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追悼 加藤典洋


『9条入門』(創元社、2019年)を電車の中で読んでゐたまさにその時、その著者加藤典洋の訃報に接した。
この数週間ずつと本書を繰り返し読んでゐた。奇しくも先日は加藤の故郷山形への往復に当たつてゐた。ちなみにBGMをユーミンからインストのパットメセニーに変へてゐたのはこのためである。
71歳。数少ない「無条件で買ふ」文筆家であつた。

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湾岸戦争時、多くの人が平和憲法の存在を理由に「反戦」の声をあげる中、

そうかそうか、では平和憲法がなかつたら反対しないわけか
(『敗戦後論』1997年)

と誰よりも強力に平和憲法の価値を見据えた。

敗戦直後の、

利口な奴はたんと反省するがよい。私は馬鹿だから反省なぞしない
(「コメディ・リテレール・小林秀雄を囲んで」1946年)

といふ小林秀雄に近いアイロニー。




by ichiro_ishikawa | 2019-05-22 20:41 | 文学 | Comments(0)  

青年と中年


自分が青年時代であつた頃のことを思ふと「青年時代は不愉快だ」といふゲーテのことばが、実に真実を語つてゐると感じられる。壮年になつてもつと愉快になつたわけではないが、少なくとも青年時代よりはウソのつき方もうまくなつた。青年時代は、イバラの森を裸で歩いてゐるやうなもので、生傷の絶え間がなかつた。着物を着ればよささうなものを、あらゆる着物は虚偽だと信じてゐたから、裸でゐるよりほかはなかつた。そして青年時代の唯一の誇りは「自分は決して人に理解されない」と信じてゐたことだ。
だから、青年の気持ちはわかる、とか、学生諸君の気持ちはわかる、とか言ひ暮らしてゐるお人よしの大人たちを見ると「可哀想に。かれらの唯一の誇りまで奪はうとするなよ」と忠告してやりたくなる。
かういふ点では、今も昔も、青年といふものは格別に変はつたわけではないのである。

発掘原稿「現代青年論 〝弱い父親〟への反逆」三島由紀夫(1969年「京都新聞」「新潟日報」「北國新聞」など。全集未収録)
「新潮」2019年5月号より抜粋


ここで言ふ青年とは、三島の時代から20年後に、長渕剛「お家へかえろう」(1990)において「敗戦直後に生まれた40代は、つまらねえ日本的資本主義を作っちまった」と歌はれた、『Live '89』において「誰それがくっついた、はなれたのってニュースでやってる」「いい歳こいた四十過ぎのおっさん」と語られた、いはゆる団塊の世代。

彼ら「青年」は、中年になつたとき、自らが「あんなおつさんにだけはなりたくない」と指した、まさにそんなおつさんになつてゐた。

そして、新人類から、バブル世代、団塊ジュニア、ロスジェネ、悟り世代、そして現在の平成くんまで含めて、その時々の青年は、必ず「自分は決して人に理解されない」との誇りをもつて不愉快で、のちに例外なく「今時の若者は」「俺が若い頃は」と漏らす中年に成り下がる。

それは、なぜか。人生の重力。
扱ふべきテーマはこれであらうと考へてゐる。



by ichiro_ishikawa | 2019-05-03 15:01 | 文学 | Comments(0)  

ユーモアといふこと

人間にとつて、もつとも重要かつ必要なのは金でも名誉でも健康でも芸術でもない。
何だかんだ言つて、ユーモアである、
といふことに思ひ至つてゐる。

ユーモアがあればあらかたうまくいくのではないか。生老病死といふいはゆる四苦、細かくは人の世でのあれこれといつたもの。これらから逃れる術はないが、ユーモアをもつてすれば、乗り切れる。

たとへば他者と大げんかし罵詈雑言を浴びせあつてしまつても、その文言がもしものすげえおもしろいものであつたら、結果、和解できるのではないか。
臨終間際に、ものすげえおもしろいことを思ひついたら、幸せな死を迎へられたことにならないか。

ボルヘスのエッセイ集『続審問』を読んでゐて、さう思ひ至つた。
たとへばオスカー・ワイルドを形容する文はかうだ。

ネクタイと比喩で人を驚かさうといふくだらない目的に身を捧げた紳士


ことの最後に決定的な言葉を口にするために存在する人物



とてつもなくつらいことがあつたとき、この言葉を思ひ浮かべると、苦悶の表情は薄ら笑ひに変はるだらう。





by ichiro_ishikawa | 2019-04-25 11:14 | 文学 | Comments(0)  

