2009年 11月 24日 ( 3 )

 

エセー「俺と十字架」


 一切過去を振り返らないタチの俺だが、先日珍しく、己が日記をひも解いてみた。1993年から実に16年もつけている。2004年に始めたこのロックンロール・ブックは、公にさらす事を前提にしたためプライベーツな日記は控えてきたが(最近近いものを書いてしまっているがな)、誰にも見せない事を前提に書かれた1993-2004年は、バリバリ内臓をさらけ出している。通常、書くという理性的な行為に処しては、多かれ少なかれ、無意識のうちに飾ってしまうものだし、本当に本当の事は実は書けないものだが、書いている、俺は。さらに、書く、というのは基本的に暗い作業だから、ものされているものは大抵、喜怒哀楽の怒と哀。特に哀。哀、哀、哀。俺のイニシァルはiiで、まさに俺は哀・戦士であることが分かる。悲劇のヒーローに浸っているわけではなく、本当に哀しい人間だな、こいつは、という感を拭えない。惨めだ。しかも、普通、そういうものは時が経つとこっぱずかしくてとても読めた代物ではないのが常だが、俺の場合は、16歳から精神が全く変わっていないため、読めてしまうのだった。
 22歳のときと全く同じ絶望を38歳の俺が感じているという事実。人って成長しねえな。まあ、人っつうか俺な。相変わらず車の免許もないしな。子供だな。道路の真ん中走った事ないもんな。原チャリ時代は左肩を走っていたしな。
 とはいえ、1997年深夜、モッズだった俺は愛車ベスパで調子に乗って二車線の真ん中をぶった切って十字路を右折しようとしたら、真ん前に白バイが立っていたので、まずヘルメットをかぶっている事を確認し、スピードに注意しながらゆっくりと、白バイ野郎に軽い微笑を投げかけるほどの余裕で、俺は右折した。数メートル進むと白バイのサイレンがなり響く。メット、スピート問題なしの俺はどこかの馬鹿がなんかやったなとニヒルに哀れみの笑みを浮かべたのもつかの間、サイレンの矛先はこの俺だった。白バイ曰く、一反直進して向こうに渡ってから、降りて、横断歩道を渡って、当初の右側へまたスタートという、二段階右折というやつをしなければならなかったらしい。そんなの知らねえ。しかもその時、俺は無免許だった。更新し忘れていたのだった。しかも1年半もだ。白バイは俺の免許を見て言った。「半年も過ぎているじゃねえか…ん?、あれ?…、おい、1年半か!?」。「So What ?」と吐き捨てながらも、白バイの指示通り従順に俺はベスパを引きながら歩いて碑文谷警察まで行き、調書を取られ、終電はとっく無い深夜、そのベスパで帰れるわけもなく、署で泣きながら一夜を明かした。せめてカツ丼をよこせ! 後日、再び碑文谷警察にほのぼのレイクで借りた5万円で罰金を払いに行き、かつ免許剥奪を宣告されたのだった。さらにその1週間後、再び深夜、暴風雨の中、ままよと、無免許でベスパをかっ飛ばし、大日本印刷にゲラを戻しに行った時、翌日カゼッタベルキの家賃を払うためたまたま財布に入れていた大金7万7千円を財布ごと落とした。7月7日のことだった。こんなラッキーナンバーのWゾロ目も俺の前では哀しい数字と化す。
 その他、バイク盗難悲劇序章・本編・エピローグ、深夜カップ麺の恐怖や、家の鍵消失事件Part1 & 2、テキサス自転車のチェーン鍵マサカなど、不幸な事変が俺には次々と襲いかかっている。かつ、言わずもがな、基本、ドタマと腹がうすらいてえし。まあ、いい事もたくさんあったのだろうが、いい時は文を書かないから、俺の日記は不幸の歴史なわけだ。全部焼いちまおう。

by ichiro_ishikawa | 2009-11-24 23:18 | 文学 | Comments(5)  

ミッドナイト論考「悲劇の誕生」


 俺は嫌な事をまるでパソコン上で書類をゴミ箱に葬って完全に消去するが如く、記憶から抹消することができるという特技がある。従って俺には「嫌な思い出」というのがない。よく仕事などで、過ぎた事、起こってしまった事を、いつまでも悔やんでストレスを溜めている人がいるが、聞くと、どうやら俺の様にサクッと消去するわけにはいかないらしく、それがなぜ出来ないのか不思議であったが、どうやらそれが俺の特殊な才能である事に気づき、唐突に臆面なく特技と言い放った次第だ。人間、誰しも特異な技能が一つや二つあるものだ。
 その特技と引き換えに、というか表裏一体なのやも知れぬが、いい思い出は極めて鮮明にずっと覚えている。これは、消去できない(消去する必要がないというのもあるが)。俺が「実は」過去を振り返るのが好きなのはその思い出を現在に蘇らせる事で、今を謳歌するという後ろ向きな性癖による。つまり、いっつも思い出にすがって生きている。
 だが、その良き思い出が俺を苦しませる事にもなる。
 例えば、次の様な事が起こりうる。俺が、親が死んだらどうしようか常にびくびくしているのは、親との思い出、「腹は大丈夫か、頭は痛くないか、ちゃんと食べているか」と常に俺の体の事ばかり心配して、添加物たっぷりのカップ麺を大量に送ってくれる事、などの思い出が忘れられないからだ。そうした思い出がなければ、親が死んでも哀しくはない。その思い出の良さと悲しみの深さは正比例する。忘れてしまえばいいのだけれど、良き思い出はどうしても忘れられない。だが、人は死ぬ。何かは終わる。

