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黒光り礼賛


月刊PLAYBOYで黒汁特集

 ロックンロール・ブックとうたいつつ、ジャズとかブラック・ミュージックばかり取り上げているが、実のところ、最近、ロックでガツンとやられることが殆どなくなってしまっている。文を書くモチベーション、根本の理由は、「分からないから考える」であって、クワッとくる感動や衝撃を、言葉に整えて形を与えるというのも、「分からないから考える」ことの具体例に過ぎない。
 ロックンロールは相変わらず自分の核であり、揺らぎはまったく無いのだけれど、それがもたらす感動や衝撃は長年の付き合いということもあり、「考える」までもなく自明のこととして心に常にあり続けている。
 2007年になり、「90年代」というものが少しずつ対象化できるようになった昨今、レディオヘッドやベックまでを、ビートルズ、ストーンズなどに代表される「ロック・クラシック」という同じ俎上に乗せてみる。つまり30年後の視点でロックを眺めてみると、傑出してくるのは、月並みな、極めて想定内の結果だが、ザ・ローリング・ストーンズ(60〜70s)だ。その辺のことは別の機会で改めて検証していきたい。

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 現在発売中の『月刊PLAYBOY』9月号を購入した。『月刊PLAYBOY』は、ちょくちょく音楽特集をやっていて、その中身も、ライフスタイルやファッションとしてのそれでなく、音楽そのものにスポットを当てているのがいいし、また、ウッディ・アレンやピーター・バラカンの連載を持ち、数あるオッサン雑誌の中でも、相対的に秀でた質を保っていると日頃からやや感じていたが、所詮、一般誌、通り一遍のことしか書いていないので、購入することはこれまでなかった。

 話はずれるが、昨今のオヤジ雑誌のダメぶりはどうだ。「モテるための」を露骨にうたうことが画期的と思い込み、「ちょい不良(ワル)」に代表される低級なキャッチコピーに悦に入り、オヤジのカッコ良さについて完全に誤ったというか、80年代のマガジンハウスブームから一切変わっていない、最低にカッコ悪いカッコ良さを追求しているメディアのなんと多いことよ。やや若者向けだが『Rolling Stone日本版』にも弱る。米バックナンバーのインタビューなどは当たり前に秀逸なものも多いが、日本版独自の特集がひどすぎる。ロックをなめているとしか言いようが無い。
 「オヤジ」自体が、そもカッコいいものじゃないので、どうやったってカッコ良く見せるのは困難なのかもしれない。オッサンと若者、どちらがカッコいいかといったら若者に決まっているじゃないか。オッサンのカッコ良さとは、渋みとかいぶし銀とか、知性、ユーモアといったところだろうが、それらはすべて内面、精神の成熟であって、そうしたものを打ち出すならば、ファッションやライフスタイルではなくて、文学や映画、音楽などの芸術、哲学に向うはずだ。タチが悪いのは、そういうものも「これを読んでいると、知っているとモテる」というカッコ悪い手つきで扱っていることだ。
 また、40代とかになると、「自分のため」から「人のため」に、考え方がシフトして来るから、そうなるとここで初めて政治や国際関係、医療・福祉など生活に関わる問題意識も本来の意味で目覚めて来るので、そこら辺への切り込み方も問題になって来る。
 そうしたところをクリアしている秀逸なオッサン・メディアは『en-taxi』、『SIGHT』だと思う。やはり作り手の覚悟の問題だろう。「モテる」と「考える」、どちらが重要か。人それぞれと言えばそれまでだし、並列に考えることがそもおかしい、問いの立て方が粗雑なのかもしれないが、いい年かっぱらって「こうすればモテる」みたいなことを追いかけている様は醜悪で見るに耐えない。というか、「どうすればモテるか」をそんな年で考えているようでは絶対モテない。10〜20代に考え尽くされるべき命題だろう。何ごとにも時機というものがある。

 ちょっと寄り道するつもりが思わず長くなったが戻す。
 現在発売中の『月刊PLAYBOY』9月号、決死の購入に至ったのは、ピーター・バラカンのナイル・ロジャースへのインタビューが至極秀逸なのと、付録でピーター・バラカンが選ぶブラック・ミュージック100選という冊子がついているのが決め手だった。c0005419_143857.jpgピーター・バラカンは自著「魂(ソウル)のゆくえ」をはじめ各所で散々、そういうことをやっていて、ここでも同じことをやっているに過ぎないが、CDというのは古いものでも、時が経つとベストが出たり、未発表トラックが発掘されたり、あるいは廃盤になったりで、ディスクガイドというのはある程度の年ごとに改訂する必要があるのだが、今回の付録は「黒皿名盤 最新市場情報」という意味で重宝する。惜しいのは、すべての解説をバラカンがこなしているわけではないこと。ジャズが省かれていること。あとやはり、媒体の特色上、ブラック・ミュージックの経験値があまり高くない人向けに作られていることで、プラスアルファに乏しい。まあこれはしょうがない。
 とはいえ、この媒体ならではのことでいえば、金を惜しまずバンバン通信社から買っている写真がいい。紙もいい。さらに、鮎川誠、鈴木雅之へのインタビューも載っている。大出版社がやることは派手でいい。が、何度も言うが当たり障りが無い。ブルース・インターアクションズあたりに巨額の資金を預けて作らせたら、とんでもないことになるだろうに。でもそうすると部数が激減するし、タグホイヤーの広告も絶対入らないから、やはりその辺りの採算合わせのバランスは難しい。

