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煙草ノルスタルジア


喫煙ダメ法案みたいのが通つたとか通らないとか、風のうわさで聞いてるが、愛煙家にはいよいよ逆風だ。

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小学校の先生は授業中に煙草を吸つてゐて、生徒に灰皿係といふのがあつた。80年代だ。
部活のバスケでも試合中に監督の先生がくわえ煙草で指示や叱咤を繰り出してゐた。
父親には夜、タバコのお使ひを頼まれた。
父親の煙草の煙が家や車に充満してゐた。
マイルドセブンは現在のほぼ半額の270円だつた。
三丁目の夕日的なノスタルジーやもしれぬ。

煙草、喫煙といつた、嗜好品でありマナーに属する類のものを法律で縛るといふのはどうか。
国民が幼稚だからやむを得ないのだらうか。
本来、「思ひやり」だけを徹底して教えれば、すべて解決する問題のやうな気がする。思ひやり、もののあはれ、さういつた、目に見えない、マニュアル化出来ず教えづらい、しかし最も大事なことが、家庭や教育現場で蔑ろにされてゐるのかもしれない。かういふことは、親の背中を見て知るか、文学を読むしかない。

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今はなきキャメルマイルド。
これを超えるものはまだ出てゐない。



by ichiro_ishikawa | 2018-06-28 14:38 | 日々の泡 | Comments(0)  

ゲスバンバン新作ラッシュ


ゲスの極み乙女。ニューアルバム『好きなら問わない』からの先行配信シングル「オンナは変わる」


バンバンバザール最新アルバム『えとらんぜ』トレイラー



by ichiro_ishikawa | 2018-06-23 00:41 | 音楽 | Comments(0)  

リリー・フランキー小論


『おでんくん』『東京タワー』、そしてこの度の主演映画『万引家族』でのカンヌパルムドールにて、もはや超一流芸能人にまで上り詰めたリリー・フランキーだが、上り詰めた、成り上がつたといふ表現は、正確ではない。どころかむしろいちばんしてはいけない表現だ。
リリー・フランキーはいはゆる、成り上がるための努力は一切してゐないと思はれ、そこにこそリリーをリリー足らしめてゐる属性があるからである。

もちろん、人並みに向上心や、ビッグになりたい野心(矢沢を尊敬してもゐることは有名)はあるだらうし、努力だつてしてないことはないだらう。しかし、ここでいふのはさうした人並み程度の話ではなく、ガリガリと血眼でさうしたことをしてゐない、といふ意味である。

ふつう超一流芸能人になるためには、ガリガリと血眼で頑張つて、その上で運やらなんやらが入つてきた一部の人だけがそのステージに到達する。
さういふ、前提としての努力がリリーにはないから、上り詰めたといふ表現は不適当なわけだ。

リリーとの個人的な初接触は、1990〜91年ごろ。TBS深夜の『マージナルマン』に出演・構成してゐたのを見てはゐたのだが、当時はその風貌を知らなかつたため(基本、ウラの人だつた。実は今も)、その人をリリー・フランキーと同定したのは、エッセイスト、イラストレーターとして、洋楽誌『クロスビート』、情報誌『ぴあ』にて接した90年代前半であつた。
なるほど、比較的早くからのファンだつたと言へるが、『クロスビート』も『ぴあ』も当時すでに一流サブカル誌だつたし、深夜とは言へテレビ出演してゐるといふことは、リリーはそのずつと以前からどこかで活動をしてゐて、そこからの各大メディアへの抜擢であつたはずで、ボウイでいへば、デビュー後、ジギー前、のハンキードリーあたりで知つたといふことにならうか。

つまり何が言ひたいかと言へば、リリー・フランキーは、その初期から『おでんくん』『東京タワー』なみの作品をすでに書いていた、『万引家族』にも主演してゐた、といふことである。

