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追悼 加藤典洋


『9条入門』(創元社、2019年)を電車の中で読んでゐたまさにその時、その著者加藤典洋の訃報に接した。
この数週間ずつと本書を繰り返し読んでゐた。奇しくも先日は加藤の故郷山形への往復に当たつてゐた。ちなみにBGMをユーミンからインストのパットメセニーに変へてゐたのはこのためである。
71歳。数少ない「無条件で買ふ」文筆家であつた。

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湾岸戦争時、多くの人が平和憲法の存在を理由に「反戦」の声をあげる中、

そうかそうか、では平和憲法がなかつたら反対しないわけか
(『敗戦後論』1997年)

と誰よりも強力に平和憲法の価値を見据えた。

敗戦直後の、

利口な奴はたんと反省するがよい。私は馬鹿だから反省なぞしない
(「コメディ・リテレール・小林秀雄を囲んで」1946年)

といふ小林秀雄に近いアイロニー。




by ichiro_ishikawa | 2019-05-22 20:41 | 文学 | Comments(0)  

ユーモアといふこと

人間にとつて、もつとも重要かつ必要なのは金でも名誉でも健康でも芸術でもない。
何だかんだ言つて、ユーモアである、
といふことに思ひ至つてゐる。

ユーモアがあればあらかたうまくいくのではないか。生老病死といふいはゆる四苦、細かくは人の世でのあれこれといつたもの。これらから逃れる術はないが、ユーモアをもつてすれば、乗り切れる。

たとへば他者と大げんかし罵詈雑言を浴びせあつてしまつても、その文言がもしものすげえおもしろいものであつたら、結果、和解できるのではないか。
臨終間際に、ものすげえおもしろいことを思ひついたら、幸せな死を迎へられたことにならないか。

ボルヘスのエッセイ集『続審問』を読んでゐて、さう思ひ至つた。
たとへばオスカー・ワイルドを形容する文はかうだ。

ネクタイと比喩で人を驚かさうといふくだらない目的に身を捧げた紳士


ことの最後に決定的な言葉を口にするために存在する人物



とてつもなくつらいことがあつたとき、この言葉を思ひ浮かべると、苦悶の表情は薄ら笑ひに変はるだらう。





by ichiro_ishikawa | 2019-04-25 11:14 | 文学 | Comments(0)  

忘れ物と俺


俺が忘れ物王であることは、度々書いてきたし、もはや周知の事実だが、実は小林秀雄もさうであつた。

といふことを、新潮社の「webでも考える人」で連載中の池田雅延「随筆 小林秀雄」第55回にて、改めて知つた。池田雅延は「本居宣長」の編集者。

小林秀雄が、加齢で集中力がなくなつて物忘れをしなくなたつた、といふエピソードを紹介してゐる。
ふつう逆かと思ふだらうが、さうではない。集中力があるときは、ある事に集中しすぎて他のことをポンポン忘れる、といふのが小林秀雄の言はんとする意だ。
俺の物忘れもこれであらう。俺の集中力は衰へてはゐない。むしろ高まる一方である。と、忘れ物をするたびに自他に言ひ聞かせてゐる。


余談だが、最近小林秀雄を書いてゐないのは、この連載と「新潮」誌の連載、大澤信亮「小林秀雄」が現行動いてゐる以上、書くことがないからだ。
これまでも小林秀雄関連の連載や本は出続けてゐたが、上記二作以外は、読むと反論したい気も起こることがしばしあり、むしろ書く必要に駆られたものだが、件の二作には強い同意と新たな驚きしかない。
「小林秀雄」は第1部が終了し休載中。第2部のスタートが待たれてゐる。

by ichiro_ishikawa | 2019-04-18 14:51 | 日々の泡 | Comments(0)  

