2018年 03月 04日 ( 1 )

 

GOTTA!忌野清志郎


うららかな日曜の昼下がり、忌野清志郎の伝記『GOTTA!忌野清志郎』(連野城太郎著、角川文庫、1989年)読了。

著者による時代回想を挿入しながら、清志郎自身の語り起しの形で、その最古の記憶から個人事務所設立(1985年、清志郎34歳)までが綴られてゐる。 


著者、連野城太郎とは、のちに山崎まさよし、スガシカオなどを擁する音楽事務所オフィスオーガスタを設立する森川欣信の筆名。森川は、清志郎が高校3年のとき、アマチュア時代のRemainders of CloverからRemainders of Clover Successionになつたばかりのときに出演した、1969年5月7日、TBSにて放送された朝の情報番組「ヤング720」を観て以来、ずつと清志郎を追つてゐた超重鎮。


本書は、音楽的なことより人間的なこと、家族、メンバーから周辺ミュージシャン、事務所スタッフまで、その人間関係が濃厚に、細かく書かれてゐて、生々しい。この生々しさと、巻頭口絵の多くの写真が素晴らしい。著者の時代回想もリアルで細部にわたり、清志郎の語りのよい補足資料になつてゐる。


一番クるのは、母親のくだりだ。


デビュー2年目の3rdシングル「ぼくの好きな先生」(1972)ヒット後の長き暗黒時代を経て、久保講堂でのライブを収めた『Rhapsody』(1980)以降、急激に人気が出だし売れ始め金も入るようになつたころ、母親が脳梗塞で倒れる。



オレはひまがあると病院に行ってさ、オフクロの手握ったりしてメソメソ泣いてた。もっと親孝行しとけばよかったって後悔したりね……


この頃だよ、やっと親ってものを大切にしようって。気づく時が遅かった。


親を大切にしとくべきだった。昔のオレは単なる甘えたガキだったよ。かつてのオレだったら、親の葬式にも出ないくらいひねくれてただろう。


オフクロは六年入院してた。オレが事務所のトラブルとかから解放され、自由になった翌年、オレのソロLP『レザー・シャープ』の完成を待ってたかのように死んでいった。



オフクロとは栗原久子。伯母で、育ての親である。










by ichiro_ishikawa | 2018-03-04 16:19 | 音楽 | Comments(0)