初めから、何もしないでも、誰よりも頭がよく、誰よりも面白かつた。そして結果、カツコよかつた。
かういふ在り方の人間はたまに出てくる。前例で言へば、長嶋と矢沢だらう。巨人入団時から、キャロルデビュー時から、すでに長嶋は長嶋で矢沢は矢沢であつた。ただ2人と違ふ、決定的に違ふのは、リリーは天然ではないといふことだ。
この一点において、リリーは特異な存在である。
ゐるだけで成立する、その座が最高に面白いものになるといふこと、プラス、ツッコミや司会にも回れるといふ奇跡が、リリー・フランキーである。
これは天才といふ思考放棄のレッテルを貼らざるを得ない唯一の人間である。






by ichiro_ishikawa | 2018-06-21 16:01 | 文学 | Comments(0)  

緊急リリース 長渕剛「 Amen」


緊急リリース
長渕剛「 Amen」



by ichiro_ishikawa | 2018-06-20 09:32 | 音楽 | Comments(0)  

とんねるず1980-87年

とんねるずは、氷室の1こ下、布袋と同級生ということもあり、その全盛期のキャリアがBOØWYと時代を一にする。その軌跡を辿らん。


70年代〜1980年
(氷室、スピニッジパワー時代)
​「​
TVジョッキー
​」​、
「​
ドバドバ大爆弾
​」​

​石橋、「​
TVジョッキー
​」​
ザ・チャレンジ第3代チャンピオン獲得
​石橋、「​
TVジョッキー
​」​
ザ・チャレンジ第1回ウルトラチャンピオン大会にて初代ウルトラチャンピオン獲得
●1980年3月、
帝京高校卒業
​。
●1980年3月、
「​
ドバドバ大爆弾
​」​
(東京12チャンネル
​ ​
※初めて2人揃って出演。木梨はテレビ初出演)

●1980年4月
​、​
石橋はホテルセンチュリーハイアット、木梨はダイハツに就職。
​木梨、「​
TVジョッキー
​」​
ザ・チャレンジ第5代チャンピオン獲得

●『お笑いスター誕生!!』(「貴明&憲武」)。
​木梨、「​
TVジョッキー
​」​
ザ・チャレンジ第3回グランドチャンピオン大会にてグランドチャンピオン獲得




198
​1
(BOØWY結成時代)
『お笑いスター誕生!!』、『モーニングサラダ』、「ピョン吉・ロックンロール」
●1981年5月9日放送分『お笑いスター誕生!!』(「貴明&憲武」)
​に​
「貴明&憲武」から「とんねるず」改名で初出演
​(
プロとして再挑戦
​​、
10週目で落選)。
◼︎同番組担当の日本テレビ・赤尾プロデューサーの紹介で、赤坂のクラブ「コルドンブルー」におぼん・こぼんの後釜として所属。
●1981年、『お笑いスター誕生!!』ゴールデンルーキー賞『激突シリーズ』の15組にエントリー。決勝まで進むが、アゴ&キンゾーに敗れて、特別敢闘賞(事実上の第2位)に終わる。
●1981年、朝の情報番組『モーニングサラダ』(日本テレビ
​、司会西城秀樹
)にレギュラー出演
​(初レギュラー番組)​



●1981年8月25日、テレビアニメ『新・ど根性ガエル』の主題歌「ピョン吉・ロックンロール」を初のシングルとして発売。
●1981年9月11日、
​「​
JanJanサタデー
​」​
(静岡第一テレビ/静岡ローカル)


1982−83年
『MORAL』時代)
「オフィスAtoZ」
●1982年4月10日、『お笑いスター誕生!!』10週目に合格し、第6代グランプリ(その後も1983年末まで歌合戦などの企画や、グランプリ受賞者のネタ披露コーナーなどへ定期的に出演)。

◼︎西城秀樹の初代マネージャーだった秦野嘉王が設立した新事務所「オフィスAtoZ」の所属第一号タレントに。
●1982年7月11日
、「​
花王名人劇場
​」​
(関西テレビ)
●1982年7月25日
​、​
企画物シングル「ヤバシびっちな女(め)デイト・ナイト」リリース
​(徳間ジャパン)​

