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(転載)被災地で黙々とボランティア活動 吉川晃司の“気骨と矜持”

被災地で黙々とボランティア活動 吉川晃司の“気骨と矜持”

日刊ゲンダイDIGITAL

被災地で黙々とボランティア活動 吉川晃司の“気骨と矜持”
吉川晃司(C)日刊ゲンダイ
「現代のハリマオかレインボーマンか月光仮面か」などの声がネットで相次いでいるのが、ロック歌手で俳優の吉川晃司(52)。先月の集中豪雨と洪水に続き、記録的な猛暑で苦しむ西日本各地の被災地に足を運び、ボランティア活動に励んでいたことが分かり、話題なのだ。

 きっかけは上下黒ずくめにマスク、白いタオルを頭と首に巻いたいでたちの吉川がボランティアの輪に加わっている画像が「目撃情報」としてツイートされたこと。本人は、ボランティアについて公表もしていなければコメントもしていない。ただ、先月、都内でのドラマの完成披露試写会では舞台上からこんな挨拶をしている。

「このたびの水害で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。今なお不自由な生活を余儀なくされている方々が、一刻も早く元の生活を取り戻されるよう願っています」

 広島は吉川の出身地でもあり、放ってはおけなかったのかも知れない。当地では、被災地をいくつも回り、被災家屋の片づけなどに従事しているようだ。芸能プロデューサーの野島茂朗氏は言う。

「吉川さんは東日本大震災の際も被災地を訪れて、被災者に手を貸していました。今回は、お父さんのご出身が原爆ドームの近くということもあるでしょうけど、とにかく困った人を助けたいという意識が強くあるようです。
『LUNA SEA』や『X JAPAN』のギタリスト、SUGIZO(スギゾー)さんも被災地でのボランティア活動に汗を流し、現場監督をしているといった情報や様子をSNSにアップしていますが、吉川さんはそうしたことは一切、自らは発信していない。炊き出しをしたとマスコミに流し、喧伝したりする芸能人のボランティアとは明らかに一線を画していて、そうしたところがまた、男らしい、かっこいいと称賛を集めているのです。実際、現場では優しく頼りがいのある兄貴分とされ、気配りもあって『リアルヒーロー現る』と大人気だそうです。知名度があるのにニュースにならないのは、吉川さんが政府批判などをしているからでしょうか」

 テレビが吉川のボランティア活動を追わない理由は定かではない。だが、「俺は現政権がでえっ嫌い!」などと反アベを声を大にして訴え、反原発の旗印を掲げているのは本当だ。

 CM出演のオファーの際に「原発発言しますか」と聞かれ、「しますよ」と答えて立ち消えになるなどの逆風もなんのその。

「金や権力で人を黙らせようとするものに対しては、自分は絶対に『はい』とは言えません。ミュージシャンであれ、芸能人であれ、政治的な発言はしないほうがいいという風潮には疑問を感じています」との主張を曲げないのである。

 反原発については、こうコメントしている。

「次世代を担う子どもたちに負の遺産を押し付けて、あとは頼むよじゃ死んでも死にきれないから、やれることはやらなきゃと思っています。子どもに、墓に向かって『父ちゃん、何もしなかったじゃないか』とは言われたくない。せめて『いや、俺なりに頑張ったんだ』と言い返したい」

 前出の野島氏はこう続けた。

「政界に名乗りを上げれば、圧倒的な支持を集めるでしょうし、芸能界出身者では山本太郎を超える存在になるでしょう」

 魂のロッカー、吉川の気骨あふれる行動に、絶賛の声しきりなのも当然だ

by ichiro_ishikawa | 2018-08-15 12:13 | 音楽 | Comments(0)  

マイヒット・ライブラリ

Apple Musicに独自のライブラリ(プレイリスト、昔でいふオムニバステープ)を作るといふのが最近の趣味だが、これはいかに新鮮な切り口でまとめられるかといふのがキモである。
最近のマイヒットは、
BOØWY ギグであまり演らない曲集」だ。
一部は、こんな感じになつてゐる。

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氷室作曲のものが多い。
氷室の曲はマニアックだからだ。
しかしこれが良い。ベストやライブ盤やビデオなどに入つてゐないから聴いてる回数が少ないせいもあるが、リピートに耐えるものが多い。
あと、BOØWYは全曲名曲といふことが分かる。これがBOØWY=ビートルズ説の証左のひとつであらう。

