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小林秀雄 20代までの生活年表

まづ、ざつと30代に入るまでの歩みをまとめる。



[小学校]〜12歳

小2で親への恩返しを誓い、小6で第一次世界大戦の原因と現状を分析し、打つた男。


[中高(今の中高大)]13〜22歳

府立第一中学校(五年制、現・日比谷高)に入学。

第一高等学校(東京大学教養学部の前身)入試に失敗し一浪。翌年、第一高等学校の合格発表前日に父親を亡くす。合格し4月に入学するも、母親が肺患し鎌倉に転地療養させる。自身も盲腸周囲炎と神経症のため休学2年時に関東大震災。3年時に母親と同居を始め看病生活へ



[帝大(今の大学院的な)]23〜25歳

翌年、東京帝国大学文学部仏蘭西文学科入学。春、神田をぶらぶら歩いてゐると向うからやつて来た見知らぬ男に、いきなり叩きのめされる。秋、中原中也の恋人長谷川泰子と出会ひ、奪ひ、11月から同棲。10月には盲腸炎(腸捻転?)で入院・手術。


[卒業後]26歳〜

泰子との生活にピリオドを打ち関西に逃走。約一年を大阪、京都、奈良で過ごす(この時の回想が20年後「秋」に結実)。

翌年、東京に戻り「様々なる意匠」を書き、本格的に批評家デビューを果たす。





1902年(明治35)

4月11日、東京市神田区神田猿楽町三丁目三番地(現千代田区猿楽町二丁目八番五号)❶に生まれる


父、小林豊造

1874年(明治7)兵庫県出石郡の清水家に生まれ、のちに旧但馬藩の家老職であつた小林家の養嗣子になる。

1899年(明治32)、東京高等工業学校に付設された工業教員養成所の金工科を卒業し、東京高工助教授、御木本真珠店貴金属工場長を経て、日本ダイヤモンド株式会社を設立した。

欧米各国に学び、日本で初めてダイヤモンドの研磨技術を習得し、また蓄音機のルビー針を開発した技術者でもある。

母、精子

明治13年、東京市牛込区牛込北山伏町14番地の城谷家に生まれる。女学校を卒業し、茶の湯、生け花、琴などにも通じていたという。


1904(明治37)2歳

6月3日、牛込の納戸町にて妹富士子生まれる


1910年(明治43)8歳

作文「おやのおん」   


1914年(大正3年)12歳小6

秋、学芸会で世界大戦の原因から現状を演説


1915年(大正4年)13歳一中1年

3月 白金尋常小学校卒業   

4月 東京府立第一中学校(現・都立日比谷高等学校)入学

芝区白金今里町七十七番地❷に住む


1917年(大正6年)15歳一中3年

12月、父豊造、日本ダイヤモンド株式会社設立、専務取締役


1920年(大正9)18歳浪人

3月 府立一中(五年制)卒業。一高入試に失敗、浪人


1921年(大正10)19歳一高1年

3月20日 父豊造、四六歳で死没   

3月21日 第一高等学校(東京大学教養学部等の前身)合格発表

4月 第一高等学校文科丙類(文学)入学。野球部入部後、すぐ退部。マンドリンクラブ結成   

10月 盲腸周囲炎と神経症のため休学   

この年、母精子、肺患のため鎌倉に転地療養   


1923(大正12)21歳一高2年

9月1日 神田須田町❸で関東大震災に遭遇  

9月6日 船と徒歩で鎌倉に療養中の母に会いに行く


1924年(大正13)22歳一高3年

2月? 母と妹の三人で豊多摩郡杉並村馬橋226番地❹に転居  

6月10日 「一ツの脳髄」を書き上げる  


1925年(大正14)23歳帝大1年

3月 第一高等学校卒業     

4月 東京帝国大学文学部仏蘭西文学科入学

この頃か   神田の本屋でランボオの「地獄の季節」に初めて出会ふ

4月初め 富永太郎を通じて中原中也を知る  

9月 中原中也の帰郷中に長谷川泰子に会う     

10月8日 大島に旅行(泰子は待ち合わせに間に合わず)、帰京後盲腸炎(腸捻転?)で入院・手術 

11月下旬 杉並町天沼❺に長谷川泰子と同棲  


1926年(大正15/昭和元)24歳帝大2年

鎌倉町長谷大仏前❻に住み、逗子町新宿の池谷信三郎方に仮寓したりする  

2月 「佐藤春夫のヂレンマ」を文藝春秋に発表(初の商業誌掲載)

10月 「ランボオI」を「仏蘭西文学研究」に発表


1927年(昭和2)25歳帝大3年

5月 初めての単行本『エドガー・ポー』を新しき村出版部より刊行

8月3日 大阪毎日新聞・東京日日新聞主催の第一回全国都市対抗野球大会が神宮球場で開催され、後の巨人の水原監督らとともに神奈川代表で出場。台湾の台北チームと戦う。(→「スポーツ」1959年1月)  

9月? この頃目黒❼に住む  


1928年(昭和3)26歳

2月 豊多摩郡中野町谷戸(東中野)❽に転居     

3月 東京帝国大学卒業           

5月25日 長谷川泰子と別れ、関西へ向かう❾

月末、大阪の日蓮宗の寺に宿坊する  

6月   京都奈良市の割烹旅館江戸三に宿泊、奈良市幸町の志賀直哉邸に出入り

9月 妹、富士子が高見澤(田河水泡)と結婚     

10月20日 母が関西へ     

11月17日 西村孝次と二月堂へ           


1929年 (昭和4) 27歳

1月末 奈良より帰京し、東京府下滝野川町田端155番地➓に住む

4月 「改造」の懸賞論文のため「様々なる意匠」執筆、改造社社員の深田久弥に渡す                 9月 「改造」の懸賞評論で「様々なる意匠」が第二席に

10月~ 『文学』(第一書房)同人に、ランボオ「地獄の季節」を創刊号から訳載  


1930年(昭和5年)28歳

4月 『文藝春秋』で「アシルと亀の子」発表、以後文芸時評の連載開始


1931年(昭和6)29歳

*この頃、母とともに鎌倉町佐介通二〇八番地に転居    (11)




by ichiro_ishikawa | 2019-07-04 21:26 | 文学 | Comments(0)  

詳細年表 70〜80代の小林秀雄

本居宣長の完結、過去の著作の文庫化、全集化など。


1972年(昭和47)70歳

2月 

「本居宣長(三十八)」(『新潮』)

「 生と死」(『文藝春秋』)

「鈴木先生の全集」(『鈴木信太郎全集』内容見本、大修館刊 )


4月 

「本居宣長(三十九)」(『新潮』)

『小林秀雄対談集 歴史について』(『文藝春秋』)

駸々堂出版刊の『黒田辰秋・人と作品』序文を発表

文芸家協会から古稀を祝われる

4月16日 

川端康成自殺(七十二歳)

4月19日 

那須良輔と 磐城三春の「滝桜」見物


6月 

「本居宣長(四十)」(『新潮』) 


8月 

「本居宣長(四十一)」(『新潮』) 

『芸術家の肖像』白鳳社)


9月 

このころから毎週一回、今日出海、中村光夫、那須良輔らとゴルフに通う(以後十一年間実行)

名古屋・大阪にて円地文子訳『源氏物語』(新潮社)刊行記念講演会で「宣長の源氏観」を講演  


11月 

「本居宣長(四十二)」(『新潮』)

11月から 

東京創元社幹部と隔月で会い、編集の相談をする


                 

1973年(昭和48年)71歳

1月 

「本居宣長(四十三)」(『新潮』)


3月 

「本居宣長(四十四)」(『新潮』)


4月 

「志賀直哉全集」『志賀直哉全集』内容見本、岩波書店)

「大佛次郎追悼」朝日新聞)

4月20日

里見とん、中川一政、那須良輔と 磐城三春の「滝桜」見物


5月 

「本居宣長(四十五)」(『新潮』)


7月 

「本居宣長(四十六)」(『新潮』)


9月 

「本居宣長(四十七)」(『新潮』)


10月 

新潮文庫広告文「読書の楽しみ」『毎日新聞』)


11月 

「本居宣長(四十八)」(『新潮』)


11月8日 

延岡市で文藝春秋主催「文化講演会」にて講演        

                                               

1974年(昭和49年)72歳

1月 

「本居宣長(四十九)」(『新潮』)

「新年雑談」『波』)


3月 

「本居宣長(五十)」(『新潮』)

*ユリ・ゲラーの念力に大いに興味を示す


4月9日 

水上勉と石見三隅町山中の「こごめ桜」を花見に行くが、花時に会えず、帰途、出雲大社を参詣する


5月 

「本居宣長(五十一)」(『新潮』)

九州へ夫人、那須良輔夫妻と旅行    


7月 

「本居宣長(五十二)」(『新潮』) 


8月 

霧島の第十九回学生青年合宿教室で「信ずることと知ること」を講演  


9月 

「本居宣長(五十三)」(『新潮』)


10月 

「古田君の事」『回想の古田晃』筑摩書房私家版)


11月 

「古田君の事」『ちくま』)

金沢へ夫人、今日出海夫人、那須良輔夫妻と旅行


12月 

「本居宣長(五十四)」(『新潮』)

「古田君の事」(『文藝春秋』)

「志賀直哉宛書簡五通」『志賀直哉全集別巻 志賀直哉宛書簡』岩波書店)

『考へるヒント2』(『文藝春秋』)         



1975年(昭和50年)73歳

2月 

「本居宣長(五十五)」(『新潮』)


3月 

「信ずることと知ること」(『日本への回帰』第一〇集、国民文化研究会)


4月 

「本居宣長(五十六)」(『新潮』)

東京都知事選に際して石原慎太郎候補の推薦人に加わる

下旬に磐城三春の「滝桜」花見へ夫人、今日出海夫妻と旅行


5月 

「中川さんの絵と文」の前半(『中川一政文集』内容見本、筑摩書房)

九州へ夫人、今日出海夫妻、那須良輔夫妻と旅行


6月 

「本居宣長(五十七)」(『新潮』)

『新修日本絵巻物全集』(角川書店)の監修に参加

山の上の生活に苦痛と不便を感じ始め、鎌倉八幡宮の前に敷地を買い、転居準備

福田恆存のすすめで鍼治療を始める


8月 

「本居宣長(五十八)」(『新潮』)


9月 

「交友対談」の題で今日出海と対談(『毎日新聞』)


10月 

「本居宣長(五十九)」(『新潮』)

「中川さんの絵と文」の後半(『中川一政展目録』)

林房雄死去(七十歳)



1976年(昭和51年)74歳

1月 

『新潮』に「本居宣長(六十)」(『新潮』)

「新潮社八十年に寄せて」『毎日新聞』と『朝日新聞』の「新潮社年頭広告」)

「推薦文」『オスカー・ワイルド全集』内容見本、出帆社)

国書刊行会の『島木健作全集』監修に参加


1月20日 

鎌倉市雪ノ下1-13-20に移転  


2月 

三百人劇場で「信ずることと知ること(続篇)」を講演(三百人劇場)    


3月15日 

「信ずることと知ること」脱稿、健康変化を自覚


4月 

「信ずることと知ること(続編)(要旨)」『現代思想』)

5月 

九州へ夫人および那須良輔夫妻と旅行


6月 

「本居宣長(六十一)」(『新潮』)

「古典に還るといふ事」『新潮日本古典集成』内容見本)

「水上勉の文学」(『水上勉全集』内容見本、中央公論社)

『考へるヒント3』(文春文庫)


7月 

「信ずることと知ること」(『諸君!』)


8月 

「本居宣長(六十二)」(『新潮』)


10月 

『新潮』に「本居宣長(六十三)」(『新潮』)

安岡章太郎と「人間と文学」の題で対談(『国文学』小林秀雄特集号)

九州へ夫人および那須良輔夫妻と旅行


12月 

「本居宣長(六十四)」(『新潮』)

「本居宣長」の連載終了

中村明によるインタビュー「小林秀雄」(『言語生活』)


 

1977年(昭和52年)75歳

*この年、前半は「本居宣長」の最終章執筆に専念し、七月末脱稿す。


1月30日 

『小林秀雄集』(『近代日本思想大系』第二九巻、筑摩書房


2月 

「推薦文」(『ヴィリエ・ド・リラダン全集』内容見本、東京創元社)


4月15日

前年転居祝いに植えた桜が満開

4月 

那須良輔の紹介で東慶寺山内に塋域をもとめる


5月 

「土牛素描」『奥村土牛素描展目録』)

「里見さんの仕事」『ちくま』)

九州へ夫人および那須良輔夫妻と旅行


7月

中央公論社『宇野千代全集』内容見本に推薦文を発表

7月10日

「地獄の季節」分担・共訳(『ランボオ全集 第二巻』人文書院刊)


9月 新潮社『円地文子全集』内容見本に推薦文を発表。

「山本五十六について」(『阿川弘之自選作品』内容見本、新潮社)

文化勲章の銓衡委員になり丹羽文夫を推す


10月30日 

『本居宣長』(新潮社)


11月 

京都へ夫人と旅行

11月13日〜14日 

和歌山・大阪で『本居宣長』刊行記念講演会で「感想」を講演


12月 

「入江さんの大和路」(入江泰吉『仏像大和路』序文、保育社)

