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睡眠 ザ・キング・オブ行為

子供の頃、修学旅行とかで、夜じゆう騒いで寝て、朝イチからまたキヤツキヤキヤツ騒いでる奴がゐたが、不思議だつた。寝ないのか。何がそんなに楽しいのか、訝る。大人になつてもさういふ輩はゐる。
未明まで飲んでたのに、翌朝清々しい面持ちでシヤキツとゴトシをこなしてるヤツ。

8時間寝るといふことを最優先させる俺は、たとへば2時に寝たのなら起床は10時だ。7時にどこどこに集合などと決まつてゐたとしても2時に寝たのなら起床は10時となる。こればかりは譲れぬ。7時集合をマストとするなら23時前には寝ねばならぬ。騒いでるヒマはない。
睡眠時間を削つてまで遊ぶとか働くといふ考へはない。睡眠こそが行為の王様なのである。8時間眠るためなら、あらゆるものはその犠牲にならなければならない。





by ichiro_ishikawa | 2018-05-28 14:27 | 日々の泡 | Comments(0)  

ゴトシとは何か


いちいち確認してくる輩が居るが、
ある程度てめえの裁量で決定して、
これこれかうだから、かうしました、
と、てめえの責任において行動し、
事後報告にした方がいいことは数多ある。

いちいち確認するのは、
てめえの裁量で決定するアイデアと自信がないのと、
責任を負ひたくない、
といふ心性が、その背景にある。

いちいち確認してやる、
といふのは、ガキの使ひで、ゴトシとは呼ばない。
つまりガキの使ひでギャラは出ない。
ギャラといふのは責任を負ふその対価だからだ。

さういふ輩は、たいてい会議の時にパソコンをパタパタやつてゐる。

法律(論理)や科学への偏重は人間を退化させる。


by ichiro_ishikawa | 2018-05-28 11:21 | 日々の泡 | Comments(1)  

朝食の癖


俺はほら元来貧乏性つていふのかな、ホテルの朝食バイキングは、どうしても全種類盛つてしまふ。主食もご飯とパン全種類とつてしまふし、飲み物も野菜ジュースと牛乳とオレンジジュースとお茶とコーヒーと氷水をお猪口で飲んでしまふ。それでたいていその日の昼は腹が痛く、使ひ物にならないつていふ。まさにこれを書いてる今がそれなわけだが、そろそろこの癖を治したい。

by ichiro_ishikawa | 2018-05-27 10:30 | 日々の泡 | Comments(0)  

高2〜大4までの中森明菜


前に中森明菜黄金期1982〜1988年の軌跡を辿つたが、改めて一般的な学年に当てはめて辿りなおしてみることにしよう。デビューからの6年間、高校2年〜大学4年である。つまり一般の人間が社会人になる前にすでに重要な仕事を全てやり終へてゐた。


