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ポップミュージック・クラシック

ビートルズ前夜  
ブリル・ビルディング・ポップ 1958−64

ソウルの底にはポップがあった

 昨年、ピーター・バラカンの『魂(ソウル)のゆくえ』を再読したことがきっかけで、ソウル(ブラック)・ミュージックをもう一度きちんと丁寧に歩いてみようと、改めてその歴史を繙いていったとき、2つのことに思い当たった。
 ひとつは、ソウルのルーツはブルース〜R&B/R&R、そしてゴスペルにあると同時に、ソウルには、ポップという恐ろしく強い力が通底していると感じたこと。
 2つ目は、コースターズ、ザ・ドリフターズのようなソウル以前のポップ化したR&Bには黒幕がいる。ジェリー・リーバー&マイク・ストーラーという作詞作曲/プロデューサーチームの存在の力を思い知ったということ。

 白人音楽を中心とするポピュラー・ミュージックは、常に黒人音楽を盗用/吸収しながら発展していったことは周知の事実で、ことロックに言及するときブルーズ、R&Bをそのルーツとすることは多い。だが、ポップスは意外と看過される。ブラック・ミュージックはいつも尊敬の的であるが、ポップの偉大さにも同時に打ちのめされているこの衝動をどうしてくれようというのが、本稿の主旨だ。

50sポップシーン

 普通、「古き良き時代のアメリカ」という時、それは、第二次世界大戦での勝利を経て、物質面での生活がグワッと向上した1950年代のディケイドを指す。音楽の世界においては、ポップ大隆盛の時代だった。えてして生活が充実すると、享楽に走る。内省は陰を潜める。時代を反映しがちなポピュラー音楽にあって、こと50年代当時の音楽は、その享楽を貪って生まれたとも言える。
 だがパーティーがそんなに長続きしないことは今も昔も変わらない。不満分子というやつはそんななか、現れる。
 50年代半ばに来て、腑抜けたパーティミュージックに飽き飽きしていた不良たちが、続々表舞台に文字どおり躍り出て来た。
 メジャーシーンにおいて、エルヴィス・プレスリー、エディ・コクラン、バディ・ホリーといった白人の不良たちがビートを強化させ、リトル・リチャード、チャック・ベリー、ファッツ・ドミノらがブラックグルーヴを爆発させた。
 ロックンロールの誕生だが、徴兵制度やら飛行機事故やらペイオラ疑惑やらで一度、ロックンロールは社会につぶされる。
 その間隙を縫って現れたのがブリル・ビルディングのポップだ。ロックンロールの嵐が去ったその土壌で、ティン・パン・アレーを中心とするポップスが巻き返しをはかる。その時、ポップスの職業作家たちは、ニューヨークのブリル・ビルディングという音楽出版社がひしめくビルの中(および周辺)で、ひたすら曲作りに勤しんでいた。ブリル・ビル・ポッブとはそこで作り上げられた音楽の総称/俗称である。
 ここで重要なのは、ロックンロールの嵐が去った後もその鋭角なナイフは若者たちの心にグサッと刺さったままだったということで、彼ら職業作家たちは、そんなリスナーと同世代の若者で、ロックンロールの魔法に憑かれてしまった人間たちであった。つまり、そこで量産されたブリル・ビル・ポッブとは、メロディーとハーモニーの強化を図った、ロックンロールの別の形だった。
 つまり、このブリル・ビル・ポップの音楽について何かいうとき、それがエルヴィス・プレスリーを筆頭とするロックンロール・ミュージックが爆発した直後に量産されたという時期的なものについて意識的でなければ大事な部分を見落としてしまう。