陰影礼賛


忖度といふ言葉のバリューが貶められてネガティブな言葉として流布してゐるが、元来、ネガもポジもない、どちらかと言へば、よい意味合ひで使ふ言葉である。

グローバル化、インターネット社会になり、
やれガバナンスだ、コンプライアンスだと喧しいものだから、何でも蚊でも必要以上に白黒つけたり、可視化したり、言質を取つたりしなければならない現代だが、
グレーとかグラデーションとか、阿吽の呼吸とか以心伝心とか口伝とか、機微とか侘び寂びとか、間(あはい)とか、さうした、日本人が長い年月をかけて育んできた「ようマニュアル化せん、ものごとの陰影」のやうなものも、一方で大事だ。
いはゆる人間力とは、この一点にかかつてゐると言つてもよい。
それこそかうしたことは、世の中といふ実地に学ぶしかなく、文学、とりわけ詩歌を味はふことで身につく類のものであらう。これを身につけでは、忖度といふ高度な文化の実践も覚束なくなるのは当然である。

経済、社会がグローバルになればなるほど愈々、文化は個を掘り下げた方がいい。教育における文学軽視は、文化と経済を混同しての愚策であらう。

そんな中、谷崎潤一郎の『陰影礼賛』が映画化。
主演は国木田独歩の玄孫、国木田彩良。
原作も売れてゐると聞く。
陰影を礼賛するのはよいことだ。



by ichiro_ishikawa | 2018-10-12 15:13 | 文学 | Comments(1)  

無私とは

2018年にもなると、つい数年前のやうな実感のある1988年ももはや30年前で、80年代を実体験としては知らない現代の若い論客が、それをてめえが生まれる前の事象として、過去の検証的に分析する言説が散見される昨今である。

それらを読んで思ふのは、ああ的外れだな…だ。
しかし、自信満々に語られるから、それを読んださらに若い世代は事実として受け止めるだらう。そして、彼らがまた聞きでさらに下に語りつぐ。さらに……。
歴史は悪気なく塗り替へられるといふことを思ひ知らされる。

特徴的なのは、過去は常に「今」といふフィルターを通して語られる、といふことだ。「今が最も偉い史観」といふのは現代人の本能のやうなものなのかもしれない。
「今」は過去を全て知つてゐて、俯瞰してゐて、その上に立つてゐると思つてゐて、勢い上から目線で語られることになる。

語られる地点が今なのだから、それはどうしたつてさうである、免れ得ない。
しかし、やはりそれは危険で、特に意識しなければならないだらう。
そこで、「当事者への取材」がまず必要だといふことが浮き彫りになる。我々が戦争を語るとき、やはり
当事者への取材なしに語るのは危険なことなのだといふことを思い知る。

当事者への取材が不可能な場合、たとへば大昔の事にあたる場合はどうするか。資料しかない。
そのときにも「今」のフィルターを通して見てはいけない。

同時代のこともさうである。
当事者の目で見ること。といふか、とにかく「てめえ」といふ偏見の塊であるところのフィルターを取り除くこと。

これを小林秀雄は無私の精神と言つた。
しかも、無私とは得るもので、そこに至る道は険しいことを知つていたから、一生、無私無私言つていたのである。
小林秀雄がインテリゲンチャをとことん嫌つたのは、「今」「てめえ」をベースに上からものを見る態度のいやらしさが我慢ならなかつたのだ。

小林秀雄が本居宣長を尊敬したのは、宣長は古事記を、古事記の内部を生きて、古代人の視点で見てゐたからだ。さうすると、どうしても、ことの大事とは、もののあはれを知ることに行き着く。

ことにあたつたときの感情といふ、目に見えない、しかし、一番確実で、すべての土台となるもの、ここを見では結局何もしてないのも同じ、さういふ信念からすべての仕事をしたのが、小林秀雄だ。
個性とはさういふ地点からしか生まれない。
歴史を、過去を、他者を見では、自分が何か、わからない。




by ichiro_ishikawa | 2018-05-20 11:26 | 文学 | Comments(0)  

小林秀雄の学生年表


年譜に拠れば、小林秀雄は25歳で大学(東京帝大仏文)を出た。昔、この事実を知つたときは、小林はだいぶ浪人したかダブつたんだな、と思つたものだ。
ちなみに俺も一浪二留をして大学を出たのが25だつたので、小林と同じコースといふことで、自分を慰めていたものだ。