●「ヤングおー!おー!」(1982年、毎日放送)
●「お笑いベストテン」(1982年、テレビ東京)
●「アップルシティ500」(1982年10月 - 1983年5月、TBSテレビ)
●「爆笑!!ドットスタジオ」(1982年10月 - 1983年6月、テレビ朝日)
●「ザ・ヒットステージ」(1983年4月 - 1984年3月、TBSテレビ)
●1983年6月20日、「もっとものまねショー(フジテレビ) フジテレビ初出演。
●単発ドラマ「​
ぐうたらママ
​」​
(1983年7月4日、フジテレビ「月曜ドラマランド」枠)
●1983年10月18日、1984年10月9日、1985年10月8日、「ものまね王座決定戦 (フジテレビ「火曜ワイドスペシャル」枠)


1984年

『INSTANT LOVE』時代)
『オールナイトフジ』
●1983年12月、『オールナイトフジ』を皮切りにテレビ復帰。1984年1月に一旦降板。半年後の同年6月にレギュラーへと復帰。舎弟軍団“もっこりーず&ぺにーず”
​(
メンバーは古賀薬局、ボッキー潮田等
​)。​
●1984年、『第21回
​ ​
新春かくし芸大会』(フジ)出演。映画『南極物語』のパロディ。
●1984年9月3日、単発ドラマ「​あ!Myみかん
​」​
(フジ「月曜ドラマランド」枠)
●1984年11月1日、
​「​
世界の超豪華・珍品料理
​」​
(フジ)
●1984年11月4日、
​「​
お笑い秋の祭典
​」​
(TBS)
●1984年11月12日、単発ドラマ「​元祖おじゃまんが山田くん
​」​
(フジテレビ「月曜ドラマランド」枠)


1985年
(『BOØWY』時代)
​「一気!
」​、『夕やけニャンニャン』
、『​
コラーッ!とんねるず
​』​、
『とんねるずのオールナイトニッポン』
◇1984年12月5日
​、シングル「
一気!
​」。​
『オールナイトフジ』のほか、
『ザ・ベストテン』の「今週のスポットライト」
​、
『スーパージョッキー』
​(日本テレビ)、​
『オレたちひょうきん族』
​(1985年3月2日、フジ、横澤班)​、
夜のヒットスタジオ
​DELUXE​
​(フジ、1985年4月17日初登場)​
​も出演
●​1985年 - 1986年、
『深夜劇場・トライアングル・ブルー』(テレビ朝日
​)
●1985年1月10日、「TVオバケてれもんじゃ」(フジテレビ)第1話「ザンゲの神様 クラッシュも真っ青!!」

●1985年1月19日、『オールナイトフジ』内で『一気!』を歌唱中、石橋が箱型のテレビカメラ(東芝PK-31A)が載せられたペデスタル(雲台、昭特製作所製)を横倒しに。

●1985年2月11日、「幕末青春グラフィティ 福沢諭吉」(TBS)

●1985年2月23日、3月16日、『オールナイトフジ』女子高生スペシャル。

●1985年2月25日、森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ) 
●1985年3月11日、「おかわりシスターズ解散特別企画 アイドルを探せ!」(フジテレビ「月曜ドラマランド」枠)
◇1985年3月21日、LP『成増』
●​
1985年
​4月1日​
『夕やけニャンニャン』(フジテレビ、1985年 - 1987年)
​​

●1985年4月19日放送、ドラマ「うちの子にかぎって…」(TBS) 第2話「俗悪テレビ番組 文句あるなら云うてみい」
◇1985年4月21日、シングル「青年の主張」
●1985年5月31日放送、ドラマ「うちの子にかぎって…」(TBS) 第7話「キャプテン翼物語」
1985年7月7日、「コラーッ!とんねるず」(日本テレビ、- 1989年3月26日)


●1985年7月22日 - 9月16日、
​「​
EXPOスクランブル
​」​
(TBS)
​1985年
7月23日
、「​
とんねるずの子供は寝なさい!?
​」​
(日本テレビ、 - 9月17日。全4回)。
​1985年8月、ラジオ「​
とんねるずの一気スペシャル 天狗の友引大放送」(ニッポン放送)
◇1985年9月5日、シングル「雨の西麻布」
●1985年、「
ハーフムーン」(テレビ朝日)
​●1985年10月15日、
ラジオ「​
とんねるずのオールナイトニッポン」
火曜1部、ニッポン放送。
- 1992年10月13日)
●ラジオ「​
とんねるずの二酸化マンガンクラブ」(文化放送)

