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中島岳志著『保守と大東亜戦争』


中島岳志著『保守と大東亜戦争』読了。

良書。


序章が詳しいまとめになつてゐて、

第1〜4章で具体を証し、

終章で改めてまとめる、

といふ、読み返さずとも一読で内容が整理、定着するといふ構成もよい。


内容の骨子は、

保守とは、右でも左でもなく、

自身の不完全性を認め、伝統や良識を信用し、

時代や時局に即した漸次的改革を求めていく、

といふ中庸の精神のこと。

かうした保守は、

戦中の軍国は無論、戦後左派、その反動的ナショナリズム、全てを同根のものと否定する。


おそらく小林秀雄の

歴史、常識についての考へ、

無私、中庸の精神の重要といつたことと

同じことを言つてゐる。


すごく当たり前のことだが、

人はえてして当たり前に耐えられず、

極端に傾く。

保守とは、当たり前を保ち守らんとする能動的な動きである。






by ichiro_ishikawa | 2018-08-18 10:12 | 文学 | Comments(0)  

小林秀雄の学生年表


年譜に拠れば、小林秀雄は25歳で大学(東京帝大仏文)を出た。昔、この事実を知つたときは、小林はだいぶ浪人したかダブつたんだな、と思つたものだ。
ちなみに俺も一浪二留をして大学を出たのが25だつたので、小林と同じコースといふことで、自分を慰めていたものだ。

しかし違つた。戦前と戦後では学制が違つた。
結論から言ふと、小林は一浪しただけであとはストレートに卒業してゐた。
戦前は、今風に簡単に言へば、
小学6年→中学5年→高校4年→大学3年。
であつた。トータルの修学年が2年多い。
基礎教養を学ぶ期間を長くとつてゐる。
旧制の中学生は今の高校生で、旧制の高校生は今の大学学部生だ。旧制大学生は今の院生。

小林の年譜を見てみる。4月生まれだから分かりやすい。
年齢はその年度の満年齢を記す。

1902年(明治35年)4月、生誕
1915年(大正4年)3月、白金尋常小学校卒業=12歳
1915年4月、東京府立第一中学校入学=13歳
1920年(大正9年)3月、卒業。第一高等学校受験、不合格=17歳
1921年(大正10年)3月、父豊造没=18歳
1921年4月、第一高等学校文科丙類入学=19歳
1925年(大正14年)3月、卒業=22歳
1925年4月、東京帝国大学文学部仏蘭西文学科入学=23歳

1928年(昭和3年)3月、卒業=25歳


中学(今の日比谷高校)を出て、高校受験に一度失敗してゐる。

今で言へば大学受験失敗。で、一浪の末、19歳の年に高校(今で言へば東京大学)に入るのだが、直前に父が亡くなつてゐる。


成人前、大学前に父を亡くしたといふことは、よくよく考へる必要があらう。

母親思ひ、家族を食はす覚悟、さうした強さと優しさの源泉はこの経験にある。


で、1929年(昭和4年、27歳)に「様々なる意匠」だから、入団1年目で3割30本みたいなもの。


もつともすでに大学時代から翻訳や依頼原稿をバリバリ書いて、女を養つてもいた。

しかもスポーツもブリバリで、マンドリンなども弾く、かつ顔もいい、喧嘩も強いと、人間力がハンパでなかつた。

父の逝去の2年後に見舞われた関東大震災での復興尽力ぶりは、3.11の吉川晃司を思はせる。屈強な男である。さういふ男が文学をやつたといふのが、我々にとつては幸いだらう。世が世なら間違ひなくロックンローラーであつた。





by ichiro_ishikawa | 2018-05-18 09:50 | 文学 | Comments(0)  

