大考察 15〜17歳のとき何がその時代を宰領していたか


15〜17歳の時に好きになつたものが、その人間の一生を支配する。
といふ普遍的な事実から、戦後、とりわけロックンロールが生まれた1956年以降の日本の音楽史を見ていかう(例によつて偏り上等)。
ある時代、その席巻していたもの、その当時15〜17歳だった人物、
という形で、以下列挙する。



1956〜59
ロックンロール、モダンジャズ

当時の15〜17歳(1939〜44年生まれ)
・ジョン・レノン(1940年)
・ボブ・ディラン(1941)
・ポール・マッカートニー(1942)
・ミック・ジャガー(1943)
・キース・リチャーズ(1943)

[考察]
なるほど3大ロックレジェンドは見事にエルビス世代であつた。
そりやあロックになるな。



1960〜62
ブリルビルポップ

当時の15〜17歳(1943〜47年生まれ)
・ミック・ジャガー(1943)
・キース・リチャーズ(1943)
・タモリ(1945)
・デヴィッド・ボウイ(1946)
・細野晴臣(1947)



1963〜69
ビートルズ、ストーンズ

当時の15〜17歳(1946〜54年生まれ)
・デヴィッド・ボウイ(1946)
・細野晴臣(1947)・大滝詠一(1948)
・井上陽水(1948)
村上春樹(1949.1)
・渋谷陽一(1951)
ピーター・バラカン(1951)
スティング(1951)
忌野清志郎(1951)
坂本龍一(1951)
・村上龍(1952.2)
・山下達郎(1953.2)
・エルヴィス・コステロ(1954)

[考察]
やはりビートルズ、ストーンズが日本の偉大なミュージシャンを生んだことになる。



1970〜73
フォーク(ベトナム戦争、反戦運動、安保闘争)

当時の15〜17歳(1953〜58年生まれ)
・エルヴィス・コステロ(1954)
竹中直人(1956.3)
長渕剛(1956)
サーストン・ムーア(1958)
玉置浩二(1958)

[考察]
この時代に15~17歳だとやはりフォークに影響を受ける。



1975〜80
クロスオーヴァー、
パンク、ニューウェーブ、
テクノ、ヒップホップ

当時の15〜17歳(1958〜65年生まれ)
サーストン・ムーア(1958)
玉置浩二(1958)
マイケル・スタイプ(1959)
モリッシー(1959)
氷室京介(1960)
ボノ(1960)
とんねるず(1961、1962.3)
布袋寅泰(1962.2)
ダウンタウン(1963年生れ)
リリー・フランキー(1963年生れ)
ジョニー・マー(1963年生れ)
吉川晃司(1965年生れ)

[考察]
このあたりはとにかく様々なジャンルが大爆発していて一筋縄ではいかない。


1980〜84
アイドル歌謡曲、
ジャンプ、プロレス、ジャッキーチェン

当時の15〜17歳(1963〜69年生まれ)
ダウンタウン(1963年生れ)
リリー・フランキー(1963年生れ)
ジョニー・マー(1963年生れ)
吉川晃司(1965年生れ)

[考察]
アイドル歌謡つていふのは人生を変えたりはしない。


1985〜87
BOØWY、長渕
ソニックユース、R.E.M.、U2、ザ・スミス

当時の15〜17歳(1968〜72年生まれ)
・俺(1971)




# by ichiro_ishikawa | 2018-03-06 09:56 | 音楽 | Comments(0)  

RCサクセション 1970-1982


「宝くじは買わない」(1970年3月5日)




「涙でいっぱい」 (1970年12月5日)


『初期のRCサクセション』(1972年2月) 

「ぼくの好きな先生」(1972年2月5日)



「キミかわいいね」 (1972年7月5日)

『楽しい夕に』(1972年12月)

「三番目に大事なもの」 (1972年12月20日)





「スローバラード」(1976年1月21日)   



『シングル・マン』

(1976年4月、再発売1980年8月) 




「ステップ! 」(1979年7月21日)



「雨あがりの夜空に / 君が僕を知っている」 (1980年1月21日) 





「ボスしけてるぜ / キモちE」(1980年5月21日) 



『ラプソディー』(1980年6月) 

「よォーこそ」



「トランジスタ・ラジオ」(1980年10月28日)



『PLEASE』(1980年12月)  

「ダーリン・ミシン」



「Sweet Soul Music」




『BLUE』(1981年11月) 

「ロックン・ロール・ショー 」



「多摩蘭坂」





「サマーツアー」 (1982年6月23日) 