江藤淳と「『本居宣長』をめぐって」の題で対談(『新潮』)  

 

1978年(昭和53年)76歳

1月 

「感想(「玉勝間」の中に...)」(『波』)


3月 

『対話 人間の建設』新装版(新潮社)

3月30日 

『信ずることと知ること』(「限定著者版二六部」及び「限定市販版一七九部」槐書房)


4月 

「自分の仕事」(『波』)


5月 

『新訂小林秀雄全集』(新潮社版全一三巻、別巻二)刊行開始(〜79年9月)

「草野君の全集」(『草野心平全集』内容見本、筑摩書房)

九州へ夫人および那須良輔夫妻と旅行


5月25日 

『新訂小林秀雄全集 第一巻 様々なる意匠』(新潮社)


6月8日 

『本居宣長』により第十回日本文学大賞受賞

日本文化会議創立十周年に「『本居宣長』を終へて」を講演


6月10日 

『人生について』(中公文庫)

6月25日 

『新訂小林秀雄全集 第二巻 ランボオ・Xへの手紙』(新潮社)


7月 

「受賞して」(『新潮』)

7月25日 

『新訂小林秀雄全集 第三巻 私小説論』(新潮社)


8月6日

阿蘇で行われた国民文化研究会主催の学生青年合宿教室で「感想-本居宣長をめぐって」を講演

8月25日

『新訂小林秀雄全集 第四巻 作家の顔』(新潮社)


9月25日

『新訂小林秀雄全集 第五巻 ドストエフスキイの生活』(新潮社)


10月 

山形へ夫人、今日出海夫人および那須良輔夫妻と旅行

10月25日 

『新訂小林秀雄全集 第六巻 ドストエフスキイの生活』(新潮社)


11月25日 

『新訂小林秀雄全集 第七巻 ドストエフスキイの作品』(新潮社)


12月20日

アラン『精神と情熱とに関する八十一章』(創元選書、翻訳、再刊)

12月25日

『歴史について 小林秀雄対談集』(文春文庫)

12月25日 

『新訂小林秀雄全集 第八巻 無常といふ事・モオツアルト』(新潮社)



1979年(昭和54年)77歳

1月

「『本居宣長』補記(一)」(『新潮』)

「堀辰雄宛書簡四通」(『堀辰雄全集別巻一 来簡集』筑摩書房)

九州へ旅行

1月25日 

『新訂小林秀雄全集 第九巻 私の人生観』(新潮社)


2月

「『本居宣長』補記(二)」(『新潮』)

2月9日

『近代の超克』(冨山房文庫、冨山房)(座談会で若干発言あり)

2月25日 

『新訂小林秀雄全集 第十巻 ゴッホ』(新潮社)


3月 「ルオーの版画」(『ルオー全版画』内容見本、岩波書店)

3月25日 

『新訂小林秀雄全集 第十一巻 近代絵画』(新潮社)

3月27日 

青山二郎七十七歳にて死去


4月 

「本の広告」(『波』)

伊勢・松坂へ旅行

4月11日 

『感想』(新潮社)

4月11日

『本居宣長』の「限定著者版」と「限定頒布版」(新潮社)

4月25日 

『新訂小林秀雄全集 第十二巻 考へるヒント』(新潮社)

4月末 

盛岡に石割桜の花見に行くが、花時に会えず


5月 

「ルオーの事」(『ルオー展目録』吉井画廊)


4月25日 

『新訂小林秀雄全集 第十三巻 本居宣長』(新潮社)


6月 

「ルオーの事」(5月の同名論文の再掲、『藝術新潮』)

6月末 

安岡章太郎と富山県庄川河畔に旅行


7月25日 

『新訂小林秀雄全集 別巻I 人間の建設』(新潮社)


9月25日 

『新訂小林秀雄全集 別巻II 批評への道』(新潮社)


10月 

河上徹太郎と「歴史について」の題で対談(『文学界』)

松本へ夫人と旅行


11月 

平凡社『岡倉天心全集』内容見本で推薦文収録

熊野・奈良へ夫人および那須良輔夫妻と旅行


                     

1980年(昭和55年)78歳

2月 

「『本居宣長』補記II(一)」(『新潮』)

2月8日 

明治大学文芸科時代の学生たちと座談会 


3月 

「『本居宣長』補記II(二)」(『新潮』)


4月 

盛岡で石割桜の花見

4月4日 

河上徹太郎と最後の会合(野々上慶一も同席)


4月16日

『小林秀雄初期文芸論集』(岩波文庫)


5月 

「『本居宣長』補記II(三)」(『新潮』)

下諏訪の「おん柱祭」に夫人同伴


5月27日 

岡山市で文藝春秋主催の「正宗白鳥生誕百年記念」文化講演会で、安岡章太郎、大江健三郎と講演


6月 

「『本居宣長』補記II(四)」(『新潮』)

「梅原龍三郎展」(『梅原龍三郎展目録』吉井画廊)

九州、及び奈良へ旅行


9月22日 

河上徹太郎、七十八歳にて死去。葬儀委員長を務める  

11月 

山口へ夫人および那須良輔夫妻と旅行

11月19日 

山口への旅行の後に急激な健康の変化



1981年(昭和56年)79歳

1月 

「正宗白鳥の作について(一)」(『文学界』)


3月 

「正宗白鳥の作について(二)」(『文学界』)


4月 

「正宗白鳥の作について(三)」(『文学界』)

講談社『永井龍男全集』内容見本で推薦文収録。

4月中旬 

甲州清春の芸術村開村式に出席


5月 

九州へ夫人同伴で旅行


6月 

「正宗白鳥の作について(四)」(『文学界』)


7月 

「河上君の全集」(『小説新潮スペシャル夏号』)

『小林秀雄全翻訳』(講談社)


9月 

「正宗白鳥の作について(五)」(『文学界』)


10月 

四国へ旅行

10月6日 

保田與重郎の密葬に参加


11月 

「正宗白鳥の作について(六)」(『文学界』)

『ドストエフスキイ全論考』講談社)

京都・奈良へ夫人および那須良輔夫妻と旅行

                                           

1982年(昭和57年)80歳

1月 

「『流離譚』を読む」(『新潮』)

1月15日 ホテルオークラで行われた文藝春秋六十周年の「菊池寛夫人を囲む会」に出席(最後の公の会への出席となる)


2月1日 

風邪により高熱、半月ほど仰臥

3月初旬 

福田恆存より韓国旅行の誘いを受ける

3月中旬  

「正論」誌のために写真撮影(最後の写真となる)


3月30日 

川崎市立病院入院 


4月11日 

『本居宣長補記』(新潮社)


6月1日 

慶応大学病院に転院


7月1日 

八時間に及ぶ手術を受ける  


9月29日 

慶応大学病院を退院 (以後自宅療養)      


1983年(昭和58年)80歳

1月13日

鎌倉市御成町の佐藤病院に緊急入院

1月26日 慶応大学病院に転院  


3月1日

慶応大学病院にて腎不全により死去(享年八十歳) 同日自宅にて通夜


3月2日

鎌倉東慶寺にて密葬 戒名は華厳院評林文秀居士


3月8日

東京青山葬儀所にて本葬(葬儀委員長は今日出海、友人代表は永井龍男、大岡昇平、中村光夫、福田恆存、葬儀司会は江藤淳)


5月

『文学界』で遺作「正宗白鳥の作について(七)」が掲載される


9月10日

『白鳥・宣長・言葉』(『文藝春秋』)



by ichiro_ishikawa | 2019-06-30 18:00 | 文学 | Comments(0)  

詳細年表 60代の小林秀雄

「感想」(ベルクソン論)の中断、本居宣長の執筆開始。「考へるヒント」、岡潔との対談「人間の建設」


1962年(昭和37)60歳

1月

「考へるといふ事」(『文藝春秋』)

座談会「明治・大正・昭和三代の文学・人間・社会」(『朝日ジャーナル』)  


2月

「もみぢ」(『小説新潮』)

「感想(四十一)」(『新潮』)


3月

大阪・福岡地方で文藝春秋新社主催の「文化講演会」出席

「感想(四十二)」(『新潮』)


4月

「ヒューマニズム」(『文藝春秋』)

「徳利と盃」(『藝術新潮』)

「ゴッホの絵」(講談社『世界美術大系』第十九巻

信州高遠城址へ花見に行く

「感想(四十三)」(『新潮』)


5月

「壺」(『藝術新潮』)

「感想(四十四)」(『新潮』)


6月

「鐔」(『藝術新潮』)

「福沢諭吉」(『文藝春秋』)

「感想(四十五)」(『新潮』)


7月

「感想(四十六)」  (『新潮』)


8月

「還暦」(『文藝春秋』)

「現代の思想」(理想社『続々国民同胞感の探求』)

「感想(四十七)」(『新潮』)


9月

北陸地方で文藝春秋新社主催「文化講演会」出席

「感想(四十八)」(『新潮』)


10月

「人形」「樅の木」「天の橋立」「お月見」(『朝日新聞』PR版)

「感想(四十九)」 (『新潮』)


11月

「天といふ言葉」(『文藝春秋』)

「季」(『朝日新聞』PR版)

「感想(五十)」  (『新潮』)


12月

「江利チエミの声」(『朝日新聞』PR版)

「感想(五十一)」  (『新潮』)          



1963年(昭和38年)61歳

1月

「高麗剣」(『藝術新潮』)

「哲学」(『文藝春秋』)

「青年と老年」(『朝日新聞』)

「白鳥の精神」の題で河上徹太郎と対談(『文藝』)


2月

「感想(五十二)」(『新潮』)


3月

沖縄に旅行

「染付III」(『藝術新潮』)

「天命を知るとは」(『文藝春秋』)

「感想(五十三)」 (『新潮』)


4月

「スランプ」「踊り」「さくら」(『朝日新聞』PR版)

「感想(五十四)」 (『新潮』)


5月

「歴史(徂徠は...)」(『文藝春秋』)

「感想(五十五)」 (『新潮』)


6月

「感想(五十六)」(『新潮』)

未完のまま56回で打ち切られる

「ポオ全集」(東京創元新社『ポオ全集』第二巻月報)

安岡章太郎、佐々木基一とソ連作家同盟の招きでソビエトに旅行(10月に欧州経由で帰国) 


7月

「物」(『文藝春秋』)


8月

座談会「文学と人生」(『新潮』)


10月

ヨーロッパ経由で帰国

『ファン・ゴッホ書簡全集』(みすず書房)監修に参加


11月

文化功労者として顕彰される

「見物人」(『朝日新聞』PR版)

「文藝春秋祭り」で「ソヴェトの旅」と題して講演

「ネヴァ河」(『朝日新聞』)

*この年、現代演劇協会常任理事となる           



1964年(昭和39年)62歳

1月

「バイロイトにて」(『藝術新潮』)

「批評」(『讀賣新聞』)

「思索する世界」の題で篠田一士と対談(『潮』)

『近代芸術の先駆者』(20世紀を動かした人々7、講談社)を責任編集


2月

「ソヴェトの旅」(『文藝春秋』)

座談会「辰野博士を偲ぶ」(TBSラジオ)


5月

『「白痴」について(角川書店)

『考へるヒント』(文藝春秋新社)

「日本の新劇」の題で岩田豊雄と対談(『雲(第三号)』)

酒田・弘前などで文藝春秋新社主催の「文化講演会」出席


6月

「道徳」(『文藝春秋』)

「教養といふこと」の題で田中美知太郎と対談(『中央公論』)

獅子文六、角川源義と熊野三山を旅行


7月

「花見」(『文藝春秋』)

「批評と人生」の題で佐古純一郎と対談(『信徒の友』に)

『論集 古典と美』(求龍堂)


8月

桜島の第九回学生青年合宿教室で「常識について」を講演


10月

「常識について(上)」(『展望』復刊号)

『藝術新潮』(臨時増刊号特集「日本美術百選」)を矢代幸雄と編集

「DDT」(『朝日新聞』PR版)

この頃、獅子文六、角川源義と出羽三山を旅行


11月

「常識について(下)」(『展望』復刊号)

「オリンピックのテレビ」(『朝日新聞』PR版)



1965年(昭和40年)63歳

1月

伊勢松坂の本居宣長の両方の墓に詣でる 


2月

座談会「辰野隆氏を偲んで」(『心』)

「本居宣長」の執筆を始める  


3月

『信楽大壺』に「信楽大壺」(東京中日新聞社)

長女明子、白洲兼正と結婚


4月

伊勢・京阪地方で文藝春秋新社主催の「文化講演会」出席

岐阜の山奥にある「薄墨桜」の満開に立ち会う


5月

『正宗白鳥全集』監修(新潮社)

「正宗白鳥全集」(『讀賣新聞』)

『人類の美術』監修(新潮社)

第四回全国俳句大会で講演


6月

「本居宣長(一)」(『新潮』)

「本居宣長」連載開始(『新潮』、〜71年12月)

『豊島與志雄全集』監修(未来社)

座談会「桃山の文化」(『展望』)

伊勢松坂の本居宣長の墓に詣でる


7月

「本居宣長(二)」 (『新潮』)


8月

「本居宣長(三)」 (『新潮』)


9月

「本居宣長(四)」 (『新潮』)


10月

「人間の建設」の題で岡潔と対談(『新潮』)

『対話 人間の建設』(新潮社)


