カテゴリ:日々の泡( 265 )

 

デスクワークと俺


資料や本を読んだり、
メール作成、送信的な事務作業は、
煙草を吸いながらでないと出来ないから、
喫煙所にて、スマホで行ふ。

しかし周囲ではぷよぷよみたいなのをチコチコやつてゐる輩も多いことが示すやうに、
喫煙所=休憩所といふ認識が大半であり、
俺の作業も、傍目には麻雀アプリをやつてゐるのと変はらないせいか、
どうでもいい世間話をガンガン振られる。

「ちといまのつぴきならぬメール中なので」
などと本当のことを言ひたいところだが、
気弱ゆゑ、のつぴきならぬ作業を止め、
「最近あたたかくなつてきたよねえ」などと返す。
デスクに戻つたら戻つたで、
「ちよつといいですか?」と本当の仕事を振られる。

したがつてデスクワークは
代休を取つてやらざるを得ない。



by ichiro_ishikawa | 2019-02-19 12:27 | 日々の泡 | Comments(0)  

鈍行でゆく


人はなるべく乗り換へせずに一本で目的地まで行くことを好むやうだが、俺は電車を乗り換へることを厭はない。 むしろ一本で行くことを避ける。もちろん各駅停車にしか乗らぬ。
それはいつだつて薄ら痛い腹が、いつ激痛に変はるやもしれぬ可能性を孕んでゐるからだ。

しかし俺が途中下車をするのは必ずしも腹痛だけが原因ではないことを知つておくのはよいことだ。

加齢とともに冷え性も加速し、この冬場においてはいよいよヒートテック3枚重ね、タイツ着用、マフラー2本巻きをベースにアウター含め8枚ほどの重装備にならざるを得ないのだが、そのとき困るのが、「背中かゆい病」が発症したときである。服の上から掻いても意味がないのは無論、中に手を入れるとしても重ね着し過ぎで腕が局所まで回らない。ケータイ孫の手を使ふにもいろんなものを分入つて奥地まで滑り込ませるのは難儀である。ましてや本も広げられない満員電車の中では何もできない。しかも一度むず痒いと思つたが最後、痒さは倍増してゆく。これほどの地獄はないと言つてよい。

そんなとき、途中下車して広いところに出て、ゆつくりと、思ふ存分、孫の手で背中を引つ掻くのであつた。
以上。

by ichiro_ishikawa | 2019-02-15 23:52 | 日々の泡 | Comments(0)  

エセー 二十年


昨年末からこの2月まで荒井/松任谷由実だけをずーつと聴き続けてゐるが、そのユーミンに続き、Apple Musicにサニーデイ サービスが入つた。
ふとボブ ディランの「It's All Over Now Baby Blue」が聴きたくなり、長いタイトルの入力が面倒なため「Baby Blue」で検索したところ、サニーデイ サービスの「Baby Blue」が浮上。
これまで時折サニーデイ サービスを検索してきたが、都度、全体の配信が止められてゐたのか、全く引つかからず、かと言つてCDを引つ張り出して聴くのも勇気がゐるので、諦め、ずつと放置してゐたのだつた。それがここに来て、一斉配信となつたやうだ。

「Baby Blue」を擁するサニーデイ サービス『サニーデイ サービス』は確か1997年の秋のリリースで、
俺で言ふカゼッタベルキ時代の初年の秋である。
あのとき『サニーデイ サービス』は新作だつた。曽我部は同い年といふこともあり、「ついにロックで同い年が出てきちつたか…先を越された。早くしねえと」と大いに焦つたものだつた。
1997年の秋冬はいろいろあつたため、そのいろいろがこびりついてゐる『サニーデイ サービス』は翌1998年以降、封印してゐた(捨てないところが貧乏性)ので、今回本格的に聴くのは20年ぶりであつた。なかなかどうして、名作過ぎる。
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20年といふのは文学的なある節目だ。
『ノルウェーの森』(1987)は飛行機の中で「ノルウェーの森」を聴いた「僕」が20年前を思ひ出すところからスタートする(はず、確か)。
そして言はずもがな「秋」(1950)は、東大寺の二月堂を訪れた当時48歳の小林秀雄が、長谷川泰子から逃げて来た20年前の「奈良時代」を思ひ出すところからスタートする。

名作は、20年前の苦々しい懐古であることが多い(とは言へこの2作だけ)。
つまり20年前のカゼツタベルキは、文学的な機が熟してゐる、と言へる。そしていま、「時間といふものに関する様々なとりとめのない抽象的観念が群がり生じ」てゐる。

さういへば、あのとき「秋」と『サニーデイ サービス』とを同時に読み、聴きしてゐた。

「二十年ぶりである。人間は、なんと程よく過去を忘れるものだ。実にいろいろな事があつたと思ふのもまた実に程よく忘れてゐるといふその事だ。どうやら俺は日向の猫に類してゐる」
(「秋」小林秀雄)




by ichiro_ishikawa | 2019-02-13 10:19 | 日々の泡 | Comments(1)  

