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松任谷(荒井)由実ベスト5


松任谷由実と向き合つたことが47年間なかつた。
とは言へ、向き合はずとも街やブラウン管から常に流れてゐたから(テレビ出演はあまりなかつたから大抵はカバー曲として)曲自体には馴染みがあつたし、何かと論じられてもゐて、特にその歌声は独特のものがあり、人並みに知つてはゐた。また松田聖子への楽曲提供や、石川ひとみ「まちぶせ」そして薬師丸ひろ子の超名曲「Woman Wの悲劇より」などで作曲家としてものすげえことも理解してゐた。
しかし、レコードやCDを買つたことは一度もなく、語つたこともない。興味を持つたことがなかつた。
それは多分、10代の頃、つまり80年代後半において、松任谷由実がチャラ大学生のマストアイテム的な存在になつてゐたことが大きな理由であると思はれる。ホイチョイ、『私をスキーに連れてって』、「恋人がサンタクロース」、ミッション系私大文系、芸大的な世界観が、そのアイコンが、地下室で手記をしたためてゐた浪人生にはあまりにも眩しすぎて、とても向き合へなかつた。

それがなぜ今ごろハマつてゐるのか。
きつかけはApple Musicである。
ユーミンのシングル盤を含む(ほぼ?)全カタログが配信されたのだ。
前述の通り向き合つてこそゐなかつたものの、結構いい曲もあると思つてはゐたといふレベル加減が、サブスプリクション(定額聴き放題)といふシステムにずつぱまつた。つまり、金を払ふほどではないがたまにはちよつと聴いてみてもいいといふ具合が、試し聴きに丁度よかつたのである。

端緒は唯一リアルタイムでシングル盤を買つたお気に入りの「守ってあげたい」を試しに聴いてみたことだ。そこからついでに、初期つまり荒井由実時代を紐解いてみた。するとこれが、実に名曲の宝庫であつたことに今更ながら気づいたのであつた。

なるほど佳曲の中でも「卒業写真」「中央フリーウェイ」はフォーク的センチメンタルに過ぎ、90年代のヒット曲「真夏の夜の夢」「春よ、来い」輪舞曲」なども文句なしに良い曲であるが口当たりがまろやか過ぎて、心に刺さらない。

それがだ。デビュー曲「返事はいらない」をはじめ、ファースト『ひこうき雲』、セカンド『MISSLIM』、3枚目『COBALT HOUR』までが実にヤバ過ぎた。ものすげかつた。

といふわけでここ二週間ほどずつと初期荒井由実ばかり聴いてゐて、このあたりでベストを整理してみたくなつた次第。
荒井由実、松任谷由実ベスト5

9位

「あの日にかえりたい」

75年10月5日



8位

「DESTINY」

1979年12月1日(『悲しいほどお天気』)



7位

「守ってあげたい」

1981年6月21日



6位

「やさしさに包まれたなら」

1974年4月20日   



6位

「少しだけ片思い」

1975年6月20日(『COBALT HOUR』)

1975年10月5日(「あの日にかえりたい」B面)



5位

「返事はいらない」  

1972年7月5日



4位

「ひこうき雲」

1973年11月5日



3位

「12月の雨」 

1974年10月5日



2位

「きっと言える」

1973年11月5日



1位

「ルージュの伝言」  

1975年2月20日




by ichiro_ishikawa | 2018-12-13 01:32 | 音楽 | Comments(0)  

松任谷由実 1972〜1997 ディスコグラフィ


18〜22歳 最強期
1972-76

返事はいらない、きっと言える、ひこうき雲、やさしさに包まれたなら、12月の雨、ルージュの伝言、少しだけ片想い、卒業写真、あの日にかえりたい、中央フリーウェイ


18歳

1972年7月5日

1st「返事はいらない/空と海の輝きに向けて」




19歳


1973年 春

山下達郎、シュガー・ベイブを結成。 9月21日、文京公会堂でのはっぴいえんどラスト・コンサート“CITY -Last Time Around-”にて、大滝詠一 & ココナツ・バンクのステージに、シュガー・ベイブ(山下・大貫・村松)としてバック・コーラスで参加。 


1973年11月5日

2nd「きっと言えるひこうき雲

荒井由実(vo,p)、細野晴臣(b,g)、松任谷正隆(kb)、鈴木茂(g)、林立夫(ds,perc)

1973年11月20日

1st『ひこうき雲』

ひこうき雲(「きっと言える」のB面曲)/曇り空/恋のスーパー・パラシューター/空と海の輝きに向けて(album version。デビューシングル「返事はいらない」のB面)きっと言える/ベルベット・イースター(後に荒井由実としてのラストシングル「翳りゆく部屋」のB面にシングル・カット)/紙ヒコーキ/雨の街を/返事はいらない(シングルとはアレンジ違ひ)/そのまま/ひこうき雲(デモテープの音源が短く収録)

ピアノ:荒井由実/ベース、ガットギター:細野晴臣/キーボード:松任谷正隆/ギター:鈴木茂/ドラム:林立夫/ナイロン・ストリングス・ギター:細野晴臣(A-1,A-5)/パーカッション:松任谷正隆(A-3)、鈴木茂(A-3)、林立夫(A-3,A-5,B-4)、小原礼(B-4)/バンジョー:松任谷正隆(B-5)/フルート:宮沢昭(A-2)/コーラス:松任谷正隆(A-2)、Singers Three(A-3)、荒井由実(B-4)/テナー・サックス:西条孝之介(A-5)/スチール・ギター:駒沢裕城(B-2,B-5)/ハンドクラッピング:レコーディング・スタッフ(B-1)

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山下達郎、12月17日、シュガー・ベイブのデビューコンサート“Hello! We are SUGAR BABE”を青山タワーホールにて行う。 

1974年 1月頃からCM音楽の仕事や、スタジオでのコーラス・ワークの活動を始める。



20歳

1974年4月20日

3rd「やさしさに包まれたなら/魔法の鏡」


山下達郎、10月、シュガー・ベイブの所属レコード会社が大瀧のナイアガラ・レーベルに決定。


1974年10月5日

4th「12月の雨/瞳を閉じて」

2nd『MISSLIM (ミスリム)』

生まれた街で/瞳を閉じて(シングル「12月の雨」B面)やさしさに包まれたなら(album version) /海を見ていた午後/12月の雨 /あなただけのもの/魔法の鏡(album version。シングル「やさしさに包まれたなら」B面曲)/たぶんあなたはむかえに来ない/私のフランソワーズ/旅立つ秋