高校2年(デビュー1年目/アイドル時代)
「スローモーション」16歳
1982年5月1日
作詞:来生えつこ/作曲:来生たかお 
★★★★☆


「少女A」17歳
1982年7月28日
作詞:売野雅勇/作曲:芹澤廣明 
★★★★☆


「セカンド・ラブ」17歳
1982年11月10日
作詞:来生えつこ/作曲:来生たかお 
★★★★☆


「1⁄2の神話」17歳
1983年2月23日
作詞:売野雅勇/作曲:大沢誉志幸 
★★★★☆


高校3年(デビュー2年目/アイドル時代)
「トワイライト -夕暮れ便り-」17歳
1983年6月1日
作詞:来生えつこ/作曲:来生たかお 
★★★☆☆


「禁句」18歳
1983年9月7日
作詞:売野雅勇/作曲:細野晴臣
★★★★☆


「北ウイング」18歳
1984年1月1日
作詞:康珍化/作曲:林哲司
★★★★★



大学1年(デビュー3年目/新境地時代)
「サザン・ウインド」18歳
1984年4月11日
作詞:来生えつこ/作曲:玉置浩二
★★★☆☆


「十戒 (1984)」19歳
1984年7月25日
作詞:売野雅勇/作曲:高中正義 
★★★★☆


「飾りじゃないのよ涙は」19歳
1984年11月14日
作詞・作曲:井上陽水 
★★★★★




「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」19歳

 1985年3月8日

 作詞:康珍化/作曲:松岡直也

★★★★★★★




大学2年(デビュー4年目/名曲時代)
「SAND BEIGE -砂漠へ-」19歳
1985年6月19日
作詞:許瑛子/作曲:都志見隆
★★★★★


「SOLITUDE20歳
1985年10月9日
作詞:湯川れい子/作曲:タケカワユキヒデ
★★★★★★★


「DESIRE -情熱-」20歳
1986年2月3日
作詞:阿木燿子/作曲:鈴木キサブロー
★★★★☆



大学3年(デビュー5年目/名曲時代)
「ジプシー・クイーン」20歳
1986年5月26日
作詞:松本一起/作曲:国安わたる
★★★★★


「Fin」21歳
1986年9月25日
作詞:松本一起/作曲:佐藤健
★★★★★


「TANGO NOIR」21歳
1987年2月4日
作詞:冬杜花代子/作曲:都志見隆
★★★★★



大学4年(デビュー6年目/名曲時代)
「BLONDE」21歳
1987年6月3日
作詞・作曲 Biddu-Winston Sela 
麻生圭子(日本語詞) 
★★★★★★



「難破船」 (カバー)22歳
1987年9月30日
作詞・作曲:加藤登紀子
★★★☆☆


「AL-MAUJ (アルマージ)」22歳
1988年1月27日
作詞:大津あきら/作曲:佐藤隆
★★★★★



by ichiro_ishikawa | 2018-05-21 16:57 | 音楽 | Comments(1)  

無私とは

2018年にもなると、つい数年前のやうな実感のある1988年ももはや30年前で、80年代を実体験としては知らない現代の若い論客が、それをてめえが生まれる前の事象として、過去の検証的に分析する言説が散見される昨今である。

それらを読んで思ふのは、ああ的外れだな…だ。
しかし、自信満々に語られるから、それを読んださらに若い世代は事実として受け止めるだらう。そして、彼らがまた聞きでさらに下に語りつぐ。さらに……。
歴史は悪気なく塗り替へられるといふことを思ひ知らされる。

特徴的なのは、過去は常に「今」といふフィルターを通して語られる、といふことだ。「今が最も偉い史観」といふのは現代人の本能のやうなものなのかもしれない。
「今」は過去を全て知つてゐて、俯瞰してゐて、その上に立つてゐると思つてゐて、勢い上から目線で語られることになる。

語られる地点が今なのだから、それはどうしたつてさうである、免れ得ない。
しかし、やはりそれは危険で、特に意識しなければならないだらう。
そこで、「当事者への取材」がまず必要だといふことが浮き彫りになる。我々が戦争を語るとき、やはり
当事者への取材なしに語るのは危険なことなのだといふことを思い知る。

当事者への取材が不可能な場合、たとへば大昔の事にあたる場合はどうするか。資料しかない。
そのときにも「今」のフィルターを通して見てはいけない。

同時代のこともさうである。
当事者の目で見ること。といふか、とにかく「てめえ」といふ偏見の塊であるところのフィルターを取り除くこと。

これを小林秀雄は無私の精神と言つた。
しかも、無私とは得るもので、そこに至る道は険しいことを知つていたから、一生、無私無私言つていたのである。
小林秀雄がインテリゲンチャをとことん嫌つたのは、「今」「てめえ」をベースに上からものを見る態度のいやらしさが我慢ならなかつたのだ。

小林秀雄が本居宣長を尊敬したのは、宣長は古事記を、古事記の内部を生きて、古代人の視点で見てゐたからだ。さうすると、どうしても、ことの大事とは、もののあはれを知ることに行き着く。

ことにあたつたときの感情といふ、目に見えない、しかし、一番確実で、すべての土台となるもの、ここを見では結局何もしてないのも同じ、さういふ信念からすべての仕事をしたのが、小林秀雄だ。
個性とはさういふ地点からしか生まれない。
歴史を、過去を、他者を見では、自分が何か、わからない。




by ichiro_ishikawa | 2018-05-20 11:26 | 文学 | Comments(0)  

