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氷室がついにBOΦWYを解禁した

 今年2月、himuro.comに衝撃の告知が載った。「氷室がBOΦWYをやる」。即、チケットをプレオーダーで申し込む。4人分と2人分を同時に、ぴあとe+へ。結局e+の2人分が抽選の結果、奇跡的に当たった。どのくらいの倍率だったかは分からないが、15分で売り切れたらしいので、相当なものだったろう。ちなみに、普通のツアーは取れなかった。運がよかった。

 今回のライヴは、BOΦWYの曲とソロの曲を交互にやっていくという構成だった。
 幕開けは、まさかのあのドラムの響きだった。最後期のライヴのオープニング・ナンバー「
B・BLUE」。クワッときた。これでもう決まった。なんてことだ。これはBOΦWYのプチ再結成ライヴだ。その後も、ソロを間に挟みながら、「Rouge of Grey」「Runaway Train」「Welcome to the Twilight」といったマニアックなものから、「JUSTY」「Blue Vacation」「B・E・L・I・E・V・E」「Longer Than Forever」「RENDEZ-VOUS」「Memory」といったあまり聴けないナンバー、ソロでも度々披露している「ハイウェイに乗る前に」、そして「Image Down」「No! N.Y.」「Beat Sweet」「Dreamin'」といった大代表曲まで。「Cloudy Heart」と「わがままジュリエット」はやらなかった。もはや氷室ソロ・ヴァージョンとして、最近のレパートリーに定着しているからだろう。俺としても特に聴く必要はなかった。
 「Image Down」「No! N.Y.」「Beat Sweet」「Dreamin'」は凄かった。一番凄かったのは「Image Down」だ。あれはすごいライヴ・ソングだ。あまりのオーディエンスのリアクションのあまりのよさに、氷室も思わず吹き出していた。氷室は実によく笑い、BOΦWYを披露した。お祭りなのだろう。一方、氷室はソロをBOΦWYに並べても絶対劣らないという自信を見せつけたというのもある。いいことだ。

 俺は3rd『BOΦWY』の頃から追っているファンだけれど、BOΦWYのギグには行ったことがなかった。千葉の片田舎の中学校で生きる部活少年には、「コンサートに行く」というのは、行為の選択肢になかった、というか思いつきもしなかった。音楽とは、テレビかレコードで聴くものだった。
 高校1年の冬、BOΦWYがいきなり解散したというニュースがどこからか俺の耳に入る。え、そんなことってあんの!? と素頓狂な声を心中で上げた。春に後楽園にできる「ビッグエッグ」でラストコンサートをするという。俺のなかで、「コンサートに行く」というのはアリかもしれない、という思いが初めて芽生えた。だが、チケットの取り方がよくわからない。友達は1人もいないので聞くに聞けず、いろいろてめえで調べた結果、並ぶか電話、ということがわかった。並ぶといってもどこに並べばいいのかよく分からないし、手軽なので電話を選び、発売日に電話をした。だが結局一切つながらず、気がついたら完売していた。俺は悔しさのあまり心中でむせび泣いた。物理的な痛み以外で泣いたのは、長州が藤波に3カウントで負けた84年以来3年ぶりだった。

 実に17年を経て、俺は今、始めてBOΦWYのコンサートを目撃した。あり得ないことが起こったのだった。これは、疑似再結成だ。布袋はもしかしたら「うん」と言うかもしれないが、氷室が「やる」ということはまずあり得なかった。最強のカッコつけ野郎・氷室はの、そのカッコつけは半端じゃない。再結成しないのは、単純に「カッコ悪いから」以外の何かではないのだ、氷室にとって。
 何%BOΦWYなんだろう。物理的には25%だけれど、演奏はまるっきり完全コピーだし、歌っているのは、歌い方や声質は変わっているけれど、それにしても世界一BOΦWYの氷室に近い人間だ。というか本人だ。まあ、目を瞑ってそのサウンドだけ聴けば100%に近くBOΦWYのコンサートだ。だが、目を開けると、やっぱり25%だった。物理的なことだけじゃなく、布袋のアクションと微妙なリズムが決定的に違うため、サウンドはBOΦWYではない。ベースとドラムは、ひょっとしたら松井や高橋でなくてもいいのかもしれない。でも、ギターは布袋でなければならなかった。