 死や終わりだけを忘れる事は出来よう。一方、良き思い出は忘れられない。そして、良き思い出と、死や終わりといった嫌な思い出、それらのセットとしてのその総体、これは厄介だ。これを人はどう処理していき延びていくのか。「さよならだけが人生だ」と詩を詠むしかないのか。としたら、人生はやはり全体として悲劇的だ。
 こういう考え方は健全ではない。
 ※筆者注:ちなみに両親とも健在。あくまで論考、稚拙かつ不健全な。

by ichiro_ishikawa | 2009-11-24 02:00 | 文学 | Comments(0)  

文学「かつあげ」


 おのれの行く末を思い、ぞっとして、いても立っても居られぬ思いの宵は、その本郷のアパアトから、ステッキずるずるひきずりながら上野公園まで歩いてみる。九月もなかば過ぎた頃のことである。私の白地の浴衣も、すでに季節はずれの感があって、夕闇の中にわれながら恐しく白く目立つような気がして、いよいよ悲しく、生きているのがいやになる。不忍の池を拭って吹いて来る風は、なまぬるく、どぶ臭く、池の蓮も、伸び切ったままで腐り、むざんの醜骸をとどめ、ぞろぞろ通る夕涼みの人も間抜け顔して、疲労困憊の色が深くて、世界の終りを思わせた。
 上野の駅まで来てしまった。無数の黒色の旅客が、この東洋一とやらの大停車場に、うようよ、蠢動していた。すべて廃残の身の上である。私には、そう思われて仕方がない。ここは東北農村の魔の門であると言われている。ここをくぐり、都会へ出て、めちゃめちゃに敗れて、再びここをくぐり、虫食われた肉体一つ持って、襤褸(ぼろ)まとってふるさとへ帰る。それにきまっている。私は待合室のベンチに腰をおろして、にやりと笑う。それだから言わないこっちゃ無い。東京へ来ても、だめだと、あれほど忠告したじゃないか。娘も、親爺も、青年も、全く生気を失って、ぼんやりベンチに腰をおろして、鈍く開いた濁った眼で、一たいどこを見ているのか。宙の幻花を追っている。走馬燈のように、色々の顔が、色々の失敗の歴史絵巻が、宙に展開しているのであろう。
 私は立って、待合室から逃げる。改札口のほうへ歩く。七時五分着、急行列車がいまプラットホームにはいったばかりのところで、黒色の蟻が、押し合い、へし合い、あるいはころころころげ込むように、改札口めがけて殺到する。手にトランク。バスケットも、ちらほら見える。ああ、信玄袋というものもこの世にまだ在った。故郷を追われて来たというのか。
 青年たちは、なかなかおしゃれである。そうして例外なく緊張にわくわくしている。可哀想だ。無智だ。親爺と喧嘩して飛び出して来たのだろう。ばかめ。
 私は、ひとりの青年に目をつけた。映画で覚えたのか煙草の吸いかたが、なかなか気取っている。外国の役者の真似にちがいない。小型のトランク一つさげて、改札口を出ると、屹っと片方の眉をあげて、あたりを見廻す。いよいよ役者の真似である。洋服も、襟が広くおそろしく派手な格子縞であって、ズボンは、あくまでも長く、首から下は、すぐズボンの観がある。白麻のハンチング、赤皮の短靴、口をきゅっと引きしめて颯爽と歩き出した。あまりに典雅で、滑稽であった。からかってみたくなった。私は、当時退屈し切っていたのである。
「おい、おい、滝谷君。」トランクの名札に滝谷と書かれて在ったから、そう呼んだ。「ちょっと。」
 相手の顔も見ないで、私はぐんぐん先に歩いた。運命的に吸われるように、その青年は、私のあとへ従いて来た。私は、ひとの心理については多少、自信があったのである。ひとがぼっとしているときには、ただ圧倒的に命令するに限るのである。相手は、意のままである。下手に、自然を装い、理窟を言って相手に理解させ安心させようなどと努力すれば、かえっていけない。
 上野の山へのぼった。ゆっくりゆっくり石の段々を、のぼりながら、
「少しは親爺の気持も、いたわってやったほうが、いいと思うぜ。」
「はあ。」青年は、固くなって返辞した。
 西郷さんの銅像の下には、誰もいなかった。私は立ちどまり、袂から煙草を取り出した。マッチの火で、ちらと青年の顔をのぞくと、青年は、まるで子供のような、あどけない表情で、ぶうっと不満そうにふくれて立っているのである。ふびんに思った。からかうのも、もうこの辺でよそうと思った。
「君は、いくつ?」
「二十三です。」ふるさとの訛がある。
「若いなあ。」思わず嘆息を発した。「もういいんだ。帰ってもいいんだ。」ただ、君をおどかして見たのさ、と言おうとして、むらむら、も少し、も少しからかいたいな、という浮気に似たときめきを覚えて、
「お金あるかい?」
 もそもそして、「あります。」
「二十円、置いて行け。」私は、可笑しくてならない。
 出したのである。
「帰っても、いいですか?」
 ばか、冗談だよ、からかってみたのさ、東京は、こんなにこわいところだから、早く国へ帰って親爺に安心させなさい、と私は大笑いして言うべきところだったかも知れぬが、もともと座興ではじめた仕事ではなかった。私は、アパアトの部屋代を支払わなければならぬ。
「ありがとう。君を忘れやしないよ。」
 私の自殺は、ひとつきのびた。

(「座興に非ず」太宰治)

by ichiro_ishikawa | 2009-11-24 01:06 | 文学 | Comments(1)