11月

「本居宣長(五)」(『新潮』)

「文学の四十年」の題で大岡昇平と対談(中央公論社版・日本の文学『小林秀雄』月報)

國學院大學で「本居宣長について」を講演


12月

孫、信哉生まれる

講談社『世界の美術館』刊行に参画



1966年(昭和41年)64歳

1月

「本居宣長(六)」(『新潮』)

『小林秀雄対話集』(講談社)


2月

「本居宣長(七)」(『新潮』)

文藝春秋文化講演会で「文藝雑感」を講演(渋谷公会堂)  


3月

『現代日本文学館』(全四三巻、文藝春秋社)を単独編集

「青山君の句稿」(私家版『青山義高句集』序文、求龍堂)


4月

「本居宣長(八)」(『新潮』)


5月

「日本文化の底流を探る」の題でガブリエル・マルセルと対談(『讀賣新聞』)


6月

「本居宣長(九)」(『新潮』)

『ドストエフスキイ(講談社)


7月

講演集『常識について』(筑摩書房)

8月

「本居宣長(十)」(『新潮』)


10月

「本居宣長(十一)」(『新潮』)

中国地方で文藝春秋社主催の「文化講演会」出席  


11月

獅子文六、角川源義と山陰地方を旅行  


12月

『藝術随想』(新潮社)



1967年(昭和42年)65歳

1月

東京・紀伊国屋で新潮社文化講演会で「新春随想」を講演


2月

「ヴァレリイ全集」(同全集内容見本、筑摩書房)


4月

「本居宣長(十二)」(『新潮』)

「藝について」の題で永井龍男と対談(『婦人公論』)

丹波の常照皇寺へ花見へ行くが花時に会えず


5月

「音楽談義」の題で五味康佑と対談(『ステレオサウンド』)


6月

「本居宣長(十三)」(『新潮』)

新潟県姫川上流の原生林中にある翡翠の原産地を見学に行く

第三次『小林秀雄全集』刊行(新潮社版全一二巻)  


8月

「本居宣長(十四)」(『新潮』)


9月

「感想(「牛部屋の臭ひ」と...)」(『正宗白鳥全集』附録第一〇号、新潮社)


10月

「本居宣長(十五)」(『新潮』)

「中原の詩」(『中原中也』内容見本、角川書店)


11月

『坂口安吾全集』(冬樹社)監修に参加

「坂口安吾全集」(同全集内容見本)

文化勲章受章


12月

「本居宣長(十六)」(『新潮』)

「古典と伝統について」(『思想との対話』第六巻、講談社)

「対話による解説 歴史と文学」の題で江藤淳と対談  (同書)



1968年(昭和43年)66歳

1月

「小林秀雄との対話」の題で今日出海と対談(『讀賣新聞』)


2月

日本芸術大賞銓衡委員となる  


3月

「本居宣長(十七)」(『新潮』)

「深沢七郎君のこと」(『深沢七郎選集』附録第二号、大和書房)


4月? 

丹波の常照皇寺へ古木の桜の花見へ行く   


5月

「本居宣長(十八)」(『新潮』)

「筑摩版全集の刊行を喜ぶ」(『本居宣長全集』内容見本、筑摩書房)


6月

福田恆存・竹山道雄・田中美知太郎等と日本文化会議を結成


7月

「本居宣長(十九)」(『新潮』)


9月

「本居宣長(二十)」(『新潮』)


10月

「希哲学」を発表(「『田中美知太郎全集』内容見本、筑摩書房) 


11月

「本居宣長(二十一)」(『新潮』)



1969年(昭和44年)67歳

1月

「本居宣長(二十二)」(『新潮』)


3月

「本居宣長(二十三)」(『新潮』)


3月末

小田原郊外入生田の山中にある桜の古木の花見に

   

4月

「美しきパラドックス」(『川端康成全集』内容見本、新潮社)


5月

「本居宣長(二十四)」(『新潮』)

勁草書房刊の『河上徹太郎全集』の編集委員に加わる

「跋語」(同全集第一巻)


7月

「本居宣長(二十五)」(『新潮』)

「新宮殿と日本文化」の題で高尾亮一と対談(『諸君!』)   


9月

「本居宣長(二十六)」(『新潮』)

岩田豊雄(獅子文六)死去(七十六歳)


11月

「本居宣長(二十七)」(『新潮』) 



1970年(昭和45年)68歳

2月「本居宣長(二十八)」(『新潮』)


4 月

「本居宣長(二十九)」(『新潮』)

京都黒谷山中へ花見に


6月

「本居宣長(三十)」(『新潮』)


8月

「本居宣長(三十一)」(『新潮』)

新潮社刊の江藤淳『漱石とその時代』(第二部)で表紙刷込み推薦文を書く

雲仙の第一五回学生青年合宿教室で「文学の雑感」の題で講演


10月

「本居宣長(三十二)」(『新潮』)



1971年(昭和46年)69歳

1 月

「三島君の事(談話)」(『新潮』臨時増刊号)


2月

「本居宣長(三十三)」(『新潮』)

「 富永太郎の絵」『 富永太郎展パンフレット』)


4月

「本居宣長(三十四)」(『新潮』)

第三回日本芸術大賞選評「地主さんの絵」(『藝術新潮』)

「飛鳥を語る」の題で末永雅雄と対談(『太陽』)

日光の東大植物園へ那須良輔と花見  


5月  

「吉野さんの書」(『吉野秀雄遺作展案内栞』)


6月

「本居宣長(三十五)」(『新潮』)

「四十雀」(那須良輔『絵本歳時記』序文、毎日新聞社)


7月

「歴史について」の題で江藤淳と対談(『諸君!』)

隣家から地境について干渉、仕事捗らず  


8月

「本居宣長(三十六)」(『新潮』)


鈴木重信と信州戸隠に紅葉見物


10月21日

志賀直哉死去(八十八歳)


11月

『中村光夫全集』(筑摩書房『中村光夫全集』内容見本)

河上徹太郎・今日出海と「鼎談」(『新潮』)

東京宝塚劇場の文藝春秋祭りで、「文藝雑感」を講演(「生と死」と改題されて翌年2月に『文藝春秋』で掲載)


12月

「本居宣長(三十七)」(『新潮』)

「牡丹」(『牡丹の花 獅子文六追悼録』私家版)

「志賀さんにふさわしい出版」(志賀直哉『玄人素人』内容見本、座右寶刊行会刊)



by ichiro_ishikawa | 2019-06-30 17:00 | 文学 | Comments(0)  

詳細年表 50代の小林秀雄

「中庸」執筆、「「白痴」についてII」「近代絵画」連載開始



1952年(昭和27)50歳

1月

「中庸」(『朝日新聞』)

「ヴァイオリニスト」(『新潮』)

「セザンヌの」自画像」(『中央公論』)

「ゴッホの手紙(13)」(『藝術新潮』)

「ヨーロッパ周遊」の題で岸田国士、硲伊之助と鼎談( 『群像』)


2月

「ゴッホの手紙(14)」(『藝術新潮』)連載終了

「『賭はなされた』を見て」(『西日本新聞』)

「『天井桟敷の人々』を見て」(『読売新聞』)


3月

文藝春秋社主催の「文藝春秋30周年記念愛読者大会」で講演

東京で文士劇「父帰る」に出演

  

4月

座談会「文藝春秋三十年の思ひ出」(『文藝春秋』)

座談会「文学界二十年の歩み」(『文学界』)

京都・大阪で文士劇「父帰る」に出演

「雑談」(『婦人朝日』)


5月

「「白痴」についてII」(『中央公論』)連載


6月

「埴輪」(『日本の彫刻 上古時代』美術出版社)

「「白痴」についてII(2)」(『中央公論』)

『ゴッホの手紙(書簡による伝記)』(新潮社)


7月

「「白痴」についてII(3)」(『中央公論』)


8月

「「白痴」についてII(4)」(『中央公論』)


9月

「「白痴」についてII(5)」(『中央公論』)

座談会「芸術批評について」に出席(『藝術新潮』)


10月

「「白痴」についてII(6)」(『中央公論』)

「自分の本」(『限定版手帖』九号)

「現代文学の諸問題」の題で石川淳と対談(『群像』)

文藝春秋講演会(山陰地方)で「文芸雑感」を講演


11月

「「白痴」についてII(7)」(『中央公論』)


12月

「「白痴」についてII(8)」(『中央公論』)

今日出海とヨーロッパ旅行に出発



1953年(昭和28)51歳

*旅程は、パリーエジプトーギリシアーイタリアーパリースイスースペインーパリーオランダーイギリスーアメリカ


1月

「「白痴」についてII(9)」(『中央公論』)

『ゴッホの手紙』により讀賣文学賞受賞


2月 

「序文」(井上友一郎『桃中軒雲右衛門』講談社)


3月

「エジプトにて」(『朝日新聞』)


4月

「欧州通信」(『朝日新聞』)


5月

『昭和文学全集13 小林秀雄・河上徹太郎集』(角川書店)


7月

アメリカを経由して帰国。

『現代随想全集9 正宗白鳥・小林秀雄集』(創元社)


10月

「喋ることと書くこと」「読書週間」「近代絵画」を講演(日本文化放送)


11月

「わが滞欧作品(写真)」(『藝術新潮』)


12月

「ギリシア・エヂプト写真紀行」(『藝術新潮』)

*この頃、青山二郎と疎遠になる  



1954年(昭和29)52歳

1月

「喋ることと書くこと」(『新潮』)

「自由」(『朝日新聞』)


 2月

「読書週間」(『新潮』)

『小林秀雄文庫』(全5巻、中央公論社)刊行開始


3月

「近代絵画」(『新潮』)連載開始

「近代絵画(1)ボードレール」(『新潮』)


4月

「推薦の言葉」(『ボードレエル全集』内容見本、創元社)


5月

「近代絵画(2)モネ1」(『新潮』)


6月

「近代絵画(3)モネ2」(『新潮』)


7月

「近代絵画(6)セザンヌ3」(『新潮』)

中村光夫を相手に「批評について」(NHK第二放送)


8月

「近代絵画(4)セザンヌ1」(『新潮』)

永井龍男を相手に「批評について」(NHK第二放送、以後1966年まで12回にわたって、NHKの対談及び座談会に出席)


9月

「近代絵画(5)セザンヌ2」(『新潮』)


10月

「近代絵画(7)セザンヌ4」(『新潮』)

「ゴルフ随筆」(『小説新潮』)

「文藝春秋文化講演会」(北九州地方)で講演


11月

「近代絵画(8)セザンヌ5上」(『新潮』)

「栗の樹」(『朝日新聞』)

「推薦の言葉」(『現代日本詩人全集』内容見本、創元社)


12月

「近代絵画(9)セザンヌ5中」(『新潮』)

「美しい美術の吸収消化」(『世界美術大辞典』内容見本、河出書房)


                                            

1955年(昭和30)53歳

1月

「鐵斎III」(『現代日本美術全集』第一巻、角川書店)

「ピラミッドI」(『朝日新聞』)

「近代絵画(10)セザンヌ5下」(『新潮』)

「第一回新潮社文学賞選後評」(『新潮』)

「文学・芸術・人生」の題で伊藤整と対談(『文藝』)

湯川秀樹、笠信太郎と「新春座談会 現代の良識とは」(NHK第二放送)

亀井勝一郎、河盛好蔵と鼎談「政治について」(NHK第二放送)(『週間NHK新聞』に掲載)


2月

「近代絵画(11)セザンヌ6」(『新潮』)


3月

「近代絵画(12)セザンヌ7」(『新潮』)

「ゴッホの墓」(『朝日新聞』)

「推薦の言葉」(『伊藤整全集』内容見本、河出書房)


4月

「美の行脚」の題で河上徹太郎と対談(『藝術新潮』)

「感想(先日、ディズニーの...)」(『新潮』)

「常識(先ごろ...)」(『朝日新聞』)

「確信に基づく文化論」(福田恆存『文化とはなにか』カバー刷込み推薦文、東京創元社)

文藝春秋社主催の「文化講演会」(東北地方)で講演


5月

「近代絵画(13)セザンヌ8」(『新潮』)

「小説」(『文学新聞』)


6月

「菊池寛」を『文藝春秋』(臨時増刊号)

「教育」(『朝日新聞』)

「近代絵画(14)ゴッホ1」(『新潮』)

「志賀直哉氏の文学」(『志賀直哉全集』内容見本、岩波書店)


7月

「理想」(『朝日新聞』)

「近代絵画(15)ゴッホ2」(『新潮』)

『小林秀雄対話録』(新潮社)


8月

「ハムレットとラスコオリニコフ」(『新潮』)

「民主主義教育」(『朝日新聞』)


9月

第二次『小林秀雄全集』刊行開始(新潮社版全八巻)

「近代絵画(16)ゴッホ3」(『新潮』)


10月

小林家、強盗に襲われる(泥棒は戦後四回目)

「近代絵画(17)ゴーガン1上」(『新潮』)

文藝春秋社主催の「文化講演会」(九州地方)で講演


11月

東京宝塚劇場で文士劇出演

「文藝春秋と私」(『文藝春秋』)

「ギリシアの印象」(『中央公論』)

「鐵斎の扇面」(『文藝増刊号 美術読本』)

「近代絵画(18)ゴーガン1下」(『新潮』)


12月

座談会「志賀さんを囲んで」(『文藝』)