しかし違つた。戦前と戦後では学制が違つた。
結論から言ふと、小林は一浪しただけであとはストレートに卒業してゐた。
戦前は、今風に簡単に言へば、
小学6年→中学5年→高校4年→大学3年。
であつた。トータルの修学年が2年多い。
基礎教養を学ぶ期間を長くとつてゐる。
旧制の中学生は今の高校生で、旧制の高校生は今の大学学部生だ。旧制大学生は今の院生。

小林の年譜を見てみる。4月生まれだから分かりやすい。
年齢はその年度の満年齢を記す。

1902年(明治35年)4月、生誕
1915年(大正4年)3月、白金尋常小学校卒業=12歳
1915年4月、東京府立第一中学校入学=13歳
1920年(大正9年)3月、卒業。第一高等学校受験、不合格=17歳
1921年(大正10年)3月、父豊造没=18歳
1921年4月、第一高等学校文科丙類入学=19歳
1925年(大正14年)3月、卒業=22歳
1925年4月、東京帝国大学文学部仏蘭西文学科入学=23歳

1928年(昭和3年)3月、卒業=25歳


中学(今の日比谷高校)を出て、高校受験に一度失敗してゐる。

今で言へば大学受験失敗。で、一浪の末、19歳の年に高校(今で言へば東京大学)に入るのだが、直前に父が亡くなつてゐる。


成人前、大学前に父を亡くしたといふことは、よくよく考へる必要があらう。

母親思ひ、家族を食はす覚悟、さうした強さと優しさの源泉はこの経験にある。


で、1929年(昭和4年、27歳)に「様々なる意匠」だから、入団1年目で3割30本みたいなもの。


もつともすでに大学時代から翻訳や依頼原稿をバリバリ書いて、女を養つてもいた。

しかもスポーツもブリバリで、マンドリンなども弾く、かつ顔もいい、喧嘩も強いと、人間力がハンパでなかつた。

父の逝去の2年後に見舞われた関東大震災での復興尽力ぶりは、3.11の吉川晃司を思はせる。屈強な男である。さういふ男が文学をやつたといふのが、我々にとつては幸いだらう。世が世なら間違ひなくロックンローラーであつた。





by ichiro_ishikawa | 2018-05-18 09:50 | 文学 | Comments(0)  

パタパタうるさいノートPC


「それ前も聞いた」と言はれさうだが、
会議にノートPCを持ち込むのは禁止したい。

メモしてゐるのだ。終了と同時に議事録が作成できる。
といふことなのかもしれない。

しかしメモはペンで紙に書くべきだ。
いやメモも不要。話し合ふ、考へることが目的だらう。
議事録なんて最もいらない。
あつてもいいがそんなに急がんでも。

ノートPCがいけないのは、パタパタうるさいからだ。
あの入力の際のパタパタといふ音は、思索という行為を妨げる。
さらに、ノートPCを操つてゐる輩からは、人の話を聞いてない感が出る。
ブラインドタッチで顔を上げてゐたとしても、どこか心ここに非ず感が出る。
実際、心は入力(メモ)に向いてゐるからだ。
心は顔やオーラに出る。

ノートPC(メモ)禁止にすれば、
すべてをてめえの頭(心?)にメモライズせざるをえない。
グッと前傾姿勢になり、会話や議論に緊張感がみなぎる。
結果、名案が出やすい。コミュニケーションが濃くなる。
メモなりまとめは会議後、一人でやるがよい。

小林秀雄は取材や公演の録音を禁じた。
話し言葉を勝手に文字に起こして流布されるのを嫌つたのではない。
いや嫌った。てめえは物書きだから、書き言葉しか信用してほしくないといふことはあつた。
しかし、それは瑣末なことで、
話す際は何よりも今そこに居るその人とのコミュニケーションを欲したからだ。
テープレコーダーに向つて話をすることはご免だ。
君に伝へたいのだ。テープを切り、ペンを置きたまへ。






by ichiro_ishikawa | 2018-05-11 13:07 | 日々の泡 | Comments(0)  