ロックのゴッドファーザー、黒人

 己がブラック・ミュージック初体験は、シャネルズ/ラッツ&スター(80〜)だ。音楽的には歌謡曲、ポップスなのかもしれないが、ブラック・ミュージックというのは基本的にポップスだろう。何より鈴木雅之のボーカルはブラックだ。洋楽ではマイケル・ジャクソンの『スリラー』(83)、プリンスの『パープル・レイン』(83)で、白人ロックと同時に、一緒くたにして聴いていた。つまり白人と黒人を分けて聴くことが無かった。自分がローティーンだったせいもあろうが、時代性もあろう。マイケル・ジャクソンとプリンス以外は、好んで聴いていたのは大抵白人なわけだが、白人を選んでいた訳ではなく、耳に入ってくるのが白人が多かったに過ぎない。前述の2作も、プリンスはともかく黒光り度は弱い。
 そんな中、黒人音楽に意識的になったのは、まず、自分が好きなロックの傾向というものを、分析というと大げさだが、少し自分の嗜好を対象化してみたくなったときだ。
 80年代やや後半、高校時分にLAメタルが大ブームで、周囲のロック野郎にはハード・ロックやヘヴィ・メタル好きが多く、きゃつらに対して、俺がそれらを嫌いな理由を論理的に(心の中で)述べる必要に迫られた。
 「黒くない」という答えを発見した時は悦に入ったものだ。俺が好きになるロックの共通点は、黒光りしていることだった。その直感の裏取り作業の中で、黒汁音楽にどでかい影響を受け、それでも黒人のようにはやれない白人の葛藤から生まれたのがロックだったという事実に行き着いた時は、「リンゴが落ちるとは何ごとか」→「万有引力の発見」という、ニュートンの気持ちが少しわかったし、「ユーレカ!」と叫んで息絶えそうになった。
 ロックの陰に常に黒汁出しまくりの黒人がいることは、ジャガーやレノンを筆頭に白人ミュージシャンのフェイバリット・リストを眺めれば一目瞭然で、特にイギリス人に多い。今回のPLAYBOYの記事でも大鷹俊一が書いているようにモッズはその代表で、ザ・フーやスモール・フェイセズ、ポール・ウェラーを絞ると、黒汁がどんどん溢れ出してくることとなり、彼等こそ俺の黒汁案内人であった。
 ピーター・バラカンもその一人だ。60年代のロンドンで少年期を過ごしたバラカンは、当時のロンドン子のご多分に漏れず黒光り音楽に夢中になった。そうした説得力が日本人の批評家と違うところで、彼の書く黒汁本やテレビ、ラジオ番組、講演は、至極秀逸なのであった。ロックの渋谷陽一、ブラックのバラカンというのが、音楽批評界における俺の指針であった(ロックに関しては、渋谷離れ、ロッキング・オンからミュージック・マガジンへのシフトが最近は進んでいるが、これも別の機会にまとめる)。

c0005419_14373549.jpg そんなピーター・バラカンが8月25日(土)に、池袋の「マイルス・カフェ」で、今回のPLAYBOYの特集を受けたトークショーを行なうので、これは行かざるを得ない。

 また、先日、「アトランティック・レコード:60年の軌跡」という秀逸なDVDも出たので、買わざるを得ない。アトランティックについては、本ブログのココに詳しい。

by ichiro_ishikawa | 2007-07-27 13:19 | 音楽 | Comments(0)  

アトランティックR&B 後編(1960-72)

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ソウルの時代 スタックス&マッスル・ショールズ

 レイ・チャールズのメジャーABCパラマウントへの移籍、ビートルズを初めとするロックの台頭などを受け、ビジネス的にも目敏いアーテガンは、白人アーティストの獲得、育成に力を注ぎ出す。
 そんなアーティガンに対し、ウェクスラーは黒い音にこだわり続けた。メンフィスでカーラ・トーマスの「Cause I Love You」が流行っていることを知り、その制作レーベル、スタックスに近づき、全国配給の契約を申し出る。その後、同じく南部のマッスル・ショールズとも契約を交わし、ソウル・ミュージック全盛期を生み出す事になる。60年代アトランティックR&Bとは、イコール、スタックス、マッスル・ショールズR&B、ソウルである。

7.
「Green Onions」Booker T. & The MG's
(Jones-Dropper-Jackson-Steinberg 1962)

c0005419_1823335.jpgスタックスの録音のほとんどのバックバンドを務めたのが、ブッカー・T & The MG's(M.G.'sとはメンフィス・グループの略)で、その最初のヒット曲が、映画『さらば青春の光』でもお馴染みの「グリーン・オニオンズ」。メンバーはブッカー・T・ジョーンズ(key)、スティーヴ・クロッパー(g)、ドナルド“ダック”ダン(b)、アル・ジャクソン(dr)の白人黒人混成グループだ。