キーボード:松任谷正隆/ドラム:林立夫/ベース、カウベル(A-1):細野晴臣/エレクトリック・ギター:鈴木茂/パーカッション:林立夫(A-1,A-2,A-4,B-1,B-3)、斉藤ノブオ(A-1,B-1)、細野晴臣(A-1,A-5)/フラット・マンドリン:松任谷正隆(B-2)/フルート:清水万紀夫(A-2)/アコースティック・ギター:吉川忠英(A-2,A-3,A-5)、瀬戸龍介(B-5)/12弦ギター:鈴木茂(A-5)、瀬戸龍介(A-3,B-5)/ペダル・スチール・ギター:駒沢裕城(コマコ)(A-3)/コーラス:荒井由実(A-3)、Sugar Babe(A-1,A-2,A-5,B-3)吉田美奈子(A-1,B-1,B-3)山下達郎(B-1)、鈴木顕子(B-1)、大貫妙子(B-1)

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21歳

1975年2月5日

ハイ・ファイ・セット「卒業写真」(作詞作曲) 


1975年2月20日

5th「ルージュの伝言/何もきかないで」


1975年6月20日

3rd『COBALT HOUR』

COBALT HOUR/卒業写真(ハイ・ファイ・セットへの提供曲)/花紀行/何もきかないで(シングル「ルージュの伝言」B面)ルージュの伝言航海日誌/CHINESE SOUP/少しだけ片想いコーラス男声は山下達郎、女声は吉田美奈子。後に6枚目のシングル「あの日にかえりたい」のB面へシングルカット)雨のステイション「ステイション」はJR青梅線の西立川駅)アフリカへ行きたい

エレクトリック・ベース:細野晴臣/エレクトリック・ギター、アコースティックギター:鈴木茂/ドラム:林立夫/アコースティック・ピアノ、フェンダー・ローズ・ピアノ、クラヴィネット、モーグ・シンセサイザー、ハモンドオルガン:松任谷正隆/パーカッション:斉藤ノブ/ハーモニカ:松田幸一/フィドル:松任谷愛介/バリトン・サックス:原田忠幸/トランペット:福島てるよし、篠原国俊/トロンボーン:新井英治& his fellows/ストリングス:玉野嘉久& his fellows/フルート:山田やすひろ、早樫じゅんじ、相馬充 ハープ:今道美樹子/コーラス:ハイ・ファイ・セット、吉田美奈子、大貫妙子、山下達郎、伊集加代子

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1975年8月1日

バンバン「『いちご白書』をもう一度」(作詞作曲)


1975年10月5日

6th「あの日にかえりたい少しだけ片想い


1975年11月25日

ティン・パン・アレー「月にてらされて」(作詞)



22歳

1976年3月5日

7th翳りゆく部屋ベルベット・イースター


1976年6月25日

三木聖子「まちぶせ」(作詞作曲)


1976年6月20日『YUMING BRAND』ベストアルバム

あの日にかえりたい(アルバム初収録)/少しだけ片想い(『COBALT HOUR』より)/やさしさに包まれたなら(single version) アルバム初収録)魔法の鏡(single version。アルバム初収録)/ルージュの伝言(『COBALT HOUR』より)/12月の雨(『MISSLIM』より)/瞳を閉じて(『MISSLIM』より)/きっと言える(『ひこうき雲』より)/ ベルベット・イースター(『ひこうき雲』より)/翳りゆく部屋(album mix。アルバム初収録)


1976年11月20日

4th『The 14th Moon』

さざ波/14番目の月/さみしさのゆくえ /朝陽の中で微笑んで(1976年、ハイ・ファイ・セットへの提供曲)中央フリーウェイ/何もなかったように/天気雨/避暑地の出来事/グッド・ラック・アンド・グッド・バイ(岡崎友紀への提供曲)/晩夏(ひとりの季節) 

キーボード : 松任谷正隆/ピアノ : 荒井由実(B-1)/ドラム : Mike Baird/スチールドラム : 細野晴臣/パーカッション : 斎藤ノブ/エレクトリック・ギター : 松原正樹鈴木茂/アコースティック・ギター&バンジョー&12弦ギター : 瀬戸龍介/スティール・ギター : 駒沢裕城/ベース : Leland Sklar/コーラス : 山下達郎吉田美奈子大貫妙子尾崎亜美、タイム・ファイブ、Corporation Three

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23〜27歳  松任谷由実時代

1977-81

Destiny、恋人がサンタクロース、守ってあげたい


23歳  1977

1977年5月5日

8th「潮風にちぎれて/消灯飛行」 


1977年11月5日

9th「遠い旅路/ナビゲイター」


1977年12月25日『ALBUM』ベストアルバム

遠い旅路/中央フリーウェイ(『14番目の月』より)/グッド・ラック・アンド・グッドバイ(『14番目の月』より)/曇り空(『ひこうき雲』より)/ナビゲイター/卒業写真(『COBALT HOUR』より)/海を見ていた午後(『MISSLIM』より)潮風にちぎれて/生まれた街で(『MISSLIM』より)/ 消灯飛行



24歳  1978

1978年3月5日

10th「ハルジョオン・ヒメジョオン/罪と罰」

5th『紅雀』

録音 1977年9月 - 1978年1月

9月には帰らない/ハルジョオン・ヒメジョオン/私なしでも/地中海の感傷/紅雀/罪と罰/出さない手紙/白い朝まで/LAUNDRY-GATEの想い出/残されたもの

キーボード&フラットマンドリン:松任谷正隆/ドラム:林立夫/パーカッション:斉藤ノブ/ベース:高水健司細野晴臣/エレクトリック・ギター:鈴木茂松原正樹/アコースティック・ギター:Ted M. Gibson

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1978年7月20日

11th「入江の午後3時/静かなまぼろし」


1978年10月5日

12th「埠頭を渡る風/キャサリン」


1978年11月5日

6th流線形'80

録音  1978年5月~1978年9月

ロッヂで待つクリスマス/埠頭を渡る風/真冬のサーファー/静かなまぼろし魔法のくすり/キャサリン/Corvett 1954/入江の午後3時/かんらん車/12階のこいびと

キーボード:松任谷正隆/ドラム:林立夫、渡嘉敷祐一/パーカッション:斉藤ノブ、Larry須永、Pecker/ベース:高水健司/エレクトリック・ギター:鈴木茂松原正樹山下達郎/アコースティック・ギター:鈴木茂松原正樹、Ted M.Gibson

コーラス:松任谷由実、来生たかお(7)山下達郎(3)、尾形道子、槇みちる、井上知子

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25歳  1979

1979年6月20日

13th「帰愁/稲妻の少女」


1979年7月20日

7th『OLIVE』

録音 1979年4月 - 6月

未来は霧の中に/青いエアメイル/ツバメのように/最後の春休み/甘い予感/帰愁/冷たい雨/風の中の栗毛/稲妻の少女/りんごのにおいと風の国

キーボード&マンドリン:松任谷正隆/ドラム:林立夫村上"ポンタ"秀一高橋幸宏/パーカッション:斉藤ノブ、Pecker/ベース:細野晴臣小原礼高水健司/エレクトリックギター:松原正樹今剛/アコースティックギター:Ted M. Gibson

