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ものすげえ歌「忌野清志郎、井上陽水」

「サン・トワ・マミー」忌野清志郎 Little Screaming Review
詩がいい。



「ロックンロール・ショー」RCサクセション
気がいい。



「いっそセレナーデ」井上陽水
目がいい。

by ichiro_ishikawa | 2010-03-24 01:13 | 音楽 | Comments(0)  

伝説のTV番組「東京イエローページ」


東京イエローページ(1989-1990)の第1部最終回



サラリーマンコント(これはそんなには面白くない)

by ichiro_ishikawa | 2010-03-23 01:19 | お笑い | Comments(0)  

エセー「現実逃避&直視」


 「2」になってから、毎日、出来れば一日数本のペースで書きなぐって行こうと思っていたが、ここのところ日銭仕事で時間が取られ、更新が途絶えてしまった。一回中断すると癖になるから絶対に途絶えさすまいとの意志も、もろいものだ。思索的執筆は精神的にきついから、日々の由なし事の記述でも、得意の誤摩化しYouTube貼付けでもいいから、とにかく一日数本UPを目指さんとす。

 先の土曜は、6人の人間(うち一人は肉親)が「同時に」俺を外に連れ出すオファーをしてくるという、激レアな日であった。3連休の初日という、1日無駄にしてもまだ2日ある「俺と接触するには絶好の日取り」なのだという事をいけしゃあしゃあと述べた輩の誘いに乗る必要はなかったが、ふだん自分から誘う事はない分、誘いは絶対に断らないと決めている俺にとって、あとのセレクトは苦渋の決断だった。体は一つしかないため、中でも最もレアな人物の誘いに応じることになったが、他の4人が「もう誘わねえ」とふてくされてしまう事を恐れる。

 いま俺は分業負担が日増しに増えて行くルーティーンの雑誌作りと共に単行本を2冊同時に編集中で、まずは4月25日(日)、ものすげえものが出る予定。持ち込み企画だが、手の抜けない貧乏性の俺が関与しているということでそれはすげえものになる事必至。乞うご期待だ。3月中に手を離れなければならないが、残りの作業を俯瞰するに到底終わるとは思えず。だが終わらないといろいろな人が、実にいろいろな人が迷惑を被る事請け合い。今は、事象的現実から逃れ、本質的現実を直視するため、ジャックダニエルズをグイッとあおりながら、萩原朔太郎の「内部に居る人が奇形な病人に見える理由」を精読している。

by ichiro_ishikawa | 2010-03-23 00:02 | 日々の泡 | Comments(0)  

引用「いい書評」


 ニーチェの言葉というのはすべて血で書かれているような気がどうしてもしてしまうからどこを切ってもよく噴き出して、その哲学の精髄に触れるつもりがあってもなくても読んだ者にはときとして並ならぬ興奮と覚醒を与えてしまって、加えて超人や永劫回帰といった概念は類い稀なる詩才と相俟っていつの時代も悩める人々を(良くも悪くも)魅了してやみません。それはかつて近代という不明な空間を生き、変革を迫られていた日本の知識人−−高山樗牛、夏目漱石、新渡戸稲造、萩原朔太郎、芥川龍之介らをも当然のごとく直撃しました。本書は徹底した比較文学の作業によって導き出される−−いわゆるニーチェ・ショックが、彼らへ与えた影響の履歴であります。
 とりわけ表題にもなってい漱石が壮絶に面白くて興味深く、人間の悲哀と滑稽と求道と猫の目で描いた『吾輩は猫である』と執筆当時し、英訳『ツァラトゥストラ』を精読していたと思われる漱石の心の中をのぞき見しているような気持ちになります。無数の断片、激しく引かれるアンダーライン、怒濤の反論、トゥルー!と書き込まれる共鳴。漱石の暗部を照らしつつ望みをつなぐ応酬に、慣れ親しんだ名作の知られざる苦悩と達成が鮮やかに現出します。
 とにかく愉しい。仮に漱石やニーチェをまるで取らない人が読んでも本書には親切と挑発が満ち満ちているので興奮を見失う心配はないし、言うまでもなく愛読者たちにも新鮮な発見は約束されます。ああ、それにしてもニーチェというひとつの知性(個性)の振る舞いがこれほどまでに多様な感受を生むことに驚きながら、浮き彫りになる各人の魅力がたまらない。読み終わったあとに情熱に置き去りにされたようで無性に寂しかったので、すぐにもう一度読みました(表向きは殆ど反応を示さなかった森鴎外のエピソードも印象的。さすがというかなんというか……超人ならぬ公人パワー)。

 以上、読売新聞3/21付朝刊書評欄より全文。まるで池田晶子のような文体の持ち主は、旬の人、川上未映子。評されている書は杉田弘子『漱石の『猫』とニーチェ』(白水社)。
 川上未映子を知ったのは芥川賞『乳と卵』で、遅れてきた読者なわけだが、その後、彼女のブログで、小林秀雄と池田晶子を相当敬愛している事を知り、過去の『わたくし率 イン 歯ー、または世界』(講談社)、『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』(ヒヨコ舎)、『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』( 青土社)という、まさにその世界を想起させる著書を読むにつけ、一気に信用した。その線から行くと最新意欲作『ヘヴン』(集英社)は、ポップを引き受けざるを得ない位置に来てしまった故のプレッシャーか、いささか薄く、やや物足りなかったが、向いている方向はよく、次作が待ち遠しい作家の一人。