●ラジオ「​
とんねるずのちゃだわ王国」(TBS)

●ラジオ「も〜お たいへん とんねるず」(ニッポン放送) 

◇1985年11月1日、LP『仏滅そだち』 

●1985年12月3日・12月17日、FNS歌謡祭(フジ)



​1986年​
(『JUST A HERO』、『BEAT EMOTION』時代)
『とんねるずのみなさんのおかげです』
1​
986年1月21日、シングル「歌謡曲」
●1986年4月15日 - 7月22日、連続ドラマ「お坊っチャマにはわかるまい!」(TBSテレビ)
●1986年、ドラマ「ぶんぶくちゃがま(テレビ朝日)
◇1986年5月28日、シングル「やぶさかでない」
◇1986年8月5日、シングル「寝た子も起きる子守唄」


​1986年、映画『​
そろばんずく
​』​
(東宝)
1986年11月11日、「火曜ワイドスペシャル」
​で『とんねるずのみなさんのおかげです
PART1
​」​

◇1986年10月21日、シングル「人情岬」
●「徹子の部屋」(テレビ朝日) 出演
◇1986年12月28日、LP『キャニオン初』


​1987年
(『PSYCHOPATH』時代)
『ねるとん紅鯨団』
1987年2月25日
シングル「
嵐のマッチョマン」
◇1987年4月5日、シングル「迷惑でしょうが…」
●1987年4月7日、「火曜ワイドスペシャル」
​『とんねるずのみなさんのおかげです
PART
​2』
●1987年5月3日、「さんま・鶴瓶のラ・テ 二元生放送〜ヤンタン・とんねるず野球大会」(毎日放送/関西ローカル)
◇1987年6月5日、シングル「大きなお世話サマー」
●​1987年8月、
FNNニュース工場(フジテレビ)
​※​
夏休み中の佐々木信也とみのもんたの代行で出演
●スポーツワイド プロ野球ニュース(フジテレビ) ※佐々木信也、みのもんたの代行
●コムサ・DE・とんねるず(1986年 - 1987年、フジテレビ)
◇1987年9月17日、シングル「おらおら」
1987年10月、『ねるとん紅鯨団』(関西テレビ制作、フジテレビ系。『上海紅鯨団が行く』を引き継ぐ形でスタート)。
●1987年10月5日 - 11月9日、ドラマ「ギョーカイ君が行く!」(フジテレビ)
●1987年10月13日、「火曜ワイドスペシャル」
​で『とんねるずのみなさんのおかげです ​
PART3
​』

◇1987年10月21日、LP『河口湖』
●1987年12月17日、「青春を東海岸にかけた野郎たち! アメリカン・ランナウェイ」(日本テレビ「木曜スペシャル」枠)

​1988年​
(『LAST GIGS』時代)
◇1988年2月25日、シングル「炎のエスカルゴ」
●1988年3月8日、「火曜ワイドスペシャル」
​で『とんねるずのみなさんのおかげです
PART4
​』

●1988年3月30日、時間ですよスペシャル 春の女神がやって来た(TBSテレビ)
◇1988年4月29日、LP『428』
◇1988年7月6日、シングル「YAZAWA
​」

●1988年10月13日、『とんねるずのみなさんのおかげです』スタート。




by ichiro_ishikawa | 2018-06-17 17:23 | お笑い | Comments(0)  

聴き比べ「Don't Think Twice」



長渕 剛


Bob Dylan


Peter, Paul and Mary


Elvis Presley

Eric Clapton


Tedeschi Trucks Band




by ichiro_ishikawa | 2018-06-15 20:11 | 音楽 | Comments(0)  

テレビ導入



元来テレビつ子だし(特に1978〜88)、テレビといふのは概ねつまらんがそこそこ面白いので、ついてるとずつとダラダラ見てしまふといふことを知つてゐたため、その無駄な時間を、貴重な読書と思索にあてんとし、ほぼ20年近く「テレビをそも置かない」といふライフスタイルを実践してきたが、この2018年に、ついにテレビを導入してしまつた。