1956年(昭和31)54歳

1月

「近代絵画(20)ゴーガン3」(『藝術新潮』、以後「近代絵画」は『藝術新潮』に連載)

正宗白鳥・今日出海と「新春座談会 人生・文学・芸術」(NHK第二放送)


2月

「近代絵画(21)ルノアール1」(『藝術新潮』)

野村光一と「対談 音楽の窓」(NHK第二放送)


3月

「近代絵画(22)ルノアール2」(『藝術新潮』)

「エヴェレスト」(『朝日新聞』)

「ほんもの・にせもの展」(『読売新聞』)


4月

「近代絵画(23)ルノアール3」(『藝術新潮』)

 文藝春秋社の「文化講演会」(近畿地方)で講演


5月

「近代絵画(24)ルノアール4」(『藝術新潮』)

「吉田茂」(『週刊朝日』)

日比谷公会堂の「ドストエフスキイ75年祭」で講演  


6月

「近代絵画(25)ドガ1」(『藝術新潮』)

文藝春秋社の「文化講演会」(信越地方)で講演 


7月

「近代絵画(26)ドガ2」(『藝術新潮』)

創元社刊『坂口安吾選集』の内容見本に推薦文  


8月

「近代絵画(27)ドガ3」(『藝術新潮』)

「ドストエフスキイ七十五年祭に於ける講演」(10月まで『文学界』)


9月

吉川逸治と「映画『ピカソ・天才の秘密』」と題して対談(『藝術新潮』)


10月

「近代絵画(28)ピカソ1」(『藝術新潮』)


11月

「近代絵画(29)ピカソ2」(『藝術新潮』)

「蟹まんぢゆう」を『あまカラ』に発表

文藝春秋社の「愛読者大会」(東京宝塚劇場)で講演  


12月

「近代絵画(30)ピカソ3上」(『藝術新潮』)

修道社刊の『ロシア文学全集』内容見本に推薦文  



1957年(昭和32)55歳

1月

「近代絵画(31)ピカソ3下」(『藝術新潮』)

「美のかたち」の題で三島由紀夫と対談(『文藝』)


2月

「近代絵画(32)ピカソ4」(『藝術新潮』)

『美を求めて』(新潮社)の編纂、同書に「美を求める心」を発表

『鐵斎』を梅原龍三郎、中川一政と共編、同書に「鐵斎IV」を発表


3月

「近代絵画(33)ピカソ5」(『藝術新潮』)


4月

「近代絵画(34)ピカソ6下」(『藝術新潮』)

「鎌倉」(『週刊朝日』)


5月

「近代絵画(35)ピカソ6上」(『藝術新潮』)

文藝春秋社の「文化講演会」(中国地方)で講演  


6月

「近代絵画(36)ピカソ7」(『藝術新潮』)


7月

「近代絵画(37)ピカソ8」(『藝術新潮』)


8月

「近代絵画(38)ピカソ9」(『藝術新潮』)


9月

「近代絵画(39)ピカソ10」(『藝術新潮』)

中央公論社刊の幸田文『おとうと』内容見本に推薦文を発表

「ヴァン・ダインは一流か五流か」の題で江戸川乱歩と対談(『宝石』)


10月

「近代絵画(40)ピカソ11」(『藝術新潮』)

座談会「面影を偲ぶ・中原中也」(大岡昇平、青山二郎、冨倉徳次郎と、NHK第一放送) 


11月

「近代絵画(41)ピカソ12」(『藝術新潮』)

「感想(現代人を...)」(『文藝春秋』)

岩波文庫のランボオ『地獄の季節』改訳・改版刊行  


12月

「近代絵画(42)ピカソ13」(『藝術新潮』)

「まことに有意義な企て」(『谷崎潤一郎全集』内容見本、中央公論社)



1958年(昭和33)56歳

1月

「近代絵画(43)ピカソ14」(『藝術新潮』)

吉田茂と「新春放談」(NHK第一放送)

「国語といふ大河」(『毎日新聞』)


2月

「近代絵画(44)ピカソ15」連載終了(『藝術新潮』)

「悪魔的なもの」(『講座現代倫理』第二巻、筑摩書房)

「火野君の思い出」(『火野葦平全集』内容見本、東京創元社)


3月

談話「流行作家」(「週間NHK新聞」)


4月

『近代絵画』(豪華版、人文書院)

「ピカソ以後」の題で吉川逸治と対談(『藝術新潮』)


5月

「感想(一)」(『新潮』でベルグソン論として「感想」を連載開始)

「平凡な寄稿家」(『週刊朝日』)


6月

「私の空想美術館1 ゴッホとグレコ」(『文藝春秋』)

「感想(二)」(『新潮』)


7月

「私の空想美術館2 ゴヤとホルバイン」(『文藝春秋』)

「戦後女流文学の収穫」(『幸田文全集』内容見本、中央公論社)

「感想(三)」(『新潮』)

 

8月

「私の空想美術館3 エジプト像とペルシャ陶器」(『文藝春秋』)

「写真」(『アサヒカメラ』)

「マルロオの『美術館』」(『藝術新潮』)

「感想(四)」(『新潮』)


9月

「蓄音機」(『藝術新潮』)

「感想(五)」(『新潮』)


10月

「芸術・人間・政治の題で対談(『週間読書人』で編集部と)

文藝春秋社の「文化講演会」(近畿地方)で講演

「感想(六)」(『新潮』)


11月

「ゴッホの病気」(『藝術新潮』)

「感想(七)」(『新潮』)


12月

『近代絵画』により野間文芸賞を受賞

『近代絵画』(普及版、新潮社)

「感想(八)」 (『新潮』)



1959年(昭和34)57歳

1月

「ペレアスとメリザンド」(『藝術新潮』)

「スポーツ」(『日本経済新聞』)

「ゴルフの名人」(『文藝春秋』)

京都で「好きな道」を講演

中村光夫と「文化の根底を探る」の題で対談(NHK第二放送「教養特集」)

「感想(九)」 (『新潮』)


2月

「感想(十)」(『新潮』)


3月

座談会「小林秀雄氏とのある午後」(『年刊モーツァルト』創刊号)

「感想(十一)」 (『新潮』)


4月

「エリオット」(『エリオット選集』第二巻月報、彌生書房)

『週刊文春』発刊記念講演会(名古屋、京都、大阪)で講演

「感想(十二)」 (『新潮』)


5月 

「好き嫌ひ」(『文藝春秋』)

「六十年の夢」(『日本文学全集』内容見本、新潮社)

「感想(十三)」 (『新潮』)


6月

「常識」(『文藝春秋』、以後「考えるヒント」として連載)

「感想(十四)」 (『新潮』)


7月

「プラトンの『国家』」(『文藝春秋』)

『感想』(東京創元社)

「感想(十五)」(『新潮』)


8月

「井伏君の「貸間あり」」(『文藝春秋』)


9月

「読者」(『文藝春秋』)

「推薦の言葉」(『バルザック全集』内容見本、東京創元社)

「感想(十六)」 (『新潮』)


10月

「漫画」(『文藝春秋』)

座談会「小林秀雄氏を囲む一時間」(季刊『批評』)

文藝春秋社主催の「文化講演会」(近畿地方)で講演

「感想(十七)」(『新潮』)


11月

「良心」(『文藝春秋』)

「いい造本」(『川端康成全集』内容見本、新潮社)

東京宝塚劇場の文藝春秋社愛読者大会で講演

池島信平、嶋中鵬二と鼎談「文壇よもやま話」(NHK第二放送「教養特集」)

「感想(十八)」(『新潮』)


12月

「歴史」(『文藝春秋』)

芸術院会員となる

「感想(十九)」(『新潮』)    



1960年(昭和35)58歳

1月

「歴史(原題「見失はれた歴史」)」(『文藝春秋』)

「無私の精神」(『讀賣新聞』)

「感想(二十)」(『新潮』)


2月

「言葉」(『文藝春秋』)

永井龍男らと『菊池寛全集』を編纂

「感想(二十一)」(『新潮』)


3月

「役者」(『文藝春秋』)

文藝春秋新社の『菊池寛文学全集(第二巻)』で「解説」を書く

大岡昇平と『中原中也全集』(角川書店)編纂

「感想(二十二)」 (『新潮』)


4月

「或る教師の手記」(『文藝春秋』)

文藝春秋新社主催の「文化講演会」(四国地方)で講演

「感想(二十三)」 (『新潮』)


5月

「ヒットラアと悪魔」(『文藝春秋』)

「梅原龍三郎展を見て」(『讀賣新聞』)

「詩の伝統に眼をむける」(『T・S・エリオット全集』内容見本、中央公論社)

「感想(二十四)」(『新潮』)


6月

「感想(二十五)」(『新潮』)


7月

「平家物語(藝豫海峡の...)」(『文藝春秋』)

「本居宣長-「物のあはれ」の説について-」(『日本文化研究(第八巻)』新潮社)

「感想(二十六)」(『新潮』)


9月

「現代に生きる歴史」と題して田中美知太郎と対談(『週刊読書人』)

文化勲章の銓衡委員になり吉川英治を推す

「感想(二十七)」(『新潮』)


10月

「感想(二十八)」(『新潮』)


11月

「『プルターク英雄伝』」(『文藝春秋』)

「感想(二十九)」(『新潮』)


12月

「感想(三十)」(『新潮』)



1961年(昭和36)59歳

1月

「忠臣蔵I」(『文藝春秋』)

「古鐔」(『朝日新聞』)

江藤淳と「誤解されっ放しの美」の題で対談(『朝日ジャーナル』)

ストーブの上のやかんを蹴飛ばして足に大やけど


2月

「忠臣蔵II」(『文藝春秋』)

「感想(三十一)」(『新潮』)


3月

「感想(三十二)」(『新潮』)


4月

東海・紀勢地方で文藝春秋新社主催の「文化講演会」出席


5月

「感想(三十三)」(『新潮』)


6月

「学問」(『文藝春秋』)

講談社の『世界美術大系』監修

「感想(三十四)」(『新潮』)


7月

「感想(三十五)」(『新潮』)


8月

「徂徠」(『文藝春秋』)

霧島の第二回学生青年合宿教室で「現代の思想」を講演

「感想(三十六)」(『新潮』)


9月

「感想(三十七)」 (『新潮』)


10月

東京創元社取締役を辞任

九州地方で文藝春秋新社主催の「文化講演会」出席

「感想(三十八)」(『新潮』)


11月

「弁明」(『文藝春秋』)

「感想(三十九)」 (『新潮』)


12月

「ピラミッドII」(『世界美術大系』第二巻、講談社)

「感想(四十)」(『新潮』)



by ichiro_ishikawa | 2019-06-30 16:00 | 文学 | Comments(0)  

詳細年表 30〜40代 戦前の小林秀雄


「Xへの手紙」「ドストエフスキイの生活」「歴史について」「私小説論」「作家の顔」「思想と実生活」
「パスカルの『パンセ」について」『歴史と文学』「戦争と平和」「当麻」「無常といふ事」「徒然草」「西行」「実朝」



1932年(昭和7)30歳
1月
座談会「一九三二年の文芸界の動向を語る」(『新潮』)
正宗白鳥」(『時事新報』)

2月
「梶井基次郎と嘉村磯多」(『中央公論』)
「佐佐木茂索『困つた人達』」
「一月の作品」(『作品』)
「堀辰雄の『聖家族』」(『江川書房月報(第一號)』)
座談会「新年の創作を中心として」(『新潮』)
「批評について(毎月沢山の...)」(初出未詳)

3月
「文章について(一体文章について...)」(『帝国大学新聞』

4月
ヴァレリイ『テスト氏I』(翻訳、江川書房)
新設された明治大学文芸科の講師に、「文学概論」を担当

5月
「ヴァレリイの事」(初出未詳)
座談会「新しき文学の動向に就いて語る」(『新潮』)

6月
「現代文学の不安」(『改造』)
「小説の問題I」(『新潮』)
「小説の問題II」(『文藝春秋』)
「逆説といふものについて」(『讀賣新聞』)
川端康成『伊豆の踊子』に「跋文」を執筆

7月
「同人雑誌小感」(『東京朝日新聞』)
鎌倉町雪ノ下四一三番地に転居

9月
「Xへの手紙」(『中央公論』)

10月
「手帖I」(『新潮』)
座談会「純文学の危機に就いて語る」(『新潮』)

11月
『続文藝評論』(白水社)
東京帝国大学で講演 (文学部学友会主催)

12月
「年末感想」(『東京日日新聞』)


1933年(昭和8)31歳
1月
「『永遠の良人』」(『文藝春秋』)
湯沢にて深田久弥にスキーを習う

2月
ランボオ「渇の喜劇」(『本』創刊号)
「作家志願者への助言」(『大阪朝日新聞』)

3月
「手帖II」(『文藝春秋』)

4月
「文学批評に就いて」(『文学』創刊号)
「手帖III」(『新潮』)
「アンドレ・ジイド」(岩波講座『世界文学』第五巻 )
座談会「大衆文学はどうなるだらうか」(『新潮』)

5月
「故郷を失つた文学」(『文藝春秋』)
「文芸月評II」(報知新聞)
この頃、鎌倉町扇ヶ谷三九一番地に転居
第一高等学校で講演「文芸雑談」

7月
ヴァレリイ「テスト氏航海日誌抄」(翻訳、季刊『四季』第二冊)
『アルチュル・ランボオ詩集』(第一巻、江川書房)