 今回のライヴの感想は、BOΦWYを観れた、氷室は最高にカッコいいという感激と、もうひとつは「布袋ってやっぱすげえ」ということだった。俺は『メモリーズ・オブ・ブルー』『メロウ』『フォロー・ザ・ウインド』で、氷室はBOΦWYと対等かそれ以上になったと思っていたが、立続けにBOΦWYとソロを比べて聴くと、圧倒的にBOΦWYが凄かった。その差異とは、ズバリ、リズム。あの「ギャッ、(ン)ギャー、ギャッ、(ン)ギャー」というダンサブルなリズム。BOΦWYの曲は踊り出してしまうが、氷室のソロは聞き入ってしまう。
 BOΦWYの聞き入る系の曲、たとえば「B・E・L・I・E・V・E」や「わがままジュリエット」などにしても、布袋がギターを弾くと、そこにダンス感が加わる。ロックンロールとなる。氷室はノリのいい曲でも、ここまでダンサブルにはならない。
 もうひとつ付け加えるならば、布袋のポップだ。BOΦWYとソロの聴き入る系の曲をくらべると、やはり氷室のクセのあるポップは、それはそれでいいのだけれど、大局的に、布袋の恐るべしポップにかなわない。
 BOΦWYの曲は、特にルースターズやローザ・ルクセンブルクといった本物のロックを好む輩からは「カラオケ・ソング」と吐き捨てられ蔑視されることが多いが、BOΦWYのポップは非常にロックンロールだ。ミスチルやサザンやグレイのポップとは大きく違う。そこには、布袋のリズム・ギターが常にロックンロールのダンスの神様を宿しているからなのだ。ストーンズではないかもしれないが、エルヴィス・プレスリーなのだ。

 BOΦWYとは氷室&布袋であり、今回は、80%BOΦWYだった。ボーカルというのはやはりでかいので、逆に同じような感じで布袋がコンサートをやったら、50%BOΦWYとはいえまい。20%ぐらいだろう。そういうわけで、「80%BOΦWYのプチ再結成ギグ」、あるいは「BOΦWYコピーバンド全国大会優勝バンドfeat.氷室」を、俺は満喫した。それ以外に何が必要だろう。

by ichiro_ishikawa | 2004-08-23 03:11 | 音楽 | Comments(0)  