ああ年末年始


またしても「ヤバいこんなことしてる場合じやない」「早くしなければ」と焦りながら、YouTubeとApple Musicにて荒井由実ばかりを観て過ごし、結局何もせずに一年で最も貴重な年末年始が終はらむとしてゐる。16ぐらゐかれこれ30年以上連続で年末年始を棒に振つてゐる。

と書いてふと気づいた。
正確には、薄々気づいてゐたことを思い切つて見つめてみた。つまり、「では何をする場合なのか」。
何をすれば、充実した年末年始だつた、と言へるのか。また見方を変へると、荒井由実楽曲のヴァース・コーラス形式、AABA形式に伝統的アメリカンポピュラーミュージックを見て取ることはなぜ意味がないのか。LPレコードの内袋および外袋を全部新品のものと入れ替へたり、小林秀雄全著作(刊行単行本・文庫)未入手excelリストの整理をすることがなぜ時間の無駄だつたと感じるのか。

これは難問だ。
仮説の域を出ないが、たぶん、これらは全部てめえのためのインプットに過ぎないからではないか。やはり、人の為にアウトプットをしないと人は生の充実を得られないのではないのか。といふことだらう。

もうインプットはいいのだらう。
これからはアウトプットだ。
しかしアウトプットとは?
何をアウトプットする? アウトプットしてどうする?
この問ひに答へられなければまた今年の年末年始も無為に過ぎて行く。この一年は、ひたすらそれを考へ続けることになりさうだ。








by ichiro_ishikawa | 2019-01-06 22:19 | 日々の泡 | Comments(2)  

感想 2018師走


よく上の世代の古さやダサさを小馬鹿にする下の世代がゐるが、これは、下の世代の自己保身でもあり、
いづれにせよ、同じ穴のムジナだ。どちらも「オレ」がいちばんかわいい。

たとへば、
「リアルタイムの俺としてはな、クイーンはロックユーでなくて、何々だよ」
と、にわかファンに一席ぶつた上の世代に、
「いやいや知らないから。どつちでもいいから。フラットだから。あんたのウンチクとか青春は聞いてないから。今でしよ」
と下の世代は吐き捨てがちだ。

かういう(心の中も込みの)やりとりは、あまり愉快ではない。
上の世代も始末に負へないが、下の(心中の)返しも、「てめえのスタイルを邪魔されたくない、価値を押し付けられたくない」といふ保身でガチガチである。一度無理やり価値を押し付けられてみるがよい。てめえのスタイルなんてものは犬も食はないといふことを一度思い知つた方がよい。
また、下の世代はてめえが上になつても「ああはなるまい」と必ず思ふ。しかし所詮同類だから、これも必ず「ああなる」。

したがつて、上の世代の発言を改定することはできないから、下の世代の模範回答は本来かうだ。

上「クイーンはロックユーでなくて、何々だよ」
下「へえさうなんですか! 今度Apple Musicで聴いてみます」
上「バカヤロウ、アナログレコードで聴けよ、音が全然違ふんだから。せめてCDで」
下「はい、レコードかCDで聴いてみます」
上「さうしろ、すげえから」

だ。
このぐらゐ無駄で、表層でよい。




by ichiro_ishikawa | 2018-12-06 02:34 | 日々の泡 | Comments(0)  

この人がもう帰るので

久しぶりにファミレスでランチをとるフリをして人間観察をしてゐると、次の発言が耳をついた。

「こちらの席も空いてますし…この人がもう帰るのでここでもいいです」

かういふ場所では聞きなれないフレーズゆゑ、何事かと思はず顔をあげると、例のウエイトレスであつた。久々で油断してゐたが、相変わはらず強い存在感を放つてゐる。かつアラレちゃんみたいな眼鏡をかけてゐた(確かこれまではそも眼鏡をかけてなかつた)。

ちなみに、帰らんとしてゐたその人はボーツと生きてるのか、このものすごいフレーズに気づかず、ふつうに席を後にしてゐた。



by ichiro_ishikawa | 2018-12-05 14:34 | 日々の泡 | Comments(0)  