60s、ロック夜明け前にポップあり

 ポップスとは、職業作家たちが曲を量産し、適当な可愛い子ちゃん歌手などのアイドルをマリオネットとして唄わせるもので、それをロックがぶち壊した、という図式は非常に分かりやすい。つまりポップスのアンチとして、日本においてもベストテンなど歌番組主導の歌謡曲へのアンチとして、ロックが花開いたという説明がある。だがそれはとんだお門違いだ。
 ポップの重要性に注意するのは良いことだ。ジョン・レノンはビートルズとしてアメリカを初めて訪れた時に、キャロル・キングとジェリー・ゴフィンという同世代のソングライターチームを表敬訪問したというエピソードから分かるように、アメリカのR&Bがそうであるとまったく同じ位相で、アメリカのポップスは、実は、60年代に花開くロックンローラー全員の尊敬の的だった。50年代前半から巻き起こり一度は死んだロックンロールが一過性のものに終わらなかったのは、そのエモーション、アティテュードをポップが受け継いだことにあった。彼らソングライターは職業作家の体で語られることが多いが、それはキャロル・キングやニール・セダカが代表するように彼らは同時にパフォーマーでもあったのだが、たまたまてめえが自演するよりもアイドルに唄わせたものの方が「ヒット」したというだけだ。50年代に勃興したロックは、彼らによるポップという洗練をへて60年代に花開くのである。
 勢いで突っ走り爆発したロックンロールが、西洋音楽の教養と若いエネルギーを兼ね備えた若者たちによってメロディの質を飛躍的に高めた。ブルーズにおける個(私)の発露と、ガリッと弾くギターの生の手触り、R&Bの強力なリズム、そしてポップスのメロディ、そうしたものを大西洋の彼岸でしっかりと吸収した上で、爆発したのがビートルズ、キンクスを始めとするブリティッシュ・ロック・グループであった。

 というわけで、黄金のアメリカンポップスを確立させた彼ら若きソングライターたちの偉業を辿ってみたい。生誕年にも注目。ちなみにエルヴィス・プレスリーが1935年、ジョン・レノンが1940年。

■ジェリー・リーバー(1933生まれ)&マイク・ストーラー(1933生まれ)
c0005419_12311843.jpg作詞作曲家/プロデューサー・チーム。コースターズ、ドリフターズを輩出した黒人音楽マニアの白人2人組。フィル・スペクターの師匠にあたる。ブラックのゴリッとしたテイストはそのままに、メロディをよりキャッチーに、サウンドデザインをキッチュに深化させたといえる。(写真中央はキング)

→手掛けたすげえ曲この3曲
♪「Hound Dog」Elvis Presley(1956)
♪「Jailhouse Rock」Elvis Presley(1957)
♪「Love Me」Elvis Presley(1957)
♪「Don't」Elvis Presley(1958)
♪「Love Potion No. 9」The Clovers(1959)
♪「On Broadway」The Drifters(1963)


■フィル・スペクター(1940生まれ)
c0005419_12321030.jpg作詞作曲家/プロデューサー。音を重ねまくり、エコーを多用し、奥行きのある独特のモノラル・サウンドデザインを確立させた。ガ−ル・グル−プを見る眼あり。だが身長160cm。

→手掛けたすげえ曲この3曲
♪「Every Breath I Take」Gene Pitney(1961)
♪「He's A Rebel」The Crystals(プロデュース。作曲はGene Pitney)(1962)
♪「Be My Baby」The Ronets(1963)
♪「Da Doo Ron Ron」The Crystals(1963)
♪「Then He Kissed Me」The Crystals(1963)

■ニール・セダカ(1939生まれ)&ハワード・グリーンフィールド(1939生まれ)
c0005419_12323325.jpgアルドン・ミュージック所属の作詞作曲家チーム。ニール・セダカはパフォーマーとしても優れ、アイドル的存在だった。ド・キャッチーなメロディは秀逸。(写真はニール・セダカ)

→手掛けたすげえ曲この3曲
♪「Stupid Cupid」Connie Francis(1958)
♪「Oh! Carol」Neil Sedaka(1959)
♪「Calendar Girl」Neil Sedaka(1960)
♪「Where The Boys Are」Connie Francis(1961)
♪「Breaking Up Is Hard To Do」Neil Sedaka(1962)

■ジェリー・ゴフィン(1940生まれ)&キャロル・キング(1942生まれ)
c0005419_1233115.gifアルドン・ミュージック所属の作詞作曲家チーム。キャロル・キングは71年の名作『タペストリー』の存在感の大きさから、70年代のシンガー・ソングライターとして見られることが多いけれど、ビートルズ以前の偉大なるメロディメイカー。

→手掛けたすげえ曲この3曲
♪「Will You Love Me Tomorrow」The Shirelles(1960)
♪「Every Breath I Take」Gene Pitney(1961)
♪「The Loco-Motion」Little Eva(1962)
♪「Up On The Roof」The Drifters(1962)
♪「One Fine Day」The Chiffons(1963)
♪「I Can't Stay Mad At You」Skeeter Davis(1963)