パタパタうるさいノートPC


「それ前も聞いた」と言はれさうだが、
会議にノートPCを持ち込むのは禁止したい。

メモしてゐるのだ。終了と同時に議事録が作成できる。
といふことなのかもしれない。

しかしメモはペンで紙に書くべきだ。
いやメモも不要。話し合ふ、考へることが目的だらう。
議事録なんて最もいらない。
あつてもいいがそんなに急がんでも。

ノートPCがいけないのは、パタパタうるさいからだ。
あの入力の際のパタパタといふ音は、思索という行為を妨げる。
さらに、ノートPCを操つてゐる輩からは、人の話を聞いてない感が出る。
ブラインドタッチで顔を上げてゐたとしても、どこか心ここに非ず感が出る。
実際、心は入力(メモ)に向いてゐるからだ。
心は顔やオーラに出る。

ノートPC(メモ)禁止にすれば、
すべてをてめえの頭(心?)にメモライズせざるをえない。
グッと前傾姿勢になり、会話や議論に緊張感がみなぎる。
結果、名案が出やすい。コミュニケーションが濃くなる。
メモなりまとめは会議後、一人でやるがよい。

小林秀雄は取材や公演の録音を禁じた。
話し言葉を勝手に文字に起こして流布されるのを嫌つたのではない。
いや嫌った。てめえは物書きだから、書き言葉しか信用してほしくないといふことはあつた。
しかし、それは瑣末なことで、
話す際は何よりも今そこに居るその人とのコミュニケーションを欲したからだ。
テープレコーダーに向つて話をすることはご免だ。
君に伝へたいのだ。テープを切り、ペンを置きたまへ。






by ichiro_ishikawa | 2018-05-11 13:07 | 日々の泡 | Comments(0)  

もののあはれを知るとは


科学的に世界を理解すること、道徳や倫理を基準に人間を把握することだけでは「はみ出てしまふ」、人間の何とも言はれぬ情緒をこそ、大事にしたい、そこに文学や歌の真髄がある、そこにしかない。
といふのが、もののあはれを知る、だ。
そこには科学も経済も倫理も、哲学も宗教もすべて含まれる。仏教もキリスト教も道教も神道もすべて。
もののあはれを知ることが本物の知性である。
といふかもののあはれを知らでは科学も経済も哲学も宗教も絵空事に堕す。
もののあはれを知るといふのを換言すれば「ああ、人間…、ああ、人生」である。

といふ当たり前の誰もが感じてゐることを、源氏物語と和歌の中に、いかにもののあはれを知る心がはたらいてゐるかを見出して実証したのが本居宣長だ。

で、そんな宣長すげえといふ思ひを無私の精神で表したのが小林秀雄で、その小林を清潔だといつて愛したのが池田晶子だ。

by ichiro_ishikawa | 2018-05-04 14:56 | 文学 | Comments(1)  

「もののあはれを知る」を知る


俺がいま「もののあはれを知る」を知ることに躍起になつて取り組んでゐることは、天国の母も知らないだらう。
本居宣長の源氏注釈書「紫文要領」と歌論「石上私淑言」を改めて新潮日本古典集成(1983)にて読んでゐる。
先日初めて成城学園の小林秀雄文庫を訪れ、小林の蔵書を弄つてゐたところ、本居宣長全集の「紫文要領」と「石上私淑言」ばかりにバリバリ書き込みやらアンダーラインやらがあつたことに触発されてのことだ。

小林秀雄「本居宣長」には、原典がふんだんに引用されてゐるため、あへて読む必要にかられなかつたのだが、ここに来て、やはり原典だらうといふことで、意を決して熟読玩味してゐる次第だ。

宣長は小林と同じことを言つてゐた。
いや小林が宣長と同じことを言つてゐるのか。
文学とは何か、物語、歌とは何か、
そして人生いかに生きるべきか、
がそこには詰まつてゐる。
無私を得ること、中庸を
なぜ小林が願つたか、わかる。

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《新潮日本古典集成》本居宣長集 本居宣長/著

源氏物語の正しい読み方を、初めて説いた「紫文要領」。和歌の豊かな味わい方を、懇切に手引きした「石上私淑言」。宣長の神髄が凝縮された二大評論を収録。 (新潮社)





by ichiro_ishikawa | 2018-05-02 16:06 | 文学 | Comments(0)  