案の定、ジョンレノンのやうに帰宅するとまづテレビをつけてしまひ、見たくもねえのにダラダラずつとテレビ漬けである。
観るのは主にニュースとバラエティだが、それらはこのご時世、テレビでなくとも見られるので、やはりテレビの醍醐味はサッカー、野球、テニスといつたスポーツの生中継であらう。この20年は新聞の文字情報だけで追つてきたが、やはり生で動くものを観た方がよい。

サッカーワールドカップが始まつたらしいが、これまではテレビがないため情報もあまり入つて来ず、「あまり宣伝はせず、こつそり静かに始まつて終はる」といつた印象が強かつたかうした祭典が、実は前々から大々的に特集やら告知をやつた上で満を持してスタート、といふ立て付けになつてゐたことに、漸く気づいた次第だ。

そんなわけで20年ぶりにいはゆるラテ欄なるものを見るやうにもなつたが、配置が変はつてゐた。12ちゃんの位置にフジがあり、テレ朝や12ちゃんがセンター寄りになつてゐる。噂に聞いてゐたフジの低迷、テレ朝テレ東の躍進は、明らかにこのラテ欄の位置の影響だらう。右端といふのは目に入らない。なんか千葉テレビとかテレビ埼玉的に見てしまふ傾向は未だある。いまどきテレビを見るのは老人だけだらうから、いよいよさういふことだらう。

とはいへ、ワールドカップを生中継で観るのは1986年メキシコ大会以来32年ぶりで、少し楽しみだ。




by ichiro_ishikawa | 2018-06-15 13:16 | 日々の泡 | Comments(0)  

コステロ新曲はスクイーズのカバー

唐突にコステロがスクイーズの昔の曲をカバーしたニューシングルをリリースしたことで、俺界隈はいま騒然としてゐる。

「Someone eles's Heart」である。これは名盤中の超名盤、1981年、スクイーズ4枚目のアルバム『EastSide Story』の中の渋い佳曲だ。
コステロはこのアルバム全体のプロデュースを務めてゐるから、縁はあるどころか、深い関係がある。



しかしなぜ今この「Someone eles's Heart」か。
Apple Musicで配信されてゐる以外に情報がない。
推測欲を駆り立てる。次稿にてやる。

と思ったら、情報が見つかつた。


2018年のレコード・ストア・デイに合わせてエルヴィス・コステロが7インチ・シングルを限定リリース!彼がプロデュースしたスクイーズの名作『イースト・サイド・ストーリー』(1981年作)の発売30年目に当たる2011年にかねてよりコステロ・フリークを公言していたザ・ルーツのクエストラヴ、キャプテン・カーク、F・ナックルズ、オーウェン・ビドル、そしてレイモンド・アングリー(ロバート・ランドルフ&ザ・ファミリー・バンド)という異色のメンバーで『イースト・サイド・ストーリー』収録曲をカヴァーしながらもお蔵入りとなっていた貴重な音源をシングル・リリース! このセッションがきっかけとなりルーツとのコラボレーション・アルバム『ワイズ・アップ・ゴースト』(13年作)制作に繋がったというコステロの歴史の中でも重要なポイントを占める作品。初期のコステロ・サウンドを再現しているかのような軽快なロック・サウンドで、カップリングは同曲のインストゥルメンタルを収録。ジャケットはスクイーズのEP『45's And Under』(81年)のオマージュとなっており、コステロ・ファンだけでなくスクイーズ・ファン見逃せません! 

発売・販売元 提供資料 (2018/03/13)
とのこと。なるへそ。


by ichiro_ishikawa | 2018-06-12 00:53 | 音楽 | Comments(0)  

もうすぐこの僕も50歳

人の年齢を気にする方だ。

最初に意識したのは明石家さんま。
知つとるケのテーマで「今年で30、知つとるケのケ♪」と、30にもなつてこんなことやつてるといふ自嘲的(英語でいふサーカスティック)な歌をひょうきん族で歌つてゐて、当時中1ぐらいだつた俺は、さんまももう30かと普通の感想を持つた。

次は長渕で、「もうすぐこの僕も30歳。で、僕のギターにはいつもヘビーゲージ♪」と歌つてゐた。これは高校のときに少し後追いで聴いたのだが、長渕ももう30かとやはり普通の感想を持つた。