それにしても、BOØWY時(20代)の氷室の声はとんでもない。ソロで少し変はり、90年代(30代)後半からはグワツと変はつてしまつた。
このライブラリでは、BOØWY時の喉を酷使したがなり気味のハスキーボーカルのワイルド&セクシーを堪能できるセレクトと結果、なつてゐる。


氷室のヴォーカルが特徴的。この手の歌唱法は、
「たった一度のラブソング」とソロでの「Rhapsody in blue」(名曲「Summer Game」B面、1989年)でみられる。
バイオリンは中西俊博。
バイオリンを入れるあたりはデキシーズミッドナイトランナーズの影響で、初期の未CD化曲に「ミッドナイトランナーズ」といふ曲があつたり、「ホンキードンキークレイジー」はデキシーズの「カモンアイリーン」のサビの音符を逆にしたものであつたりと、ふんだんに吸収してゐる。



by ichiro_ishikawa | 2018-08-06 19:56 | 音楽 | Comments(0)  

ロック夫婦 19881205


山下久美子のロックヴォーカルと、ラストギグズ後、ギタリズムの頃の布袋のギター。名曲で名演。



イントロのリズム感が素晴らしい。
池畑潤二にドラムの入りを促す、
気のコンタクトも見どころ。

布袋はこのとき27歳でいまの俺の20下だが、どうしても、10上にしか見えない。
あまり映らないがベースは松井だから半分BOØWY。

by ichiro_ishikawa | 2018-07-30 21:21 | 音楽 | Comments(0)  

俺はほら元来貧乏性つていふのかな

あの頃の長渕を追つてゐた者なら誰しも諳んじることができる『LIVE'89』収録「Don't Cry My Love」前の名MCを、もはや当人よりも似てゐるタクヤナガブチが、完コピしてゐた。



by ichiro_ishikawa | 2018-07-27 22:39 | 音楽 | Comments(0)  

ベーシストの憂鬱


ジャズとか、特にフュージョン系のドラマーやベーシストがリーダーアルバムを出すとき、リズム楽器はメインとしては間が持たないといふ考へからか、あるひはマーケットを、数の多い一般人リスナーを意識するからなのか知らぬが、ラップとか女性ボーカルを入れたり、ストリングスを乗せたりする傾向が顕著だが、邪魔だ。

一曲丸々ベースとドラムだけでいいじやない。
全曲ベースとドラムだけでいいじやない。
加へるのはピアノ、いつてもギターかサックスでいいじやない。こちとらベースとドラムだけをじつくり聴きたいわけだから。

ベースだけを聴きたい惜しいニューアルバム
『レイド・ブラック』マーカス・ミラー


by ichiro_ishikawa | 2018-07-27 10:37 | 音楽 | Comments(0)  

ものまねメドレー


ものまね芸人がよく、ものまねメドレーをやるが、



クリス・スペディングといふセッションギタリストがゐて、アルバム『クリス・スペディング』(1975)の「ギタージャンボリー」にて、ギターものまねメドレーを披露してゐる。
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レパートリーは、

アルバート・キング→チャック・ベリー→ジミ・ヘンドリックス→ジャック・ブルース(ベース)→ピート・タウンゼント→キース・リチャーズ→ジョージ・ハリスン→エリック・クラプトン→ジミー・ペイジ→ジェフ・ベック→ポール・コゾフ→レズリー・ウェスト→デヴィッド・ギルモア 





ライブバージョン




by ichiro_ishikawa | 2018-07-21 19:09 | 音楽 | Comments(0)  

長渕剛1988-94


長渕とBOØWYはともに1986〜1987年にピークを迎えた。『ステイ・ドリーム』と『ライセンス』、『ビート・エモーション』と『サイコパス』である。『ステイドリーム』と『ビートエモーション』で頂点に立ち、『ライセンス』と『サイコパス』で不動の地位を築いた。
といふことはこれまで散々検証してきたが、その後についてはあまり言及してこなかつたことにふと思ひ至つた。
Apple Musicに88年以前の長渕のカタログがアップされてゐないため89年以降の楽曲ばかりを聴いてゐるうちに、この時期、1988年「とんぼ」以降の長渕を詳しくみるといふことをやつてゐないことに気づきいたので、氷室と布袋のソロ初期との比較で検証していく。