コーラス : 松任谷由実、山下達郎吉田美奈子、和田夏代子

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1979年12月1日

8th『悲しいほどお天気(The Gallery in My Heart)』

録音 1979年9月 - 10月

ジャコビニ彗星の日/影になって/緑の町に舞い降りて/DESTINY/丘の上の光/悲しいほどお天気 -The Gallery in My Heart-/気ままな朝帰り/水平線にグレナディン/78/さまよいの果て波は寄せる

キーボード:松任谷正隆/ドラム&ティンパニ:林立夫/パーカッション:斎藤ノブ、小野寺武/ベース:高水健司、宮下圭介(B-2)/エレクトリック・ギター:松原正樹、今剛(A-1,B-1,B-4)、鈴木茂(3,4,5,6,7,8,9)/スティール・ギター:尾崎孝/アコースティックギター:吉川忠英、松原正樹(6) 8弦ウクレレ:吉川忠英

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26歳  1980

1980年3月20日

14th「ESPER/よそゆき顔で」


1980年5月21日

15th「白日夢・DAY DREAM/ためらい」


1980年6月21日

9th『時のないホテル』

セシルの週末/時のないホテル/Miss Lonely/雨に消えたジョガー/ためらいよそゆき顔で/5cmの向う岸/コンパートメント/水の影

キーボード : 松任谷正隆/ドラム:林立夫、青山純、渡嘉敷祐一/パーカッション:斎藤ノブ/ベース:高水健司、後藤次利/エレクトリック・ギター:松原正樹、鈴木茂、今剛/アコースティック・ギター:吉川忠英、安田裕美/マンドリン:吉川忠英

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1980年8月5日

16th「星のルージュリアン/12階のこいびと」


1980年10月10日

山下久美子「ワンダフル Cha-Cha」(作詞)


1980年12月1日

10th『SURF&SNOW』

彼から手をひいて/灼けたアイドル/人魚になりたい /まぶしい草野球/ワゴンに乗ってでかけよう/恋人がサンタクロース/シーズン・オフの心には/サーフ天国、スキー天国/恋人と来ないで/雪だより

キーボード: 松任谷正隆、新川博/ドラム:林立夫/パーカッション:斉藤ノブ、Pecker/ベース:高水健司/エレクトリック・ギター:松原正樹、今剛、椎名和夫/アコースティック・ギター:吉川忠英、安田裕美、松原正樹/スチール・ギター:今剛/ウクレレ:吉川忠英/アコーディオン:松任谷正隆

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27歳  1981

1981年5月21日

11th『水の中のASIAへ』12インチEP

録音 1981年3月9日~3月19日

スラバヤ通りの妹へ/HONG KONG NIGHT SIGHT/大連慕情/わき役でいいから

キーボード: 松任谷正隆、中西康晴/ドラム:林立夫、島村英二/パーカッション:斎藤ノブ、浜口茂外也/ベース:後藤次利、岡沢茂/エレクトリック・ギター:松原正樹、鈴木茂/アコースティック・ギター:吉川忠英、松原正樹/スティール・ギター:尾崎孝

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1981年6月21日

17th「守ってあげたい/グレイス・スリックの肖像」


1981年11月1日

18th「夕闇をひとり/A HAPPY NEW YEAR」

12th『昨晩お会いしましょう』

録音 1981年3月 - 9月

タワー・サイド・メモリー/街角のペシミスト/ビュッフェにて/夕闇をひとり守ってあげたい/カンナ8号線/手のひらの東京タワー/グレイス・スリックの肖像/グループ/A HAPPY NEW YEAR

キーボード:松任谷正隆/ドラム:林立夫、島村英二/ベース:高水健司、岡沢茂/エレクトリック・ギター:松原正樹、杉真理(6)/アコースティック・ギター:松原正樹、吉川忠英、瀬戸龍介/パーカッション:斉藤ノブ、Pecker

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28〜30歳 アイドルに名曲提供時代

1982-84

松田聖子・原田知世・薬師丸ひろ子


28歳  1982

1982年1月21日

松田聖子「赤いスイートピー」(作曲)

1982年4月21日

松田聖子「渚のバルコニー」(作曲)


1982年6月21日

13th『PEARL PIERCE』

録音 1982年1月 - 5月

ようこそ輝く時間へ/真珠のピアス/ランチタイムが終わる頃/フォーカス/夕涼み/私のロンサム・タウン/DANG DANG/昔の彼に会うのなら/消息/忘れないでね

キーボード: 松任谷正隆/ギター:松原正樹、鈴木茂/ベース:高水健司/ドラム:林立夫、島村英二/パーカッション:斎藤ノブ、浜口茂外也

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1982年7月21日

松田聖子「小麦色のマーメイド」(作曲)



29歳  1983

1983年1月31日

インタビュー集『ルージュの伝言』(角川書店)


1983年2月3日

松田聖子「秘密の花園」(作曲)


1983年2月21日

14th『REINCARNATION』

REINCARNATION/オールマイティー/NIGHT WALKER/星空の誘惑/川景色/ESPER(album version)/心のまま/ずっとそばに/ハートはもうつぶやかない/経(ふ)る時

ドラム:林立夫/ベース:高水健司/キーボード:松任谷正隆/エレクトリック・ギター:安藤まさひろ、今剛、松原正樹、鈴木茂/アコースティック・ギター:瀬戸龍介、吉川忠英/パーカッション:浜口茂外也、斎藤ノブ、Pecker

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1983年4月21日

原田知世「時をかける少女」(作詞作曲)


1983年7月25日

原田知世「ダンデライオン〜遅咲きのたんぽぽ」(作詞作曲)


1983年8月25日

19th「ダンデライオン〜遅咲きのたんぽぽ/時をかける少女」


1983年10月28日

松田聖子「瞳はダイアモンド」(作曲)


1983年12月1日

15th『VOYAGER』

ガールフレンズ/結婚ルーレット/ダンデライオン〜遅咲きのたんぽぽ青い船で/不思議な体験/ハートブレイク/TYPHOON/TROPIC OF CAPRICORN/私を忘れる頃/時をかける少女

キーボード:松任谷正隆/ドラム:林立夫/ベース:高水健司/エレクトリック・ギター:松原正樹/アコースティック・ギター:瀬戸龍介、吉川忠英/パーカッション:斎藤ノブ

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30歳 1984

1984年2月1日

20th「VOYAGER〜日付のない墓標〜/青い船で」


1984年2月1日

松田聖子「Rock'n Rouge」(作曲)


1984年4月21日

小林麻美「雨音はショパンの調べ」(日本語詞)


1984年4月28日

稲垣潤一「オーシャン・ブルー」(作詞作曲)


1984年5月10日

松田聖子「時間の国のアリス」(作曲)


1984年10月24日

薬師丸ひろ子「Woman "Wの悲劇"より」(作曲)