中島岳志著『保守と大東亜戦争』


中島岳志著『保守と大東亜戦争』読了。

良書。


序章が詳しいまとめになつてゐて、

第1〜4章で具体を証し、

終章で改めてまとめる、

といふ、読み返さずとも一読で内容が整理、定着するといふ構成もよい。


内容の骨子は、

保守とは、右でも左でもなく、

自身の不完全性を認め、伝統や良識を信用し、

時代や時局に即した漸次的改革を求めていく、

といふ中庸の精神のこと。

かうした保守は、

戦中の軍国は無論、戦後左派、その反動的ナショナリズム、全てを同根のものと否定する。


おそらく小林秀雄の

歴史、常識についての考へ、

無私、中庸の精神の重要といつたことと

同じことを言つてゐる。


すごく当たり前のことだが、

人はえてして当たり前に耐えられず、

極端に傾く。

保守とは、当たり前を保ち守らんとする能動的な動きである。






by ichiro_ishikawa | 2018-08-18 10:12 | 文学 | Comments(0)  

小林秀雄の学生年表


年譜に拠れば、小林秀雄は25歳で大学(東京帝大仏文)を出た。昔、この事実を知つたときは、小林はだいぶ浪人したかダブつたんだな、と思つたものだ。
ちなみに俺も一浪二留をして大学を出たのが25だつたので、小林と同じコースといふことで、自分を慰めていたものだ。

しかし違つた。戦前と戦後では学制が違つた。
結論から言ふと、小林は一浪しただけであとはストレートに卒業してゐた。
戦前は、今風に簡単に言へば、
小学6年→中学5年→高校4年→大学3年。
であつた。トータルの修学年が2年多い。
基礎教養を学ぶ期間を長くとつてゐる。
旧制の中学生は今の高校生で、旧制の高校生は今の大学学部生だ。旧制大学生は今の院生。

小林の年譜を見てみる。4月生まれだから分かりやすい。
年齢はその年度の満年齢を記す。

1902年(明治35年)4月、生誕
1915年(大正4年)3月、白金尋常小学校卒業=12歳
1915年4月、東京府立第一中学校入学=13歳
1920年(大正9年)3月、卒業。第一高等学校受験、不合格=17歳
1921年(大正10年)3月、父豊造没=18歳
1921年4月、第一高等学校文科丙類入学=19歳
1925年(大正14年)3月、卒業=22歳
1925年4月、東京帝国大学文学部仏蘭西文学科入学=23歳

1928年(昭和3年)3月、卒業=25歳


中学(今の日比谷高校)を出て、高校受験に一度失敗してゐる。

今で言へば大学受験失敗。で、一浪の末、19歳の年に高校(今で言へば東京大学)に入るのだが、直前に父が亡くなつてゐる。


成人前、大学前に父を亡くしたといふことは、よくよく考へる必要があらう。

母親思ひ、家族を食はす覚悟、さうした強さと優しさの源泉はこの経験にある。


で、1929年(昭和4年、27歳)に「様々なる意匠」だから、入団1年目で3割30本みたいなもの。


もつともすでに大学時代から翻訳や依頼原稿をバリバリ書いて、女を養つてもいた。

しかもスポーツもブリバリで、マンドリンなども弾く、かつ顔もいい、喧嘩も強いと、人間力がハンパでなかつた。

父の逝去の2年後に見舞われた関東大震災での復興尽力ぶりは、3.11の吉川晃司を思はせる。屈強な男である。さういふ男が文学をやつたといふのが、我々にとつては幸いだらう。世が世なら間違ひなくロックンローラーであつた。





by ichiro_ishikawa | 2018-05-18 09:50 | 文学 | Comments(0)  

パタパタうるさいノートPC


「それ前も聞いた」と言はれさうだが、
会議にノートPCを持ち込むのは禁止したい。

メモしてゐるのだ。終了と同時に議事録が作成できる。
といふことなのかもしれない。

しかしメモはペンで紙に書くべきだ。
いやメモも不要。話し合ふ、考へることが目的だらう。
議事録なんて最もいらない。
あつてもいいがそんなに急がんでも。

ノートPCがいけないのは、パタパタうるさいからだ。
あの入力の際のパタパタといふ音は、思索という行為を妨げる。
さらに、ノートPCを操つてゐる輩からは、人の話を聞いてない感が出る。
ブラインドタッチで顔を上げてゐたとしても、どこか心ここに非ず感が出る。
実際、心は入力(メモ)に向いてゐるからだ。
心は顔やオーラに出る。

ノートPC(メモ)禁止にすれば、
すべてをてめえの頭(心?)にメモライズせざるをえない。
グッと前傾姿勢になり、会話や議論に緊張感がみなぎる。
結果、名案が出やすい。コミュニケーションが濃くなる。
メモなりまとめは会議後、一人でやるがよい。