■バリー・マン(1939生まれ)&シンシア・ウェイル(1937生まれ)
c0005419_12332720.gifアルドン・ミュージック所属の作詞作曲家チーム。フィル・スペクターと組むこと多し。ややマイナーコードのメロディがいい。(写真の白いワンピースはキャロル・キング)

→手掛けたすげえ曲この3曲
♪「Uptown」The Crystals(1962)
♪「On Broadway」The Drifters(1963)
♪「Unchained Melody」The Righteous Brothers(1965)
♪「Who Put The Bomp (In The Bomp, Bomp, Bomp)」Barry Mann(1961)

■ジェフ・バリー(1939生まれ)&エリー・グリーンウィッチ(1942生まれ)
c0005419_1233504.gifトリオ・ミュージック所属の作詞作曲家チーム。フィル・スペクターと組むこと多し。ポップ職人とは彼らをいう。

→手掛けたすげえ曲この3曲
♪「Be My Baby」The Ronets(1963)
♪「Da Doo Ron Ron」The Crystals(1963)
♪「Then He Kissed Me」The Crystals(1963)

■ドック・ポーマス(1925生まれ)&モート・シューマン(1936生まれ)
ヒル&レインジ所属の作詞作曲家チーム。徴兵から帰還後のエルヴィスを支えた。「Save The Last Dance For Me」などR&B要素が濃い。やや大人びたサウンドが特徴。

→手掛けたすげえ曲この3曲
♪「Surrender」Elvis Presley(1961)
♪「(Marie's The Name) His Latest Flame」Elvis Presley(1961)
♪「Save The Last Dance For Me」The Drifters(1966)

■オーティス・ブラックウェル(1931生まれ)
作詞作曲家。初期エルヴィスを形作ったといっても過言ではない、本稿唯一の黒人。

→手掛けたすげえ曲この3曲
♪「Don't Be Cruel」Elvis Presley(1956)
♪「All Shook Up」Elvis Presley(1957)
♪「Return To Sender」Elvis Presley(1962)

 これらブリル・ビルディング・ポップを聴いていて思うのは、黎明期のロックンロールよりメロディとアレンジが洗練され、曲自体は初期ビートルズと変わらないということ。『ア・ハード・デイズ・ナイト』ぐらいから、ビートルズは独自の進化を辿ることになるが、同じポップなメロディでも、アメリカン・ポップはやはりカラッと明るいのに対し、イギリスものはやはり陰というかうすらひねった感じがある。日本においてイギリスの歌ものがヒットしやすいのは、やはり同じ島国気質によるのだろうか。アメリカの移民気質、大陸気質のザクッとした感じはイギリス人や日本人にはなかなか出せない。アメリカン・ロックは偉大だと思う瞬間だ。
 また、当時は45回転のシングル盤が主流だったため、1曲の中で悠長に曲を展開している時間はなく、イントロ一発でリスナーを掴み、かつ飽きさせないことが必須であった。そのため、溢れるほどのさまざまな音楽的アイディアが1曲の中にぎっしりと詰まっている。1曲のパワーが強大なのはそうした事由にもよる。

 追伸的にいえば、当時のアメリカンポップスの隆盛は、日本における70年代後半から80年代前半にかけてのポップシーンに似ている。それ以前の優れたミュージシャンたち、主に、大滝詠一、松本隆、細野晴臣らはっぴいえんどの面々を始めとするロックアーティストたちが一斉にアイドルたちに曲を書き始め、画期的なポップソングを生み出した。とすると、やはり20年遅れでアメリカを追う日本という構図が真実味を帯びてくる。さしずめ今なら1985年。アメリカではヒップホップが勃興し隆盛を極めていた時代だった。同じくアメリカを「偉大なる他者」とするイギリスは、鋭い批評性でもって独自の動きを作り出すのとは非常に異なる。

by ichiro_ishikawa | 2005-03-23 15:37 | 音楽 | Comments(0)  

「アメリカン・ポップミュージック前史」年表

1776年
アメリカ、イギリスの植民地から独立国家に。
その頃からアイルランドやスコットランドの民謡の替え歌を含む白人の作品とロンドン出版の作品が出版。

  〈国勢調査1790年〉
  ●総人口393万人
  ●うちイギリス人約320万人、スコットランド人19万人
  黒人は約70万人(約18%)