8月
「批評について(実際の...)」(『改造』)

9月
「『ハムレット』に就いて」(『沙翁復興』創刊号)
「文芸時評(「経済往来」の...)」(『経済往来』)
「谷川徹三『内部と外部』評」(『東京朝日新聞』)
「文芸月評III」(『東京日日新聞』)

10月
「私小説について」「二科展を見る」「文藝春秋の作品」(『文学界』)
ランボオ「谷間に眠る男」(翻訳、『短歌と方法』創刊号)
リヴィエール「アンドレ・ジイド」(翻訳、『エチュード』芝書店)
『文学界』創刊に参加、宇野浩二、広津和郎、豊島與志雄、川端康成、武田麟太郎、林房雄、深田久彌とともに同人となる

11月
「『文藝春秋』と『経済往来』の作品」「故古賀春江氏の水彩画展」「金文輯君へ」(『文学界』)
座談会「文芸復興座談会」(『文藝春秋』)
『おふえりや遺文』(三才社)
横光利一とともに江川書房顧問となる

12月
「『未成年』の独創性について」(『文芸』)
「手帖IV」(『文学界』)
「批評家の悪癖」「批評家無用論」「『春琴抄』その他」(『大阪朝日新聞』)
『一つの脳髄』(四季社)
*この年、文化学院に出講

1934年(昭和9)32歳
1月
「文学界の混乱」(『文藝春秋』)
「 嘉村君のこと」(『文芸』)
「アンドレ・ジイドのドストエフスキイ論」(『作品』)

2月
『罪と罰』についてI』(第一回)(『行動』)
「アランの事」(『文学界』)
「新年号創作読後感」(『文藝春秋』)
ジイド著・今日出海訳『イザベラ』(六峰書房)推薦文」(『文藝春秋』)

3月
「文芸時評(諷刺小説について)」(『 文藝春秋』)
「未発表の氏の表現」(『梶井基次郎全集(六峰書房)内容見本』)

4月
『続々文藝評論』(芝書店)
ヴァレリイ「友の手紙I」翻訳、『ヴァリエテ』第五号)
「レオ・シェストフの『悲劇の哲学』」(『文藝春秋』)
ジイド「ジャック・リヴィエル」(翻訳、『アンドレ・ジイド全集』第九巻、建設社)
「わが愛読の日本古典」(『若草』)

5月6日
長野県松本市の森喜代美と結婚鎌倉扇ヶ谷四〇三番地に新居を構える

5月
「『罪と罰』についてI」第二回(『文芸』)
嘉村磯多全集を推す」(『嘉村磯多全集』内容見本、白水社)
「僕の手帖から」(『報知新聞』)
「中央公論の三篇」(『東京日日新聞』)
『様々なる意匠』(改造社の文芸復興叢書)
宇野浩二と『嘉村磯多全集』を編集

6月
「佐藤春夫論」(『文学界』)
「 林房雄『青年』」(『文藝春秋』)
「 短歌について」(『日本歌人 』創刊号)
ヴァレリイ「友の手紙II」(翻訳、『ヴァリエテ』第六号)
「文学界」の発行元を文圃堂書店に移行し、復刊、文圃堂書店の野々上慶一と親交を結ぶ

7月
「『罪と罰』についてI」第三回(『行動』)
アンドレ・ジイド『パリュウド』(翻訳、『アンドレ・ジイド全集』第二巻、建設社)

8月
「断想(上田進氏訳...)」(『文藝春秋』)
「中原中也の「骨」」「林芙美子の印象」(『文学界』)
座談会「政治と文学に関する座談会」(『文学界』)

9月
「『白痴』についてI」(1)(『文芸』)
 「レオ・シェストフの『虚無よりの創造』」(『文学界』)
座談会「リアリズムに関する座談会」(『文学界』)
「文藝春秋」奥羽・北海道地方講演会で講演「文学志望者へ」

10月
ヴァレリイ『テスト氏』(翻訳、野田書房)
「『紋章』と『風雨強かるべし』とを読む」(『改造』)
文章鑑賞の精神と方法」(『日本現代文章講座』第二巻、厚生閣)
「カヤの平」(『山』)
「テスト氏の訳に就いて」『野田書房通信』第一号)
「『白痴』についてI」(2)(『文芸』)
『文芸月評IV』(1)「芹沢光治良「鹽壺」」(2)「林芙美子「山中歌合」林房雄「父と子」」(『東京日日新聞』)
林房雄の出版記念会に出席

11月
「十二月の創作」(『国民新聞』)

12月
「『白痴』についてI」(3)(『文芸』)
下旬に『文藝春秋』近畿・中国地方愛読者大会で講演

 
1935年(昭和10)33歳
1月
「ドストエフスキイの生活」(1)「谷崎潤一郎『文章読本』」「中原中也の『山羊の歌』」「後記」(『文学界』)
文芸時評に就いて」(『行動』)
「文芸時評」(1)岸田氏の「富士はおまけ」(2)「おずるさ」問題(3)阿部知二の「荒地」(4)豊田三郎の「弔花」(『東京朝日新聞』)
座談会「思想についての座談会」(『行動』)
『文学界』の編集責任者となる

2月
「再び文芸時評に就いて」(『改造』)
ドストエフスキイの生活」(2)「後記」(『文学界』)
選後感想」(『校友会雑誌』第一高等学校)
プレテクスト」(翻訳、『アンドレ・ジイド全集』第七巻、建設社)

2月24日
菅平の文壇スキー大会に参加

3月
「ドストエフスキイの生活」(3)「後記」(『文学界』)
 
4月
「ドストエフスキイの生活」(4)「後記」(『文学界』)
文学批評家への注文」(『文藝春秋』)
「五月号創作評」(『中外商業新報』)

5月
「私小説論」(1)(『経済往来』)
ドストエフスキイの生活」(5)「後記」(『文学界』)
「『白痴』についてI」(4)(『文芸』)
「ほんとの不満か」(『都新聞』)

6月
「ドストエフスキイの生活」(6)(『文学界』)
「私小説論」(2)(『経済往来』)
「横光利一『覚書』」(発表誌未詳)

7月
「私小説論」(3)(『経済往来』)
「『白痴』についてI」(5)(『文芸』)
「初夏」(『週刊朝日』)
「アンドレ・ジイド」(『アンドレ・ジイド全集』第十二巻、建設社)
霧ヶ峰滞在
『精神と情熱に関する八十一章』(アラン)を翻訳

8月
「私小説論」(4)(『経済往来』)
ドストエフスキイの生活」(7)「後記」(『文学界』)
 
9月
「ドストエフスキイの生活」(8)「後記」(『文学界』)
新人Xへ」(『文藝春秋』)
ジイド『パリュウド』(翻訳、岩波文庫)「『パリュウド』について」を付す
下旬に「文藝春秋社講演会」(浅虫)で講演

10月
「ドストエフスキイの生活」(9)「後記」(『文学界』)
批評と批評家」(『月刊文章』)
 
11月
『私小説論』(上製版、作品社)
ドストエフスキイの生活」(10)「後記」(『文学界』)
「『ルナアルの日記』」(『改造』)
11月25日
文藝春秋社大阪愛読者大会で講演、文士劇「ドモ又の死」に出演(生蕃の役で)

12月
「『地下室の手記』と『永遠の良人』」(1)(『文芸』)
芥川賞(談話)」(『文芸通信』)
「岸田国士『鞭を鳴らす女』其他」(『東京朝日新聞』)
文藝春秋東京愛読者大会で文士劇「ドモ又の死」に出演。

1936年(昭和11)34歳
1月
「ドストエフスキイの生活」(11)「後記」(『文学界』)
座談会「文学界同人座談会」に出席
文学界同人改組
『Xへの手紙』を刊行(野田書房)
「作家の顔」(『讀賣新聞』)(→正宗白鳥とトルストイをめぐって〈思想と実生活論争〉始まる)

2月
「ドストエフスキイの生活」(12)「後記」(『文学界』)
「『地下室の手記』と『永遠の良人』」(2)(『文芸』)
「初舞台」(『話』)
「私信-中山省三郎氏へ」(『ヴレーミヤ』、三笠書房『ドストエフスキイ全集』月報 第五号)
「純粋小説について」(1)(『文芸通信』)
座談会「純文学・大衆小説・新聞小説」(『新潮』)
「文学界同人座談会」(『文学界』)
「ドストエフスキイの生活」で第一回文学界賞受賞、「岸田国士の『風俗時評』其他」(『讀賣新聞』)(→文藝懇話会をめぐって中野重治と論争)

3月
「純粋小説について」(2)(『文芸通信』)
「井の中の蛙」(『文芸懇話会』)
「ドストエフスキイの生活」(13)「後記」「文学界賞の事」(『文学界』)
「今月の作品」(『中外商業新報』)
「文学界同人座談会」(『文学界』)
*この頃、横光利一らと『純粋小説全集』(有光社)編集。

4月
「中野重治君へ」(『東京日日新聞』)
「思想と実生活」(『文藝春秋』)
「文芸批評のヂレンマ」「ドストエフスキイの生活」(14)「後記」(『文学界』)
「『地下室の手記』と『永遠の良人』」(3)(『文芸』)
「文芸時評」(『讀賣新聞』)
「文学界同人座談会」(『文学界』)

5月
「現代小説の諸問題」(『中央公論』)
「「夜明け前」について」「ドストエフスキイの生活」(15)「後記」(『文学界』)

6月
「文学者の思想と実生活」(『改造』)
「失敗」(『話』)
「詩の問題」「青野季吉『文芸と社会』評」「石川達三『豺狼』」「小説のリアリティ」「若き文学者の教養(菊池寛の意見)」(『東京朝日新聞』)
ドストエフスキイの生活」(16)「後記」(『文学界』)
座談会「最近の文学から問題を拾つて」(『新潮』)座談会「「夜明け前」合評会」(『文学界』)

7月
「トルストイの『芸術とは何か』」(『中央公論』)
「ドストエフスキイの生活」(17)(『文学界』)
「ドストエフスキイの精神分析」(『帝国大学新聞』)
「谷崎潤一郎『猫と庄造と二人のをんな』」「石坂洋次郎の『麦死なず』」「短編小説の衰退」(『東京朝日新聞』
「武田麟太郎『市井事』」「著者の言葉」(『讀賣新聞』)
座談会「現代小説の諸問題」(『文学界』)
ボードレール『ポオ論』(翻訳、山本文庫)
『文藝評論集』(改造文庫)(改造社)
深田久弥と十和田の蔦温泉に滞在
『文学界』は文藝春秋社発行となる

8月
「現代詩について」(『俳句研究』)
「山」(『改造』)
ドストエフスキイの生活」(18)(『文学界』)
青年論是非」「芥川賞の二作」(『東京朝日新聞』)
で座談会「詩と現代精神に関して」(『文学界』)

9月
「言語の問題」(『文芸』)
「文芸時評」(『報知新聞』)
「アンドレ・ジイドの人及び作品」(『婦人公論』)
「ノイフェルト『ドストエフスキイの精神分析』」「J・M・マリィ『ドストエフスキイ』(この本に就いて...)」「蔦温泉」「第八回文学界賞選後評」「ドストエフスキイの生活」(19)(『文学界』)
「中央公論評」「ヒュウマニズム論」「新人への批評賞」(『東京朝日新聞』)
座談会「菊池・久米を囲む文学論」(『文学界』)
ヴァレリイ『テスト氏』(野田書房)

10月
「演劇について」「林房雄『浪漫主義のために』」「同人通信」「ドストエフスキイの生活」(20)(『文学界』
「リヴィエルの『ランボオ』」「「改造」評」(『東京朝日新聞』
座談会「鎌倉組放談会」(『エスエス』)
『私小説論』刊行(作品社)

11月
「第十回文学界賞選後評」「ドストエフスキイの生活」(21)」(『文学界』)
「『罪と罰』を見る」(『讀賣新聞』)
「川上喜久子『滅亡の門』」「「改造」評」(『東京朝日新聞』)
座談会「現代青年論」と「欧羅巴漫遊問答」(『文学界』)

12月
「吉屋信子『女の友情』」「ドストエフスキイの生活」(22)(『文学界』)
「文学の伝統性と近代性」(『東京朝日新聞』)(→〈伝統〉〈民衆〉をめぐって中野重治、戸坂潤と論争始まる)
座談会「文学は何を為し得たか」(『文学界』)
アラン『精神と情熱とに関する八十一章』(翻訳、創元社)
*創元社顧問になり、創元選書の企画に参画、柳田国男の諸作を広く世に知らしむ
*この年? フロオベル『ボヴァリイ夫人』(発表誌未詳)
*「東京朝日新聞」のコラム〈槍騎兵〉に執筆
*「唯物論研究会」に加入
*明治大学で<日本文化史研究>開講

1937年(昭和12年)35歳
1月
「ドストエフスキイの時代感覚」(『改造』)
「菊池寛論」(『中央公論』)
「J・M・マリィ『ドストエフスキイ』(このマリィの...)」「大学の垣」「事件の報道」(『東京朝日新聞』)
「戸坂潤氏へ」(『報知新聞』)
「本年の文壇の展望」放送(『JOAK第二放送』)
座談会「現代芸術の分野」(『文学界』)