『BEAT POPS』(1982年10月) 

「エリーゼのために」



「君を呼んだのに」






# by ichiro_ishikawa | 2018-03-06 01:00 | 音楽 | Comments(0)  

GOTTA!忌野清志郎


うららかな日曜の昼下がり、忌野清志郎の伝記『GOTTA!忌野清志郎』(連野城太郎著、角川文庫、1989年)読了。

著者による時代回想を挿入しながら、清志郎自身の語り起しの形で、その最古の記憶から個人事務所設立(1985年、清志郎34歳)までが綴られてゐる。 


著者、連野城太郎とは、のちに山崎まさよし、スガシカオなどを擁する音楽事務所オフィスオーガスタを設立する森川欣信の筆名。森川は、清志郎が高校3年のとき、アマチュア時代のRemainders of CloverからRemainders of Clover Successionになつたばかりのときに出演した、1969年5月7日、TBSにて放送された朝の情報番組「ヤング720」を観て以来、ずつと清志郎を追つてゐた超重鎮。


本書は、音楽的なことより人間的なこと、家族、メンバーから周辺ミュージシャン、事務所スタッフまで、その人間関係が濃厚に、細かく書かれてゐて、生々しい。この生々しさと、巻頭口絵の多くの写真が素晴らしい。著者の時代回想もリアルで細部にわたり、清志郎の語りのよい補足資料になつてゐる。


一番クるのは、母親のくだりだ。


デビュー2年目の3rdシングル「ぼくの好きな先生」(1972)ヒット後の長き暗黒時代を経て、久保講堂でのライブを収めた『Rhapsody』(1980)以降、急激に人気が出だし売れ始め金も入るようになつたころ、母親が脳梗塞で倒れる。



オレはひまがあると病院に行ってさ、オフクロの手握ったりしてメソメソ泣いてた。もっと親孝行しとけばよかったって後悔したりね……


この頃だよ、やっと親ってものを大切にしようって。気づく時が遅かった。


親を大切にしとくべきだった。昔のオレは単なる甘えたガキだったよ。かつてのオレだったら、親の葬式にも出ないくらいひねくれてただろう。


オフクロは六年入院してた。オレが事務所のトラブルとかから解放され、自由になった翌年、オレのソロLP『レザー・シャープ』の完成を待ってたかのように死んでいった。



オフクロとは栗原久子。伯母で、育ての親である。










# by ichiro_ishikawa | 2018-03-04 16:19 | 音楽 | Comments(0)  

中央総武線の落とし穴


中央総武線の電車内の電子掲示板及びアナウンスは、次はどこどこ、とばかりがしきりに掲示され、この電車がどこ行きなのか、車中においては全く分からない。
なぜ車内で行き先の掲示やアナウンスをしないのか、俺はいぶかる。

つまり、たとへば下り電車で三鷹の先まで行きたいなどといふ場合に、うつかり中野行きに乗つたりすると乗り換へが発生して面倒なため、いま乗つてゐるこの電車が果たしてどこまで行くのかが知られれば、早めに何らかの手を打つておけるのに、といふことである。

なるほど、電車のアウトサイドないしホームには掲示されてゐる。つまり乗る前に確認はできる。
しかし急いでゐるときなど(たいてい急いでゐる)ろくに確認せず来た電車に飛び乗ることもままあり、さうするともはやいま己がどこ行きの電車に乗つたのかは、永久に分からないといふシステムがガッチリ組まれてゐる
しかもホームの掲示板は、車内からはどうやつても見えないやうに配置設計もされてゐて、ここまで来ると、一度乗つた奴には是が非でも行き先を知らせたくないのだ、といふ意味不明な意志すら感じる。

車内にも掲示するべし。あるひはアナウンスするべし。英語でもいいから。






# by ichiro_ishikawa | 2018-03-01 21:16 | 日々の泡 | Comments(0)  

ジャニーズの客と俺


前にも書いたが、職場がビッグエッグこと東京ドームに近いため、退勤時の電車でジャニーズ帰りとバッティングすることがままある。

中に、見たこともない人間がよくゐるのである。
いやいつも見たことない人間ばかりである。しかし、いつもの彼らを見てもさうは思はない。
いつもの彼らにはどこか共通点があるのだらう。
だがジャニーズの時は、いつもの彼奴等との共通点が見出せない、明らかに初見の輩が居るのである。
これは野球もさうである。