  〈国勢調査1860年〉
  ●総人口3144万人(ドイツ、アイルランド移民が増加)
  ●黒人は約444万人(約14%)

1840年代
ミンストレル・ショー流行。
アメリカ史上最初のソングライターで“アメリカ民謡の父”と呼ばれるペンシルヴェニア州の白人スティーヴン・コリンズ・フォスター登場。「草競馬」「おおスザンナ」など。

1860年代
白人のヨーロッパ風歌曲中心だが、ニグロ・スピリチュアル(黒人霊歌)活発に。
ヴォードヴィル流行。

1870年代
ミュージカルがミンストレル・ショーやヴォードヴィルの要素を加え大衆演劇として発展。

1880年代
ポピュラーソングの出版社がニューヨークに集まりはじめる。

1890年代
シンコペーションに特色のあるピアノ音楽、ラグタイム誕生。スコット・ジョプリン、トム・ターピンなど。

1900年代
ニューオリンズの黒人たちがジャズを創造。

ニューヨークの音楽出版街さらに活況を呈する。T.B.ハームス、M.ウィットマーク&サンズ、ハウリー=ハヴィランド&ドレッサーなど。
楽譜購買者のために店でピアノを弾き伴奏を。
その騒がしい様子から、「ニューヨーク・ヘラルド」記者モンロー・ローゼンフェルドが、“ティン・パン・アレー”と命名。

作家陣の人材が豊かに。
ヴィクター・ハーバート(アイルランド移民)、ルドルフ・フリムル(チェコスロヴァキア移民)、シグムンド・ロンバーグ(ハンガリー移民)、ジェローム・カーン(ニューヨーク)、アーヴィング・バーリン(ロシア移民)など。

1910年代
アーヴィング・バーリン「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」作曲。

W.C.ハンディ「セントルイス・ブルース」作曲。

ジョージ・ガーシュウィン「スワニー」作曲。


1920年代
クラシック・ブルース隆盛。
ベッシー・スミスなど。

カントリー&ウエスタン番組「グランド・オール・オプリ」放送
ジミー・ロジャース「ブルー・ヨーデル」(1928年)ヒット。

1930年代
●キューバのルンバ・ブーム
ドン・アスピアス楽団、ザビア・クバート楽団→マリオ・バウサ、マチートなど。
スウィング・ブーム
ベニー・グッドマンなど。
ラテン音楽ブーム
カルメン・ミランダなど。


1940年代
ビ・バップ隆盛。
チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーなど。
リズム&ブルース隆盛

1950年代
モダン・フォーク運動静かな高まりを。
● ロックンロール誕生
チャック・ベリー、リトル・リチャード、エルヴィス・プレスリー、バディ・ホリー、エディ・コクランなど。
※本blog、2004年12月24日付「ビートルズが生まれた背景」参照


こうした流れを受け、ポップ・ミュージック・クラシックとも言うべき、1958〜64年の「ブリル・ビルディング・ポップ」が誕生する。
To be continued

by ichiro_ishikawa | 2005-03-01 22:12 | 音楽 | Comments(2)  

ピーター・バラカン「アメリカン・ルーツミュージック探訪」

 1月8日、東京都写真美術館2Fカフェ・シャンブルクレールで、ピーター・バラカンの講演「アメリカン・ルーツミュージック探訪」が行われた。2回連続の第1回。今回は、「1920年代から30年代まで」ということで、その時代のアメリカ音楽のレコードを流しながら解説していくというもの。全34曲。
 その美術館で行われている写真展『明日を夢見て アメリカ社会を動かしたソーシャル・ドキュメンタリー』にちなんだ企画だ(写真展については、新世界ニューヨークというブログに詳しい)。去年から、ちょうどルーツミュージックを繙いていた矢先、しかもピーター・バラカンの著作が筆者をしてそうせしめた直接のきっかけだったということで、すぐさま駆け付けた。写真展の方は、19世紀後半から20世紀前半のアメリカの風景、特に南部とニューヨークの展示で、時代、場所的にまさにルーツミュージックが生まれ発展していった、その視覚的事実の羅列だったわけだ。メンフィス、テュペロの民家の写真があって、「ここでエルヴィス・プレスリーは黒人と精神的なファックをしていたわけか…」と、写真の前でしばらく佇み、当時に思いを馳せていた。テュペロの農村をエルヴィスと一緒に駆けずり回った。