8.
「Mercy, Mercy」Don Covay
(Covay & Miller 1964)

c0005419_18241429.jpg 黒いミック・ジャガー、というか、ミック・ジャガーが強い影響を受けたのがこのドン・コヴェイ。コヴェイはアトランティックのソウル・シンガーたちに楽曲提供もしていたソングライターでもある。ローリング・ストーンズがカバーした「Mercy,Mercy」を筆頭に、スモール・フェイセズもカバーした「Take This Hurt Off Me」や、グルーヴィな「See-Saw」「Sookie Sookie」など傑作ぞろい。グルーヴィR&Bの最高峰。


9.
「I've Been Loving You Too Long」Otis Redding
(Redding & Butler1965)

c0005419_18244573.jpgスタックス最大のスターにして、ソウル・ミュージックというものの体現者、ソウルの代名詞とも言えるのがオーティス・レディング。26歳で航空機事故で急逝するまで、とんでもないソウルを連発した。ピーター・バラカンも言う通り、アップのノリの良さ、バラードの説得力、どれをとってもいう事なしだ。サム・クックと並ぶソウルの横綱。


10.
「When A Man Loves A Woman」Percy Sledge
(Lewis & Wright 1965)

c0005419_18251738.jpgスタックスと双璧を成す南部のR&B/ソウルレーベルがマッスル・ショールズのフェイムで、ダン・ペンやスプーナー・オールダムといった黒人大好き白人ミュージシャンを作家陣にもつ。誰もが知っているこの傑作ソウルバラードは、マッスル・ショールズ録音だが、1%のキックバックで経営者のリック・ホールがアトランティックからの発売にこぎ着け、南部にマッスル・ショールズありと知らしめた。


11.
「Land Of 1000 Dances」Wilson Pickett
(Kenner & Domino, Jr 1966)

c0005419_18255819.jpg不世出のソウル・シンガー、ウィルソン・ピケット。60年代初頭に数々のスター・シンガーを輩出した名門グループ、ファルコンズのリード・シンガーを務め、その後ソロに転向し、Double-Lでシングルを出した後、アトランティック入りした。当初はヒットに恵まれず、スタックスに詣で、「In The Midnight Hour」という傑作を生み出す。だが、ピケットとスタックスの面々は、性格的にソリが合わなかったらしく、ピケットはマッスル・ショールズへ出向く。そこで、Chris Kennerのいまいち冴えない曲をエキサイティングに仕上げたこの「ダンス天国」や、「634-5789」等の珠玉のミディアムなどを連発したのだった。


12.
「Soul Man」Sam & Dave
(Hayes & Porter 1967)

c0005419_18263326.jpg「これぞStax!!」なパワフル・ソウル・デュオ、サム&デイヴは、アトランティック側からスタックスに送り込まれた最強の刺客。高音担当のサム・ムーアは昨年新作をリリースし、ダイナマイトぶり健在!を見せつけた。この「魂男」のほか、「ちょっと待って、今行くから」など大ヒット曲多数。ディープ/サザン・ソウルを語る上で外せないデュオだ。また、サム&デイヴの曲は、映画『黒いジャガー(シャフト)』でお馴染みのアイザック・ヘイズと、デイヴィッド・ポーターが主に手掛けているという事も知っておく必要、大アリだ。


13.
「I Never Loved A Man (The Way I Love You)」(Ronnie Shannon 1967)
「Do Right Woman, Do Right Man」(Moman, Penn 1967)
Aretha Franklin

c0005419_1827161.jpg いわずもがなのソウル・クイーン、アリーサ・フランクリン。ゴスペルあがりのその歌唱は、まさにソウルフル。ものすげえ。アトランティックは66年に大手コロムビアから契約を買い取り、ウィルソン・ピケットに続いてこのアリーサをマッスル・ショールズに送り込んだ。マッスル・ショールズの田舎者の面々はアリーサなんて知らなかったが、黒人音楽フリークのダン・ペンは流石にアリーサに眼をつけており、仲間たちに「凄いのが来るから覚悟しとけよ」と言っていたという。アリーサはマッスル・ショールズで数曲傑作を残すが、現場のミュージシャンによる「アリーサのケツ触り事件」を機に、マッスル・ショールズを離れる。こうしたブラックミュージック裏話やスタックス、マッスル・ショールズ設立〜終焉までのストーリーは極めて面白い。それらは、「リズム&ブルーズの死」(ネルソン・ジョージ)、「スウィート・ソウル・ミュージック」(ピーター・ギュラルニック)、「魂(ソウル)の行方」(ピーター・バラカン)に詳しい。


