美しい憧れの女の子のようだ。フランス語という言葉は、何かふざけているようで妙に心地よい。ボンジューとかムッシューとか、ボクーといった、「おちょぼ口終わり」も愛嬌がある。飯は、不味かった試しがない。レストランにはもちろん入らないので、町中の売店でバゲッツを買うのだが、その信じられない美味さに発狂して、売り子の頭をバゲッツで殴りそうになることもしばしば。ただ、長期滞在していると、居心地が悪くなる。女の子の部屋はワクワクするが、最終的に落ち着かない。
 ロンドンは予想以上にタフな町だ。初めて行った時は、入り口が分からないまま帰国した。2回目は入り口を見つけたものの門前払いを食った。3回目でようやく中に入ることが出来、4回目でようやく楽しめた。メタファーを弄せば、そんな感じだ。
 飯は大雑把で工夫がなく、歴史的名所を除けば、町は総じて汚い。毎日、どんよりと雲っていいて、しばし雨が降ってくる。人々は、クールすぎる。パリも心は開かないが笑顔はよこす。ロンドンは、目も見やしない(だが、いったん心を開くと、その奥には熱さと優しさがあることに気づく)。そして背がでかすぎる。平均的な女性が180cm、2mの男なんてざらにいる。ブリティッシュ英語は、tやsの摩擦音の強さ、促音便(小さい「つ」)の強烈さが、硬質感を助長する。
 そんな中の一筋の光が、公園と粋なパブ、そして、超ハイクオリティのクラブ文化である。音楽が町中に溢れ、ベースラインが極めて高い。なにも楽しみがない分、ここに全ての力が注がれているのやもしれぬ(衣食住が充実しているパリには、だからロックがない)。初めてクラブに出向いた91年は、ストーンローゼズ、ハッピーマンデーズといったマッドチェスターの喧噪が落ち着き、アンダーワールドやケミカルブラザーズが地下で蠢きだした時で、新しいテクノの波がシーンを覆っていた。ビートルズ、キンクス、ザ・フーといったR&Bベースのギターロック、スウィンギン・ロンドンの流れも健在で、デヴィッド・ボウイ、ロクシー・ミュージックから、U2、スミス、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインら同時代のものまで、どこに行っても好きな音楽が聴けた。フロアの人間はみんなモデルの様で、ポール・ウェラーやケイト・モスみたような輩が踊り狂っている。観光名所では決して見かけない生粋のロンドンっこでごった返していた。そんな中、ふと自分をみると、そこにいるのは黄色い猿以外の何者でもない。日本に居る頃、「周りは全部クソダせえ、俺はスペシャルな存在だ」といきがっていた自信は、このとき全部崩れた。初めてのロンドンは入り口が分からないまま帰国したと前述した所以は、概ね、この無念による。

 2001年、30歳で5年勤めた会社を退職したとき、わずかな退職金をすべてつぎ込んで、またしても、ヨーロッパに飛んだ。365日、ほぼ休み無しで働き続け、木を見てばかりで森が見えなくなっていたということ、最後の長期休暇というてめえの中での決定、そして、淡いノスタルジーのためだ。
 やはりそれまでと同じ貧乏旅行でユースホステル泊まりだったが、決定的に違ったのは、「俺はもはやユースではないつけ!」という事実だった。今までのように若者に、町のユースカルチャーに溶け込めない。みんな青く瑞々しく、前途洋々で希望に満ちあふれている。俺はと言えば、「ここ行ったな〜」とかただただセンチメンタルでノスタルジア。特に何の感動もなく、すべての行動が大人で、スムースに事が運んでしまう。そして、何と言っても、「1人」が淋しくてしょうがない。友達も出来ない。たまに仲良くなるのは日本人。しかも「そうっすね〜」と敬語を使われる。そう、俺はいつのまにか「おっさん」になっていた。おっさんの一人貧乏旅ほど残念なものはない。周りにもいらぬ気を遣わせる。
 次に旅をすることがもしあれば、これまでと全く違ったものになることだろう。「もう俺はユースではない」。30の旅の通奏低音には、この無念がある。
 
 そして、5年後の2006年、復職し4年経った俺は、奇跡的に旅行の機を得た。
 

by ichiro_ishikawa | 2006-05-13 18:27 | 紀行 | Comments(2)