 講演で聴くことが出来た音楽は、ブルース、フォーク、カントリー、ジャズといった様々なテイストがブレンドされていて、一口に語るのが憚られる、未分化なものが多い。音楽的には未熟だけれど(もちろん、今から見れば、ということ)、その荒削りなザックリとした質感が実に刺激的だった。また、当時はまだ電気楽器がないから、アコースティック・サウンドなのだが、ビートが強く効いていて、のちにリズム&ブルースに発展していくそのルーツであるということがよく分かった。

 アメリカン・ミュージックというのは、簡単に言えばアフロ・ビートとヨーロッパの民族音楽の融合だ。そもアメリカという国は、ヨーロッパとアフリカの幸福な出会いによって生まれた。
 音楽の歴史的な部分に強く惹かれる。それは、その時々の音楽好きたちの心の有り様がリアルに明かされるからだ。彼らは、異物との出会いによって強い内省を起こし、異物を必死に模倣し、やがて凌駕していく。音楽に限らず表現においては、この、他者に驚く、という事態が必ず起こる。歴史を繙いていくと、なぜ彼らがそうした音楽を作り出したのか、作り出したい衝動に駆られたのか、そういう気持ちを共有できる。これがスリリングだ。
 アメリカのヨーロッパ移民とアフリカ移民がお互い触発し合い、ブルース、ジャズ、ゴスペル、カントリー、フォークを生み、リズム&ブルースへと発展させていく。そんなR&Bに驚いたビートルズらイギリス人。逆にビートルズに驚いたボブ・ディラン。バッファロースプリングフィールドが「分かった」日本人は、はっぴいえんどを作った。こうした長い長い音楽の歴史が、確実に、今につながっている。
 ジャンル別けという行為は面白い。それは、マーケティングの手段としては格別騒ぐことはないのだけれど、前述したような、ミュージシャンが味わった他者への驚きを感じてみる、という意味ではとても刺激的なのである。いいものはいい、音楽に理屈はいらない。確かにそうなのだけれど、その芳醇な音楽を深く味わってくと、なぜいいのかを考えて自分を納得させずにはいられなくなるし、他人に伝えるためには理屈、すなわち言葉によって、その「いい、というそれ」を整えていくという行為がやはり必要なのだ。

 要は、音楽を抱きしめたいのである。ルーツを繙き、歴史のつなぎ目に思いを馳せることで、それは少しは達成できる。
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→The Definitive Charley Patton
(録音1929.06.14 - 1934.02.01)
バラカンが紹介した曲にThe Masked Marvel名義の「Mississippi Boweavil Blues」があったが、The Masked Marvelとは、このチャーリー・パットンのこと。早速購入、聴いた。すごくいい。これを聴いてベック(・ハンセン)の凄さもまたわかった次第。

by ichiro_ishikawa | 2005-01-11 21:33 | 音楽 | Comments(2)  

ビートルズが生まれた背景

ルーツ・ミュージックを繙いているうちに、
ビートルズが生まれた背景を、わかりやすく書いてみたくなったので、書く。

【まず、R&Bありき——ロックンロール前夜〜誕生 1950年代】

30年代にエレクトリックギター、40年代にエレクトリックベースが発明され、ブルースやブキウギをベースに強く烈しいビートを注入した黒人音楽R&Bが誕生。

この黒人のカッコいい音楽に、白人も飛びつき、「模倣」。
これがロックンロールとなった。

エルヴィス・プレスリー、バディ・ホリー、エディ・コクラン(以上、白人)
チャック・ベリー、リトル・リチャード、ボ・ディドリー、ファッツ・ドミノ(以上、黒人)
といった面々がシーンを担う。

一方、白人メジャー・シーンでは、ミュージカルや映画音楽の流れで、ティン・パン・アレーと呼ばれるニューヨークのブロードウェイの一角から生み出される甘いポップスが流行。

そんな中……

【ロックンロール、死す→ブリル・ビルディング・ポップス隆盛】

58年にエルヴィス・プレスリーが徴兵され、59年にバディ・ホリーが飛行機事故で死に、リトル・リチャードが飛行機事故で九死に一生を得たショックで宣教師に転向、60年にチャック・ベリーが投獄され、エディ・コクランが事故死。シーンを担ったロックンローラーたちは文字どおり、消えたのだった。