14.
「Soul Finger」The Bar-Kays
(King-Jones-Cunningham-Caldwell-Alexander-Cauley-Christian 1967)

c0005419_18272965.jpg バーケイズの傑作パーティー・チューン「ソウル・フィンガー」。バーケイズは、スタックスのハウス・バンドとしてそのキャリアをスタートさせ、オーティス・レディングのバックなどで活躍していたが、67年12月9日、そのオーティスを乗せた航空機がマディソン州モンタナ湖に墜落。同乗していたバーケイズも6人中4人のメンバーを失った。ソウル史上、最悪の悲劇である。


15.
「Tighten Up」Archie Bell & The Drells
(Bell-Butler 1967)

c0005419_18275392.jpg Y.M.O.のカバーでもお馴染みの、フロア・クラッシックとして名高い名曲「ッタイヌナッ」。激烈にカッコいい。


16.
「Sweet Soul Music」Arthur Conley
(Conley, Redding, Cooke 1967)

c0005419_18282724.jpg オーティス・レディングによって見出されたシンガー、アーサー・コンリー。このオーティスのペンによるサザンソウルの名作「スウィート・ソウル・ミュージック」は、ワクワクさせられるイントロのホーンに始まり、熱いボーカル、タイトにビートを刻むバックの演奏と、全てが完璧。


17.
「The Ghetto」Donny Hathaway
(Hathaway-Hutson1969)

c0005419_18285217.jpg 60年代後半から70年代は、キング牧師の暗殺、公民権運動、泥沼化するベトナム戦争といった社会的な影響によって、ソウル・ミュージックが変容を遂げていった過渡期である。ノーザン・ソウルの雄、モータウンからはスティーヴィー・ワンダーやマーヴィン・ゲイがシリアスな傑作を連発し、アトランティックからは、このドニー・ハサウェイがいわゆる“ニュー・ソウル"を発展させる。ジャズ上がりの知的さを備えるが、グルーヴィでフォンキィなリズム、ソウルフルなヴォーカル、随所で美しい旋律を奏でるエレピ、どれをとっても素晴らしい。


18.
「Clean Up Woman」Betty Wright
(Clarence Reid/Willie Clark 1971)

c0005419_18291439.jpg68年、若干13歳でデビューしたベティ・ゥライト。「ソウル・マン」風のこの「Clean Up Woman」、そして語りも良い「Tonight The Night」といった傑作も外せない。


19.
「Killing Me Softly With His Song」Roberta Flack
(Fox/Gimbel 1972)

c0005419_18293542.jpg ドニー・ハサウェイとの共演も素晴らしいロバータ・フラック。アリーサや、アーマ・トーマス、グラディス・ナイトといったソウルはないけれど、内省的で、ブルース/ジャズ/ゴスペル/フォーク/クラシックの要素を独自のクールな視点で昇華させたテイストは、すごくいい。


 この辺りを最後に、アトランティックのリズム&ブルーズ/ソウルは、死んでいく。それに取って代わるのが、アーテガンが押し進めて来たロック路線で、クリーム、エリック・クラプトン、イエスといったイギリス勢、バッファロー・スプリングィールド、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング、そしてレッド・ツェツッペリンでばく進し、遂にはローリング・ストーンズを獲得、『メインストリートのならず者』をリリースするのであった。

by ichiro_ishikawa | 2007-03-13 05:30 | 音楽 | Comments(0)  

アトランティックR&B 前編(1947-60)

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 池田晶子さん急逝のショックで悲しみに明け暮れているが、いつまでも喪に服しているわけにもいかない。前々回の原稿を機に異様に盛り上がってしまったアトランティック熱がいまだ収まりきらないので、私なりの鎮魂歌として、そのベストテンを、今回はカウントダウン方式でなくクロニクルとしてレーベルの歴史とともに述べていこうと思う。
※1955年からのジャズ部門、60年代後半からのロック部門は省き、R&Bに特化して記述。

1.「Mardi Gras In New Orleans」Professor Longhair
(Professor Longhair 1949)

c0005419_2391537.jpg1949年、南部への旅
 アトランティック・レコードは、1947年10月、在米トルコ大使を父に持つアーメット・アーテガンが、ナショナル・レコードのプロデューサーであったハーブ・エイブラムスンとともにニューヨークで設立した。アーテガンは、父親がヨーロッパ在任中に、生で聴いたキャブ・キャロウェイやデューク・エリントンに感動し、兄のネスヒ・アーテガン(L.A.でのレコード店経営を経て、アトランティックに参加、ジャズ部門を支える)と共にアメリカの黒人音楽に夢中になっていったのだった。
 設立から2、3年の間はヒットが出なかったが、その間、アーテガンは相棒のエイブラムスン、作曲家のジェシー・ストーンと、よりダウン・トゥ・アースな音を求め南部巡礼を行なっており、49年、ニューオーリンズで、このプロフェッサー・ロングヘアー(1918-1980)を見い出し、録音した。そのうちの最高傑作がこの「Mardi Gras In New Orleans」。左手でへヴィなシンコペーションを叩き出し、右手がその間を縫うように跳ね回るニューオーリンズ・ピアノがすごい。長髪教授はその後、心臓発作や肝硬変といった度重なる病気のため一時、音楽活動から離れざるを得なくなり、遂にはレコード店の掃除夫で生計を立てるまでになったが、71年「第2回ニューオーリンズ・ジャズ・アンド・ヘリテッジ・フェスティバル」への出演を機に、再評価の嵐が吹き荒れる。アーニー・K・ドゥ、アラン・トゥーサン、ファッツ・ドミノ、ヒューイ・ピアノ・スミス、ドクター・ジョン、ネヴィル・ブラザースへ、その血は受け継がれている。