もののあはれを知るとは


科学的に世界を理解すること、道徳や倫理を基準に人間を把握することだけでは「はみ出てしまふ」、人間の何とも言はれぬ情緒をこそ、大事にしたい、そこに文学や歌の真髄がある、そこにしかない。
といふのが、もののあはれを知る、だ。
そこには科学も経済も倫理も、哲学も宗教もすべて含まれる。仏教もキリスト教も道教も神道もすべて。
もののあはれを知ることが本物の知性である。
といふかもののあはれを知らでは科学も経済も哲学も宗教も絵空事に堕す。
もののあはれを知るといふのを換言すれば「ああ、人間…、ああ、人生」である。

といふ当たり前の誰もが感じてゐることを、源氏物語と和歌の中に、いかにもののあはれを知る心がはたらいてゐるかを見出して実証したのが本居宣長だ。

で、そんな宣長すげえといふ思ひを無私の精神で表したのが小林秀雄で、その小林を清潔だといつて愛したのが池田晶子だ。

by ichiro_ishikawa | 2018-05-04 14:56 | 文学 | Comments(1)  

「もののあはれを知る」を知る


俺がいま「もののあはれを知る」を知ることに躍起になつて取り組んでゐることは、天国の母も知らないだらう。
本居宣長の源氏注釈書「紫文要領」と歌論「石上私淑言」を改めて新潮日本古典集成(1983)にて読んでゐる。
先日初めて成城学園の小林秀雄文庫を訪れ、小林の蔵書を弄つてゐたところ、本居宣長全集の「紫文要領」と「石上私淑言」ばかりにバリバリ書き込みやらアンダーラインやらがあつたことに触発されてのことだ。

小林秀雄「本居宣長」には、原典がふんだんに引用されてゐるため、あへて読む必要にかられなかつたのだが、ここに来て、やはり原典だらうといふことで、意を決して熟読玩味してゐる次第だ。

宣長は小林と同じことを言つてゐた。
いや小林が宣長と同じことを言つてゐるのか。
文学とは何か、物語、歌とは何か、
そして人生いかに生きるべきか、
がそこには詰まつてゐる。
無私を得ること、中庸を
なぜ小林が願つたか、わかる。

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《新潮日本古典集成》本居宣長集 本居宣長/著

源氏物語の正しい読み方を、初めて説いた「紫文要領」。和歌の豊かな味わい方を、懇切に手引きした「石上私淑言」。宣長の神髄が凝縮された二大評論を収録。 (新潮社)





by ichiro_ishikawa | 2018-05-02 16:06 | 文学 | Comments(0)  

小林秀雄の読み方


小林秀雄の原文は極めて明快だのに、小林秀雄を書いた文章は晦渋に過ぎて読み進めることが苦痛である。
といふかまつたく面白くないので、読み切れない。
といふ事態がままある。これが不思議だ。わかりやすく目の前にあるものを分かりにくく書き直す、あるひは分かりにくく解説するといふ行為は何のために為されてゐるのか。


母親がてめえの子供を、
「あの子はああいふ子」といふときの眼。
その理屈抜きの正確さ。
小林秀雄は、あらゆる対象をこの目でみようとした。ランボオ、ドストエフスキイ、モオツアルト、実朝、西行、宣長。それらが見ているものを見、哀しんでいるところを哀しむことがまづあつて、それらは、そも、母親の視点ではなかつたか。あの子はああいふ子、といふことを、なるべく論理的に書かうとした、しかしそも理屈でないことでそれらは出来上がつてゐるがために、散文ではなく詩が現れざるを得ない。

小林秀雄の批評とは、母親が我が子を詠んだ散文詩である、といふのはさういふ事情であり、さういふやうに小林秀雄を読んで行くとスツとすべてが腑に落ちるし、そのやうな読み方しか小林秀雄を読む術はない。



by ichiro_ishikawa | 2018-01-25 15:33 | 文学 | Comments(0)