1984年12月1日

16th『NO SIDE』

SALAAM MOUSSON SALAAM AFRIQUE/ノーサイド/DOWNTOWN BOY/BLIZZARD/一緒に暮らそう/破れた恋の繕(なお)し方教えます/午前4時の電話/木枯らしのダイアリー/SHANGRILAをめざせ/〜ノーサイド・夏〜空耳のホイッスル 

キーボード:松任谷正隆/ドラム:林立夫/ベース:高水健司、Louis Johnson/エレクトリックギター:松原正樹、鳥山雄司/アコースティックギター:瀬戸龍介/パーカッション:斎藤ノブ、浜口茂外也

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31〜43歳 大御所として…

1985-97

SWEET DREAMS、リフレインが叫んでるANNIVERSARY、真夏の夜の夢、春よ、来い、輪舞曲(ロンド)


31歳

1985年8月1日

21st「メトロポリスの片隅で/パジャマにレインコート」

1985年11月30日

17th『DA・DI・DA』

もう愛は始まらない/2人のストリート/BABYLON/SUGAR TOWNはさよならの町/メトロポリスの片隅で(21枚目のシングル。1988年TBS系『意外とシングルガール』主題歌)/月夜のロケット花火/シンデレラ・エクスプレス/青春のリグレット(1984年麗美への提供曲)/たとえあなたが去って行っても

ベース:高水健司ドラム:林立夫、Mike Bairdギター:松原正樹キーボード: 松任谷正隆パーカッション:斎藤ノブ、浜口茂外也 

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32歳

1986年11月29日

18th『ALARM à la mode』

Holiday in Acapulco/ジェラシーと云う名の悪夢/パジャマにレインコート(21枚目のシングルで前作アルバム『DA・DI・DA』収録「メトロポリスの片隅で」のB面)/白い服、白い靴/土曜日は大キライ/ホライズンを追いかけて〜L'aventure au désert /Autumn Park/20minutes/3-Dのクリスマスカード (1985年に森下恵理に呉田軽穂名義で作曲提供した「トワイライト」が原曲)/さよならハリケーン

キーボード : 松任谷正隆/ドラム : 山木秀夫、林立夫、江口信夫/ベース : 高水健司/アコースティックギター : 松原正樹/エレクトリックギター : 松原正樹、今剛/パーカッション : 斉藤ノブ

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1986年12月24日

桑田佳祐 & His Friends「Kissin' Christmas(クリスマスだからじゃない)」(作詞、日本テレビ系「Merry Xmas Show」テーマソング)   


33歳

1987年11月5日

22nd「SWEET DREAMS/SATURDAY NIGHT ZONBIES」


1987年12月5日

19th『ダイアモンドダストが消えぬまに (before the DIAMONDDUST fades...) 

月曜日のロボット/ダイアモンドダストが消えぬまに/思い出に間にあいたくて/SWEET DREAMS (22作目のシングル)/TUXEDO RAIN/SATURDAY NIGHT ZOMBIES(SWEET DREAMSのB面)/続 ガールフレンズ/ダイアモンドの街角/LATE SUMMER LAKE/霧雨で見えない 

キーボード:松任谷正隆/ドラム:江口信夫(A-1,B-1)、John Robinson(A-2,A-3,B-2,B-5)/ベース:Abraham Laboriel(A-1,A-5,B-4,B-5)/ギター:松原正樹(A-1〜B-2,B-5)、今剛(B-4)/パーカッション:斉藤ノブ

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34歳

1988年11月26日

20th『Delight Slight Light KISS』

リフレインが叫んでる/Nobody Else/ふってあげる/誕生日おめでとう/Home Townへようこそ/とこしえにGood Night(夜明けの色)/恋はNo-return/幸せはあなたへの復讐/吹雪の中を/September Blue Moon

キーボード: 松任谷正隆/ドラム : John Robinson(#2,#3,#6)、江口信夫(#5,#7)、シンクラヴィアD.A.S.(#1,#2,#4,#5,#7~#9,#10)/ベース : Abraham Laboriel(#6)/ギター : 松原正樹(#1,#2,#5~#7,#9,#10)、市川祥治(#1,#2,#5,#8)/パーカッション : Alex Acuña(#3,#6,#10)、斉藤ノブ(#4)

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35歳

1989年6月28日

23rd「ANNIVERSARY〜無限にCALLING YOU/ホームワーク」

1989年11月25日

21st『LOVE WARS』

Valentine's RADIO/WANDERERS/LOVE WARS/心ほどいて/Up townは灯ともし頃/トランキライザー/ホームワーク(23枚目のシングル「ANNIVERSARY」のB面曲)/届かないセレナーデ/Good-bye Goes by/ANNIVERSARY(23枚目のシングルのalbum mix)

キーボード: 松任谷正隆/ドラム : 江口信夫(#1,#2,#5,#6,#8)、Harvey Mason(#4,#8,#9)/ ベース : Abraham Laboriel(#4,#6,#8) /エレクトリック・ギター : 松原正樹/アコースティック・ギター : 吉川忠英(#4)/パーカッション : Luis Conte(#1,#2,#3,#8)

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36歳

1990年11月23日

22nd『天国のドア(THE GATES OF HEAVEN)』


37歳

1991年11月22日

23rd『DAWN PURPLE』


38歳

1992年11月27日

24th『TEARS AND REASONS』


39歳

1993年11月26日

25th『U-miz(ユーミッズ)』

1993年7月26日

24th「真夏の夜の夢/風のスケッチ」


40歳

1994年7月27日

25th「Hello, my friend/Good-bye friend」

1994年10月24日

26th「春よ、来い

1994年11月25日

26th『THE DANCING SUN』


41歳

1995年2月20日

「命の花/砂の惑星」発売中止

1995年11月13日

27th「輪舞曲(ロンド)/Midnight Scarecrow」

1995年12月1日

27th『KATHMANDU(カトマンドゥ)』


42歳〜43歳

1996年7月15日

28th「まちぶせ」※セルフカバー

1996年10月16日

29th「最後の嘘/忘れかけたあなたへのメリークリスマス」


1997年1月29日

30th「告白/Moonlight Legend」

1997年2月28日

28th『Cowgirl Dreamin'』


by ichiro_ishikawa | 2018-12-12 12:20 | 音楽 | Comments(1)  

ものすごいショット

ものすごいショット
昔のテレビの演出はすげえ。美術とか照明スタッフとかか。八代亜紀の髪、衣装、メイク、終始俯き加減の歌い方。

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八代亜紀「舟歌」
夜のヒットスタジオでの歌唱のエンディング。



by ichiro_ishikawa | 2018-12-09 00:23 | 音楽 | Comments(0)  

感想 2018師走


よく上の世代の古さやダサさを小馬鹿にする下の世代がゐるが、これは、下の世代の自己保身でもあり、
いづれにせよ、同じ穴のムジナだ。どちらも「オレ」がいちばんかわいい。