2.「Daddy Daddy」Ruth Brown
(Rudy Toombs 1952)

c0005419_2394019.jpg 初期アトランティックを支えたのが、このルース・ブラウン(1928- 2006)。1948年にアーテガンとエイブラムソンはニューヨークから自動車でワシントンに出向き、ナイトクラブで歌う彼女の歌を聴いて契約を決めた。ルースの歌う曲はたいてい大衆的なバラッドが中心だったが、アーテガンはR&Bへの転向を彼女に説得した。
 ルース・ブラウンは、1949年「So Long」でデビュー。ヒットとなり、1950年にリリースしたルディ・トゥームズ作曲の「Teardrops from My Eyes」は、「ビルボード」誌のR&Bヒットチャートの1位を11週連続で占め、R&B歌手として地位を確立した。彼女のレコードは、1949年から55年にかけてR&Bレコードチャートトップ10に149週間にわたりチャートイン。それら16曲のうち5曲は1位を記録。ルースはアトランティック・レコードの看板歌手として活躍し、社のビルは「ルース御殿」とまで呼ばれた。R&BとはRuth Brownの頭文字から取られた! とまで言う大げさな輩も。


3.「Mess Around」Ray Charles
(A. Nugetre 1953)

c0005419_2310455.jpg 黒い音楽を追求するため、南部を巡り、ハーレムに通い続けていたアーメットと仲間たちは、52年、レイ・チャールズを獲得した。映画『Ray』によると、ナット・キング・コール風の甘いピアノ弾き語りを得意としていたレイに、強烈なR&Bビートを吹き込んだのは、アーテガンのようだ。この「Mess Around」の作者名は、アーテガンのペンネーム(Ertegunの綴りを逆さにしたもの)で、まさにキング・オブ・R&B、レイ・チャールズの生みの親と言っていい。
 レイはその後、「I Got A Woman」(Ray Charles 1954)「Hallelujah, I Love Her So」 (Ray Charles 1955)、「What'd I Say (Parts 1&2)」 (Ray Charles 1959)と名曲を連発し、結果、米大手ABCに引き抜かれてしまうが、レイのキャリアの音楽的黄金期はアトランティック・イヤーズであろう。


4.「Money Honey」Clyde McPhatter & The Drifters
(Stone 1953)

c0005419_23101933.jpgジェリー・ウェクスラー登場
 1953年は、アトランティックの第一の転機だ。アーテガンの片腕ハーブ・エイブラムソンが陸軍召集で経営から一時離脱。そこで経営陣に加わったのが、「ビルボード」誌の記者だったユダヤ系青年ジェリー・ウェクスラーだ。ウェクスラーは、黒人音楽を指す差別的な呼称「レイス・レコード」を「リズム&ブルース」に変えた人物とされる。彼が最初期に育てたのが、このクライド・マクファーター率いるザ・ドリフターズだ。この頃から、ピアニスト兼アレンジャーのジェシ・ストーン、エンジニアのトム・ダウドといったアトランティックの黄金スタッフによる大全盛期が始まる事になる。


5.「Yakety Yak」The Coasters
(Leiber - Stoller 1958)

c0005419_23103359.jpgリーバー&ストーラー登場
 アトランティックの歴史で絶対に外せないのが、コースターズ、ドリフターズと言った黒人コーラス・グループの存在で、その裏には、ジェリー・リーバー&マイク・ストーラーといった黒人音楽大好きの白人名ソングライティング・コンビがいた。55年、アーティストが増えすべてに手が回らなくなったアーテガンとウェクスラーは、スパーク・レコードからこの2人を引き抜く。ブラックの粘っこいノリに白人のポップな感性をまぶしたリーバー&ストーラーの楽曲群は、まさにアーテガンが求めていた音楽だった。コースターズ by リーバー&ストーラーは、この「Yakety Yak」の他にも、「Searchin'」 (1957)、「Young Blood」 (1958)、「Charlie Brown」 (1958)、「Poison Ivy」 (1959)と、珠玉のポップ・ナンバーを連発する。ちなみに、リーバー&ストーラーの下で見習いで働いていたのが、後に大プロデューサーとなるフィル・スペクターである。


6. 「Save The Last Dance For Me」The Drifters
(Pomus-Shuman 1960)
「Stand By Me」Ben E. King
(King & Glick 1960)

c0005419_23105492.jpg 1958年、クライド・マクファターに代わり、ベン・E・キング(1938-)がドリフターズに加入する。「Dance With Me」(1959)、「This Magic Moment」 (Pomus-Shuman 1960)などのヒットを輩出し、1960年、この必殺の「ラストダンスは私に」を放った。作詞作曲は、ブリル・ビル・ポップのドク・ポーマスとモート・シューマン。ベン・E・キングはこの曲を最後にドリフターズを脱退しソロ歌手に転向。すぐさま傑作「スタンド・バイ・ミー」をリリースした。ジョン・レノン『ロックン・ロール』(75)でのカバーを出さずとも言わずもがなの名曲だ。