2月
『現代小説の諸問題』(十字堂書房)
「湯ヶ島」「中村光夫を推す」「第十三回文学界賞選後評」「ドストエフスキイの生活」(23)(『文学界』)
「草津行-スキー・カーニヴァル記」(『東京日日新聞』)
「「中央公論」評」「『ソヴェト旅行記』」(『東京朝日新聞』)
座談会「現代文学の日本的動向」(『文学界』)

3月
「後記」「ドストエフスキイの生活」(24)(『文学界』)
「文芸月評V」(「「普賢」について」「「エルドラド明るし」」「岡本かの子「母子叙情」」「日本的なもの」)(『讀賣新聞』)
「「改造」評」「林房雄「壮年」」「「中央公論」評」(『東京朝日新聞』)
座談会「文学と政治」(『文学界』)
座談会「現代文芸思潮の対立」(『文芸』)
座談会「青野季吉を検討する(合評)」(『讀賣新聞』)
宇野浩二らと『牧野信一全集』(第一書房)の編纂委員となる
笠原健治郎編『小林秀雄読本』(普及版、竹村書房)
3月6日
長女明子(はるこ)生まれる

4月
「『日本的なもの』の問題」(「月刊文章」および『東京朝日新聞』)
「リアリズム」「文科の学生諸君へ」「三木清「時代と道徳」評(『文学界』)
「「思想」評」「「改造」評」(『東京朝日新聞』)
で座談会「文学雑談」(『文学界』)
ランボオ論』限定49部(野田書房)
『文学界』の常任委員となる

5月
「批評家等は何をやり遂げようとしてゐるのか?」「小熊秀雄君へ」「窪川鶴次郎君へ」「グウルモン『哲学的散歩』」「後記」(『文学界』)
「文化と文体」(『自由』)
「ジイド『ソヴェト旅行記』(ジイドの...)」「「新潮」評」「作家と批評家」(『東京朝日新聞』)
座談会「『壮年』を中心として明治精神を論ず」(『文学界』)

6月
「『悪霊』について」(1)(『文藝』)
「ジイド『ソヴェト旅行記』(この旅行記の...)」(『文学界』)
「政治の文学支配」「帝国芸術院批判」(『東京朝日新聞』)
ランボオ『渇の喜劇』(翻訳・限定版、野田書房)
座談会「文化の大衆性について」(『文学界』)

7月
「『悪霊』について」(2)(『文藝』)
「『福翁自伝』」(『文学界』)
「「改造」評」「現代作家と文体」(『東京朝日新聞』)
座談会「文学主義と科学主義」(『文学界』)

8月
「文芸批評の行方」(『中央公論』)
「後記」(『文学界』)
座談会「最近の文学の諸問題」(『改造』)

9月
「『メデューズ号の筏』」「第二回池谷賞授賞経過報告」(『文学界』)
「僕の大学時代」(『帝国大学新聞』)
座談会「現代人の建設」『文学界』)

10月
「酒井逸男君へ」「後記」(『文学界』)
「第十三次「新思潮」創刊に寄せて」(『新思潮』)
「長篇小説に就いて」(『書き下ろし長篇小説叢書』内容見本、河出書房)
「『悪霊』について」(3)(『文藝』)
「戦争と文学者」(『東京朝日新聞』)
10月22日
中原中也の死(三十歳)

11月
「戦争について」(『改造』)
「夏よ去れ」「中原中也『ランボオ詩集』」「後記」(『文学界』
「『悪霊』について」(4)(『文藝』)
「実物の感覚」「『現代人の建設』評」「島木健作の『生活の探究』」(『東京朝日新聞』)

12月
「死んだ中原」「中原の遺稿」「佐藤信衞『近代科学』」(『文学界』)
「中原中也」(『手帖』第十六号、野田書房)
「不安定な文壇人の知識」(『讀賣新聞』)
「宣伝について」発表誌未詳)
*この年瀧井孝作とともに奈良の志賀直哉を訪ねる
 

1938年(昭和13)36歳

1月
「日本語の不自由さ」(『文学界』)
「女流作家」(『新女苑』)
「文芸時評」「文芸雑誌の行方」(『東京朝日新聞』)
座談会「支那を語る」(『文学界』)
座談会「志賀直哉の人と芸術」(『文芸』)

2月
「志賀直哉論」(『改造』)
「文芸時評」「思想統制とデマ」(『東京朝日新聞』)
座談会「若さの探求」(『新女苑』)

3月
「野上豊一郎の「翻訳論』」(『東京堂月報』)
「雑記(今月は「知識階級は...)」(『文学界』)
「文藝春秋」特派員として中国へ渡る
3月27日
杭州で火野葦平に第六回芥川賞を渡す。後、南京・蘇州へ

4月28日
中国から帰国
4月
「日記」(『新女苑』)
河上徹太郎と対談「『若い人』に就いて語る」(『新女苑』)

5月
「杭州」(『文藝春秋』)
「杭州より南京」(『文藝春秋 現地報告』)
「支那より還りて」(『東京朝日新聞』)

6月
明治大学教授に昇格。
「蘇州」(『文藝春秋』)(→内務省により一部削除を命じられる)
「雑記(支那から...)」(『文学界』)
『私小説論』(作品社)
 
7月
「従軍記者の感想 」(『話』)
「雑記(最近読んだ本で...) 」(『文学界』)
「現地より還りて」と題して、三好達治・岸田国士と鼎談(『文学界』)

8月
ランボオ『地獄の季節』(岩波文庫)
「第四回池谷賞推薦理由 」(『文学界』)
「ボードレール『悪の華』 」(『知性』)
「火野葦平『麦と兵隊』 」「島木健作の『続生活の探究』を廻つて」「ある感覚 」(『東京朝日新聞』)

9月
「山本有三『真実一路』を廻つて」(『新女苑』)
「舟橋聖一『岩野泡鳴伝』 」(『東京朝日新聞』)

10月
「歴史について(前半)」(『文学界』)
「精神の優位」(『精神の優位 創元社リーフレット(アラン特集号)』)
「「文学界」後記 」(『文学界』)
「ポオル・ヴァレリイ『詩学序説』」(『東京朝日新聞』)

10月~12月
岡田春吉と朝鮮・満州・華北(慶州-新京-吉林-ハルビン-黒河-孫呉-綏-熱河-北京)を旅行

11月
「三好達治」(『文体』)

12月
『文学』(創元社)
「わが近代詩精神の先駆 」(『薄田泣菫全集』第一巻、創元社)の帯に発表
「現代日本の表現力 」(『東京朝日新聞』)


1939年(昭和14)37歳

1月
「満洲の印象」(『改造』)
「小川正子『小鳥の春』」「『仮装人物』について」(『東京朝日新聞』)
「「文学界」後記」(『文学界』)

2月
「エーヴ・キューリー『キューリー夫人伝』」(『文学界』)
「往信復信(島木健作と)」(『婦人公論』)
「正宗白鳥『文学的自叙伝』」(『東京朝日新聞』)
菊池寛賞銓衡委員となる

3月
「映画批評について」(『日本映画』)
「クリスティ『奉天三十年』」(『文学界』)
現代の美辞麗句」(『東京朝日新聞』)
「現代日本文化の欠陥」と題して佐藤信衞・真船豊と鼎談(『文学界』)

4月
「疑惑 I」(『中央公論』)
「読書について」(『文藝春秋』)
「現代女性」(『新女苑』)
「サント・ブウヴ「断想」」「「文学界」後記」(『文学界』)
「文芸時評」(『東京朝日新聞』)
「現代人の課題」と題して亀井勝一郎・林房雄と鼎談(『文学界』

5月
「歴史について」(『文芸』)
「新放送会館」(『東京朝日新聞』)
ドストエフスキイの生活』(創元社)
「『我が毒』について」(サント・ブウヴ『わが毒』青木書店)

6月
「慶州」(『文藝春秋 現地報告』)
「詩歌について」と題して堀辰雄・三好達治と鼎談(『文芸』)

7月
「事変と文学」(『新女苑』)
「『ドストエフスキイの生活』のこと」(『文学界』)
「自我と方法と懐疑  デカルト讃」(『デカルト選集』内容見本、創元社)
座談会「癩文芸を語る」(『改造』)

8月
「疑惑II」(『文藝春秋』)
「疑問」(『文学界』)
座談会「歴史と文学-小林秀雄氏を囲む座談会」(『批評』創刊号)
講演「鎌倉ペンクラブ夏期大学講演」

9月
「鏡花の死其他」(『文藝春秋』)
「外交と予言」(『東京朝日新聞』)

10月
「人生の謎」(『帝国大学新聞』)
「素材派論(談話)」(『三田新聞』)
「『テスト氏』の方法」(『文学界』)
「神風といふ言葉について」「デカルト選集」「大嶽康子『病院船』」(『東京朝日新聞』)

11月
「学者と官僚」(『文藝春秋』)
「歴史の活眼」(『公論』創刊号)
「読書の工夫」(『婦人公論』)
「日比野士郎『呉淞クリーク』」(『東京朝日新聞』)

12月
「イデオロギイの問題」(『文藝春秋』)
「デカルト讃」(『デカルト選集』第三巻月報、創元社)
「新明正道へ」(『東京日日新聞』)
ヴァレリイ『テスト氏』(創元社)
『ボードレール全集第五巻 ポオ論』(河出書房)
*文藝家協会評議員に
*古代土器への熱中始まる

 
1940年(昭和15)38歳

1月
「アラン『大戦の思ひ出』」(『改造』)
「期待する人」「ジイド『芸術論』」「長編小説評」(『東京朝日新聞』)

2月
「清君の貼紙絵」(『文藝春秋』)
「議会を傍聴して」(『東京朝日新聞』)

3月
「文章について(文章の問題は...)」(『現代文章講座』第一巻、三笠書房
「文芸月評?」(『東京朝日新聞』)

4月
「モオロアの『英国史』について」(『文学界』)
「感想(社会主義の...)」を発表(発表誌未詳)
「文学界」編集スタッフを辞す

5月
「欧州大戦」(『東京朝日新聞』)
『文学2』(創元社)

6月
文藝銃後運動第二班に参加、各地を講演旅行(甲府-松本-長野-新潟-富山-金沢-福井)
「事変の新しさ」を講演(『文学界』八月号に発表)
「処世家の理論」(『文藝春秋』)
「一事件」(『東京朝日新聞』)
 
7月
「道徳について」(『知性』)
「環境」(『芸術論』第二巻、河出書房)
「芸術と道義性」(『文芸思潮』創刊号)

8月
「オリンピア」(『文藝春秋』)
「事変の新しさ」(『文学界』)
「評論家と非常時の効用」(『東京朝日新聞』)
8月2日~
文藝銃後運動朝鮮・満州班に参加(釜山-大邱-京城-新京-奉天-大連-ハルビン)
「文学と自分」を講演(『中央公論』十一月号に発表)

9月
「『維新史』」「ヒットラーの『我が闘争』」(『朝日新聞』)
アラン『精神と情熱とに関する八十一章』(創元社)

9月27日
文壇新体制準備委員会に出席

10月
「マキアヴェリについて」(『改造』)
「時代的考察」と題して中島健蔵と対談(『文芸』)
座談会「文化政策と社会教育の確立」(『文藝春秋』)
10月14日
日本文学者会常任委員に選出される

11月
「自己について」(『文藝春秋』)
「文学と自分」(『中央公論』)
「政治論文」「『戦記』随想」(『朝日新聞』)
座談会「英雄を語る」(『文学界』)

12月
「芸術上の天才について」(『文学界』)
「処女講演」(『オール読物』)
「歴史について」と題して林房雄と対談(『文学界』)


1941年(昭和16)39歳

1月
「感想(或る日、僕は、正倉院...)」(『日本評論』)
「野沢富美子『煉瓦女工』」(『公論』)
「富永太郎の思ひ出」(『富永太郎詩集』(筑摩書房))
「モオロア『フランス敗れたり』」(『朝日新聞』)
「現代について」と題して林房雄と対談(『文学界』)
「文芸評論の課題」と題して中島健蔵・窪川鶴次郎と鼎談(『文芸』)
 
2月
「島木健作」(『文藝春秋』)
「紹介の意義」(『朝日新聞』)

3月
「歴史と文学」(『改造』)
「『歩け、歩け』」(『朝日新聞』)

4月
「匹夫不可奪志」(『文学界』)
「沼田多稼蔵『日露陸戦新史』」(『朝日新聞』)
文化学院で〈文学〉を講義

5月
「第一回文芸推薦評論審査後記」(『文芸』)
「道徳を論ず」と題して林房雄と対談(『文学界』)

6月
「川端康成」(『文藝春秋』)
「伝統」(『新文学論全集』第六巻、河出書房)
「伝統について」「アランの『芸術論集』」(『朝日新聞』)
尾沢良三『女形今昔譚』に序文を発表

7月
「パスカルの『パンセ」について」(『文学界』)

8月
「林房雄の『西郷隆盛』其他」(『朝日新聞』)
「実験的精神」と題して三木清と対談(『文芸』)

9月
『歴史と文学』刊行(創元社)
座談会「現代の思想について」(『文藝春秋』)