寺山修司 in 徹子の部屋


7:36〜39の間がおそろしい緊張感。

寺山は抜群に返しと話が面白い。
全文起こしたいが、面倒なのでほんの一部抜粋。

詩人といふ肩書きについて
「詩人つていふのは便利でね。誰が詩人だつて言つても文句言ふことはできないんですよ。浮浪者なんていはれるときには、それいやだつたら詩人て言へばいいんでね。法律で決まつてるわけじないから。便利だからね。だから詩人てことにしてるだけで」

子供の頃
「子供の頃からものは書いてたんですね。小説つていふか、話を作るわけですね。結局、ほら親がいなかつたでしよ。1人で暮らしてたんでね、なんか面白い話しなきや人があまり遊びに来ないんで。正当防衛です。狼が来たの少年みたいなもんでね。口から出まかせいろいろ言つて友達を集めるわけですね。詩でも小説でも結局は上手な嘘のつき方ですからね」

父親について
「僕が四つか五つの頃に戦争に行つたんですね。昭和20年の9月3日に戦死つていふんですよ。ところが9月3日に戦死つていふことはないんですね、8月15日に戦争は終はつてるから。それで、知らないで戦争してるのかと思つたら実際はアル中で死んだらしいですね?」

煙草について
「煙草はね中学の頃吸つてたんですけどね、結局、だんだん吸わなくなつたんですね。僕は煙草は吸ふもんだつていふのは知らなかつたんですね。口に煙を入れて出すもんだつて、ずつと長い間さう思つてて、ある日みんなと話してたら、煙草つていふのは深く吸ふんだつてことを知つて、恥ずかしくなつてやめちやつたんですけどね」
黒柳徹子「それからもうお吸ひにならない?」
「まあ時々カツコつけてね、間が持たなかつたり灰皿があつたりすると吸ひますけど。吸つてるわけじやなくて口入れて煙を出してるつて感じですね」

一本の樫の木やさしそのなかに血は立つたまま眠れるものを
「そんな深い意味は別にないんですけどね。僕はやつぱり木だとか電信柱だとかああいふものもかうやつぱり夜になると眠るのかなつていふのを子供の頃不思議に思つてたんですよね、それとまあ、よく分かんないですけどね、パリは立つたまま眠つてるつていふユリアールの有名な言葉があるんですよ、それで結局立つたまま死んだ馬もゐるしね、で、だいたい人間はかう最後まできちつと立つてゐたいつていふのがあるんですね、さう思つてた頃に作つたんじやないですかね」

若い時分ネフローゼで入院
黒柳徹子「どのくらいの期間、入院していらしたんですか」
「4年」
黒柳徹子「まぁー…。その間どういふ…ことを考えてらしたんですか」
「いや、そのときそのときで。そんな長期的展望に立つて入院してたわけじやないからね。いつも来週退院すると思つてて、計算してみたら4年になつてたつてこと」

なぜ競馬が好きか
「普通の世の中だと働いたら働いた分だけ月給が入つてくる感じでしよ。会社入つたら新入社員で入つた日から定年まで、サラリーマンだったら一生の賃金が決まつてて。やつぱりいいうちに生まれた人はいいけど、そうじやない人は運が悪かつたつて諦めるしかないじやない。競馬なんていふのは非常に偶然があつてね。全く思ひがけないやうな幸運があつたりするわけですよね。世の中で手に入らない興奮があるんですよね。もしかしたら俺は今日はついてるかもわからないつて思つて行くわけでしよ」

