2010年 08月 25日 ( 1 )

 

弁明「みんなの党と俺」


 みんなの党を支持している俺に幻滅している輩が実に多いのは困ったことだ。

 ロック、あるいは文学と政治の相容れなさ、みたいな部分だろうか。ロックロック言ってる奴が、政治などと言うな、汚れる、という事なのだろうか。
 ところが、俺という存在自体がもう既にロックであるのだから、政治だろうが歌謡曲だろうが何を話題に挙げようが、俺のロックはいささかも損なわれる事はない。申し訳ないが、これは、しょうがない。そういうように生まれついている、としか言いようがない。

 と言うまでもなく、政治というのは、生活の管理だから、ロックや文学とはそも無関係で、ロック的、あるいは文学的に政治に関わる、というあり方は、考えてみればおかしな話なのだ。次元が違う。世界が違う。

 人生いかに生くべきか、という事を語るのが文学で、日常生活をいかに効率よく過ごすかの具体策を見いだすのが政治だ。文学は経験の一回性と特殊性を価値とする。政治、あるいは科学といった生活の為のもの、は特殊な経験を抽象し、一般化し、無限の効果を引き出そうとする。
 文学と政治はその役割を異にするどころか、真逆のベクトルにある。つまり文学者がその持ち分を全うすればするほど政治への関心はなくなるし、政治家が国のためになる仕事を果たせば果たすほど文学から遠く離れる。いわば、商売敵なのである。
 人間には、より快適な生活を求める、物質的存在としての生理的欲求と安全への欲求があるだけでなく、精神的存在としての真善美への欲求がある。パンなしには生きられないが、パンがあるだけでも生きられない。矛盾しまくっているというか、実に我が侭な存在だ。

 さて、なぜ、政治に口出すか。それはお前、風呂付きどころかクーラー付き、どころか書斎付きの部屋が心地好いし、原子爆弾が当たったら怪我するじゃないか。そうした、最低限満たされた生活を確保したい。ところが、平和ボケ甚だしい多くの日本人には分からんだろうが、明日、この生活が壊される危機に今瀕しているじゃないか。それほど、今の政治と官僚はお粗末じゃないか。
 まず衣食住と安全、これが確保できなければ、ロックも何もない。すなわちそれらを管理するのが使命であるところの政治に、その方面のやり手が登場しない事には、おちおちギターも弾いてられねえわけだ。
 じゃあもういい、お前らには任せられん。俺が政治全部やるから、君たちは床の雑巾がけでもしていなさい、と言って出馬しようとした矢先、「いや、旦那はそこでロックをやっててください、生活の管理は我々がやりますから」、と渡辺と江田が現れたというわけだ。

 「俺、みんなの党を支持、に幻滅」の理由の一つに、みんなの党は、今、旬であるらしい、そんなものに飛びつくのはらしくない、日和見だ、というのもあるらしい。そんな子供じみた批判に親切に答えれば、実はみんなの党がそんなに話題とは知らなんだ。
 俺は生活において他者と政治の話なぞしないため、みんなの党のことは、彼らの本と党HPでしかしらない。またTVがなく、新聞しか読んでいないため、新聞にみんなの党が登場することはほぼゼロなので、みんなの党は、「誰も知らない、あるいは知る人ぞ知る、超マニアックな党」だとばかり思っていた。10数もの議席もあるとも、知らなんだ。まあ、知識がないのは、俺は基本バカだからしょうがない。
 さらに、「みんなの党も結局は勝ち組の集まりとか、結局みんな金持ちだし〜」とかいう批判も、申し訳ないが、お話しにならない。
 政治の要は政策なのだ。

 みんなの党は政策が明確だ。手段と目的がはっきりしている。美辞麗句、永田町用語を一切使わない、徒党を組まない、浪花節に流されない。思想をイデオロギーに利用しない。政策が明確なら、そいつらがタリーズコーヒーの成功者だろうが離婚歴あるイケメンだろうが二世だろうが高給だろうが、党の名前をサザンからとっていようが(本当?)全然関係ないじゃないか。政治家は、文学的センスは不要。「国益(国民の生活)のため」に政策を講じるのが仕事だ。それが全う出来ている、或は地道に努力している奴には金と地位をまわしてやればいいじゃないか。けちくさい事言わずに。
 要するに一般国民の政治家、官僚批判はいつも低レベルで、単なる足の引っ張り合い、その心は僻み嫉み妬み。「俺も天下りてえ」。「金ほしい。あいつらずりい」。そいうことなんだな。国民が、こんなだからそりゃ政治もダメだわな、ということだ。

 渡辺と江田ももしかしたら、人生の一方の、そしてより本質的なものである、文学をやりたいのかも知れないじゃないか。それを捨てて、その対極である政治を全うしようという。しかもきちんと目的が把握できていて、具体的な手段と策がある。頼もしいし有り難いじゃないか。俺らはお陰で、「サイドB、ものすげえ…」と酩酊していられるのだから。

 なんか書いているうちに論旨が微妙にずれてきているような気もするが、それは、論理的に物事を考え実証していく思考回路に、そも、やや欠陥があるのと、集中力が最近、持続しないからだ。あとで推敲しよう。

by ichiro_ishikawa | 2010-08-25 12:25 | 文学 | Comments(1)