ロックンロールの火は一気に消沈した。

ここで勃興するのが、ティン・パン・アレーのポップス。
ただし、ロックンロールの洗礼を受け、これまでの毒にも薬にもならないポップスは、深みを増した形で新しく生まれ変わっていた。
当時のポップス製造所は、ブロードウェイ1619番地のブリル・ビルディングという所にひしめいたため、ブリル・ビルディング・サウンドと総称される。

プロデューサー
●ジェリー・リーバー&マイク・ストーラー
50年代から活躍。黒人R&Bに影響を受けた白人。ドリフターズ、コースターズほかを輩出。黒いポップスを創造。

●フィル・スペクター
リーバー&ストーラーの元で修行。偏執狂的資質から、音を重ねまくりウォール・オブ・サウンド(音の壁)と呼ばれるサウンド・デザインを構築。ロネッツ、クリスタルズほかを輩出。大滝詠一のルーツ。

作詞・作曲家コンビ
●ジェリー・ゴフィン&キャロル・キング
●バリー・マン&シンシア・ウェイル
●ニール・セダカ&ハワード・グリーンフィールド
●ジェフ・バリー&エリー・グリニッチ
●バート・バカラック&ハル・デイヴィッド

特徴は、やはり、R&BとR&Rの影響が強いこと。但し、大手レコード会社によるヒットチャート狙いなので、「ポップ」たることが主眼。R&B、R&R愛好家が、そうした外的制約を受けながら、創造したものが、このブリル・ビルディング・サウンドであり、その葛藤の結晶のなんと眩しいことよ。

そんな中、やはりイギリスやアイルランドでも、わかってる若者たちは、ブルーズ、R&Bに熱狂していた。つまり、イギリス版ブリル・ビルディング・サウンドが、ビートルズら港町リヴァプール・サウンド、ロンドンやブライトンのモッズであった。
ただし、直前というか同時に、アメリカでぼっ発したブリル・ビルディング・サウンドの「ポップネス」の洗礼を浴びていたということが大重要だと思う。
ブリルが、R&BやR&Rをまぶしたポップスだとすれば、
ブリティッシュ・サウンドは、ポップスのポップネスを昇華させたR&B、R&Rである。

要は、黒人と白人が何度も何度も交わってスパイラルに上昇していく過程で、大爆発を起こしたのがザ・ビートルズであった。

by ichiro_ishikawa | 2004-12-24 21:23 | 音楽 | Comments(0)  

ザ・ドリフターズ

 ソウル概要の旅が終わったことは前に書いたけれど、今、深化に向かっている。ソウルを深化させると、まずポップに行き着いた。
 ソウルは、アメリカ深南部で生まれたブルースがヴキウギ系ジャズなどの影響でリズム的に強化されR&Bとなり、そこにゴスペル的な唱法が取り入れられ、そのスタイルができた。というのが、その成り立ちだが、ブルースやゴスペル関係を繙いていきたいという欲求がつのる一方で、R&B〜ソウルと相互に影響を及ぼしあっていたポップの世界をまず詳らかにしなければという必要というか、てめえに対する使命感を感じる。
 スタックス、アトランティック、マッスル・ショールズ(スタジオ?)、モータウンといったレーベルに代表されるソウル・ミュージックを聴いていて思うのは、そのベースとして確かにブルース、ゴスペル、R&B(レイ・チャールズなどにはジャズも)といったルーツ・ミュージックの気配を感じるけれど、やっぱり一番大きいのはポップではないかということだった。音楽の内容的形態にはさまざまなジャンルというか冠がかぶせられるが、ポップというのはジャンルではない。ブルース(たとえば7th系、AA'B形式)やジャズ(スウィング、テンションノート、ブルーノート、即興など)という音楽的形態を普遍的なレベルに昇華させる作用、これがポップなのではないかと思う。ただそれは、誰にでも楽しめるようにシュガーコーティングするということではなく、豊じょうで実験性に富んだ音楽を、音楽的教養の有無や感性の敏鈍にかかわらず、その胸にダイレクトに訴えかけさせる工夫であって、それは他者とのコミュニケーションの意志に裏打ちされており、他者とのコミュニケーションとは、つまるところ、てめえとの問答、自己を深く掘り下げる作業に他ならない。これに成功すること、つまりポップであることは、真の意味で究極の自己錬磨だ。