吉川晃司 Live at AX '04

 2/8(土)、AXで吉川晃司を見た。
 ほぼ定刻通りに客電が落ちると、バンドに続いて、グラサンに、胸まではだけたラメシャツを着込んだスーツ姿の吉川が登場。鳥肌が立った。すげえカッコいいのである。底の厚いブーツを穿いているため、とんでもなく長身で、その大きくしなやかな身体が、痙攣しているようなダンスを続ける。頭からハイテンション。出てきただけでやられるなんてことはそうそうない。吉川はいるだけでものすごいというレア中のレアなミュージシャンだ。
 吉川の真骨頂は、その派手なステージングにある。約2メートルの高さにシンバルを単体で設置して、曲終わりの度に蹴りあげるパフォーマンス。モニターに足をかける氷室バリのアクションも足がすげえ長いので、よりカッコいい。狭いライブハウスのステージを非常に窮屈そうに暴れ回る。そうしたクレイジーさが実に美しい。考える前に走る系の単純でストレートなバカなやつ、吉川晃司が俺は大好きだ。横幅もでかくなっていた。デビュー時より20kgは太ったであろう。往時のシャープネス・狂気こそ失われたものの、すこぶる健康的なバカ、吉川がそこににはいた。「大きな声では言えないけど」を「大きな口では」と間違えたり、シンバルを蹴りあげる代わりに洒落で頭突きしたら中心の金具に脳髄をぶつけて痛がるなど、天然ボケを連発。また、カツゼツが悪く内容も私利滅裂というか言葉不足のため何を言っているか分からないMCといい、最高なのであった。
 「ユー・ガッタ・チャンス」「さよならは8月のララバイ」といったアイドル時代のヒットチューンで幕を開けた後は、新作と思われる楽曲が中心のラインナップ。97年まで丹念に追っていた俺が知っていた曲は、「Baby, Baby」「アクセル」「スピード」「ボンバー」。
 アンコールでは、「A-LA-BA-LA-M-BA」「BOY'S LIFE」と畳み掛けてくれ、満足がいった。たとえ知らない曲でも、吉川のその存在感のデカサと歌う姿を見ているだけで楽しいし高揚してくるので、まったく退屈しない。こんな、派手なパフォーマンスがカッコよくさまになるのは吉川がミュージシャンである前に根っからのアイドルである証左だ。音楽性うんぬんといった意味性をまったく無効にする圧倒的なパワー。吉川は日本のエルヴィス・プレスリーであり、ジョン・レノンである。
 ロックンロールとはなんて考えていた自分はいかに頭でっかちか。吉川晃司はそのいかたが既にナチュラルにロックンロールだった。吉川を見ればそれで充分なのであった。

by ichiro_ishikawa | 2004-02-09 03:21 | 音楽 | Comments(0)  

BOφWYトリビュート盤について

 去年末にBOφWYのトリビュート盤が2枚出て、少しずつ視聴してきたのが今日完了し、思うところがあったので書きなぐってみる。

 曲がいいので、誰がどうアレンジしても良く聴こえる。
 曲のアレンジの基本はリズムのアレンジだから、どのトラックでも高橋まことは見る影もなくなっていて、可哀想だ。でもカバーアーティストのラインナップに高橋まことが混じってなくてホッとした。ベースはリズムと同時にメロディも奏でるから結構ママイカされていて、BOφWYにおける松井の存在感はそれなりに評価されている。
 「オンリー・ユー」を英訳してカヴァーしたものがあり、BOφWY全曲を英語でやったら、ビートルズ、オアシスのようなメガヒットになるだろう、金儲けできるだろうと思った。
 小島のような現役のド不良がカヴァーしてくれるとすごく嬉しい。BOφWYは女子供に受けるロックでありながら、氷室というド不良のスピリットは現代のド不良をも動かすということが改めて確認されたと思うと素直に嬉しい。ロックンロールは不良のもの。ベタだが、不良の意味はそう簡単ではない。少なくともヤンキーとは対極にいる。
 アレンジということでいえばDJ HASEBEとか朝本とか、あの辺の才能はやはり凄いのだが、どのアーティストも「俺のBOφWY」というスタンスを堂々と謳っているところが清々しかった。

 特筆すべきことは、2つ。
 ひとつは、前述したリズムアレンジにおいて、BOφWYの核は布袋のギタリズムで、あれを崩すとやはりBOφWY色はガクンと落ちるということ。だから逆に、トリビュートしたどれもが上辺はオリジナルソングっぽく見える。布袋リズムはかなり独特なものでなかなか真似できないという事実が白日のもとに晒されたことになった。
 もうひとつは、氷室のボーカルというのはとんでもないということ。やはり前述したように曲がいいので、どれも良く聴こえるし、みんなウマイ。カラオケでBOφWYを聴くと「俺のBOφWYになんてことを!」とうんざりすることが多いけれど、彼らのは聴ける(当たり前のようだけど、俺は、彼ら日本のミュージシャンと素人カラオケ連中とを同じ括りにしていたから、ちょっとした驚きがあった)。むしろ「いいねえ、BOφWY」と、共にBOφWYを賛美したい衝動にかられるぐらいだ。だがやはり。存在感という意味では、やはり彼らはありきたりのミュージシャンなのであった。
 それはハイトーン、「No.New York」のようなキーの高い曲で如実に表れる。ハイトーンを出せる人は特に最近は多いけれど、大概はソウルフルさとセクシ-さが失われてしまっている。男性ボーカルはソウルフルさとセクシ-さが命で、ただ高音域が出ればいいってもんじゃない。ハイノートを使うとたいていハードロックになってしまうものだ。ゆえに、そこに意識的なロック・シンガーはあまりハイノートは使わない。無感覚なシンガーは音程自慢のようにな文字どおり高らかに歌い上げがちだが、あれはまったくいただけない。