たとへば、
「リアルタイムの俺としてはな、クイーンはロックユーでなくて、何々だよ」
と、にわかファンに一席ぶつた上の世代に、
「いやいや知らないから。どつちでもいいから。フラットだから。あんたのウンチクとか青春は聞いてないから。今でしよ」
と下の世代は吐き捨てがちだ。

かういう(心の中も込みの)やりとりは、あまり愉快ではない。
上の世代も始末に負へないが、下の(心中の)返しも、「てめえのスタイルを邪魔されたくない、価値を押し付けられたくない」といふ保身でガチガチである。一度無理やり価値を押し付けられてみるがよい。てめえのスタイルなんてものは犬も食はないといふことを一度思い知つた方がよい。
また、下の世代はてめえが上になつても「ああはなるまい」と必ず思ふ。しかし所詮同類だから、これも必ず「ああなる」。

したがつて、上の世代の発言を改定することはできないから、下の世代の模範回答は本来かうだ。

上「クイーンはロックユーでなくて、何々だよ」
下「へえさうなんですか! 今度Apple Musicで聴いてみます」
上「バカヤロウ、アナログレコードで聴けよ、音が全然違ふんだから。せめてCDで」
下「はい、レコードかCDで聴いてみます」
上「さうしろ、すげえから」

だ。
このぐらゐ無駄で、表層でよい。




by ichiro_ishikawa | 2018-12-06 02:34 | 日々の泡 | Comments(0)  

この人がもう帰るので

久しぶりにファミレスでランチをとるフリをして人間観察をしてゐると、次の発言が耳をついた。

「こちらの席も空いてますし…この人がもう帰るのでここでもいいです」

かういふ場所では聞きなれないフレーズゆゑ、何事かと思はず顔をあげると、例のウエイトレスであつた。久々で油断してゐたが、相変わはらず強い存在感を放つてゐる。かつアラレちゃんみたいな眼鏡をかけてゐた(確かこれまではそも眼鏡をかけてなかつた)。

ちなみに、帰らんとしてゐたその人はボーツと生きてるのか、このものすごいフレーズに気づかず、ふつうに席を後にしてゐた。



by ichiro_ishikawa | 2018-12-05 14:34 | 日々の泡 | Comments(0)  

決定版 日本の名曲・名唱 2018


ちあきなおみ 喝采

1972年9月10日

作詞:吉田旺/作曲:中村泰士



荒井由実  ルージュの伝言

1975年2月20日

作詞・作曲:荒井由実



八代亜紀  舟歌

1979年5月25日

作詞:阿久悠/作曲:浜圭介



山口百恵  さよならの向う側

1980年8月21日

作詞:阿木燿子/作曲:宇崎竜童

山下達郎  クリスマス・イブ

1983年12月14日

作詞・作曲:山下達郎



大沢誉志幸 そして僕は途方に暮れる
1984年9月21日
作詞:銀色夏生/作曲:大沢誉志幸


井上陽水  いっそセレナーデ

1984年10月24日

作詞・作曲:井上陽水



薬師丸ひろ子  Woman "Wの悲劇"より

1984年10月24日

作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂



稲垣潤一  バチェラー・ガール

1985年7月1日

作詞:松本隆/作曲:大滝詠一



長渕剛 少し気になったBreak Fast

1986年10月22日

作詞・作曲:長渕剛



中森明菜  Blonde

1987年6月3日

作詞・ 作曲:Biddu-Winston Sela/麻生圭子(日本語詞)



氷室京介 Memories of Blue

1992年11月7日

作詞:松井五郎/作曲:氷室京介



キリンジ  エイリアンズ

2000年10月12日

作詞・作曲:堀込泰行




by ichiro_ishikawa | 2018-12-04 22:27 | 音楽 | Comments(0)  

松任谷由実 名曲集 80-90s


1980年6月21日

『時のないホテル』


1980年12月1日

『SURF&SNOW』

恋人がサンタクロース



1981年4月21日

まちぶせ  石川ひとみ

(作詞・作曲:荒井由実)



1981年5月21日

『水の中のASIAへ』


1981年6月21日

守ってあげたい

(1981年11月1日『昨晩お会いしましょう』)

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1981年11月1日

『昨晩お会いしましょう』


1982年1月21日

赤いスイートピー  松田聖子

(作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂)



1982年4月21日

渚のバルコニー  松田聖子

(作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂)



1982年6月21日

『PEARL PIERCE』


1982年7月21日

小麦色のマーメイド  松田聖子

(作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂)



1982年12月5日

恋人がサンタクロース 松田聖子

(アルバム  『金色のリボン』)



1983年2月3日

秘密の花園  松田聖子

(作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂)



1983年2月21日

『REINCARNATION』


1983年4月21日

時をかける少女  原田知世

(作詞・作曲:荒井由実)



1983年8月25日

ダンデライオン〜遅咲きのたんぽぽ/時をかける少女

(1983年12月1日『VOYAGER』)


1983年10月28日

瞳はダイアモンド 松田聖子

(作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂)



1983年12月1日

『VOYAGER』


1984年2月1日

VOYAGER〜日付のない墓標〜


1984年2月1日

Rock'n Rouge/ボン・ボヤージュ  松田聖子

(作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂)



1984年4月21日

雨音はショパンの調べ  小林麻美 with C-POINT

作詞・作曲:Gazebo, P.Giombini/日本語詞:松任谷由実



1984年5月10日

時間の国のアリス  松田聖子

作詞: 松本隆/作曲: 呉田軽穂



1984年10月24日

Woman Wの悲劇より  薬師丸ひろ子

作詞: 松本隆/作曲: 呉田軽穂



1984年12月1日

『NO SIDE』


1985年11月30日

『DA・DI・DA』


1986年11月29日

『ALARM à la mode』

土曜日は大キライ



1987年11月5日

SWEET DREAMS

(1987年12月5日『ダイアモンドダストが消えぬまに (before the DIAMONDDUST fades...)』)



1987年12月5日

『ダイアモンドダストが消えぬまに (before the DIAMONDDUST fades...)』


1988年11月26日

『Delight Slight Light KISS』

リフレインが叫んでる



1989年11月25日

『LOVE WARS』

ANNIVERSARY



1990年11月23日

『天国のドア(THE GATES OF HEAVEN)』


1991年11月22日

『DAWN PURPLE』


1992年11月27日

『TEARS AND REASONS』


1993年7月26日

真夏の夜の夢

(1993年11月26日『U-miz』)



1993年11月26日

『U-miz』


1994年10月24日

春よ、来い

(1994年11月25日『THE DANCING SUN』)



1994年11月25日

『THE DANCING SUN』


1995年11月13日

輪舞曲(ロンド)

(1995年12月1日『KATHMANDU』)



1995年12月1日

『KATHMANDU』


1996年7月15日

まちぶせ

(1997年2月28日『Cowgirl Dreamin' 』)