やはりこれだけ数万単位、全国で何百万といふファンのゐる催しには、かうした見たことのない人間が混じるのだな、混じつてゐても不思議はない、いかにてめえがふだん限定された世界で生きてゐるか、といふことを実感するのであつた。




# by ichiro_ishikawa | 2018-02-27 22:30 | 日々の泡 | Comments(0)  

太陽と月と俺


我々が居るこの地球は自らぐるぐる回り(自転。一日一回転)、かつ不動の太陽の回りをぐるぐる回つてもゐる(公転。一年で一周)。
これは分かる。

また少し傾いてゐるから、公転の際、太陽に対して仰け反つた状態の時は太陽から遠のくから冬で、前傾になると近づくので夏となる。
これも分かる。

わからないのが、月の満ち欠けである。
そこに見えてる月は三日月だつたり半月だつたり満月だつたり様々で、それはいま月を見ている己が位置と、月への太陽の当たり加減で変化するのだらうといふのは、頭ではわかる。

しかし、いま太陽がどこにあり、それが照らしているところのその月がどう動いていくか、同時にこの地球も動いてゐるが、どのように回転していくのか、どう月への光の当たり加減が変はつていくのか、などなど、咄嗟には分からない。それが俺をイラつかせる。俺は一挙に全てを把握したいのである。

といふのは30年来の悩みで、いよいよかういふのを買つて、常備してゐようと思ふ。
月を見て、「いまかうだ」といふセッティングを都度して確認していく。


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# by ichiro_ishikawa | 2018-02-27 17:46 | 日々の泡 | Comments(0)  

ファミレスでの緊張感


以前書いたファミレスの「よいしよ」と言つて膳を置くウェイトレスは、注文のためボタンで呼び出すと、「お呼びでございますか?」とドタドタやつて来るのだが、まるで「はい? 何か問題でも起こりました?」と言はんばかりの、なぜ呼ばれたのか不思議さうな、過度な疑問形を突き刺す。
何かとこちらの心にグッと踏み込んでくるので、たかだかファミレスで若干ドキドキしなければならない。

# by ichiro_ishikawa | 2018-02-26 14:13 | 日々の泡 | Comments(0)  

ちよつと待ちますね


「しばらくお待ちください」
といふ定型文があるが、
最近それを、
「ちよつと待ちますね」
に変へているものがあり、
気持ち悪い。

「しばらく」を、親近感を得るためか「ちよつと」と、くだけながらも丁寧さはそのままに、
さらに「待つて」でなく「(こちらが)待つ」と、当人の行為、心情に寄り添はうとする、
さうした視点(主格)のすり替へが、居心地悪い。
待つてと頼むより、待つとして、当人の主体的行為を示す方が好感度があがりますよ、とかしたり顔で言ふ若いディレクター的な輩の悦に入つた表情が浮かぶ。

いやどうもうまく言へない。
待ちます、の視点もさうだが、「ね」が嫌ひなのだ。正確には「ます」につく「ね」が。
これはなんだらうか。
いつか文言化してその嫌悪の正体に迫りたい。




# by ichiro_ishikawa | 2018-02-25 17:06 | 日々の泡 | Comments(0)  

忙しい、の正体


忙しい。
といふことについて考察する。

やることが山積みでにつちもさつちもいかない状態。
そのとき、その「やること」に注目すると、それは義務的なものであり、本来はやりたくないこと、であるといふことがわかる。

同じやることが山積みでも、それが全部やりたいことなら、そのとき、忙しいといふだらうか。

俺はいま忙しいが、試しにそれらを全部やりたいことと思ふやうにしてみよう。

いや、無理だつた。
義務や、やりたくないがやらなければならないことは結構ある。
考察失敗。





# by ichiro_ishikawa | 2018-02-24 14:24 | 日々の泡 | Comments(0)  

孤独とは何か


腹が痛いときに何がつらいか。
痛みそのもののつらさがまづパねえが、
何より「誰も頼れないこと」ではないか。

腹が痛い人間は、誰にも助けられないし、同情であれ励ましであれ、どんな言葉も無力だ。
そも精神的なダメージでないのだから、精神的な慰めは無力なのである

こんな大変なことになつてゐるのに、死別や罹災といつた大事は無論、病気などに比べ、他者の関心は圧倒的に薄い。
関心をもつてもらつても恥ずかしい。

したがつて腹が痛い人間は、痛え…とひとり呟くことしかできない。もちろん、何も解決はしない。

このときほど、孤独といふ言葉が乙に構えてそこに現れることはない。




# by ichiro_ishikawa | 2018-02-24 13:15 | 日々の泡 | Comments(0)