次回、後編は、いよいよアトランティックがあのスタックスに……!

by ichiro_ishikawa | 2007-03-04 23:29 | 音楽 | Comments(0)  

驚愕のアトランティック

 ロック好きで黒人音楽が嫌いな人はいないのだけれど、ロックという入り口から音楽の深い森にはまりこんでいった人間にとって黒人音楽の教科書は、ピーター・バラカンと、そして、アトランティック・レコード(スタックス、マッスル・ショールズや、アトコなどサブ・レーベル含む)のはずだ。
 昨年、鬼籍に入った偉大なるブロデューサー、アーメット・アーティガンへの追悼と、奇しくも創立60周年ということで、今、世界は、大アトランティック・ブームに沸いており、右を向いても左を向いても、どのチャンネルつけても、アトランティック一色なわけだが、さすがに『レコード・コレクターズ』も特集を組んで来た。
 記事は、アトランティックの歩みとアトランティック名盤200なのだが、この200枚は、R&B/ソウル/ジャズ/ロックの名盤200と、ほぼ一致してしまう事が発覚した。
 アトランティックは、今は実は終わっていて普通のメジャーレーベルだが、50〜70年代は恐ろしくとんでもなかった。R&B/ソウル/ジャズ/ロックの、まさに宝庫だ。実は本稿では、「アトランティック、この10枚」をやろうとしてペンを取ったのだが、選定前恒例の「i-Tunesプレイリスト作り」の段階で優に100曲を超えてしまったので、頓挫した(至福の時ではあった)。
 ざっと挙げてみると、
【ジャズ】
ジョン・コルトレーン『Giant Steps』『My Favorite Things』、チャールズ・ミンガス『直立猿人』、オーネット・コールマン『Free Jazz』『ジャズ、来るべきもの』、 ローランド・カーク『溢れ出る涙』、モダン・ジャズ・クァルテット
【ソウル/R&B】
レイ・チャールズ、ドリフターズ、コースターズ、オーティス・レディング、サム&デイヴ、アリーサ・フランクリン、アーチー・ベル&ザ・ドレルズ、アーサー・コンリー、ウィルソン・ピケット、ロバータ・フラック、ダニー・ハザウェイ
【ニュー・オーリーンズ】
プロフェッサー・ロングヘアー『Proffessor Longhair』、Dr.ジョン『Gumbo』
【ロック】
バッファロー・スプリングフィールド、CSN&Y、スティーブン・スティルス、マナサス、ラスカルズ、ローリング・ストーンズ『Exie on the Mainstreet』、ロクシー・ミュージック『Street Life』、デレク&ザ・ドミノス『Layla』、イエス、エマーソン・レイク・アンド・パーマー、レッド・ゼッペリン

 と、特に調べもせずにこれだけ名盤が溢れ出て来る。ちゃんと調べたら、どんだけ「名盤」が出てくるんだっていう。しかもジャケット写真と一言批評を添えなければならず、そうなるとどれだけ時間がかかるんだっていう。それなら本作るよっていう。

 レーベルの詳細は、現在発売中のレコード・コレクターズと、「スウィート・ソウル・ミュージック—リズム・アンド・ブルースと南部の自由への夢」 ピーター・ギュラルニック「魂(ソウル)のゆくえ」ピーター・バラカンオフィシャル・ウェッブサイウィキペディアに悔しいが譲る。
 そこで、一枚だけあげるとしたら、やはりこれだ。

『Atlantic Rhythm & Blues 1947-1974 [Box set] 』Various Artists
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 1枚とはいえ、8枚組。ジャズとロックは外れているが、これは、本当にすげえ。12,257円だが、1日か2日、日雇いをやれば買える。
 日雇いを強力に勧める。もとい、一聴を勧める。

by ichiro_ishikawa | 2007-03-02 03:26 | 音楽 | Comments(0)  

James Brown (1933-2006)

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       from Saturday Night Live December 13, 1980

by ichiro_ishikawa | 2006-12-26 04:44 | 音楽 | Comments(2)  

バンバンバザール meets サム・ムーア

Nack5 79.5FMでのバンバンバザールのレイディオ番組
「GOO GOO RADIO」
11/21(火)放送分にて、
「ちょっと待って、今行くから」「魂男」などのヒット曲でおなじみ、
現在ブルーノート東京公演中の元サム&デイヴ、
サム・ムーア(高音担当)がゲストで登場!
(バンバンバザールHPのBBSより)
必聴!!