 ロックンロールに心奪われるのはそれが、経験や練習、理論というものがまったく太刀打ちできない、極めてユニークな奇跡に溢れているからで、たった3コードでできた3分間のロックンロール、45回転のシングル盤1枚で、グワッと人生をもっていかれるのは、聴く者がその奇跡に触れるからだ。

by ichiro_ishikawa | 2004-01-05 00:15 | 音楽 | Comments(0)  

布袋寅泰 in 渋谷公会堂

布袋寅泰
渋谷公会堂

 渋谷公会堂で前から2列目という奇跡的状況。ホール用のパフォーマンスを間近で見るといささか滑稽だった。仕種が大袈裟だ。だが、ギターを弾く両手だけ物凄い緊張感が漂っていて精緻だった。片足を大きく上下させてダンスする際も、ギターを抱えた上半身はピタッと静止しているという。
 渋谷公会堂の思い入れを語るシーンで、「フォークのバンドじゃねえんだから」というセリフ(文脈に沿わない形で、というのは愛嬌)を発するあたり、BOφWYを引き摺っている。というか、布袋はBOφWYが大好きだ。氷室がBOφWYを完全に葬り去ったのと対照的だ。氷室抜きのBOφWYというのは考えられないが、無理矢理考えてみると、今の布袋がすなわち氷室抜きのBOφWYだ。あたりまえのことを言っているようだが、BOφWYとは、布袋の音楽的指向に氷室が賛同していた幸福な6年間であり、布袋の音楽を氷室が放っていたということなのだ。布袋の音楽が氷室のフィルターを通って放たれたのがBOφWYだった。
 ただし、氷室が布袋のマリオネットであったら、BOφWYはBOφWYではなかった。音楽的成熟度において布袋より幼かった氷室が、布袋の深みに触発され、成長していった過程がBOφWYなので、布袋を卒業して新たに培われた指向に則って進もうとした氷室という存在と布袋の才能が真っ向からぶつかりバンドサウンドとして昇華したことが、特に後期BOφWYをBOφWYたらしめたことも言わねば片手落ちであるので付言しておく。

by ichiro_ishikawa | 2003-12-02 11:43 | 音楽 | Comments(0)  

氷室京介 in 国立代々木競技場第一体育館

氷室京介
国立代々木競技場第一体育館

初のヒムロック。氷室については書きたいこと、書くべくことがありすぎで、常に渦巻いている氷室についての膨大な量の想念を前に、長文か…といささか書く前から疲労感を覚える。まずセットリスト。

SE(Virus)
1.VIRGIN BEAT (Shake The Fake) 2.ROXY (Flowers for Algernon) 3.TO THE HIGHWAY (BOφWY) 4.DRIVE (i・de・a) 5.LOVE&GAME (Flowers for Algernon) 6.COOL (Neo Fasio)  7.MEMORIES OF BLUE (Memories of Blue) 8.炎の化石 (Ballad ~La Pluie)  9.Follow the wind (Follow The Wind) 10.Virus (Follow The Wind) 11.Weekend Shufful (Follow The Wind) 12."Singular point"featuring DAITA 13.SILENT BLUE 14.Claudia (Follow The Wind) 15.GONNA BE ROGUE? (B-Side of "Girls Be Glamourous") 16.LOVE SHAKER (Follow The Wind)  17.GIRLS BE GLAMOUROUS (beat haze odyssey) 18.NATIVE STRANGER (i・de・a) 19.NO MORE FICTION (i・de・a) 20.SHAKE THE FAKE (Shake The Fake)
21.ANGEL 2003