10月
「『カラマアゾフの兄弟』」連載開始(『文藝』)
「ドストエフスキイの翻訳」(『ドストエフスキイ全集』内容見本、河出書房)
10月20日~11月3日
河上徹太郎、新居格らと朝鮮を講演旅行(大田-京城-平壌-咸興-清津)

11月
「『カラマアゾフの兄弟』(2)」(『文芸』)
*この年から古美術に親しみ、また津田左右吉を熟読する


1942年(昭和17)40歳

1月
「三つの放送」(『文藝春秋 現地報告』)
「『カラマアゾフの兄弟』(3)」(『文芸』)

2月
「『カラマアゾフの兄弟』(4)」(『文芸』)

3月
「戦争と平和」(『文学界』)
「『カラマアゾフの兄弟』(5)」(『文芸』)

4月
「当麻」
座談会「即戦体制下文学者の心」(『文学界』)

5月
「『ガリア戦記』」(『文学界』)
「『カラマアゾフの兄弟』(6)」(『文芸』)
「海軍精神の探究」と題して平出海軍大佐・河上徹太郎と鼎談(『大洋』)

6月
「無常といふ事」(『文学界』)

7月
「平家物語(先がけの...)」(『文学界』)
「『カラマアゾフの兄弟』(7)」(『文芸』)
「歴史の魂(講演)」(『新指導者』)

8月
「徒然草」(『文学界』)
胃潰瘍のため南胃腸病院に入院、食餌療法で治癒。

9月
「バッハ」(『文学界』)
「『カラマアゾフの兄弟』(8)」(『文芸』)

10月
座談会「近代の超克」(『文学界』)

11月
「西行(1)」(『文学界』)
11月3日
第一回大東亜文学者会議発会式に参加、評議員に

11月11日~17日
文芸報国講演会で中国・四国を旅行
講演「言葉のいのちについて」(岡山)

12月
「西行(2)」(『文学界』)
*「モオツアルト」を構想
*日本文学報国会評論随筆部会常任幹事に選出

1943年(昭和18)41歳
2月
「実朝」連載開始(『文学界』)

4月
『定本国民座右銘』(日本文学報国会)の審査委員になる

5月
「実朝(2)」(『文学界』)

5月15日
第一高等学校記念祭で講演

6月
「実朝(3)」(『文学界』)
ヴァレリイ「アルベエル・チボオデ追悼」「ジャック・リヴィエール追悼」訳出(『ヴァレリイ全集』第10巻、筑摩書房)

6月~7月
林房雄と満州・中国を旅行

7月
『知的協力会議 近代の超克』刊行(創元社)

8月28日
第2回大東亜文学者決戦大会で講演「文学者の提携について」

9月
「ゼークトの『一軍人の思想』について」(『文学界』)

9月7日
京都の西村家訪問

9月
「文学者の提携について」の要旨が『文学報国』に掲載

10月
「文学者の提携について」(『文藝』)

12月
第三回大東亜文学者大会計画のため単身中国へ (翌年6月まで長期に滞在)
旅行中、モオツアルトを書き始める
河上徹太郎と揚州訪問

1944年(昭和19)42歳
4月
『ヴァレリイ全集』第3巻でヴァレリイ「テスト氏」(筑摩書房)
雑誌統合により「文学界」廃刊

6月
中国から帰国(中国での半年にわたる活動の詳細については不明のところがあまりにも多い)
*骨董の世界に沈潜、生活は主に創元社・明治大学時には骨董の売買で支える
*鎌倉の文学者間で回覧雑誌「鎌倉文庫」計画、責任者になる

1945年(昭和20)43歳
1月
「梅原龍三郎」を書く
*「モオツアルト」の執筆や骨董に沈潜する

 

by ichiro_ishikawa | 2019-06-30 14:00 | 文学 | Comments(0)  

詳細年表 20代までの小林秀雄

「おやのおん」ランボオ、長谷川泰子〜奈良逃亡、「様々なる意匠」


1902(明治35)

4月11日、東京市神田区神田猿楽町三丁目三番地(現千代田区猿楽町二丁目八番五号)に生れる。
(高見澤潤子の『兄小林秀雄』によれば、本当の誕生日は三月末だったという。ちなみに同書によると小林秀雄の血液型はB型)
父、小林豊造は明治七年兵庫県出石(いずし)郡の清水家に生まれ、のちに旧但馬藩の家老職であった小林家の養嗣子になる。明治32年、東京高等工業学校に付設された工業教員養成所の金工科を卒業し、東京高工助教授、御木本真珠店貴金属工場長を経て、日本ダイヤモンド株式会社を設立した。欧米各国に学び、日本で初めてダイヤモンドの研磨技術を習得し、また蓄音機のルビー針を開発した技術者でもある。
母、精子は明治13年、東京市牛込区牛込北山伏町14番地の城谷家に生まれる。女学校を卒業し、茶の湯、生け花、琴などにも通じていたという。


1904年(明治372歳

6月3日、牛込の納戸町にて妹冨士子(後に高見沢潤子)誕生(高見澤潤子『兄小林秀雄』によれば本当は5月19日という)


1909明治42 7歳

4月、白金尋常小学校入学。この年、芝区白金志田町十五番地に住む


1910年(明治43)8歳

作文「おやのおん」 


1914年(大正3)12歳

秋、学芸会で世界大戦の原因から現状を演説


1915年(大正4)13歳 一中1年

3月 白金尋常小学校卒業

4月 東京府立第一中学校入学、同期生に石丸重治、木村庄三郎、正岡忠三郎、一期上に蔵原惟人、富永太郎が在学

芝区白金今里町七十七番地に住む


1917年大正615歳  一中3年

12月、父豊造、日本ダイヤモンド株式会社設立、専務取締役


1918年大正716歳  一中4年

一年上級の河上徹太郎を知る


1920年大正9)18歳  浪人

3月 府立一中卒業。一高入試に失敗し、浪人


1921年(大正10)19歳  一高1年

3月20日 父豊造、四六歳で死没

3月21日 第一高等学校合格発表

4月 第一高等学校文科丙類入学。野球部入部後、すぐ退部。マンドリンクラブ結成

10月 盲腸周囲炎と神経症のため休学

この年、母精子、肺患のため鎌倉に転地療養

初めて志賀直哉に会う(?)


1922年(大正11)20歳  一高2年
小説「蛸の自殺」(「跫音」)。志賀直哉に送り、賞賛の手紙を受取る


1923年(大正12)21歳  一高3年
9月1日 神田須田町で関東大震災に遭遇
9月6日 船と徒歩で鎌倉に療養中の母に会いに行く


1924年(大正13)22歳  一高4年
2月? 母と妹の三人で豊多摩郡杉並村馬橋226番地に転居

2月27日 荻窪の波多野完治宅で永井龍男と知り合う

4月8日 京都山科の伯父清水精一郎の招きで妹と上洛、従兄の西村孝次に会う

4月? 京都山科の志賀直哉の家に行く

4月? 奈良に行く(従兄と妹と) 

春? 神田の本屋でランボオの「地獄の季節」に初めて出会う?

6月10日 「一ツの脳髄」を書き上げる

7月 「一ツの脳髄」「青銅時代」

8月11日 「飴」を書き上げる

8月26日 京都の第三高等学校で、一高対三高の野球試合を観戦

8月27日? 京都山科の志賀直哉を訪ねる

9月 京都の富永太郎に『地獄の季節』の「別れ」の一節を送る

9月14日 「断片十二」を書き上げる

12月 石丸重治らの「山繭」に参加

*この年、堀辰雄に伴われて田端の芥川龍之介を訪ねる(?要調査)

*この年、青山二郎と知り合う


1925年(大正14)23歳  東京帝大1年

2月 「ポンキンの笑ひ」(『山繭』)

2月16日 志賀直哉へ手紙  

3月 第一高等学校卒業  

4月 東京帝国大学文学部仏蘭西文学科入学

4月10日~5月1日 小笠原旅行、「紀行断片」を書く

4月初め 富永太郎を通じて中原中也を知る

5月24日 富永太郎とともに「山繭」脱退

夏  病床の富永太郎を見舞う

9月 中原中也の帰郷中に長谷川泰子に会う

10月8日 大島に旅行(泰子は待ち合わせに間に合わず)、帰京後盲腸炎(腸捻転?)で入院・手術

11月12日 富永太郎、肺結核により二四歳で死去

11月14日 正岡忠三郎、入院中の小林に富永太郎の死を告げる

11月下旬 杉並町天沼に長谷川泰子と同棲

12月21日 富永太郎の遺稿出版のため会合


1926年(大正15/昭和元24歳  東京帝大2
2月 「佐藤春夫のヂレンマ」(文藝春秋)
10月 「人生斫断家アルチュル・ランボオ」(「ランボオI」)(「仏蘭西文学研究」)
11月 「富永太郎」(「山繭」)
*鎌倉町長谷大仏前に住み、逗子町新宿の池谷信三郎方に仮寓したりする
*辰野隆助教授に師事する              


1927年(昭和2)24歳  東京帝大3
1月 「志賀直哉の独創性」を書き、武者小路実篤に届けるが未発表に終わる

1月18日 武者小路実篤から書簡

5月 初めての単行本『エドガー・ポー』(新しき村出版部)    

8月3日 大阪毎日新聞・東京日日新聞主催の第一回全国都市対抗野球大会が神宮球場で開催され、後の巨人の水原監督らとともに神奈川代表で出場。台湾の台北チームと戦う。(→「スポーツ」1959年1月) 

9月? この頃目黒に住む

9月 「芥川龍之介の美神と宿命」(『大調和』)

11月 「『悪の華』一面」(『仏蘭西文学研究』)

12月 「女とポンキン」(『大調和』)


1928年(昭和3)26歳  奈良時代

2月 村井康男を通じて大岡昇平を知る。豊多摩郡中野町谷戸(東中野)に転居

3月 「Arthur Rimbaud」を卒業論文として東京帝国大学卒業

5月25日 長谷川泰子と別れ、関西へ向かう。
月末、大阪の日蓮宗の寺に宿坊する。
5月末 妹、富士子への手紙1(大阪から)「僕はとうとう逃げ出した...」
5月末? 河上徹太郎への葉書(大阪から)「今僕は大阪の天王寺辺のあるお寺にゐる...」
6月初? 妹、富士子への手紙2(大阪から)「大阪はいやな処だ。電車だけはいゝ...)
6月初? 妹、富士子への手紙3(大阪から)「人間が不幸になるのは自然に反抗するからだ...」
6月初? 妹、富士子への手紙4(大阪から)「奈良にでも住まうかと考へてゐる...」
6月初? 妹、富士子への手紙5(京都から)「あの女には心情といふものが欠除してゐるのだ...」
6月中? 奈良市の割烹旅館江戸三に宿泊
6月中? 奈良市幸町の志賀直哉邸に出入りする
6月中? 西村孝次、奈良の小林秀雄を訪ねる  
7月13日 妹、富士子への手紙6(奈良から)「九月に式をあげる相だね...」  
8月 志賀一家と箕島に海水浴に行く
8月末? 西村孝次と祇園乙部の妓楼に
9月 妹、富士子への手紙7(奈良から)「これから少し書け相な気がする...」
9月 妹、富士子が高見澤(田河水泡)と結婚
10月20日 母が関西へ
11月17日 西村孝次と二月堂へ
初冬? 妹富士子及びその夫高見澤への手紙


1929年(昭和4)27歳  様々なる意匠
1月末 奈良より帰京し、東京府下滝野川町田端155番地に住む

4月 「改造」の懸賞論文のため「様々なる意匠」執筆
4月?「様々なる意匠」を改造社社員の深田久弥に渡す

9月 「改造」の懸賞評論で「様々なる意匠」が第二席に入選し、同誌9月号に掲載される

10月~ 『文学』(第一書房)同人に、ランボオ「地獄の季節」を創刊号から訳載

12月 「志賀直哉」(『思想』)


1930年(昭和5)28歳  批評家デビュー

2月 

「からくり」(『文学』第五號

「横顔」(『詩神』)

ポオ「メルツェルの将棋差し」(翻訳、『新青年』)

ランボオ「堪忍」(翻訳、『詩神』)


4月 

「アシルと亀の子」『文藝春秋』、以後文芸時評の連載開始

「ナンセンス文学」(『近代生活』 )

「新興芸術派運動」(『時事新報』)


4月13日
新興芸術派倶楽部第一回総会に出席


5月 

堀辰雄、梶井基次郎、河上徹太郎らと『作品』創刊、ランボオ『飾畫』を創刊号から訳載。

「アシルと亀の子II」(『文藝春秋』)


6月 

「アシルと亀の子III」(『文藝春秋』)

座談会「既成芸術派検討座談会」(『近代生活』)


7月 

「アシルと亀の子IV」(『文藝春秋』)


8月 

「アシルと亀の子V」(『文藝春秋』)


9月 

「文学は絵空ごとか」(『文藝春秋』)

ランボオ「七歳の詩人」(翻訳、『詩・現実』第二冊)

座談会「最近文学の享楽的傾向に就いて」(『作品』)


10月 

ランボオ『地獄の季節(翻訳)』(白水社)「ランボオII」を収録

「文学と風潮」(『文藝春秋』)

「新しい文学と新しい文壇」(『婦人サロン』)

「アルチュル・ランボオ」(『ふらんす』)


11月

「横光利一」(『文藝春秋』)

「批評家失格I」(『新潮』)

