1975年6月、21歳の時に「ルージュの伝言」を擁する傑作3rdアルバム『Cobalt Hour』を発表したあと、
8月1日 、バンバンに「『いちご白書』をもう一度」(作詞作曲)を提供。
10月5日、 6thシングル「あの日にかえりたい/少しだけ片想い」 リリース。
11月25日、デビュー以来バックバンドを務めるティン・パン・アレー(細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆)に「月にてらされて」提供(作詞) 。
12月に松任谷正隆と婚約。
年が明けて22歳になつた1976年3月5日、7thシングル「翳りゆく部屋/ベルベット・イースター」 リリース。
といふやうに、名曲「あの日にかえりたい」「翳りゆく部屋」と名シングルを連発するも(ちなみに各B面の「少しだけ片想い」は前述の『Cobalt Hour』からのシングルカット、「ベルベット・イースター」は1stアルバム『ひこうき雲』からの再収録)、後述する次の4thアルバム『The 14th Moon』(1976年11月20日)には収録しない。
その代はりなのか、1976年6月20日、これまでを総決算するかのやうにベストアルバム『YUMING BRAND』をリリースし、そこに「あの日にかえりたい」「翳りゆく部屋」は収められることになる。
つまり、ここで荒井由実は一旦幕を閉じるはずだつた。
しかし、その後も続けざまに、
1976年6月25日 、三木聖子に名曲「まちぶせ」を提供(作詞作曲)、そして「中央フリーウェイ」といふ最高傑作までもが出来てしまふ(ギターで松原正樹が加入)。
そして、急遽、11月20日、その「中央フリーウェイ」を収めて4th『The 14th Moon』をリリースするに至る。
まとめると、
『Cobalt Hour』後、「あの日にかえりたい」「翳りゆく部屋」「中央フリーウェイ」と名曲が溢れ出してしまつた。その合間にも「『いちご白書』をもう一度」「まちぶせ」と人への提供曲でも名曲が生まれてしまふ。そんなクリエイティビティの超充実が、1975年で終はるはずだつた荒井由実時代を1年延ばさせた。
そして、もう引退は諦め、
1977年から、「松任谷由実」として、新たな歩みを始めることになるのであつた。
# by ichiro_ishikawa | 2019-02-25 20:59 | 音楽 | Comments(0)