1997年2月28日

『Cowgirl Dreamin' 』


2003年12月17日

セルフカヴァーアルバム

『Yuming Compositions : FACES』

雨音はショパンの調べ

瞳はダイアモンド

Woman "Wの悲劇"より

やさしさに包まれたなら(荒井由実時代=シングルヴァージョンの歌声とデュエット)



by ichiro_ishikawa | 2018-12-03 15:58 | 音楽 | Comments(0)  

荒井由実 名曲集 70s


1972年7月5日  18歳

返事はいらない

(1973年11月20日『ひこうき雲』)

プロデュース:かまやつひろし/演奏:高橋幸宏、ガロ、BUZZ、小原礼



1973年11月5日  19歳

きっと言える/ひこうき雲

(1973年11月20日『ひこうき雲』)




1973年11月20日  19歳

『ひこうき雲』

ピアノ:荒井由実/ベース、ガットギター:細野晴臣キーボード:松任谷正隆ギター:鈴木茂ドラム:林立夫

ナイロン・ストリングス・ギター:細野晴臣(A-1「ひこうき雲」,A-5「きっと言える」)パーカッション:松任谷正隆(A-3「恋のスーパー・パラシューター」)、鈴木茂(A-3)、林立夫(A-3,A-5,B-4「返事はいらない」)、小原礼(B-4)バンジョー:松任谷正隆(B-5「そのまま」)フルート:宮沢昭(A-2)コーラス:松任谷正隆(A-2「曇り空」)、Singers Three(A-3)、荒井由実(B-4)テナー・サックス:西条孝之介(A-5「きっと言える」スチール・ギター:駒沢裕城(B-2「紙ヒコーキ」,B-5)ハンドクラッピング:レコーディング・スタッフ(B-1「ベルベット・イースター」)


1974年4月20日  20歳

やさしさに包まれたなら

(1974年10月5日『MISSLIM』)

演奏:キャラメル・ママ(細野晴臣、鈴木茂 松任谷正隆林立夫)



1974年10月5日  20歳

12月の雨

(1974年10月5日『MISSLIM』)

バックコーラス:山下達郎、大貫妙子



1974年10月5日  20歳

『MISSLIM』


1975年2月20日  21歳

ルージュの伝言

(1975年6月20日『COBALT HOUR』)

平野融(b)、 大野久雄(g)、 平野肇(ds)、 吉原真紀子(kb)、 山下達郎(cho)、 大貫妙子(cho)、 吉田美奈子(cho)、 伊集加代子(cho)



1975年6月20日  21歳

『COBALT HOUR』

卒業写真



1975年8月1日  21歳

『いちご白書』をもう一度  バンバン

(作詞・作曲:荒井由実)



1975年10月5日  21歳

あの日にかえりたい



1976年6月25日  22歳

まちぶせ  三木聖子

(作詞・作曲:荒井由実)




1976年11月20日  22歳

『The 14th Moon(14番目の月)』

中央フリーウェイ



1978年3月5日  24歳

『紅雀』


1978年11月5日  24歳

『流線形'80』


1979年7月20日  25歳

『OLIVE』

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1979年12月1日  25歳

『悲しいほどお天気(The Gallery in My Heart)』

DESTINY






by ichiro_ishikawa | 2018-12-03 01:49 | 音楽 | Comments(0)  

連載 日本のロック史 60〜70年代 (11 最終回)九州ロックシーン

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TH eROCKERS

陣内孝則:ボーカル

谷信雄ギター。1977年加入。

鶴川仁美ギター。1981年12月脱退。

穴井仁吉ベース。1981年12月脱退

橋本潤ベース。1982年1月加入。

船越祥一ドラムス


1976年

陣内が高校2年生の時に福岡で結成。

1979年

福岡でのアマチュアバンド向けのコンテストで優勝

1980年

アルバム『WHO TH eROCKERS』でデビュー。その後、石井聰互監督の映画『爆裂都市 BURST CITY』にメンバーの陣内と鶴川、同郷で同期のバンドであるルースターズの大江慎也、池畑潤二らと作中のバンド「バトルロッカーズ」のメンバーとして出演。

1982年6月28日

青山タワーホールで行われたライブを最後に解散。



THE MODS

森山達也:ボーカル・ギター・ブルースハープ 1956年3月30日生。福岡市立警固中学校出身。

苣木寛之(ちさき ひろゆき) ギター・ボーカル 1960年4月25日生。

北里晃一(きたざと こういち) ベース・ピアノ・ボーカル 1957年12月7日生。

佐々木周(ささき しゅう) ドラムス ・ボーカル 1984年2月3日生。 2009年1月1日正式メンバー加入。

元メンバー

梶浦雅裕(かじうら まさひろ) ドラムス 1960年6月12日生。2007年2月20日脱退。


1974年

ブリティッシュビートに多大な影響を受けた森山達也は福岡県博多で第一期「THE MOZZ」を結成。

1976年

前年に「THE MOZZ」を解散し、第二期「THE MODS」を結成。

1979年

映画『狂い咲きサンダーロード』のサウンドトラックに参加。レコーディングは森山、北里と元MODERN DOLLZの苣木、梶浦の4人で行い、第三期「THE MODS」となる。

1980年

福岡「80's FACTORY」で開かれた2日間のコンサートで、「80's FACTORY」の歴代最高動員記録を樹立。

上京し、ROCK専門のテレビ番組「FIGHTING 80's」にレギュラー出演。

1981年

EPIC/SONY、英CBSと契約。ロンドンでレコーディングを開始。

1981年6月21日

シングル「崩れ落ちる前に」、アルバム『FIGHT OR FLIGHT』でデビュー。

この年、2度目の来日公演を果たしたTHE JAMの前座を務めた。

1981年11月

再びロンドンに渡り、ライヴハウス「マーキー」にて3日連続のコンサート。なお、その際のバンド名は、モッズとの混同を避けるために「NEWS BEAT」とした。

1982年6月20日

日比谷野外音楽堂にてデビュー1周年コンサート。4000人を動員。途中、記録的な集中豪雨に見舞われた。

1982年8月8日

長崎を襲った豪雨の救済コンサートを福岡国際センターで開催。義援金を被災地へ送った。




ARB

1977年春

結成。

1978年

シングル「野良犬」でデビュー。

バンド名「ARB」は、Alexander Ragtime Bandのイニシャルを取ったもの。アーヴィング・バーリンの『Alexander's Ragtime Band』からの引用。当初は「アレキサンダー・ラグタイム・バンド」とも名乗っていたが、3枚目のアルバム『BOYS&GIRLS』発売時より、「ARB」を正式名称とすることに。


第1期(1977年 - 1983年)

1 石橋凌(Vo)、田中一郎(G)、KEITH(キース、Dr)、宮城伸一郎(B)、エンマ(Key)

2 石橋凌(Vo)、田中一郎(G&B)、KEITH(Dr)