不動の地位構築

1987


〈LIVE'87 LICENSE〉(1987年12月3日終了)

BOØWY〈DR.FEELMAN'S PSYCHOPATHIC HEARTS CLUB BAND TOUR〉(1987年12月24日終了、解散)



一旦総決算

1988前半


長渕は、1980年のヒット曲「乾杯」を始め過去の捨てきれない名曲を“今”の声で歌い直した『NEVER CHANGE』をリリースする。

一方、解散したBOØWYは、ソロ活動前にファンへの置き土産的に、できたばかりの東京ドームでラストギクズを敢行。

ともに新しいステージに向かふ前に一旦過去を総決算した。


「乾杯」(1988年2月5日)

「NEVER CHANGE」(1988年3月5日) 

BOØWY〈LAST GIGS〉(1988年4月4日、5日)

〈LIVE'88 NEVER CHANGE〉(1988年4月20日〜6月19日) 

『NEVER CHANGE』(1988年5月25日) 


 


ヤクザ路線への進出による業界制圧

1988


BOØWY〈LAST GIGS〉直後の夏、氷室は早速ソロ活動をスタート。布袋も秋にはソロプロジェクトに入る。

そんな中、長渕は映画『竜二』や『仁義なき戦い』の影響の元、庶民派の怒れる兄ちゃんからの脱皮を目指し、その怒りと悲しみはそのままヤクザとして社会に叩きつけることになる。


氷室京介「ANGEL」(1988年7月21日)

氷室京介『FLOWERS for ALGERNON』(1988年9月1日)

布袋寅泰『GUITARHYTHM』(1988年10月5日)

氷室京介「DEAR ALGERNON」(1988年10月7日)

テレビドラマ『とんぼ』(1988年10月7日〜11月25日) 

「とんぼ」(1988年10月26日) 




過激な暴力描写への渇望から映画へ

1989


ドラマ「とんぼ」において、敵方チンピラ(寺島進)の耳をナイフで削ぎ落とすシーンを巡り金八先生などのPでもあり、“俳優長渕”を見出したTBSの盟友、柳井満と揉め、脚本の黒土三男と共に銀幕へと舞台を移す。

布袋はなんと吉川晃司と「パーマネントな」(布袋談)ユニット結成。ツインタワーによる外タレのような、日本初のロックユニットが誕生した。氷室は「こんなことをしたいために解散したのか?」と布袋に苦言を呈しながらも、着実にソロ2年目を歩む。ソロシンガー氷室京介を象徴する「Misty」を放つ。


「激愛」(1989年2月8日)

映画『オルゴール』(1989年3月11日)

『昭和』(1989年3月25日) 

〈LIVE'89 昭和〉(1989年3月29日〜7月14日) 

COMPLEX「BE MY BABY」(1989年4月8日)

COMPLEX『COMPLEX』(1989年4月26日)

氷室京介「SUMMER GAME」(1989年7月26日)

氷室京介「MISTY〜微妙に〜」(1989年9月6日)

氷室京介『NEO FASCIO』(1989年9月27日)

「しょっぱい三日月の夜」(1989年12月8日)

映画『ウォータームーン』(1989年12月16日)




無敵街道1

1990


ソ連、ベルリンの壁崩壊。冷戦の終結といふ硬派で重苦しい空気の元、布袋は吉川とCOMPLEXで2枚目のアルバムを作るも、「前に出たいB型同士」(吉川談)のユニットは必然的な破綻を迎へる。氷室は当時絶頂期の浅野ゆう子主演によるトレンディドラマ『恋のパラダイス』主題歌一本で、創作的には一時充電をはかる。

そんな中、長渕は渾身の名作『JEEP』をリリース。紅白歌合戦にも初出場。3曲を、ベルリンのフランス聖堂から生中継させ、北島三郎を怒らせる。中継では松平定知アナのトークを完全無視して、現場の仕切りの悪さからNHKスタッフをタコ呼ばわりする発言に終始。


COMPLEX「1990」(1990年3月14日) 

COMPLEX『ROMANTIC 1990』(1990年4月18日)

氷室京介「JEALOUSYを眠らせて」(1990年5月16日)

「JEEP」(1990年7月25日) 

『JEEP』(1990年8月25日) 

