2019年 02月 25日 ( 1 )

 

松任谷由実 前期 プロローグ


松任谷由実ディスコグラフィでも
書いたやうに、荒井、松任谷由実は以下のやうなピリオドに分けられる。

荒井由実時代 1972〜76(18〜22歳)
松任谷由実時代 前期 1977〜81(23〜27歳)
松任谷由実時代 中期 1982〜84(28〜30歳)
松任谷由実時代 後期 1985〜96(31〜42歳)

最強は荒井由実時代で、時代が下るにつれて相対的に魅力は下がつていく。
俺が多感であつた10代は80年代で、初接触が松任谷由実時代の後期であつたため、あまり魅力を感じられずに現在まで過ごしてきてしまつたことはこれまで何度か確認してきた。
しかし、「時代が下るにつれて相対的に魅力が下がつてくる」といつても、荒井由実時代がものすごすぎるゆゑの「相対的」であり、通年、相当のハイレベルであることは論を待たない。

ところでいま気になつてゐるのは、「松任谷由実時代 前期」である。70年代半ば、松任谷正隆と結婚してから「守ってあげたい」まで。引退するつもりであつたが、表現のデーモンが引つ込むことを許さず、むしろ新しいステージにて良作を量産せしめ、ついには松田聖子への楽曲提供といふ時代との蜜月を迎へる前の、松任谷由実20代中盤の充実期を、詳しく振り返つてみたい。

その前にまづ、前期の「前史」を踏まへておく。
Complex以前の18〜22歳において黄金のキャリアをすでに築き上げてしまつた吉川晃司と同様に、荒井由実もまた18〜22歳までに、その頂点を極めた。

1975年6月、21歳の時に「ルージュの伝言」を擁する傑作3rdアルバム『Cobalt Hour』を発表したあと、


8月1日 、バンバンに「『いちご白書』をもう一度」(作詞作曲)を提供。

10月5日、 6thシングル「あの日にかえりたい/少しだけ片想い」 リリース。


11月25日、デビュー以来バックバンドを務めるティン・パン・アレー(細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆)に「月にてらされて」提供(作詞)  。


12月に松任谷正隆と婚約。


年が明けて22歳になつた1976年3月5日、7thシングル「翳りゆく部屋/ベルベット・イースター」 リリース。



といふやうに、名曲「あの日にかえりたい」「翳りゆく部屋」と名シングルを連発するも(ちなみに各B面の「少しだけ片想い」は前述の『Cobalt Hour』からのシングルカット、「ベルベット・イースター」は1stアルバム『ひこうき雲』からの再収録)、後述する次の4thアルバムThe 14th Moon(1976年11月20日)には収録しない。


その代はりなのか、1976年6月20日、これまでを総決算するかのやうにベストアルバム『YUMING BRAND』をリリースし、そこに「あの日にかえりたい」「翳りゆく部屋」は収められることになる。

つまり、ここで荒井由実は一旦幕を閉じるはずだつた。

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しかし、その後も続けざまに、

1976年6月25日 、三木聖子に名曲まちぶせ」を提供(作詞作曲)、そして「中央フリーウェイ」といふ最高傑作までもが出来てしまふ(ギターで松原正樹が加入)。

そして、急遽、11月20日、その「中央フリーウェイ」を収めて4th『The 14th Moonをリリースするに至る。

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そして、1976年11月29日に横浜山手教会にて松任谷正隆と結婚。


まとめると、

『Cobalt Hour』後、「あの日にかえりたい」「翳りゆく部屋」「中央フリーウェイ」と名曲が溢れ出してしまつた。その合間にも「『いちご白書』をもう一度」「まちぶせ」と人への提供曲でも名曲が生まれてしまふ。そんなクリエイティビティの超充実が、1975年で終はるはずだつた荒井由実時代を1年延ばさせた。


そして、もう引退は諦め、

1977年から、「松任谷由実」として、新たな歩みを始めることになるのであつた。




by ichiro_ishikawa | 2019-02-25 20:59 | 音楽 | Comments(0)