これつてすごくないですか?について


秋元康が2014、15年頃に「歌謡曲オールタイムベスト」的なテレビ番組(?)を久米宏と近田晴夫とやつてゐたのをYoutubeで最近知つて、大変面白く見た。


しかしその中で、本編とは関係ないところだが、ひとつものすごく気になつたことがあるので、今回は、それを憂ひてみようと思ふ。


番組内で秋元氏は、

「これつてすごくないですか?」

を連発していた。


この「すごくないですか?」の疑問形。

「すごくないですか?」と「質問される」のがかなはない。 同じ意味のことを言ふならば、問はず、

「これってすごいと思うんですよ」

と自己完結してほしいのであつた。

さうすれば、「さうですか」と相づちで済む。質問されると答えねばならぬ。


それがすごいかどうかは必ずしも即答できるものではない。様々な条件や状況を鑑みた上ですごいか否かは判断されねばならぬ。

しかし、この「すごくないですか?」は、持論を主張すると「同時に」、その主張を無理やり相手に肯定させる、マウンティング論法である。

これをやられると、どうしても「うん…す、すごい」と即答せざるを得ない。巻き込まれる。

仮にすごくないなら「いや、さうは思はぬ」と簡単に言へるのだが、 これをやられる多くのケースでは、

実際まあすごくなくはないが「すごい」といふ強い言葉が果たしてジャストかどうかは決めかねる、

といふ場合が多い。

かういふときに、さうした気持ちを丁寧に述べようと思ふと、


「え? それは、すごくないかどうか私に聞いてるのかね? いや、ちょつと待ちたまへ。貴様がこれをすごいと思ふ理由はわかつた。それを否定するつもりはない。思ふのは自由だからだ。但しその根拠はどうか。たぶんに自前の趣味に寄せてゐるだけといふところはないだらうか、私は訝るのである。なるほど確かに、すごくないとは思はないが、これが「すごい」といふ相当強い形容詞を冠せられるのに本当に相応しいかは即答しかねるのである。その貴様がすごいと言ふ根拠をもう少し吟味させてくれたまへ。一回寝かせてみる。そして改めてすごいかどうかを検証し、明日にでもまた連絡する」  


とならざるを得ない。 


テレビの構成作家の出である秋元氏は「尺」のプロ、「アングル」「編集」、話を分かりやすくスムーズに運ばせるプロであり、対話者に上述のやうに駄弁を労させることはタブーとする。一人語りにならず対話形式で、しかしながら議論は周到に避けながら、かつ「そうだねそうだねいいねいね」と盛り上がつてゐる空気を醸成するため、「すごくないですか?」といふ形式疑問文はおそらくは意図的に連打されてゐたのであつた。


以上、憂ひまで。




by ichiro_ishikawa | 2018-11-27 21:41 | 日々の泡 | Comments(0)  

ロックの誕生

男が少年から大人になるのはいつか。
諸説、個人差があらうが、
我が結論は、「身長が止まつた時」である。

己が身体が世界を占める割合と目線が確定するからである。身体が成長してゐる間を少年時代、青春時代といふ。

俺が1986年をもつて青春の終了を宣言して止まないのは、1986年、14歳の時に身長が止まつたことに由来する(中学3年、14歳の4月の測定記録が現在の健康診断での数値と同じ)。70年代〜1985年までがやたら愛おしく、明るく輝かしく眩しかつたと懐古するのは、どうやらグングンと身体が成長してゐた真つ只中だつたからのやうである。

1986年の4月に成長が止まり、身体が確定した。
そのとき何かが変はつたのだ。ドアが後ろ手に閉ざされ、もう「そこ」へは永遠に戻れない。幻を視ることは許されず、現実といふ世界へポンと放り出され、シビアな眼で世界と対峙せざるを得なくなつた。
これが君の結果です。君はこれからずつとこれで生きて行くのです。アーメン。

ロックの誕生である。
1986年をロック元年と宣言して止まないのは、かういふ理由による。




by ichiro_ishikawa | 2018-11-19 03:32 | 日々の泡 | Comments(0)  

シリーズ うまい言ひ換へ


本ブロムは、
個人的な備忘録、データ管理および思考整理の場とはいへ、
公に晒してゐるゆゑ、
ネガティブ、ヘイト的なことは書かないやうにしてゐることに加へ、言葉遣ひにもきはめて気を使ふため、
「うまい言ひ換へ」へのアンテナは今夜もバリサンなわけだが、最近引つかかつたのは、ある著名な歌人が60年代の論争にて使つてゐた以下の言葉。

どうかと思ふ
それは違ふ
腹立つ
ムカつく
嫌ひ
死ねばいい


愉快ではない





by ichiro_ishikawa | 2018-10-30 15:45 | 日々の泡 | Comments(0)  

ふと思い出しこと


今となつては昔のことだが語るに値すると思はれるので語り始めることにするのだが、
といふのを、グッと省略したのが、
「今は昔、」であり、
かうした省略の技術といふか感性といふか韻文力は、短歌や俳句といつた短詩型文学がきはめて発達してゐる日本ならでは、日本語ならではのものだと思はれる。
が、これは本題ではなく、今は昔、
テレビのスタジオライブの観覧といふものに初めて行つたとき、テレビ画面に映る前列に見栄えやノリの良い若い女の子たちが配され、俺などは絶対映らないドラムの後ろに回されて、なるへそな、俺がディレクターでもそのやうにレイアウトするだらうなと自ら納得したのだが、一方でやはり冬の寒空の下で何時間も待たされてやつと入場させてもらへたと思つたら音がちやんと聞こえずステージを見ることもできないバックヤードかよ、と不服でなかつたこともなかつたのだが、その時はドラムが高橋まことで、高橋まことをこそ見たかつたので、実は願つたり叶つたりだつたのであつた。
スティックさばきは勿論、バスドラムをキックする様からハイハットの足踏みまでじつくり見ることができた。
以上。





by ichiro_ishikawa | 2018-10-27 02:55 | 日々の泡 | Comments(0)