〈LIVE'90 - '91 JEEP〉(1990年9月22日〜1月18日

『紅白歌合戦』出演(1990年12月31日)




無敵街道2

1991-92


ロックバラツドを追求する一方、ポピュラリティをキチツとした形で獲得することが難しくなるといふジレンマを抱へていた1991年を経て、氷室は「マリオネット」的ビートナンバー「Kiss Me」で封印してゐたBOØWY路線を一発ぶち、セールス的にボウイを超えることに成功。しかしあまりにもBOØWY的すぎることの照れからかB面に「YOU'RE THE RIGHT 」を配し「本来やりたい方向」を示しもする。

一方布袋はCOMPLEXの破綻を経て改めてソロプロジェクト、ギタリズムを、海外のミュージシャンとの出会ひを軸に極めて行く。

そんな中、長渕は初のフジでのドラマ「しゃぼん玉」でやりたい放題。スタッフへの暴力、国生さゆりとの不倫がマスコミに取り沙汰される。音楽創作のクオリティは絶好調で、名盤『JAPAN』を作り上げ、まだまだカリスマをキープする。


氷室京介「CRIME OF LOVE」(1991年2月27日)

氷室京介『Higher Self』(1991年4月6日)

布袋寅泰「BEAT EMOTION」(1991年6月29日)

布袋寅泰『GUITARHYTHM II』(1991年9月21日)

テレビドラマ『しゃぼん玉』(1991年10月10日〜12月16日) 

「しゃぼん玉」(1991年10月25日)

布袋寅泰「YOU」(1991年12月4日)

『JAPAN』(1991年12月14日) 

氷室京介『Memories Of Blue』(1992年1月7日)

氷室京介「Urban Dance」(1992年2月26日)

〈LIVE'92 JAPAN〉(1992年3月6日〜5月19日) 

布袋寅泰「LONELY★WILD」(1992年7月22日)

布袋寅泰『GUITARHYTHM III』(1992年9月23日)

「巡恋歌'92」(1992年10月28日) 

氷室京介「Good Luck My Love」(1992年11月7日)

氷室京介「KISS ME」(1992年12月7日)

〈LIVE JAPAN'93〉(1993年2月14日〜5月27日) 




インドからの帰還

1993-94


布袋がポップなシングルを連打しポピュラリティの本格的な獲得の方向に舵を取り、『Memoris of Blue』でソロとしてBOØWYに追いついた氷室が次なるステージを模索してゐたころ、業界で強力な大権力を手にしてゐた長渕は、裸の王様的な側面が強くなり、坊さんに2億円を騙し取られるなどの事件もあつて人間不信に陥り、インドへ。1986年のハングリーツアー失敗以来の人生の転機を迎える。以降、楽曲は自己模倣、生彩を欠き、多くの一般的ファンが離れるが、40代より肉体及び精神改造をはかり現在のニュー長渕剛として復活を果たす。


布袋寅泰「さらば青春の光」(1993年7月28日) 

「RUN」(1993年9月22日)

テレビドラマ『RUN』(1993年10月15日〜12月24日) 

『Captain of the Ship』(1993年11月1日)

布袋寅泰「サレンダー」(1994年3月30日)

布袋寅泰『GUITARHYTHM IV』(1994年6月1日)

氷室京介『VIRGIN BEAT』(1994年8月29日)

〈LIVE'94 Captain of the Ship〉(1994年9月9日〜9月24日) 急病により中止

氷室京介『SHAKE THE FAKE』(1994年9月26日)



by ichiro_ishikawa | 2018-07-07 02:37 | 音楽 | Comments(0)  

ゲスバンバン新作ラッシュ


ゲスの極み乙女。ニューアルバム『好きなら問わない』からの先行配信シングル「オンナは変わる」


バンバンバザール最新アルバム『えとらんぜ』トレイラー



by ichiro_ishikawa | 2018-06-23 00:41 | 音楽 | Comments(0)  

緊急リリース 長渕剛「 Amen」


緊急リリース
長渕剛「 Amen」



by ichiro_ishikawa | 2018-06-20 09:32 | 音楽 | Comments(0)  

聴き比べ「Don't Think Twice」



長渕 剛


Bob Dylan


Peter, Paul and Mary


Elvis Presley

Eric Clapton


Tedeschi Trucks Band




by ichiro_ishikawa | 2018-06-15 20:11 | 音楽 | Comments(0)