ENCORE 1
22.CLOUDY HEART (BOφWY) 23.JULIET (Just A Hero) 24.魂を抱いてくれ (Missing Piece) 25.SEX&CLASH&ROCK'N' ROLL (Flowers for Algernon) 26.JELOUSY (Higher Self)

ENCORE 2
27.TASTE OF MONEY (Flowers for Algernon) 28.WILD AT NIGHT (Higher Self) 29.SUMMER GAME (Neo Fasio)

by ichiro_ishikawa | 2003-11-23 11:41 | 音楽 | Comments(0)  

布袋寅泰、ドーベルマンの意味

 布袋のクラブギグを見て久しぶりに思索が促された。ひとつは、布袋の青春歌謡ロックという方向性がひとつの頂点を極めたという実感、及びクリアになった布袋のキャリアの変遷。ひとつは、ギタリズムの、布袋における、そしてロックにおける位置。ひとつは「ヒムロックも怖くない」発言が単純に意味するところ。メロディ・メイカーとしての布袋の特徴、力量。リズム、リフについて。ソロについて。これらは各々が関連するので筆に任せて乱筆していく。

 最新作『ドーベルマン』は90s以降のデジタルビートをふんだんに取り入れながらも大筋において目新しさはない楽曲が並んだアルバム。というか、これまでの世界中のロックの美味しいところを随所に盛り込んだ、“ロック大全集”的なアルバムになっている。ロック・ファンなら誰しもニヤリとさせられる王道フレーズのオンパレード。こうした直球勝負のやり方は、現在の布袋の生きる道を明確に物語っている。ここで布袋のキャリアを振り返る必要がある。
 いう間でもなく布袋の出発点はBOφWYで、ブリティッシュ・ポップのスパイスを利かせた日本歌謡メロディ、ダンサブルなリズム、ギターリフが基調となっている。今でこそ音楽的には当たり前の路線として猫も杓子も歌謡ロックを奏でているけれど、日本の音楽シーンに確立、定着させたのは布袋であり、それこそがBOφWYにおいて最も評価されるべき布袋の偉業だ。だが、BOφWYはわずか6年の活動で、氷室の美的価値観により急きょ解散する。布袋は、氷室とワンセットで一ギタリストとして生きていく覚悟だったに違いない。前に立つボーカリストを失った布袋は、自分が前に出ることはとりあえずナシとした。旧知の吉川晃司を迎え新しいバンドを組む。その前にまず、ギターメインのBOφWYを極めるべく『ギタリズム』を作る。コンプレックスの誤算は、ロックアーティストとしてのステイタスを獲得したかった吉川晃司が、布袋のマリオネットにはならなかったことによる。単純な音楽的指向の相違ではない。当人たちが希望していた主従関係のバランスの崩壊だ。主導権を握って当然と考えていた布袋と、対等でぶつかりたい吉川。
 このバンドの短命で布袋はひとつ別のステップを生み出す。フロントに出て歌うということだ。ここで、そうはせず、「アンダーグラウンドなギタリスト」に向かえば、ロック界からは絶賛されたに違いないが、ヴェルヴェットアンダーグラウンドよりもTレックスが好きな布袋という、もともとの気質からして、ギンギラギンのロックンロールに向かったのは自然な流れと言える。ただしストレートにBOφWYをひとりでやるという方向に足を向けなかったのは布袋のいい意味での若さで、ポップとアヴァンギャルドの微妙なバランスを保っていくと行くという命題を自らに課したことは特筆しなければならない。かくして『ギタリズムII』は、BOOWYの“現在”、コンプレックスの“3枚目”とも言え、ギターリスト、ミュージシャンとしての新しいステップが、つまった大傑作となる。
 『II』のツアーで、布袋は、シンガーとしての自分に少なからず自信をつけたようだ。『II』がうまくマニアック性を追求できたことで肩の荷を下ろした布袋は、初期衝動をストレートに具現化した『III』を作り上げる。
 こうして自分なりのロックをやり尽くした布袋が次に目指したのは、お茶の間であった。『IV』の誕生である。『IV』製作にあたって非常に重要なのが、旅である。デヴィッド・ボウイとの再会を始めとする、さまざまな人々との出会い。布袋はこの時31~2歳。ひたすら自分の美意識を追求して来た、美神との格闘だった若き20代を鳥瞰できる目を獲得した。核ができた、あとはそれが他者にどう響くかという実践をしたくなったこと、あるいは外の刺激をよくも悪くも迎え入れていこうという、温和になった布袋がそこにはいる。「さらば青春の光」ではじめてテレビで歌い、「サレンダー」では歌謡番組にも出演。
 そしてギタリズム終了の最後の公演で「ポイズン」を披露し、いよいよギター・マエストロは、女子供からおじいちゃんおばあちゃんまで、お茶の間、世間という怪物に対して自分をさらけだしていくことになる。そこからは、ロックンロールという核を持ちながらいかに万人に届く楽曲を作っていくかという戦いになるのである。その実は厳しい戦いが、最新作『ドーベルマン』で完了したといっていい。一介の優れたギター弾きで終ることを由とせず、ギターを奏でるエンターテイナーとしてのシンガーとして、ひとつの地位を築き上げた。その試行錯誤がいよいよ名実共に終ったのではないか。「永ちゃんも、ヒムロックも怖くない。まっちゃんはちょっと怖いけど」。まっちゃんは愛嬌としても、これはギター弾きがフロントのシンガーと同じ土俵で戦い続けた末、同じ位置までたどり着いたという実感の現れである。これは凄いことである。キース・リチャーズはミック・ジャガーとセットなのであり、ジョニー・マーはモリッシーの後ろで最も輝く。バーナード・バトラーとブレット・アンダーソンしかり。氷室と布袋はやっぱりジョンとポールなのである。どちらもミュージシャンでフロントマンとしてのシンガーなのだ。