 ソウル前夜の50年代当時のポップスは、ニューヨーク・マンハッタンの28番通りの一角、ティン・パン・アレーがその主たる発信源だった。そこのブリル・ビルディングという所で、さまざまなポップ職人たちがさまざまなポップスをプロデュースしていた。その中でも、最近のお気に入りは、ザ・ドリフターズだ。ドリフターズといえばローリング・ストーンズが1stでカバーした「アンダー・ザ・ボードウォーク」などで名前を聞き齧ってはいたものの、そこから本家に辿っていくことがこれまでなぜかなかった。今さらながらその世界に入っている。
 代表曲の「Save The Last Dance For Me」は「ラストダンスを私に」という邦題だけれど、その日本語では語の外に含ませている「Save」という言い回しがすごくいい。「Save」で、目的語が「The Last dance」とは。
 昔のコーラスグループというのはリード・シンガーがコロコロ変わるのだけれど、ドリフターズで言えば、ベン・E・キング時代のものが特に気に入った。そして、キモは、ドリフターズにはジェリー・リーバーとマイク・ストーラーという名ソングライター・タッグがバックについている、ということだ。
 1959年にペン・E・キングがリードシンガーとして加入してからの1stシングルは、ペン・E・キング、ジョージ・トレッドウェル、ラヴァー・バターソンの共作で、リーバー&ストーラーのプロデュースによる「ゼア・ゴーズ・マイ・ペイビー」。このリーバー&ストーラーのプロデュース力が凄い。ペン・E・キング一流のハイトーンによるリードのバックで、グループは違うキーでコーラスをつけている。またバックで延々と鳴っている調子はずれのティンパニーがすごく変だ。そしてメロディアスながらちょっとひねくれたメロディ。そうしたちょっとねじれた感覚を実験的に取り入れながら、全体として非常に親しみやすくサウンドデザイする手腕。c0005419_2333757.jpgこれぞポップという、このポップミュージックの見本ともいえる楽曲をはじめとして、「トゥルー・ラヴ、トゥルー・ラヴ」「ダンス・ウイズ・ミー」、「デイス・マジック・モーメント」「ラスト・ダンスは私に」といったシングルが立続けに連打されたのだから、これは凄すぎる。いやがおうでも「おおリーバー&ストーラー!」と発語せざるを得ない。
 「ラスト・ダンスは私に」が発売された1960年暮れに、キングはドリフターズを脱退し、後に「スパニッシュ・ハーレム」をリリースするが、この曲もリーバー&ストーラーがプロデュースをし、さらに作曲にはリーバーに加えフィル・スペクターが参加している。この曲はアリーサ・フランクリンのカバーもあるが、やっぱり曲自体が凄いのだと再認識。
 その後キングがてめえ独りで作った「スタンド・パイ・ミー」は、言わずもがなジョン・レノンの『Rock'n'Roll』でもカバーされている名曲。この背後にリーバー&ストーラーやフィル・スペクターがいるかどうかは今はわからない(後で調べて更新する)。余談だが、フィル・スペクターといえばMr.mono、ウォール・オブ・サウンドであるが、最近、フィル・スペクターのアレンジが気にいらねえと言って新生『Let It Be』が生まれたり、当のフィル・スペクター自身が殺人罪で投獄されたりで、「あのとんでもない才能にすっかり逆風が吹いてるな」と、ジュリー・エレクトロのボーカル&ギター小林崇にインタビューしたところ、「というか、ステレオになった時からずっと逆風」と至極まっとうな答えが返ってきたことを今思い出して一人苦笑した。

 リーバー&ストーラー、あるいはジェリー・ゴフィン&キャロル・キングといった、50〜60年代、レノン&マッカートニー以前(または、その同時代)のソングライター・チームに今、とても興味が涌いている。バート・バカラック&ハル・デイヴィス、そしてその前にコール・ポーターやガーシュウィンもいるし、この辺はまだまだ深い。近々、ポップミュージック・クラシック特集を本サイトで展開しようと思っている。当然、大滝詠一や山下達郎に話は及ぶだろうし、ことによると布袋寅泰や中村一義、そしてバンバンバザールも登場するやもしれぬ。

by ichiro_ishikawa | 2004-12-15 20:32 | 音楽 | Comments(5)