「やつぱり当たるときもあるし、外れてるときもあるしね。で、やつぱり素人の人はトータルすると損してますか儲かつてますかつて聞くんですね。で僕はだいたいさういふときいつも言ふのは、芝居見に行つてトータルして泣いてますか笑つてますかつて聞かないでしよつて。やつぱり、損したくて行くときもあるんですよ。要するに、ただ儲けるんだつたら馬券買ふお金を銀行とか殖産なんとかそんなとこにお金を預けておけば利息が付くわけだけども、全部なくなつちやいたいと思ふときもあるし、突然なんかやつぱり儲けたいと思ふときもあるし。だから、悲劇ばつかりでもつまんないけれども、やつぱり喜劇ばつかりでもつまんないつていふのがあるんですね。だから芝居観に行くみたいなものですね、競馬つていふのは」

「馬も持つたこともあるんですよ。ユリシーズなんて壮大な名前の。いまはマザー牧場かなんかで子供が乗つて遊んでますよ」





素晴らしき仲間の年齢関係

※(  )はタモリからの差異


赤塚不二夫 1935年9月生まれ(10上)

山下洋輔 1942年2月生まれ(4上)

坂田明 1945年2月生まれ(1上)

タモリ 1945年8月生まれ

長谷川法世  1945年9月生まれ(同郷同学年)

中村誠一 1947年3月生まれ(1下)

三上寛 1950年3月生まれ(4下)


披露される芸

タモリとの出会い再現 by タモリ×中村誠一

中国人と話す秘訣 by タモリ

寺山修司同士の議論 by タモリ×三上寛

前衛童謡 by 坂田明

田中角栄 by 坂田明

革新野党の角栄×自民党角栄 by タモリ×坂田明

圓生、ジャズの歴史を語る by 中村誠一

シュール芝居(天井桟敷ごつこ)

いい観客、山下洋輔



by ichiro_ishikawa | 2018-03-27 20:28 | 文学 | Comments(0)  

レイ・ブラッドベリ(山下達郎のブルータスソングブック)


レイ・ブラッドベリ

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Ray Bradbury 1920-2012


ブラッドベリの優れた作品にインスパイアされて作られた楽曲集。

TOTO
「Africa」(1982)


パールズ・ビフォア・スワイン
「Rocket Man」(1970)


エルトン・ジョン
「Rocket Man」(1972)


ERA
「Foghorn」(2002)


難波弘之
「The Strawberry Window」(1979)


マーク・ジョンソン
「Summer Running」(1998)


ラッシュ
「The Body Electric」(1984)


ザ・シスターズ・オブ・マーシー
「Body Electric」(1982)


ブラックモアズ・ナイト
「Dandelion Wine」(2003)


ザ・コレクターズ
「Rocket Man」(1990)



by ichiro_ishikawa | 2018-02-18 14:29 | 音楽 | Comments(0)  

『i see the rhythm』の翻訳版


黒人音楽500年の歴史を紐解く絵本『i see the rhythm』(1998年刊、2005年ペーパーバック刊)が、金原瑞人の翻訳、​​ピーター・バラカンの監修で、出版計画中。
一般の企画出版はかなはぬらしく、クラウドファウンディングで資金を募つての出版といふ形態だ。
愛好者のパイが小さいとかういふことが起こるので困る。

ピーター・バラカン氏、翻訳の金原氏 、共にいいものにしか動かないから、監修、翻訳を受けたといふだけで内容は折り紙つき。
プロジェクト成立後の一般販売予価は「¥3,000+税」で、貧乏暇なしな俺は、3,024円の「書籍版『i see the rhythm 』1冊」に申し込んだ次第だ。
現時点で72万5,000円ほど足りず、あと5日でタイムリミットだといふ。

このブロムの読者は5人なので、ここで告知しても焼け石に水やもしれぬが、濃い5人なので申し込む可能性は高い。
原本も3,000円ほどでネットでも買えへるわけだが、やはり国内盤が欲しいだらう、金原瑞人訳なら間違ひない。

お勧めは、

¥6,480
■ 書籍版『i see the rhythm 』1冊(¥2,800+税)
■出版記念イベント(9月7日(金)19時前後より、東京都内)ご招待1名様
追加で申し込む予定