「私信-深田久彌へ」(『作品』)

「近頃感想」(『讀賣新聞』)

「我まゝな感想」(『帝国大学新聞』)


12月 

「物質への情熱」(『文藝春秋』)

「中村正常君へ-私信」(『文学風景』)

「アルチュル・ランボオの恋愛観」(『詩神』)

「感想(毎月雑誌に...)」(『時事新報』)

*この年あたりに菊池寛、佐佐木茂索と知り合う
秋 一高生の木庭一郎(中村光夫)が来訪



1931年(昭和6)29歳

1月 

「マルクスの悟達」『文藝春秋』


2月 

「文藝時評(今月は...」『文藝春秋』

「批評家失格」「谷川徹三『生活・哲学・芸術』評」『改造』

「井伏鱒二の作品について」(発表誌未詳)


3月 

「心理小説」『文藝春秋』

文芸時評の連載が終了し、新進批評家としての立場を固める

「二月の作品」『作品』


4月 

「文芸批評の科学性に関する論争」「新潮」)

「室生犀星」『改造』)

「三月の作品」『作品』)


5月 

「谷崎潤一郎」『中央公論』)

「再び心理小説について」『改造』)


6月 

「『安城家の兄弟』」『改造』)

「心理小説」『詩と詩論』)

「もぎとられたあだ花」『時事新報』)


7月 

最初の評論集『文藝評論』(白水社)

「フランス文学とわが国の新文学」(『新潮』)

ボードレール『悪の華』の一部翻訳『作品』)

「辰野隆『さ・え・ら』」『讀賣新聞』)

「直木三十五の解剖」「「恋愛と暴露」について」「窪川いね子のオリジナリテイ」「文学的イリュージョンについて」「プロレタリアの星」「黒」「重盛の悩み」(以上『東京日日新聞』)(→「文芸月評I」に収載)


8月 

「弁明-正宗白鳥氏へ」『文藝春秋』

「困却如件-津田英一郎君へ」『時事新報』


9月 

「眠られぬ夜」『古東多万』


10月 

座談会「「作品」の会合」『作品』


11月 

「おふえりあ遺文」『改造』

「ポオ『ユレカ』(翻訳)」『文科(第二輯)』

ランボオ『酩酊船』(翻訳、白水社)


12月 

「純粋小説といふものについて」(『文学』第七號、岩波講座『日本文学』付録)

「横光利一『書方草紙』評」『東京朝日新聞』と『讀賣新聞』

*この頃、母とともに鎌倉町佐介通二〇八番地に転居



by ichiro_ishikawa | 2019-06-30 13:00 | 文学 | Comments(1)  

詩について


詩といふものは、古代の祝詞、和歌から現代詩にいたるまで、洋の東西を問はず、連綿と歌われ続けてゐる。よく朗読会、ポエトリーリーディングなるものもあり、たまに行く。

そこでは大抵、ドラムとギターが欲しくなるのであつた。物心ついた瞬間からポップミュージックに出会つてしまつた俺は、もはや詩の朗読に耐えられない。
言ひ換へれば、ポップミュージックがあれば現代詩はいらない。ボブ・ディランの秀逸な歌詞は、その価値の半分を音楽に拠つてゐる。

それでも現代詩は生まれ続けてゐる。
しかしポップミュージックを凌駕する詩に出会ふことは簡単ではない。

楽器による伴奏を必要としない、それ自体が韻律を内包し、活字といふ形においてこそ真価を発揮するもの、さういふ現代詩が渇望される。


by ichiro_ishikawa | 2019-05-20 19:58 | 文学 | Comments(0)  

青年と中年


自分が青年時代であつた頃のことを思ふと「青年時代は不愉快だ」といふゲーテのことばが、実に真実を語つてゐると感じられる。壮年になつてもつと愉快になつたわけではないが、少なくとも青年時代よりはウソのつき方もうまくなつた。青年時代は、イバラの森を裸で歩いてゐるやうなもので、生傷の絶え間がなかつた。着物を着ればよささうなものを、あらゆる着物は虚偽だと信じてゐたから、裸でゐるよりほかはなかつた。そして青年時代の唯一の誇りは「自分は決して人に理解されない」と信じてゐたことだ。
だから、青年の気持ちはわかる、とか、学生諸君の気持ちはわかる、とか言ひ暮らしてゐるお人よしの大人たちを見ると「可哀想に。かれらの唯一の誇りまで奪はうとするなよ」と忠告してやりたくなる。
かういふ点では、今も昔も、青年といふものは格別に変はつたわけではないのである。

発掘原稿「現代青年論 〝弱い父親〟への反逆」三島由紀夫(1969年「京都新聞」「新潟日報」「北國新聞」など。全集未収録)
「新潮」2019年5月号より抜粋


ここで言ふ青年とは、三島の時代から20年後に、長渕剛「お家へかえろう」(1990)において「敗戦直後に生まれた40代は、つまらねえ日本的資本主義を作っちまった」と歌はれた、『Live '89』において「誰それがくっついた、はなれたのってニュースでやってる」「いい歳こいた四十過ぎのおっさん」と語られた、いはゆる団塊の世代。

彼ら「青年」は、中年になつたとき、自らが「あんなおつさんにだけはなりたくない」と指した、まさにそんなおつさんになつてゐた。

そして、新人類から、バブル世代、団塊ジュニア、ロスジェネ、悟り世代、そして現在の平成くんまで含めて、その時々の青年は、必ず「自分は決して人に理解されない」との誇りをもつて不愉快で、のちに例外なく「今時の若者は」「俺が若い頃は」と漏らす中年に成り下がる。

それは、なぜか。人生の重力。
扱ふべきテーマはこれであらうと考へてゐる。



by ichiro_ishikawa | 2019-05-03 15:01 | 文学 | Comments(0)  

陰影礼賛


忖度といふ言葉のバリューが貶められてネガティブな言葉として流布してゐるが、元来、ネガもポジもない、どちらかと言へば、よい意味合ひで使ふ言葉である。

グローバル化、インターネット社会になり、
やれガバナンスだ、コンプライアンスだと喧しいものだから、何でも蚊でも必要以上に白黒つけたり、可視化したり、言質を取つたりしなければならない現代だが、
グレーとかグラデーションとか、阿吽の呼吸とか以心伝心とか口伝とか、機微とか侘び寂びとか、間(あはい)とか、さうした、日本人が長い年月をかけて育んできた「ようマニュアル化せん、ものごとの陰影」のやうなものも、一方で大事だ。
いはゆる人間力とは、この一点にかかつてゐると言つてもよい。
それこそかうしたことは、世の中といふ実地に学ぶしかなく、文学、とりわけ詩歌を味はふことで身につく類のものであらう。これを身につけでは、忖度といふ高度な文化の実践も覚束なくなるのは当然である。

経済、社会がグローバルになればなるほど愈々、文化は個を掘り下げた方がいい。教育における文学軽視は、文化と経済を混同しての愚策であらう。

そんな中、谷崎潤一郎の『陰影礼賛』が映画化。
主演は国木田独歩の玄孫、国木田彩良。
原作も売れてゐると聞く。
陰影を礼賛するのはよいことだ。



by ichiro_ishikawa | 2018-10-12 15:13 | 文学 | Comments(1)  

江戸時代の考える人

 たとえば、同時代のU2やソニックユース、R.E.M.に触れたことによって、ビートルズやエルヴィス・プレスリー、クラシック・ポップ、ブルーズの森に入っていかざるを得なかったように、たとえば、コステロやポール・ウェラーのフィーリングにやられたことでソウル、リズム&ブルーズのグルーヴィンを辿るはめになったように、ある種の感動なり美学というものは、必ず伝統や歴史という事象に面接させるのが常だ。現在を生きることによって過去を思い出し、過去を生き、過去を甦らせる、そしてまさしくそこで過去とは現在であるという事実に驚かされるという。
 小林秀雄を読むと(その精神と交わると)、小林が著作の中で交わっている人々との魂の交感が行われる。これは素敵なことで、人生の醍醐味だ。最近は、『考えるヒント2』がヘビーローテーションとなっていて、この『2』は、孔子を愛した荻生徂徠や伊藤仁斎、本居宣長といった、過去の日本の“考える人”にスポットが当てられている。教科書でしか知らなかった彼らが小林によって語られると、教科書の記述がどれだけ大事なことを見落とし、彼らの存在が、“お勉強”としての知識の枠に押しやられていたか、痛切に感じるのだけれど、今さらながら、彼らの考えていたこと、つまり生きざまを、己が心の中で甦らせたいと願うのである。
 とりあえず、基本的な素性を明らかならしむるため、大辞林の教科書的な説明を羅列しおさらいしておく。

伊藤仁斎
(1627-1705) 江戸前期の儒学者。古義学の祖。京都の人。名は維(これえだ)、字(あざな)は源佐(げんすけ)。年来学んできた朱子学に疑問を抱き、直接古典、ことに「論語」「孟子」の真義をつかんで仁義の実践躬行(きゆうこう)を求める古義学を首唱。京都堀川に古義堂を開いて堀川学派と呼ばれ、門弟三千余人におよんだ。著「論語古義」「孟子古義」「語孟字義」「童子問」など。

契沖
(1640-1701) 江戸前期の国学者・歌人。俗姓、下川。字(あざな)は空心。契沖は法号。摂津の人。大坂高津(こうづ)の円珠庵に隠棲。和漢の学、悉曇(しつたん)に精通、復古の信念に基づくすぐれた古典の注釈研究、古代の歴史的仮名遣いを明らかにするなど、その文献学的方法は近世国学の基盤をつくった。著「万葉代匠記」「古今余材抄」「勢語臆断」「和字正濫鈔」、「円珠庵雑記」など。

荻生徂徠
(1666-1728) 江戸中期の儒学者。江戸の人。名は双松(なべまつ)、字(あざな)は茂卿(しげのり)、通称は惣右衛門。徂徠は号。物部氏より出たので物(ぶつ)徂徠などと称する。初め朱子学を学んだが、のち古文辞学を唱え、古典主義に立って政治と文芸を重んずる儒学を説いた。柳沢吉保・徳川吉宗に重用された。著「弁道」「論語徴」「園随筆」「南留別志(なるべし)」「訳文筌蹄」など。

荷田春満
(1669-1736) 江戸中期の国学者・歌人。姓は羽倉とも。京都伏見稲荷神社の神官。国学四大人の一人。記紀・万葉、有職故実を研究、復古神道を唱えた。弟子に賀茂真淵・荷田在満(ありまろ)などがいる。著「万葉集僻案抄」「万葉集訓釈」「日本書紀訓釈」「創学校啓」、歌集「春葉集」など。

賀茂真淵
(1697-1769) 江戸中期の国学者・歌人。本姓、岡部。号、県居(あがたい)。遠江(とおとうみ)の人。荷田春満(かだのあずままろ)に学び、のち田安宗武に仕えた。万葉集を中心に古典を広く研究し、純粋な古代精神(古道)の復活を説いた。門下に本居宣長・村田春海・加藤千蔭・荒木田久老・楫取魚彦(かとりなひこ)らがいる。著「万葉考」「歌意考」「国意考」「冠辞考」「祝詞考」など。

本居宣長
(1730-1801) 江戸中期の国学者。伊勢松阪の人。芝蘭・舜(春)庵・中衛と号し、鈴屋(すずのや)と称す。医者を開業する一方、古典研究を行い語句・文章の考証を中心とする精密・実証的な研究法により、古事記・源氏物語など古典文学の注釈や漢字音・文法などの国語学的研究にすぐれた業績を残した。また、復古思想を説いて儒教を排し、国学の思想的基礎を固めた。国学四大人の一人。著「古事記伝」「源氏物語玉の小櫛」「古今集遠鏡」「漢字三音考」「てにをは紐鏡」「詞の玉緒」「玉勝間」など。

平田篤胤
(1776-1843) 江戸後期の国学者。旧姓大和田。通称、正吉・半兵衛。号は大壑(だいがく)・気吹舎(いぶきのや)など。秋田の人。本居宣長没後の門人。古典研究から進んで、尊王復古を主張する古道学を説き、幕末国学の主流平田神道を形成。神代文字日文(ひふみ)の存在の主張は有名。国学四大人の一人。著「古史徴」「霊能真柱(たまのみはしら)」「古道大意」「気吹舎歌集」など。

福沢諭吉
(1834-1901) 思想家・教育家。慶応義塾の創立者。豊前中津藩士。大坂の緒方塾で蘭学を学んだのち、江戸に蘭学塾を開き、また英学を独習。幕府の使節に随行し三度欧米に渡る。1868年塾を慶応義塾と命名。73年(明治6)明六社の創立に参加。82年「時事新報」を創刊。個人および国家の独立自尊、社会の実利実益の尊重を主張した。著「西洋事情」「学問ノススメ」「文明論之概略」など。

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「忠臣蔵Ⅰ」「忠臣蔵Ⅱ」「学問」「徂徠」「弁明」「考えるということ」「ヒューマニズム」「還暦」「天という言葉」「哲学」「天命を知るとは」「歴史」「常識について」収録。ベストトラックは「歴史」「常識について」
(全198頁/読書所要時間4時間/魂掌握所用時間=一生/賞味期限=無限)

by ichiro_ishikawa | 2005-07-27 14:12 | 文学 | Comments(0)