3年越しの謎が解明


母の死後、遺品からかのやうなメモが見つかり、
これは何なのか、ここ3年ほど、長らく謎であつた。

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筆跡は紛れもなく母のものであるが、
文体が母ではないし、
そもこんな哲学的思考は母にはないはずなのだが、
にわかに母のものではないとは断定できずにゐた。

それは他のメモからも意外な言葉が出てきたりしてゐたこと、
また晩年、夫の介護や自身の闘病生活から、
常々死にたくない、と嘆いてゐたことから、
何か人知れず心に抱いてゐた思ひがあつたのやもしれぬ…と少なからずショックを受けてゐたことは否めなかつた。

それがここに来て、
これはアンパンマンの歌詞であることが判明。
拍子抜けと同時にホッとした。

しかし、なぜ紙に付箋を貼つたその上から書いたのか、またなぜ付箋を跨いで書くのか、
何のために、どんな思ひで書き写したのかは
解明できてゐない。

といふか、なぜアンパンマンなのに、
こんな歌詞なんだ? 
見たことないがさういふマンガなのだらうか?




by ichiro_ishikawa | 2018-05-19 23:32 | 日々の泡 | Comments(0)  

小林秀雄の学生年表


年譜に拠れば、小林秀雄は25歳で大学(東京帝大仏文)を出た。昔、この事実を知つたときは、小林はだいぶ浪人したかダブつたんだな、と思つたものだ。
ちなみに俺も一浪二留をして大学を出たのが25だつたので、小林と同じコースといふことで、自分を慰めていたものだ。

しかし違つた。戦前と戦後では学制が違つた。
結論から言ふと、小林は一浪しただけであとはストレートに卒業してゐた。
戦前は、今風に簡単に言へば、
小学6年→中学5年→高校4年→大学3年。
であつた。トータルの修学年が2年多い。
基礎教養を学ぶ期間を長くとつてゐる。
旧制の中学生は今の高校生で、旧制の高校生は今の大学学部生だ。旧制大学生は今の院生。

小林の年譜を見てみる。4月生まれだから分かりやすい。
年齢はその年度の満年齢を記す。

1902年(明治35年)4月、生誕
1915年(大正4年)3月、白金尋常小学校卒業=12歳
1915年4月、東京府立第一中学校入学=13歳
1920年(大正9年)3月、卒業。第一高等学校受験、不合格=17歳
1921年(大正10年)3月、父豊造没=18歳
1921年4月、第一高等学校文科丙類入学=19歳
1925年(大正14年)3月、卒業=22歳
1925年4月、東京帝国大学文学部仏蘭西文学科入学=23歳

1928年(昭和3年)3月、卒業=25歳


中学(今の日比谷高校)を出て、高校受験に一度失敗してゐる。

今で言へば大学受験失敗。で、一浪の末、19歳の年に高校(今で言へば東京大学)に入るのだが、直前に父が亡くなつてゐる。


成人前、大学前に父を亡くしたといふことは、よくよく考へる必要があらう。

母親思ひ、家族を食はす覚悟、さうした強さと優しさの源泉はこの経験にある。


で、1929年(昭和4年、27歳)に「様々なる意匠」だから、入団1年目で3割30本みたいなもの。


もつともすでに大学時代から翻訳や依頼原稿をバリバリ書いて、女を養つてもいた。

しかもスポーツもブリバリで、マンドリンなども弾く、かつ顔もいい、喧嘩も強いと、人間力がハンパでなかつた。

父の逝去の2年後に見舞われた関東大震災での復興尽力ぶりは、3.11の吉川晃司を思はせる。屈強な男である。さういふ男が文学をやつたといふのが、我々にとつては幸いだらう。世が世なら間違ひなくロックンローラーであつた。





by ichiro_ishikawa | 2018-05-18 09:50 | 文学 | Comments(0)  