¥12,960
■ 書籍版『i see the rhythm 』5冊
(一般販売予価¥3,000+税より1冊あたり¥648も安くなる)
買つてくれる友人が見当たらねえが長い目で達成できるやもと思案中。

¥32,400
■ 書籍版『i see the rhythm 』1冊
■ ご希望のお名前を本の奥付に掲載
稀覯本になること必至で、貴重だが……たけえ

¥32,400
■ 書籍版『i see the rhythm 』1冊
■ピーター・バラカンと音楽談義ができる食事会にご招待1名様
⇒ ピーター・バラカンと音楽談義してえが、シャイネスがオーヴァードライヴしさうでこええ。

by ichiro_ishikawa | 2018-01-29 20:09 | 音楽 | Comments(0)  

小林秀雄の読み方


小林秀雄の原文は極めて明快だのに、小林秀雄を書いた文章は晦渋に過ぎて読み進めることが苦痛である。
といふかまつたく面白くないので、読み切れない。
といふ事態がままある。これが不思議だ。わかりやすく目の前にあるものを分かりにくく書き直す、あるひは分かりにくく解説するといふ行為は何のために為されてゐるのか。


母親がてめえの子供を、
「あの子はああいふ子」といふときの眼。
その理屈抜きの正確さ。
小林秀雄は、あらゆる対象をこの目でみようとした。ランボオ、ドストエフスキイ、モオツアルト、実朝、西行、宣長。それらが見ているものを見、哀しんでいるところを哀しむことがまづあつて、それらは、そも、母親の視点ではなかつたか。あの子はああいふ子、といふことを、なるべく論理的に書かうとした、しかしそも理屈でないことでそれらは出来上がつてゐるがために、散文ではなく詩が現れざるを得ない。

小林秀雄の批評とは、母親が我が子を詠んだ散文詩である、といふのはさういふ事情であり、さういふやうに小林秀雄を読んで行くとスツとすべてが腑に落ちるし、そのやうな読み方しか小林秀雄を読む術はない。



by ichiro_ishikawa | 2018-01-25 15:33 | 文学 | Comments(0)  

目に見えないと理解できない日本人


日本人は抽象的、論理的思考が苦手で、それは散文より詩歌、裁判より示談、以心伝心、忖度といつた方向に向かひがち、といふところにも表れてゐる。

目に見えない唯一神より山でも海でも現実の目の前に見える森羅万象に宿るところの八百万の神を信奉することも然り。

先日の大降雪で、誰かが、さうした特徴をさらに抽象せしめて、目に見えるものしか信じない、コトが起こらないと次の動きができないといふ日本人の特徴を指摘して、だから正確に予報がなされてゐても、実際に雪が降つたのを確認してから人々は対処しだし、例によつて交通機関の麻痺、帰宅難民で溢れた、効率的に動くのが本当に苦手な国民だ、といふやうなことを書いてゐて、なるへそと思つた。

確かに効率は悪い。殊に仕事などにおいてはダメだ。しかしどこか、さうさう、確かに目に見えないとよく分からぬ、といふところがある。
人に何かをしてもらつて神に感謝するよりその人に感謝する。人が弱つてゐるときには遠くで真摯にお祈りするよりも、何ができるわけではないけれど、とにかく駆けつけたい。

この、目に見えるものしか信じない、コトが起こらないと次の動きができない心性といふのは深いものがある。

それは、理屈より感覚や身体性を信ずるといふことにもつながつてゐて、たとへば、人が死ぬといふことなどにおいては、死ぬとはいかなることかさつぱり分からないと分かり、しかし今までゐた人が無くなるといふ事態に面接したときにピタッと死といふものを理解もしている、といふ独特の感知の仕方が成され、つまりわからないがわかる、わかるがわからない、といつたところをぐるぐるまわり、それは哲学の萌芽であらうと思はれる。

以上、オチなし。




by ichiro_ishikawa | 2018-01-25 15:10 | 日々の泡 | Comments(0)