3 石橋凌(Vo)、田中一郎(G)、KEITH(Dr)、野中'サンジ'良浩(B)

第2期(1983年 - 1986年)

4 石橋凌(Vo)、KEITH(Dr)、野中'サンジ'良浩(B)、斉藤光浩(G)

5 石橋凌(Vo)、KEITH(Dr)、斉藤光浩(G)、ジャン=ジャック・バーネル(B)

6 石橋凌(Vo)、KEITH(Dr)、斉藤光浩(G)、岡部滋(B)

第3期(1986 - 1990年)

7 石橋凌(Vo)、KEITH(Dr)、岡部滋(B)、白浜久(G)

8 石橋凌(Vo)、KEITH(Dr)、白浜久(G)、浅田孟(B)

第4期(1998年 - 2006年)

9 石橋凌(Vo)、KEITH(Dr)、内藤幸也(G)、EBI(B)

10 KEITH(Dr)、内藤幸也(G)、EBI(B)


1977年

田中、宮城、エンマ、KEITHの4人でバンドを結成。ボーカリストを探していたバンドは、ラジオパーソナリティからの紹介や、甲斐よしひろの薦めなどもあり、オーディションにより石橋をボーカリストに選ぶ。

1978年 - 1979年

デビュー前、後楽園球場でのピンク・レディーのコンサートにおいて前座を務めた際、白の囚人服を着て登場したところ、ビクターエンタテインメント関係者の目にとまり、レコード会社が決まった。

1stアルバム『A.R.B.』発表。事務所側の溝はが広がり独立を決意。その際メンバーの宮城とエンマが脱退。独立後、ベース不在のまま、シングル「魂こがして」をリリース。ベースは田中。

1979年

東映映画『暴力戦士』(石井輝男監督)出演。

1980年

ベースにサンジ(野中良浩)を迎え、2ndアルバム『BAD NEWS』を発表。新宿ロフトなどのライブハウスをメインに活動。

1981年

3rdアルバムの『BOYS & GIRLS』発表後、ドラムのKEITHが倒れ、入院。4thアルバムの『指を鳴らせ!/Snap Your Fingers』の発売がすでに決まっていたため、やむをえずサポートのドラマーを起用して製作が行われた。そのため、アルバムのクレジット表記では“KEITH(IN THE HOSPITAL)”となっている。

1982年 - 1983年

5th〜6thアルバムを発表。初期のロックンロールオリンピックに毎年のやうに出演。

1983年 - 1984年

バンドのリーダー田中一郎がツアー中に突然脱退。その後、ツアーサポートの元BOWWOW斉藤光浩が正式加入。そのギター交代の束の間、不祥事によりベースのサンジを解雇。その際、KEITHの親友であるストラングラーズのジャン=ジャック・バーネルが急遽来日し、ベーシストとして一時参加。7thアルバム『YELLOW BLOOD』にも2曲参加。

その後、オーディションにより岡部滋が正式ベーシストとして加入。

1985年 - 1986年

石橋はARBの知名度を上げるため、親交のあった俳優・松田優作が監督する『ア・ホーマンス』に出演。

その演技が映画業界で認められ、以後のARBは石橋の俳優活動と並行した活動に。

この映画の主題歌として、8thアルバム『砂丘1945年』に収録されている「AFTER '45」が使用された。

1986年

斉藤が脱退し、白浜久が加入。

1987年

10thアルバム『ROCK OVER JAPAN』発表。このアルバム発表後に、岡部が脱退。シーナ&ロケッツの浅田孟が加入。

1988年

デビュー10周年にして初の日本武道館ライブを敢行。



ザ・ルースターズ

1979年に結成、2004年に解散。2009年頃より、不定期的に活動。

初期メンバー

大江慎也:ボーカル、ギター

花田裕之:ギター

井上富雄:ベース

池畑潤二:ドラムス


1979年11月

「人間クラブ」というバンドを母体に、ザ・ルースターズ結成。

バンド名はウィリー・ディクスンによるブルースの名曲"Little Red Rooster"にちなむ。

「人間クラブ」には、大江・花田・井上・池畑と、後のルースターズ結成時のメンバーは参加してゐたが、ヴォーカルは大江ではなく南浩二。

その後、大江の中で歌いたい欲求が強くなりルースターズ結成へ。

1980年11月

シングル「ロージー/恋をしようよ」でデビュー。


1982年ごろ

大江が精神的にダウンし始め、10月、『ニュールンベルグでささやいて』を録音し終へた後、ジャケット撮影をしたスタジオの壁に、笑みを浮かべつつ頭を打ちつけるなどの奇行が母に心配されて精神科を受診。神経衰弱により初めて精神科に入院し、ライブはキャンセル。1983年6月までの半年近くにわたり音楽活動を休止。

1983年6月

下山淳(ギター)、安藤広一(キーボード)が加入。時期を同じくしてドラムの池畑潤二が脱退し、代はりに灘友正幸が加入。

4thアルバム『DIS』をリリース。

1984年1月

ベースの井上富雄が脱退し、柞山一彦が加入。

1984年4月

5rhアルバム『GOOD DREAMS』よりバンド名表記を「THE ROOSTERS」から「THE ROOSTERZ」へ変更。

1984年12月

アルバム『φ(ファイ)』リリース。

1985年3月

大江が再び精神状態を悪化させ入院。また安藤広一も脱退

1985年7月

シングル「SOS」より花田裕之が正式にメイン・ボーカルをとるやうに。

1986年

花田、下山を中心とした新生ルースターズは初のフルアルバム『NEON BOY』をリリース。



おまけ

スピニッヂ・パワー

所属事務所はビーイング(月光恵亮、長戸大幸、織田哲郎が創業)。月光恵亮は暴威の命名者で、BOØWY『Moral』収録「ENDLESS」の作詞者MOONLIGHT 。ドラマーは木村マモル(BOØWY初代ドラマー)。1979年ごろ、寺西修一(氷室京介)が加入。


1978年9月5日

「POPEYE THE SAILORMAN」

メインボーカル西濱哲男。織田哲郎や村田有美がコーラスで、妹尾隆一郎もハーモニカで参加。

1978年12月5日

「BATMAN」

1979年1月21日

「FUNKY DISCO PRINCESS」

亜蘭知子が作詞。織田哲郎がメインボーカル。

『GREATEST POWER/POPEYE THE SAILOWMAN』

1979年2月21日

「HEY SWEETCAROLINE」

織田哲郎が作詞・作曲とメインボーカル。

1979年6月5日

「RIDEON」

織田哲郎がEddyBlues名義で亜蘭知子と作詞。

1979年10月5日

「BORO BORO BORO」

ボーカルは織田哲郎、コーラスは森下詩音、作詞はビーイングの総帥、長戸大幸。

1979年12月21日

『RUN AWAY TRIP』

1980年9月5日

「HOT SUMMER RAIN」

 メインボーカルは寺西修一(氷室京介)。



1980年7月5日

19歳の寺西修一はこのバンドで苦渋を舐め、故郷に帰ることを決意していたが、当時の彼女にもらつたRCサクセションの野音ギグを見て、再起をかけて旧知の布袋寅泰、松井恒松を誘ひ、1981年、BOØWYを結成。




by ichiro_ishikawa | 2018-12-02 23:53 | Comments(0)  