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(左)サム&デイヴ。いい目線。
(右)サム(高音担当)が70歳にして放ったソロ最新作『Overnight Sansational』は、スティーヴ・ウィンウッド、エリック・クラプトン、ビリー・プレストン、スティングら豪華なメンツが参加。1曲目アン・ピーブルズのカヴァー「I Can't Stand The Rain」は、今は亡きビリー・プレストンの生前最後の演奏らしい

ブルース・ブラザーズ(ジョン・ベルーシとダン・アイクロイド)
による「Soul Man」(from You Tube)も必見

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このダンス、マスターしてえ

by ichiro_ishikawa | 2006-11-15 00:57 | 音楽 | Comments(3)  

「アメリカン・ポップミュージック前史」年表

1776年
アメリカ、イギリスの植民地から独立国家に。
その頃からアイルランドやスコットランドの民謡の替え歌を含む白人の作品とロンドン出版の作品が出版。

  〈国勢調査1790年〉
  ●総人口393万人
  ●うちイギリス人約320万人、スコットランド人19万人
  黒人は約70万人(約18%)

  〈国勢調査1860年〉
  ●総人口3144万人(ドイツ、アイルランド移民が増加)
  ●黒人は約444万人(約14%)

1840年代
ミンストレル・ショー流行。
アメリカ史上最初のソングライターで“アメリカ民謡の父”と呼ばれるペンシルヴェニア州の白人スティーヴン・コリンズ・フォスター登場。「草競馬」「おおスザンナ」など。

1860年代
白人のヨーロッパ風歌曲中心だが、ニグロ・スピリチュアル(黒人霊歌)活発に。
ヴォードヴィル流行。

1870年代
ミュージカルがミンストレル・ショーやヴォードヴィルの要素を加え大衆演劇として発展。

1880年代
ポピュラーソングの出版社がニューヨークに集まりはじめる。

1890年代
シンコペーションに特色のあるピアノ音楽、ラグタイム誕生。スコット・ジョプリン、トム・ターピンなど。

1900年代
ニューオリンズの黒人たちがジャズを創造。

ニューヨークの音楽出版街さらに活況を呈する。T.B.ハームス、M.ウィットマーク&サンズ、ハウリー=ハヴィランド&ドレッサーなど。
楽譜購買者のために店でピアノを弾き伴奏を。
その騒がしい様子から、「ニューヨーク・ヘラルド」記者モンロー・ローゼンフェルドが、“ティン・パン・アレー”と命名。

作家陣の人材が豊かに。
ヴィクター・ハーバート(アイルランド移民)、ルドルフ・フリムル(チェコスロヴァキア移民)、シグムンド・ロンバーグ(ハンガリー移民)、ジェローム・カーン(ニューヨーク)、アーヴィング・バーリン(ロシア移民)など。

1910年代
アーヴィング・バーリン「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」作曲。

W.C.ハンディ「セントルイス・ブルース」作曲。

ジョージ・ガーシュウィン「スワニー」作曲。


1920年代
クラシック・ブルース隆盛。
ベッシー・スミスなど。

カントリー&ウエスタン番組「グランド・オール・オプリ」放送
ジミー・ロジャース「ブルー・ヨーデル」(1928年)ヒット。

1930年代
●キューバのルンバ・ブーム
ドン・アスピアス楽団、ザビア・クバート楽団→マリオ・バウサ、マチートなど。
スウィング・ブーム
ベニー・グッドマンなど。
ラテン音楽ブーム
カルメン・ミランダなど。


1940年代
ビ・バップ隆盛。
チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーなど。
リズム&ブルース隆盛

1950年代
モダン・フォーク運動静かな高まりを。
● ロックンロール誕生
チャック・ベリー、リトル・リチャード、エルヴィス・プレスリー、バディ・ホリー、エディ・コクランなど。
※本blog、2004年12月24日付「ビートルズが生まれた背景」参照


こうした流れを受け、ポップ・ミュージック・クラシックとも言うべき、1958〜64年の「ブリル・ビルディング・ポップ」が誕生する。
To be continued

by ichiro_ishikawa | 2005-03-01 22:12 | 音楽 | Comments(2)  

ソウル概要の旅 終了

ブルーズ、ゴスペル、R&B,ソウルの世界を一通り歩いた。
 ロックに直接影響を与えたブラック・ミュージックという切り口なので、ディープな旅ではなく、一般的に名盤とされているものを大雑把に辿っていったことになる。
 やはり、ソウルフルな声と、黒人特有のリズム(特にドラムとベース)がグッとくるわけだけれど、白人層を掴んだ黒人サウンド、いわゆる西洋音階的なポップをメロディに取り入れているブラック・ミュージック。これが最高だった(ここにエレクトリックギターの歪みを拡張して加えたのがロックだ)。その意味で、ブルーズは、ギターやハーモニカ、ピアノの音の鳴り、そしてボーカル、佇まいはとてつもなくカッコいいけれど、音楽的には限界があった。瞬間芸であり、リピートにはさほど耐えない。たまに聴くならいい、といったところだ。マディ・ウォーターズでさえも。
 この世界にはまると普通のロックがちゃんちゃらおかしい子供騙しに見えてきて、かなりロックは淘汰される。ブラックミュージックという怪物にきちんと対峙したものでないと、それは女子供の玩具でしかない。その中でやはり、ビートルズ、とりわけジョン・レノンだけが、何をも凌駕して惨然と輝いていることを再確認した。
 というわけで、今日の名曲は、初期ジュリー・エレクトロが「レイン」と共にカバーしていたことでも知られる「ドント・レット・ミー・ダウン」をお送りします。