長渕剛全アルバムの評価


長渕剛がニューシングル「Don't Think Twice」をリリースした。ファーストアルバムから40年、ピークの「とんぼ」から30年、ずつとポピュラー音楽界の第一線に居るといふのは凄いことだ。
下のリストのやうに1979年の本格デビューからいきなり名盤を発表し、以後15年間、名作をリリースし続けた。年齢でいへば22歳から37歳。
やはりミュージシャンの旬は20〜30代半ばなのだらう。
その後、現在までの約25年間は作品的には見るべきものは無い。けれど、居なくなつてはない。
普通は40代になると良くてプロデューサー、裏方に回り、じしんは小さい小屋に拠点を移して細々とライブを続けるといふのが王道だらう。
しかし、長渕は、肉体改造や桜島や富士山での大動員ライブなどコンスタントに型破りな活動を行い、セールスや人気をトータルではキープし、ずつと前線で一流のポップミュージシャンとして君臨し続けてゐる。
これは凄いことだ。


アルバム一覧


風は南から(1979年3月5日) ★★★★☆

逆流(1979年11月5日) ★★★★☆

乾杯(1980年9月5日) ★★★★☆

Bye Bye(1981年10月1日) ★★★★☆

時代は僕らに雨を降らしてる(1982年9月1日) ★★★★☆

HEAVY GAUGE(1983年6月21日) ★★★★☆

HOLD YOUR LAST CHANCE(1984年8月18日) ★★★★☆

HUNGRY(1985年8月22日) ★★★★☆

STAY DREAM(1986年10月22日) ★★★★★

LICENSE(1987年8月5日) ★★★★★

NEVER CHANGE(1988年3月5日) ★★★★☆

昭和(1989年3月25日) ★★★★☆

JEEP(1990年8月25日) ★★★★☆

JAPAN(1991年12月14日) ★★★★☆

Captain of the Ship(1993年11月1日) ★★★★☆

家族(1996年1月1日) ★☆☆☆☆

ふざけんじゃねぇ(1997年9月3日) ★☆☆☆☆

SAMURAI(1998年10月14日) ★☆☆☆☆

空(2001年6月27日) ★☆☆☆☆

Keep On Fighting(2003年5月14日) ★☆☆☆☆

Come on Stand up!(2007年5月16日) ★★☆☆☆

FRIENDS(2009年8月12日) ★☆☆☆☆

TRY AGAIN(2010年11月10日) ★☆☆☆☆

Stay Alive(2012年5月16日) ★☆☆☆☆

BLACK TRAIN(2017年8月16日)★★☆☆☆





by ichiro_ishikawa | 2018-05-17 19:27 | 音楽 | Comments(0)  

今週のスポットライト20180517

今週のスポットライト20180517


ゲスの極み乙女。
「もう切ないとは言わせない」


長渕剛 
「Don't Think Twice」


by ichiro_ishikawa | 2018-05-17 11:37 | 音楽 | Comments(0)  

パタパタうるさいノートPC


「それ前も聞いた」と言はれさうだが、
会議にノートPCを持ち込むのは禁止したい。

メモしてゐるのだ。終了と同時に議事録が作成できる。
といふことなのかもしれない。

しかしメモはペンで紙に書くべきだ。
いやメモも不要。話し合ふ、考へることが目的だらう。
議事録なんて最もいらない。
あつてもいいがそんなに急がんでも。

ノートPCがいけないのは、パタパタうるさいからだ。
あの入力の際のパタパタといふ音は、思索という行為を妨げる。
さらに、ノートPCを操つてゐる輩からは、人の話を聞いてない感が出る。
ブラインドタッチで顔を上げてゐたとしても、どこか心ここに非ず感が出る。
実際、心は入力(メモ)に向いてゐるからだ。
心は顔やオーラに出る。

ノートPC(メモ)禁止にすれば、
すべてをてめえの頭(心?)にメモライズせざるをえない。
グッと前傾姿勢になり、会話や議論に緊張感がみなぎる。
結果、名案が出やすい。コミュニケーションが濃くなる。
メモなりまとめは会議後、一人でやるがよい。

小林秀雄は取材や公演の録音を禁じた。
話し言葉を勝手に文字に起こして流布されるのを嫌つたのではない。
いや嫌った。てめえは物書きだから、書き言葉しか信用してほしくないといふことはあつた。
しかし、それは瑣末なことで、
話す際は何よりも今そこに居るその人とのコミュニケーションを欲したからだ。
テープレコーダーに向つて話をすることはご免だ。
君に伝へたいのだ。テープを切り、ペンを置きたまへ。






by ichiro_ishikawa | 2018-05-11 13:07 | 日々の泡 | Comments(0)