連載 日本のロック史 60〜70年代(10)荒井由実と中島みゆき

荒井(松任谷)由実

1954年1月

東京都八王子市で1912年から続く老舗呉服店・荒井呉服店で、三男二女の第四子(二女)として生まれ、6歳からピアノ、11歳から三味線、14歳からベースを始めた。

中学時代には、カツラを購入し、寝てるように家族には見せかけ内緒で当時国内外の文化人が集まるサロン的存在だった港区麻布台3丁目(1969年まで麻布飯倉片町8番地の住所表記だつた場所)のイタリアンレストラン「キャンティ」に出入り。またフィンガーズ(成毛滋: g、高橋信之: g、シー・ユー・チェン: b、蓮見不二男: kb、松本宏三: ds、クロード芹沢: vo)の追つかけもしてゐた。後に同レストランに集まつたアーティストから、アルファレコードが生まれ、デビューのきつかけを作つた。

14歳の頃、当時親しかつたシー・ユー・チェンが「ユーミン」と呼び始め、これが後に愛称として定着。  

高校にかけては、御茶の水美術学院に通ひ、年長の同窓生の影響でアルチュール・ランボー、ジャック・プレヴェールを愛唱、多大な影響を受ける。



1971年

加橋かつみ(元ザ・タイガース)へ提供した「愛は突然に…」で17歳で作曲家としてデビュー(作曲時は14歳)。

1972年4月

多摩美術大学に入学。絵画科で日本画を専攻。

1972年7月5日

初めは作曲家志望だったが、アルファレコードを設立した村井邦彦の勧めで、かまやつひろしプロデュースによるシングル「返事はいらない」で荒井由実としてデビュー(販売枚数は数百枚)。

1973年11月

2ndシングル「きっと言える/ひこうき雲」。

ファーストアルバム『ひこうき雲』発売。TBSラジオの深夜放送番組『パックインミュージック』金曜日第2部のパーソナリティ林美雄の絶大な支持を受けて知名度が上がる。


1974年4月20日

3rdシングル「やさしさに包まれたなら/魔法の鏡」


1974年10月5日

4thシングル「12月の雨/瞳を閉じて」

2ndアルバム『MISSLIM (ミスリム)』


1975年2月20日

5thシングル「ルージュの伝言」


編曲の松任谷正隆が山下達郎、吉田美奈子、大貫妙子を集めコーラスを担当させた。

1975年6月20日

3rdアルバム 『COBALT HOUR』  。



1975年8月1日

バンバンへの提供曲「『いちご白書』をもう一度」がオリコン1位を獲得。

1975年10月

6thシングル「あの日にかえりたい」(TBSドラマ『家庭の秘密』主題歌)が、初のオリコンチャート1位を獲得。


1975年12月

アレンジャー・松任谷正隆と婚約、1976年11月29日に横浜山手教会にて結婚。

1978〜1983年

オリジナルアルバムを毎年2枚リリース。

1981年6月

17thシングル「守ってあげたい」。

枢斬暗屯子のテーマ)


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中島みゆき

1952年2月23日、北海道札幌市出身。

祖父は帯広市議会議長なども務めた中島武市、父・眞一郎は北海道帝国大学医学部出身の産婦人科医で中島産婦人科院長。

5歳のときに岩内に引つ越し、11歳までを岩内で過ごす。帯広に移り、市立帯広小学校を卒業、市立帯広第三中学校に入学。1966年の夏には体調不良の母親が実家で一時療養するのに合はせて山形市に移り、市立第六中学校に通ふが、高校受験のため4ヶ月で帯広に戻る。

帯広柏葉高校3年生の時、文化祭(第20回柏葉祭・1969年9月1日)で初ステージ。オリジナル曲「鶫の唄」を歌ふ。

札幌の藤女子大学文学部国文学科入学。放送研究会に所属し、ローカルラジオ局でスタッフのバイトなど。北海道大学フォークソングのメンバーと交流を持ち、活発に音楽活動を展開し「コンテスト荒らし」の異名をとる。「フォーク音楽祭札幌予選」では「私の窓から」を歌つてゐる。

1972年には「フォーク音楽祭全国大会」に出場し、「あたし時々おもうの」で入賞(音源は大会実況版としてLP化)。

大学卒業後は帯広に帰り、家業を手伝ふかたわら、アマチュア活動を続ける。ジャズ喫茶オーディオのマスター、渡辺晃が主催した「自由集団」の企画で多くのステージを踏む。 デビュー前に地元では既に多くのファンを獲得してをり、オリジナル曲は既に100曲以上存在してゐたが、それらの一部は現在でも音源化はされてゐない。


1975年5月

財団法人ヤマハ音楽振興会の主催による「第9回ポピュラーソング・コンテスト」に「傷ついた翼」が入賞。

1975年9月

シングル「アザミ嬢のララバイ」でキャニオン・レコードからレコード・デビュー。

1975年10月

「第10回ポピュラーソング・コンテスト」に「傷ついた翼」から急遽差し替へた「時代」によってグランプリを受賞。11月の第6回世界歌謡祭でもグランプリを受賞。「時代」は12月に2作目のシングルとして発売。


1976年4月

ファースト・アルバム『私の声が聞こえますか』発表。同年、研ナオコに提供したシングル「LA-LA-LA」と「あばよ」が大ヒット。『第27回NHK紅白歌合戦』で研ナオコが「LA-LA-LA」で出場。

1977年

「わかれうた」が70万枚を超えるセールス。

作詞家・作曲家としても、研ナオコ「かもめはかもめ」、桜田淳子「しあわせ芝居」、増田けい子「すずめ」など数多くのヒット曲を世に送り出す。

1977年から放送された『コッキーポップ』に出演。「時代」と加藤登紀子との共演で「この空を飛べたら」を披露。

1978年

4枚目のアルバム『愛していると云ってくれ』。収録曲「世情」が後年にTBS系ドラマ『3年B組金八先生』の劇中に使用。

1979年

ニッポン放送『中島みゆきのオールナイトニッポン』(月曜1部)がスタート。

1981年

シングル「悪女」はオリコンのシングルチャートで自身2度目の1位。


1982年

アルバム『寒水魚』が同年のオリコンの年間アルバムチャートで1位。

1983年

柏原芳恵「春なのに」を提供。第25回日本レコード大賞の作曲賞を受賞。 







by ichiro_ishikawa | 2018-12-02 21:27 | 音楽 | Comments(0)