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(THE BEATLES『Past Masters Volume Two』M-10)

by ichiro_ishikawa | 2004-11-29 23:13 | 音楽 | Comments(0)  

ヴィム・ヴェンダース『Soul Of A Man』を観て

 マーティン・スコシージ総指揮による映画シリーズ『THE BLUES』からの第1弾、ヴィム・ヴェンダーズ監督『Soul Of A Man』を観た。この映画はブラインド・ウィリー・ジョンソン、スキップ・ジェイムス、J.B.レノアーという3人のブルース・ミュージシャンにスポットライトをあてた作品。彼らは、20~60年代にかけてレコーディング活動を行い、少しは知られた存在となったが、最後は貧困の中、人知れず亡くなっていったという。
 本作は、3人のアーカイヴ映像や役者を使ったドラマを中心に、当時を知る関係者らのインタビューと、現代のミュージシャンによる彼らの曲のカバー演奏を随所に盛り込みながら、彼らのミュージシャンとしての生涯を紹介していくというもの。
 現代のミュージシャンは、こんな面々。マーク・リーボウ、Tボーン・バーネット、ニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズ、ロス・ロボス、ボニー・レイット、ルー・リード、ベック、ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョン、イーグル・アイ・チェリー、ジェイムズ・ブラッド・ウルマー、ヴァ‐ノン・リード、カサンドラ・ウィルソンほか。そして、ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズとクリームはアーカイヴ映像で登場ときた。
 これだけの人たちを一挙に見られるというだけでもすごい。特に、ニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズ、ベック、ジョン・スンサー・ブルース・エクスプロージョン、ジェイムズ・ブラッド・ウルマーがよかった。カッコよかった。
 ただいかんせん、各々の演奏時間が短い。ストーリーなどどうでもいいから、スキップらのアーカイヴ映像をバックにひたすらレコードを流し続け、ひたすらこいつらの演奏を映し出してほしかった。

 ブルースはよくアメリカの演歌といわれるけれど、それは気の利かないジョーク、間の抜けた洒落にすぎない。確かにどちらも哀しみを歌うけれど、演歌が「哀しい、そんな俺および俺の人生悪くない」という隠れた自己肯定があるのに対して、ブルースは「哀しい、ただ哀しい」という叫びであるという点が決定的に違う。ブルースは同情を求めない、媚びない、つるまない。
 音楽面でいえば、ブルースとは、すごく音楽的に優れていると再認識した。劇中で流れるスキップやJ.B.のあのギターの音色はどうだ。あの弾き様はどうだ。そして、あの声はどうだ。歌詞もストレートで素晴らしいけれど、なんといってもあの音楽がとてつもない。僕は、特にブルース愛好家ではないし、実はあまり好きではないけれど、あの音色と弾き様と声には圧倒されずにいられなかった。グワッと暴力的で高揚感に溢れ、かつデリケートでせつない。はっきり言ってブルースだどうだはどうでもよくなってくる。ただ、いい音楽に触れたということだ。それ以上でも以下でもない。

 バンバンバザールという楽団は、憂歌団をカバーすることからも分かる通りブルース好きの集まりだけれど、音楽がブルース的というわけではない。だが、どこを切ってもブルースが出て来る、ということは特筆すべきことかもしれない。バンバンバザールに限らず、優れた楽団、ミュージシャンは、テクノだろうが、ロックだろうが、ソウルだろうが、R&Bだろうが、ましてやポップスだろうが、ブルースが滲み出ているというのは面白い現象だ。この場合のブルースとはもはや7thだ、3コードだとかそういうモノではなく、「暴力的で高揚感に溢れ、かつデリケートでせつない」という想念の、便宜上の代名詞といったところだ。
 この映画はブルース生誕100年ということで、ブルース・ミュージシャンをフィーチャーしているが、結局、「音楽の根源的なパワー」というものを再確認させてくれる作品だ。ブルースをはじめ、まだまだ知らない過去の素敵な音楽すべてを聴きたいという欲望に駆られたし、現代の音楽もどん欲に聴き込みたいと思い直した。そして、自分で楽器を奏で歌いたいと強く思った。
 音楽の魅力を久々にリアルに感じた33歳の盛夏。まだまだ下腹部にぜい肉をつけている場合じゃない。今日から僕はシャドー・ボクシングを始めることにする。
 以下。あ、以上。

『ソウル・オブ・マン』
配給:日活
2003年/アメリカ/104分/ビスタ/DOLBY/日本語字幕:石田泰子
2004年8月28日、ヴァージンシネマズ六本木ヒルズほかにて公開。

by ichiro_ishikawa | 2004-08-18 03:12 | 音楽 | Comments(0)