小林秀雄は取材や公演の録音を禁じた。
話し言葉を勝手に文字に起こして流布されるのを嫌つたのではない。
いや嫌った。てめえは物書きだから、書き言葉しか信用してほしくないといふことはあつた。
しかし、それは瑣末なことで、
話す際は何よりも今そこに居るその人とのコミュニケーションを欲したからだ。
テープレコーダーに向つて話をすることはご免だ。
君に伝へたいのだ。テープを切り、ペンを置きたまへ。






by ichiro_ishikawa | 2018-05-11 13:07 | 日々の泡 | Comments(0)  

もののあはれを知るとは


科学的に世界を理解すること、道徳や倫理を基準に人間を把握することだけでは「はみ出てしまふ」、人間の何とも言はれぬ情緒をこそ、大事にしたい、そこに文学や歌の真髄がある、そこにしかない。
といふのが、もののあはれを知る、だ。
そこには科学も経済も倫理も、哲学も宗教もすべて含まれる。仏教もキリスト教も道教も神道もすべて。
もののあはれを知ることが本物の知性である。
といふかもののあはれを知らでは科学も経済も哲学も宗教も絵空事に堕す。
もののあはれを知るといふのを換言すれば「ああ、人間…、ああ、人生」である。

といふ当たり前の誰もが感じてゐることを、源氏物語と和歌の中に、いかにもののあはれを知る心がはたらいてゐるかを見出して実証したのが本居宣長だ。

で、そんな宣長すげえといふ思ひを無私の精神で表したのが小林秀雄で、その小林を清潔だといつて愛したのが池田晶子だ。

by ichiro_ishikawa | 2018-05-04 14:56 | 文学 | Comments(1)  

「もののあはれを知る」を知る


俺がいま「もののあはれを知る」を知ることに躍起になつて取り組んでゐることは、天国の母も知らないだらう。
本居宣長の源氏注釈書「紫文要領」と歌論「石上私淑言」を改めて新潮日本古典集成(1983)にて読んでゐる。
先日初めて成城学園の小林秀雄文庫を訪れ、小林の蔵書を弄つてゐたところ、本居宣長全集の「紫文要領」と「石上私淑言」ばかりにバリバリ書き込みやらアンダーラインやらがあつたことに触発されてのことだ。

小林秀雄「本居宣長」には、原典がふんだんに引用されてゐるため、あへて読む必要にかられなかつたのだが、ここに来て、やはり原典だらうといふことで、意を決して熟読玩味してゐる次第だ。

宣長は小林と同じことを言つてゐた。
いや小林が宣長と同じことを言つてゐるのか。
文学とは何か、物語、歌とは何か、
そして人生いかに生きるべきか、
がそこには詰まつてゐる。
無私を得ること、中庸を
なぜ小林が願つたか、わかる。

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《新潮日本古典集成》本居宣長集 本居宣長/著

源氏物語の正しい読み方を、初めて説いた「紫文要領」。和歌の豊かな味わい方を、懇切に手引きした「石上私淑言」。宣長の神髄が凝縮された二大評論を収録。 (新潮社)





by ichiro_ishikawa | 2018-05-02 16:06 | 文学 | Comments(0)  

寺山修司 in 徹子の部屋


7:36〜39の間がおそろしい緊張感。

寺山は抜群に返しと話が面白い。
全文起こしたいが、面倒なのでほんの一部抜粋。

詩人といふ肩書きについて
「詩人つていふのは便利でね。誰が詩人だつて言つても文句言ふことはできないんですよ。浮浪者なんていはれるときには、それいやだつたら詩人て言へばいいんでね。法律で決まつてるわけじないから。便利だからね。だから詩人てことにしてるだけで」

子供の頃
「子供の頃からものは書いてたんですね。小説つていふか、話を作るわけですね。結局、ほら親がいなかつたでしよ。1人で暮らしてたんでね、なんか面白い話しなきや人があまり遊びに来ないんで。正当防衛です。狼が来たの少年みたいなもんでね。口から出まかせいろいろ言つて友達を集めるわけですね。詩でも小説でも結局は上手な嘘のつき方ですからね」

父親について
「僕が四つか五つの頃に戦争に行つたんですね。昭和20年の9月3日に戦死つていふんですよ。ところが9月3日に戦死つていふことはないんですね、8月15日に戦争は終はつてるから。それで、知らないで戦争してるのかと思つたら実際はアル中で死んだらしいですね?」

煙草について
「煙草はね中学の頃吸つてたんですけどね、結局、だんだん吸わなくなつたんですね。僕は煙草は吸ふもんだつていふのは知らなかつたんですね。口に煙を入れて出すもんだつて、ずつと長い間さう思つてて、ある日みんなと話してたら、煙草つていふのは深く吸ふんだつてことを知つて、恥ずかしくなつてやめちやつたんですけどね」
黒柳徹子「それからもうお吸ひにならない?」
「まあ時々カツコつけてね、間が持たなかつたり灰皿があつたりすると吸ひますけど。吸つてるわけじやなくて口入れて煙を出してるつて感じですね」