次はなんと西城秀樹だ。西城は俺が幼稚園とか小学校低学年のころ、つまり70年代のアイドルだが、1988年の夜ヒットに出た際、「33歳になつた」的な話をしていたのを、なぜか鮮明に憶えてゐる。そのとき17歳だつた俺は、あの西城ももうおじいちやんか…と思つたことも鮮明に憶えている。

次は氷室で、雑誌のインタビューか何かで30になつて変はつたことはと聞かれ、ヒゲが濃くなつたと答へてゐた。当時二十歳の俺は、氷室ももう30か、と普通の感想を持つた。

最後は福島康之だ。ライブのMCで「もうすぐ35になる」的なことを言つてゐて、衝撃を受けた。あの福島くんももうゴリゴリのおつさんじやないか…と、てめえもすでに30超えてゐたのにもかかはらず、哀しみを憶えた。

そんなわけでまづ30で若者ではなくなるといふ切なさ、33、35となるともはや誤魔化しのきかないれつきとしたおつさんであるといふ諦めのやうなものを感じてきたのだつた。

やはりロックだつたのだらう。ドントトラストオーヴァー30的価値観で生きてきた、そのターニングポイントに際して、戸惑つたのだらう。

そんな俺は今日47歳。35超えたあたりから年齢はどうでもよくなつたのでなんの感慨もない。
しかしよくよく考へると50マイナス3。なんか空恐ろしいことは否めない。
50といつたら後鳥羽上皇とかさういふイメージであるのに、当のてめえは15とか、いつても19ぐらいの感覚のままでゐるといふ。空恐ろしい。

47といへば、小林秀雄はすでに「無常といふこと」「モオツアルト」も出してゐて、重要な仕事は終へてゐる。これから近代絵画や考へるヒント、そして本居宣長へ向かつていくわけだ。
池田晶子にいたつては、なんと47を待たずしてま46でこの世を去つてゐる…。

早くしなければ。


by ichiro_ishikawa | 2018-06-07 02:07 | 日々の泡 | Comments(1)  

石橋の新番組「タイムトンネル」視聴


みなおか終了後、石橋が「タイムトンネル」なる番組をフジ深夜で始めた。石橋といへば吉川や氷室と並ぶと俺の小中学時代(80s)のアイドルなのだが、最近になつてはじめておもろいと知つて気にしてゐたミッツマングローブとのMC共演といふこともあり、YouTubeで毎回見てゐる。

石橋はすつかり大人しくなり80〜86年のパワーはもはやなく、声もハリがなくなつてゐる。しかしこれは経年劣化なのでやむを得ないし、そも往時にやつてゐたことは過剰なコンプライアンス遵守や弱者配慮といつた、いまの風潮においてはどうせ何もできないはずので、別段気にしない。

この番組は企画がよい。毎回ゲストを招き、テーマを立てて70〜80年代を懐かしむといふものだ。
おそらく40〜50代の男性だけが面白い。
それ以外の層には全く面白くないはずだ。だがいまの多価値観、タコツボ化のご時世においてはテレビとはいへこのぐらいのピンポイントな方がよいと思ふ。

リリー・フランキー(5月21日、勝手に語り継ぎたい『オレを熱くさせた昭和のオンナ』)、太田光(6月4日、勝手に語り継ぎたい『お笑い番組の細かいとこ』)の回がよかつた。

石橋と俺は10違ふため、石橋の青春時代は俺の幼少期なのだが、近所の兄ちやんたちの面白い話を聞いているやうで心地よい。幼少時の記憶もまた薄ら残つてゐるのでリアルであるし、それは俺の青春期と地続きなため興味深い。しかも聞き手のマングローブは俺と同世代だから俺の代理人として突つ込んでくれる。

そもそも石橋が何で好きかといへば、小学校時代に隣の悪ガキたちと殴り込みかけゴツコを一緒にやつてゐる感覚、あるひは中学時代の放課後の部活感覚で、番組を見られるからだつた。





by ichiro_ishikawa | 2018-06-06 14:08 | お笑い | Comments(0)