  『ドーベルマン』は一聴して限り無く元気でエネルギッシュなアルバムだ。キャッチーなギターリフ、ギターソロ、メロディアスな歌メロという布袋マエストロの技は相変わらず冴え渡っている。そして布袋の軸であるリズム。ギタリズム。ギターだけで完結できるリズム感覚こそが布袋の真骨頂で、これに松井常松のベースはただ厚みを加えているに過ぎない。布袋のギターには自己をいい意味で殺せるベーシストが必須なのだ。
 たしかに中学生がお気に入りにしそうなアルバムだ。だが、大人が楽しめないかといえばそうでもない。かっこいいリズムにかっこいいリフ、つぼに利くメロディ。普遍的な3分間のロックンロール・チューンが宝石のごとくキラキラ輝いている、ギンギラギンのロックンロールがここにはある。大人が楽しめないのはその大人に元気がないのだろう。体力がないのだ。その体力のなさを否定する資格はないし否定しても何も生まない。ただ、そういう理由を摺り替えて、「布袋は終ってる」と布袋の評価を下げるのはあまりに自分本意過ぎると少し憤る。趣味じゃないのなら構わない、ロックじゃないとかお子さまミュージックだとかいう批評はもはや批評の態を成していない。

  『キング&クイーン』から本格的に始まった、お茶の間ロックを極めた布袋。次にどこへ向かうのか、興味深い。布袋とはひとつのことを極めたら同じところには留まっていない男なのだ。そういうスタンスなのではない、そういう気質なのだ。

by ichiro_ishikawa | 2003-10-14 00:10 | 音楽 | Comments(0)