一本の樫の木やさしそのなかに血は立つたまま眠れるものを
「そんな深い意味は別にないんですけどね。僕はやつぱり木だとか電信柱だとかああいふものもかうやつぱり夜になると眠るのかなつていふのを子供の頃不思議に思つてたんですよね、それとまあ、よく分かんないですけどね、パリは立つたまま眠つてるつていふユリアールの有名な言葉があるんですよ、それで結局立つたまま死んだ馬もゐるしね、で、だいたい人間はかう最後まできちつと立つてゐたいつていふのがあるんですね、さう思つてた頃に作つたんじやないですかね」

若い時分ネフローゼで入院
黒柳徹子「どのくらいの期間、入院していらしたんですか」
「4年」
黒柳徹子「まぁー…。その間どういふ…ことを考えてらしたんですか」
「いや、そのときそのときで。そんな長期的展望に立つて入院してたわけじやないからね。いつも来週退院すると思つてて、計算してみたら4年になつてたつてこと」

なぜ競馬が好きか
「普通の世の中だと働いたら働いた分だけ月給が入つてくる感じでしよ。会社入つたら新入社員で入つた日から定年まで、サラリーマンだったら一生の賃金が決まつてて。やつぱりいいうちに生まれた人はいいけど、そうじやない人は運が悪かつたつて諦めるしかないじやない。競馬なんていふのは非常に偶然があつてね。全く思ひがけないやうな幸運があつたりするわけですよね。世の中で手に入らない興奮があるんですよね。もしかしたら俺は今日はついてるかもわからないつて思つて行くわけでしよ」

「やつぱり当たるときもあるし、外れてるときもあるしね。で、やつぱり素人の人はトータルすると損してますか儲かつてますかつて聞くんですね。で僕はだいたいさういふときいつも言ふのは、芝居見に行つてトータルして泣いてますか笑つてますかつて聞かないでしよつて。やつぱり、損したくて行くときもあるんですよ。要するに、ただ儲けるんだつたら馬券買ふお金を銀行とか殖産なんとかそんなとこにお金を預けておけば利息が付くわけだけども、全部なくなつちやいたいと思ふときもあるし、突然なんかやつぱり儲けたいと思ふときもあるし。だから、悲劇ばつかりでもつまんないけれども、やつぱり喜劇ばつかりでもつまんないつていふのがあるんですね。だから芝居観に行くみたいなものですね、競馬つていふのは」

「馬も持つたこともあるんですよ。ユリシーズなんて壮大な名前の。いまはマザー牧場かなんかで子供が乗つて遊んでますよ」





素晴らしき仲間の年齢関係

※(  )はタモリからの差異


赤塚不二夫 1935年9月生まれ(10上)

山下洋輔 1942年2月生まれ(4上)

坂田明 1945年2月生まれ(1上)

タモリ 1945年8月生まれ

長谷川法世  1945年9月生まれ(同郷同学年)

中村誠一 1947年3月生まれ(1下)

三上寛 1950年3月生まれ(4下)


披露される芸

タモリとの出会い再現 by タモリ×中村誠一

中国人と話す秘訣 by タモリ

寺山修司同士の議論 by タモリ×三上寛

前衛童謡 by 坂田明

田中角栄 by 坂田明

革新野党の角栄×自民党角栄 by タモリ×坂田明

圓生、ジャズの歴史を語る by 中村誠一

シュール芝居(天井桟敷ごつこ)

いい観客、山下洋輔



by ichiro_ishikawa | 2018-03-27 20:28 | 文学 | Comments(0)  

レイ・ブラッドベリ(山下達郎のブルータスソングブック)


レイ・ブラッドベリ

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Ray Bradbury 1920-2012


ブラッドベリの優れた作品にインスパイアされて作られた楽曲集。

TOTO
「Africa」(1982)


パールズ・ビフォア・スワイン
「Rocket Man」(1970)


エルトン・ジョン
「Rocket Man」(1972)


ERA
「Foghorn」(2002)


難波弘之
「The Strawberry Window」(1979)


マーク・ジョンソン
「Summer Running」(1998)


ラッシュ
「The Body Electric」(1984)


ザ・シスターズ・オブ・マーシー
「Body Electric」(1982)


ブラックモアズ・ナイト
「Dandelion Wine」(2003)


ザ・コレクターズ
「Rocket Man」(1990)



by ichiro_ishikawa | 2018-02-18 14:29 | 音楽 | Comments(0)