 上記、書評の書は、税抜き3200円。高すぎる。また上製本は、かさばり、重く、これ以上本に場所を取らせたくないので、立ち読みで済まさざるを得ない。こういう位置の書が、電子ブックで購入されるのだろうな、俺に。本屋で立って読むのは疲れるからな。煙草も吸えねえしな。小林秀雄や池田晶子ら、出たら即買い・保存必至というもの以外は、まず電子で買う。そして「すげえ名著だ」と感激したら、さらに本も買う。こういう流れになるはずだ。だから電子ブックはバンバン売れるのではないかな。全書500円ぐらいになれば。本は売り上げは確実に下がるな。保存欲を相当かき立てるものだけが本の形で買われる。その決め手は当然内容の質、そして装丁を中心とした全体のブックデザイン。でもやはり骨董品、オブジェではないのは、折ったり書き込んだりする必要があるからで、そういう意味では、「500円の文庫」、これが本の最も魅力ある形だ。

by ichiro_ishikawa | 2010-03-22 16:38 | 文学 | Comments(0)  

写真「涅槃」


 自他の別がなく、時間というものがない、親子の情だけがあるという涅槃の状態。
 世界の始まり。
 順序数が分かり始めてきたが、自然数の1はまだ知らない。

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これから自我が目覚め、生き地獄が待っている事を知る由もなし…。

by ichiro_ishikawa | 2010-03-17 00:01 | 美術 | Comments(0)  

写真家「桧川泰治」


写真家・桧川泰治のプライベートwebがすげえいい。
泥のうえでねむりたい

桧川泰治はJulie Electroの1stアルバム「Strike Another Match」(2003年)のジャケット写真でも有名。
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by ichiro_ishikawa | 2010-03-12 00:58 | 美術 | Comments(0)  

Little Feat「Dixie Chicken」



by ichiro_ishikawa | 2010-03-12 00:02 | 音楽 | Comments(0)  

Jazz「Tommy Flanagan Trio」



by ichiro_ishikawa | 2010-03-11 23:51 | 音楽 | Comments(0)  

抜き書き「実相観入」


 写生とはsketchという意味ではい、生を写す、神を伝えるという意味だ。この言葉の伝統をだんだん辿って行くと、宋の書論につき当る。つまり禅の観法につき当るのであります。だから、斎藤氏は写生を説いて実相観入という様な言葉を使っている。空海なら目撃というところかも知れない、空海は詩を論じ、「須らく心を凝らして其物を目撃すべし、便ち心を以て之を撃ち、深く其境を穿れ」と教えている。心を物に入れる、心で物を撃つ、それは現実の体験に関する工夫なのである。

 と、小林秀雄が言ってた。斎藤とは茂吉の事。小林と同時代の歌人。
 俺が最近、茂吉の歌論を読んで、なるほど、小林秀雄みたいな事を言うな、と思ったことは、以前書いたが、そういや小林も茂吉について何か書いていたよな、と思い出し、だがあれは文庫ではなかったはずだ、俺に最も親しい文庫なら、茂吉の歌論を読む前に既にその箇所に気づいていたはずだ、すると、ものによっては一読しかしていない全集の中の一つだろうと目星を付け、全集をひっくり返して、見つけたのが上記の文章だ。所要時間5時間。なかなか見つからなかったのもあるが、ところどころで別のものを読んでしまったりで、時間がかかった。まあそれはどうでもいいな。
 いずれにせよ、上記の考えは、小林秀雄の根本をなしているもので、基本的に、どの文章でもそういう事を言っている。そういや、岡潔との対談で、自分が確信した同じ事ばかりを何度も繰り返し繰り返し書いている、そこがいい、と岡を褒めていたが、小林自身もそうだ。
 小林は人の事について書いてばかりいるが、それは自分の事でもあり、要は自他の区別がなくなっているイタコ的文章、すなわち無私の精神に常に貫かれているのであった。

by ichiro_ishikawa | 2010-03-11 00:09 | 文学 | Comments(0)  

エセー「運を支配する」


 俺がいま運を支配している事は、支配されている運、当人が一番思いもよらないだろう。

 運を支配するとは、運気を呼び寄せる事ではない。そんな事は誰にも出来ない。いま運が向いているか、向いていないかをじっと見極める事だ。向いているならガンガン攻める。向いていないなら、静観する。退陣ではない。ジタバタしてもいけない。向いていないまさにその時、いかに向いていないか局面をしかと見つめていなければならない。これはしんどい。だが、その観察の努力こそが、女神を微笑ませる唯一の手段だ。

 的な事を、ある賭博者が言っていて、なるへそ、さもありなん、とひとりごちた。
 いま俺は、かなり静観している。
 今日は、回転寿しで、隣りに座り合わせた孤独なキャリアウーマンが、シメに玉子のツマミを注文するも、箸使いが覚束ず、下に落とした。すべてを静観していた俺と目が合うと、キャリアはニコリと微笑み、「おあいそ」といって、颯爽と回転を後にした。
 その後、ドトールで一服していると、ただ生きているだけのオッサンがコーヒーをテーブルに置くときの手が覚束ず、俺の目の前で、派手にこぼした。テーブルと床をふき終わると、ただ生きているだけのオッサンは、そのまま店を出た。コーヒーをひっくり返しにきただけだ。一部始終を静観していた俺は、それ何やってんの、と、その後ろ姿に心で投げかけた。
 静観していると、世界ではいろいろな事件が続発していることに気づかされる。

by ichiro_ishikawa | 2010-03-10 00:50 | 日々の泡 | Comments(1)